血の夢に魅入られて   作:Frimaire

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2.逃れえぬ死

 暗い、暗い診療所の中、手術台の上で私は目覚めた。

 

 ――頭が痛い。なにか、悪い夢を見ていたような……血から生まれた怪物と、いびつな人型の……ダメだ、思い出せない。

 

 そもそも、私はなぜこんなところで寝ていた……? 確か、診療所の主らしい老人に相談を持ち掛け――頭が痛い。何を話したのか思い出せない……。

 

 思わず頭に手をやり、目を疑った。左手に、随分と汚れた包帯が乱雑に巻いてある。

 

 

――我ら、ヤーナムの血を受け入れたまえよ

 

 

 かすかに、そのような言葉を聞いた記憶が蘇る。もしも、それが言葉通りの意味だとすれば――これは、輸血を受けた痕、だろうか。そうだとして……なぜ、誰もいないのだろう。患者を放り出して行く診療所など聞いたこともないが、これも土地柄ということだろうか……?

 

 ともあれ、あの老人を探して何をしたのか聞き出さねばなるまい。ランプに火が灯っている以上、留守にしているわけでもないだろう。

 

 手術台から降り、違和感を覚えた。この診療所はここまでぼろぼろだっただろうか? 床板が剥がれて梁が見えているし、周辺のおそらく医療に使われると思わしき器具も、随分と古びて見える。定かとはいいがたい記憶とはいえど、さすがにこのような廃墟のような場所ではなかったように思うのだが。もしや私が訪れたのとは別の診療所なのだろうか。入院施設であるとか――いや、それにしたところでもう少し手入れがなされているだろうし。

 

 軋みをあげる扉――明らかに蝶番の油は切れていたし、硝子も割れていた――を押し開くと階段がある。その先にはやはり床板の剥がれた、というよりはむしろ何かによって破壊されたようなという表現が正しいありさまの部屋が見える。このまま降りても大丈夫だろうか。そんな思いもよぎるが、あの部屋の先から何か物音が聞こえてくる。音の主があの床を破壊した者か、あるいはあの老人か……いずれにせよ、ここで留まっていてもどうしようもない。

 

 意を決し、慎重に進み――私はそこで信じられないものを目にした。獣が人を貪っている。それはいい。いや、よくはないが、それ自体は時折聞く話だ。直に目にしたことはなかったにしても。

 

 だが、今そこにいる獣は違う。狼のようにも見えたが、あの四肢はむしろ人間のそれに近い構造で……何より、切れ端になっていたが、服を纏っている。あれでは伝説にいう狼男のようではないか。それに、私はアレをどこかで見たことが――ああ、頭が痛む……そうだ。そう、あれは、夢の中に現れた怪物だ。待て、だとすればまだ私は夢の中にいるのか? それとも、夢から這いだしてきたとでもいうのだろうか。ああ、神よ。これが夢だというのなら今すぐ目覚めさせたまえ!

 

 

 ――残念なことに、祈りをささげたところで目覚めることはなかった。であれば現実として考える他ない。そうなると実に困った話になってくる。まず、あの怪物はディナーの真っ最中だ。邪魔をすれば当然襲われると考えていい。問題は、場所だ。よりによって扉の目の前で晩餐に興じているのだ! あれでは気づかれずに通り抜けることはできそうもにない。一度退いて居なくなるのを待つ、というのも魅力的なプランではあるが、あれがもしも見た目通り狼並の嗅覚を備えていた場合、遠回しな自殺でしかない。

 

 では、あれをどうにか倒して進む? せめて軍が使うような(マルティニ・ヘンリー)銃、いやせめて型落ち品(スナイドル)でもあれば可能かもしれないが、今の私は銃どころか武器になりそうなものすら持ち合わせていないし――いや、この点滴台は使えるかもしれない。

 

 思いのほか軽々と持ち上がった点滴台を手に、足音を忍ばせて怪物に近づく。気付かれる前に振りかぶって、頭に一撃できれば――その考えが甘かったことはすぐに思い知らされた。残り3歩。そこまで近づいた時点で怪物がこちらを振り向いてしまったのだ。それとほぼ同時に振るわれる怪物の腕。とっさに後ろに飛び退り――そして私の身に起きた異変をはっきりと自覚した。

 

 以前の私は、点滴台を片手に助走もなく1m近くも跳べるような人間ではなかったし、そもそもあんな速度で振るわれる怪物の腕を見てから躱すなどという芸当ができるほどの反射神経の持ち合わせもなかった。ましてその腕に五指があり、鋭い爪を備えていることを躱しながら見て取るような目など。

 

 今はそのすべてがある。信じがたいことではあるが。もしもこの異変がすべて輸血によるものだとするならば、なるほど奇跡の医療などと呼ばれるのも頷ける。

 

 怪物の攻撃を躱しながら考え事ができるほどだ。この奇妙な身体能力の向上は優れた効果を見せている。が、現状を打破する力たりえるかと問われるとやはり疑問符がつく。

 

 ようやく隙を見つけて振るった点滴台はあっさりとへし折れ、怪物は特に痛痒を覚えた風もない。仮にも金属製であった得物がへし折れるようなものを素手で殴りつけたところでいかほどの効果があろうか。扉から引きはがし、上の階に閉じ込めようと誘導するも、なぜかこの部屋から出ようとせず、距離を置いたところで扉の前へ戻る始末だ。

 

 かといって新たな武器を取るほどの暇を与えてはくれない。私が部屋へと戻れば再び襲い掛かってくるのだ。そうしてどれほど戦っていたことだろうか。数分とも、数時間とも思えるほどの激闘――私にとっては、だ――の末、崩れた床に足を取られ、転倒してしまった。

無論のこと、怪物がその隙を見逃すはずもなく。

 

 その両腕に囚われた私は、扉の前に引きずられ怪物の晩餐の新たな一品となった。即死させぬよう手足から齧りとるのは抵抗に対する腹いせか、それとも猫が獲物をいたぶるような性質であるのか。

 

 

 痛みと失血に薄れゆく意識の中、視界に映る御同輩の顔。それは、見間違いようもなく――診療所の主、あの老人のものだった。

 


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