私は死んだ。間違いなく死んだはずだ。はっきりと覚えている。あの怪物に貪り食われる痛みを。最期に見たあの老人の……食い荒らされた顔も。
では、今ここにいる私は? 感覚から地面に倒れているのは解る。あの怪物に食われたはずの四肢があるということも。あの経験は夢だったとでもいうのだろうか。だとしても石畳の上に倒れているのはおかしいはずだ。
恐る恐る目を開くと、白い花の咲き乱れる……庭、だろうか。身を起こすと石垣とその上で座り込む人影、そして石段が目に入り――その上には大きな屋敷が建っているのが見えた。
立ち上がり、一歩進んだところで右手に墓石が立ち並んでいることに気付く。随分と趣味の悪い。屋敷への道にこのようなものを並べるなど。
しかし、現状を把握するためにはこの屋敷の住人であるらしいあの人物に話を聞かねば。そう思って近づいたが、それは打ち捨てられた人形であった。そばのランプには火が灯っていることから考えると、飾りのつもりなのかもしれない。屋敷の主の悪趣味ぶりにさらなる確信を得てより気が重くなり、他の道を探すことにした。
引き返し、最初に倒れていた場所から坂を下って――すぐに後悔することとなった。雲海に柱の立ち並ぶ、この世のものとも思えない光景に、ではない。無論それも私を混乱させるものではあったが。私を恐怖させたもの。それは足元にこそあった。地面から湧きだすように現れた、巻物を手にした小さな、赤子のような大きさのいびつな人型。木乃伊にも似たその――何か。
思わず飛び退った私は、先ほどまでその何かがいた場所に、それを示すように銀灰色の液体が湧きたっているのを目にした。
それと知ってよく見れば、この坂には点々と……何かが居る証が連なっている。坂の先に門が見えるが、もはや進む気にもなれない。一度引き返し、墓石の脇道へと入ろうとし――先ほどは気付くこともなかったが、墓石の下からもあれらが湧きだし、手招きさえしてみせている。
もはやこの道を進む気にもなれず、振り向けば庭園の奥、水盆の中から、一体のあれが身を乗り出して――あれは、何をしているのだろうか。まるで商人のように揉み手摺り手をしているように見えるのだが――ともあれ、どうやらこの地はあれらの棲み処かなにかであるようだ。
意を決し、屋敷に再度向かうこととしたが――石段にもあれらは現れた。手に手に武器を持ち、こちらへと差し出してくる。受け取れ、ということだろうか。
差し出したままじっとこちらを……見ているのだろうそれと見つめ合うことしばし。先程の怪物のようなものがまた現れる可能性に思い至った。
このような原始的な武器がどれほど役に立つのかは定かではないが、少なくとも輸血台よりはましだろう。そう思い、差し出された三つの武器をじっくりと検分する。
一つめは刃こぼれし、ゆがんですらいる大斧。柄の中央あたりに金具があり、そこからさらに柄が伸びているあたり、継ぎ足しでもしたのだろうか。
二つめは……なんといえばいいのだろう。ぎざぎざの、まるでのこぎりのような刃と湾曲した柄を持つものだ。内側にも刃があり、刃の付け根には滑車のようなものがついているあたり、おそらく場合に応じて伸ばして使うものなのだろう。
三つめだが、これについては武器と呼んでいいものかどうか、疑問が浮かぶ。先端の尖り具合はたしかに武器と言えなくもないが。六角のおそらくは総鉄製の杖だ。
全部受け取ったところで持ち歩けるものでもない。どれか一つを選ぶのが賢明だろうとは思うが……わかりやすく武器らしい姿をしている斧か、あるいはこれから会うであろう館の主に余計な警戒心を与えないで済むと思わしい杖か。のこぎりのようなものは滑車部分が気にかかる。あそこから折れてしまいそうだし、これは除いていいだろう。
考え抜いた末、私は杖を選んだ。今後あるかどうかもわからない怪物との遭遇よりも、館の主へと与える印象を考慮したためだ。杖を受け取ると頭痛が走り、脳裏にこの杖の使い方が浮かんでくる。あれらが私に伝えているのだろうか? まさかこれもまた変形するものだとは思いもしなかったが、鞭として振るえるというのは心強い。再びあの怪物と出会ったとしても、距離を置いて安全に戦えそうだ。
そうして一歩踏み出したところで再びあれらが現れた。今度は二体。それぞれに古いつくりの銃らしきものを手にしている。叔父のコレクションにあった大航海時代のころのものに似ているが……ともあれ、これもまた受け取れとのことらしい。
一つは中折れ式らしき短銃で、もう一つは……頑丈そうな銃だ。正直なところ、古い銃についてはさほど詳しくない。素直に目立たず持てそうな短銃を受け取り、頭痛に備える。思っていた通りに、使用法が脳裏に浮かび上がってゆく。予想外であったのは、装填は必要としないらしいということだ。水銀に自らの血を混ぜた弾を触媒として弾丸を放つ、のだとか。緊急時には新鮮な血液だけでも弾丸を放てる、というのはもはや驚くしかない。これは本当に銃と呼んでいいのだろうか。
ともあれ、屋敷の扉はもう目の前だ。ノッカーを打ち鳴らし、家人の反応を待つ……が、人の出てくる様子もなければ、中で何かが動く音もまったく聞こえてこない。留守なのだろうか。扉を押してみても鍵がかかっている様子でびくともしない。
困り果てて石段に座り込むと、この場所の異様さがよくわかる。先に坂を下りたときに見えた雲海と、天を衝かんばかりにそびえたつ幾本もの柱。はるか遠くまで雲と柱ばかりが並ぶ光景が続く。そんな中に浮かび上がる陸地。それがここだ。やはり私はあの時死に、ここが天国だとでもいうのだろうか? 聖書に語られる天国とはこのような場所ではなかったと記憶しているのだが。
そんなとりとめもない考えを巡らせていると、ふと墓石の下にいるあれらのうち一体と目が合った。手招きのような動作を繰り返すそれが妙にかわいらしく見え、ふと笑みがこぼれる。
そういえば、あれらは私に武器を渡した。おそらく害を為すつもりもないのだろう。であれば、あの手招きにも何か意味があるのかもしれない。墓石へと向かい、あれらが求めるままに手を差し出してみる。
次の瞬間。私は再びあの場所に居た。あの時、怪物に殺されたはずの部屋。それを前にして。右手には青い燐光を放つ燭台があり、あれらがそれに祈っている姿が見える。
ここがもし本当にあの時と同じ場所ならば、階段の上に私の寝ていた寝台があるはず。そう思って駆け上がった私を待っていたのは、全く予想外のものだった。
階段の上にあったもの。それは――ところどころの割れた硝子はあの時のままに、固く閉ざされた扉だった。
扉が開かないかと悪戦苦闘していると、奥から一人の女性が現れ、誰何してきた。それに応えて名乗り、この診療所で目覚めてからここまでのことを告げると、なぜか納得したかのように頷く。
「ああ、獣狩りの方なのね。私はヨセフカ。この診療所を預かっているの。そして……ごめんなさい。この扉を開けることはできないわ。大事な患者さんたちを感染の危険にさらすわけにはいかないから」
私が目覚めたときには患者はほかに居なかったように思うのだが。それに診療所の主は老人で、しかも怪物に食い殺されていた。やはりここは私が目覚めた診療所ではないのか? 悩んでいると、窓の隙間から小瓶が差し出されていた。
「ここを開けるわけにはいかないけど、街のために狩りに出る狩人さんに、これを。狩りの成就を祈っています」
思わず受け取ると、では、これで、と言い置いて立ち去ってしまった。街のための狩りだとか、狩りの成就だとか――獣狩り、だとか。そのあたりについて説明してもらいたいのだが……戻ってくる様子もない。これ以上ここにいたところで得るものはなさそうだ。
やむなく階段を下り、あの部屋を覗き見る。部屋の奥ではやはりあの怪物が晩餐に興じていた。内部の様子もあの時見たままだが、戦闘で荒れていた室内は元に戻っている。あのヨセフカという女性が片付けた……わけはない。まだあの怪物がいるのだ。
事態が把握しきれないが、今度は武器も、銃もある。きっとあの怪物とも渡り合える、はずだ。
杖を鞭へと変形させ、怪物の元へと忍び寄る。あの時の焼き直しのように、あと三歩。そこで気付かれたが、この鞭ならば。
振るうたびに怪物の体が朱に染まってゆく。これならば、と気の緩んだその瞬間、怪物がとびかかってくる。が――左手の銃がある。鼻面に一発。硬直した怪物の姿を認識した直後、無意識に体が動いた。
右手を――まるで目の前の獣のもののように突如変異したそれを、怪物の腹へと突きこんだのだ。そのまま内臓を掴み出して投げ捨て――我に返った。
私は、今……何をした?
行間が詰まりすぎで読みづらい気がしたので少し変更。