血の夢に魅入られて   作:Frimaire

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4.変わり果てた者たち

 怪物の返り血を浴びたまま、私はただ右手を見つめていた。臓物のかけらがこびりつき、血にまみれてはいるが、間違いなくこれは私の手だ。目の前で事切れている怪物のそれとは違う。変化するよう念じてみたが、当然のように何も起きない。先程のあれはなんだったのだろうか?

 

 とりあえずは、投げ捨てた鞭を拾う。血だまりの中に落ちていたせいか持ち手が滑りそうだ。こちらも血まみれであるからどれほどの効果があるかはわからないが、とりあえず服で拭って握りなお――いや、待て。なぜ私はこれほどの血臭が気にならない? それどころか、血を浴びたことすらも心地よい(・・・・)とすら感じている。私に血を好むような奇癖はなかったはずだが……。全身に血を浴びて心地良いなどと、まるでかの血の伯爵夫人(バートリ・エルジェーベト)のようではないか。そういえばこの地には吸血鬼の噂もあったが……これもヤーナムの血とやらの影響だろうか。

 

 いずれ事態を把握できそうな人物に出会ったならば聞いておかねばならないだろう。ここから帰った後にもこの奇癖が影響しては困るし、先ほどの無意識の行動を人間相手に仕掛けてしまっては殺人犯だ。

 

ふと、階段のほうを振り向く。あのヨセフカという女性ならば何かを知っていそうなのだが。先程の様子では応えてくれそうにもない。彼女は事情を知った上で私を獣狩り、狩人と呼んだ。それも街のために狩りをする、とまで。

 

これはヤーナムにおいて狩人と呼ばれる職業、あるいは役割が存在するということだとみていいだろう。ならば私以外の狩人に出会うことができれば、その役割やこの変異についても相談ができるはずだ。

 

 願望交じりの推測ではある。狩人というのが旅人をこのような有様に仕立て上げることを指すのであれば、たとえ遭遇したところで有益な情報は得られないであろうし。それでも一応の方針としては悪くないだろう。叔父も生前よく言っていた。やってみなけりゃわからんよ(You'll never know unless you try.)、と。悲観的に考えてここで立ち止まったところで何も得られないのだ。このまま帰ることができない以上、市街に戻って私以外の狩人を探そう。

 

 扉を開ける前に、私をこのような事態に巻き込んだ老人の死骸を見やる。彼がここで屍をさらしていることこそ、この場所こそが私が死んだ場所であるという証左のはずなのだが。私の死体がそこにあるわけでもない以上、それを証明するのも私の記憶のみ、か。

 

 ため息が出る。そういえば吸血鬼というものは蘇った死体だっただろうか。そんなくだらないことを考えながら扉を開くと、沸き立つ銀のしずくが目に入った。あれらの現れる前兆だ。近づいてみると近くの死体を指さしている。

 

 そう、死体だ。身なりの整った老人だが、あの怪物に殺されたにしては……実に、そう。人間的な殺され方をしている。頭の傷と、近くに落ちている歪んで血まみれの金属製の籠。これを見るだけでも凶器と死因は一目瞭然だ。残念ながら叔父ではないので私にはそれ以上の推理はできそうもないが。

 

 殺人を示したいのか? とあれらに問いかけてみると、両手を大きく振って返す。あれらの身振りが我々と同じならば否定か。ではこの男の持ち物になにかあるのか? と問いかければ今度は頷く。気は進まないが探ってみると、いくばくかの硬貨、血に汚れて読めない何らかの紙片、赤い……まるで血のような液体の入った小瓶。まさか硬貨ではあるまいし、と紙片と小瓶を示せば小瓶を指さして手招きを始めた。つまりはまた何かを伝えるつもりか。

 

 招きに従うと、手に盛った巻物を開いて示してくる。武器の時のように使い方を直接伝えるのではないのか。それとも、場所の問題だろうか。そういえばここではあれらに直接触れることができないようだ。そのせいかもしれない。

 

 ――ふむ。巻物に記されていることが事実なら、吸血鬼というたとえもあながち外れてはいないのかもしれない。この小瓶――輸血液と呼ぶらしい――の中身を注射することで、生きる力を充足して傷を癒す……のだとか。

 

 血の医療に使われるものだとも記されていた。つまりこの中身が私に輸血された、ということか。先程からの変化を鑑みるにただ傷を癒すだけでもなさそうだが、念のためだ。周辺から使えそうな注射器を持っていくとしよう。

 

 そうして外に出ると、診療所に訪れたときに見たままの、墓地の光景が広がっていた。やはり私の訪れた診療所で間違いはないらしい。あの老人とヨセフカと名乗る女性の関係が今更のように気にはなるが、今はまず他の狩人を探すとしよう。それを尋ねるのは今でなくとも良いのだから。

 

 門を押し開き、街門へとつながる道へと出た私の目に最初に飛び込んできたもの。それは食い荒らされた馬と壊された馬車だった。このあたりにもあの怪物が居るのかもしれない。注意深く進むと、閉ざされた街門が見えてきた。まあ当然か。このような事態であれば、市街への怪物の侵入は防ぐべきだろうし。

 

 そう考えていたところで、背中に重い衝撃。咄嗟に横に転がりながら振り向くと、斧と松明を持った人物がそこにはいた。明らかに正気ではない様子でこちらに襲い掛かってくる。

 

 必死に鞭を振るい応戦していると、ほどなく倒すことができた。あの怪物に比べればさほどのことも――いや、それは重要なことではない。私は今、人を殺したのか? 襲い掛かってきたとはいえ、殺人を犯さぬために他の狩人を探していたというのに。まだ息があるならば手当を――待て、これは、何だ?

 

 近くで見たそれの顔は、およそまともな人のものとは言い難い面相であった。鬣のように伸びて固まった髭や髪、濁り切った眼、そして……まるで死人のような黒ずんだ肌。どこか獣じみた印象を与える表情で固まった顔。もしやと思い服を剥いでみれば、案の定、腕や足には毛皮めいたものがあり、痩せさらばえたような顔とは逆に、細い身に筋肉がしっかりとついている。

 

 私はこれを知っている。叔父だ。家へと届けられた叔父の死体が、まさにこのような姿に成り果てていたのだ。今ならば認めることもできる。叔父はおそらくこのヤーナムに訪れ、何らかの事態によってこれと同じものに成り果てたのだろう。今は理由まではわからないが――また一つ、調べなければならないことが増えた。

 

 とはいえ、現状でやるべきことに変わりはない。街門は閉ざされている以上は、どこからか市街へと入る道を探す必要がある。街門の横の柵……は、無理か。これは乗り越えられそうもない。では他に、と歩き回っていると街壁沿いにレバーを発見した。何の仕掛けだろうか、と周囲を見渡すと上方に折りたたまれた梯子がある。おそらくはあれを降ろすものだろう、と考えて引いてみれば果たしてその通りに梯子が降りてくる。位置を考えればここから街壁上を通って市内へと入れるはずだ。おそらくは籠城などを考えた仕掛けなのだろう。その仕掛けを外に置くというのは少々理解しがたいものがあるが……いや、もしかすると中の者への備えなのかもしれない。外に出られぬように。

 

 梯子を登る途中、獣の遠吠えのような声が聞こえてきたことでその考えは確信に変わった。市街の中に、おそらくは診療所の怪物の同類がいるのだろう。

 

 梯子を登り切ったところで、あの燐光を放つ燭台が目の前にあることに気付いた。近づいてみるとあれらが姿を現して祈りを捧げ始める。と同時、この燭台からあの場所へと戻ることができるというイメージが脳裏によぎる。戻ったところで得る物があるとは思えないが。

 

 それよりも私の気を引いたのは咳き込む音だ。近くの建物から聞こえてくる。窓越しに話しかけてみると彼はギルバートと名乗り、病に臥せっていると語ってくれた。そして――

 

「このヤーナムでは苦労したんじゃないかな? 個々の住人は皆よそ者を嫌う。かく言う私もよそ者なんだ。あまり君の役に立てるとは思えないけれど……そうだ、一つ忠告しておこう。この街は呪われている。何か事情があってやってきたんだろうけど、早く出て行ったほうがいい。ここで得られるものが、人に良い物とは思えない」

 

 咳き込みながらも語り掛けてくる彼に、獣狩りや血の医療について何か知っていることはないか、と問うてみた。臥せっているとはいえ、この街に長くいるのであれば何か知っているかもしれない。

 

「うーん、そういった話は医療教会に聞くのが一番だろうね。そこからも見える大橋。あれを渡った先の聖堂街に彼らの大聖堂がある。普段ならよそ者には何も教えてはくれないだろうけど、今は獣狩りの夜だ。入り込んで調べることはできるんじゃないかな?」

 

 なるほど。それはいい手かもしれない。資料――医療行為と称して行っている以上、あるはずだ――を調べることができれば、わかることは多いだろう。

 

 彼に礼を述べ、閉ざされた門ではない側の道を進む。途中の橋の下では獣のように成り果てた者たちが大通りを歩き回っているのが見える。気を引き締めてかからねばならない。

 

 ――と言っている端から、獣のように成り果てた……面倒だ、成れの果てとでも呼ぶか。それが積み上げた箱を壊してにじり寄ってくる。箱を壊さねば奇襲もできたろうに、知性は相当に失われているようだ。

 

 道中、本当に次から次へと襲い掛かってくる成れの果て。あの時杖を選んだ自分を褒めてやりたいほどだ。なんとなれば、鞭に変形させておけば成れの果てたちが握る武器が届かない距離から攻撃できるのだから。

 

 ――その油断がいけなかったのだろう。背後に潜んでいた成れの果てに撃たれてしまった。それ自体は倒したものの傷は深い。

 

 まったくもって気は進まないが、輸血を試みてみる。すると驚くべきことが起きた。まさかものの数秒で傷が癒えてしまうとは! いよいよもって血の医療というものが怪しく思えてくる。私は本当に今でも人間のままでいるのだろうか?

 

 ともあれ、傷は癒えた。それがたとえ気持ちの悪い話だったとしても、だ。今は先に進むべき時だ。

 

 歩を進め、角を曲がったところで私が見たもの。それはあの怪物を火刑に処している成れの果ての集団だった。怪物と彼らは敵対しているのか? だとしても、どちらも私を襲ってくることには変わりはないか。

 

 ここから見える限りで十二人。死角にも居ると考えた方が良いだろう。――さて、これはどうしたものか。


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