血の夢に魅入られて   作:Frimaire

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1.悪夢へと囚われるまで

 住み慣れた我が家、と言うには短い期間しか滞在しなかった叔父の家を発って7日。私は今ヤーナムへと向かう駅馬車に揺られている。御者は叔父の話にあった人物と違い、フードを目深にかぶった寡黙な小男で、ここまで一言も声を発していない。同乗者たちも――おそらくはヤーナムの住人であろうと思われる一団だが――こちらをちらちらと見てはささやき合うばかりで、快適とは程遠い陰気な道中となった。

 

 不快な視線に耐えてしばし。ようやくたどり着いたヤーナムは、話から想像していたものとは違って随分と大きな街だった。元は城塞だったのではないかと思わせるほどに立派な外壁に、入り組んだ街並み。

 

 ――そう、入り組んだ街並み。馬車から解放されて10分あまり。私は完全に迷っていた。普通の街であれば駅馬車の待合周辺、あるいは広場に出れば宿があるものなのだが、ここにはそれらしき看板すら存在しない。仕方ないと宿を求めて歩き出してから、自分の位置を見失うまでそう時間はかからなかった。

 

 普通の街であれば、こういう時は住民に聴けばなんとかなるものだ。しかしここではそうはいかない。住民を見かけないわけではないし、周囲を見渡せば遠巻きにこちらを伺う民衆や、窓から覗く顔もたやすく見つけられる。

 

 それらすべてが、視線が合うとそそくさと姿を隠してしまうのだ。よそ者を嫌う土地柄という話では確かにあったが、まさかここまでとは。

 

 さまよい歩くうち、一人の老人に声をかけられた。聖職者風の装いをしてはいるが、目元を包帯で覆い、どこか獣じみた、暴力的な雰囲気を持つ人物だ。率直に言うならば、実に怪しい。それでも必要の前に法律なし(Necessity has no low.)、だ。思い切って宿を探していると打ち明け、できれば案内をしてほしいと頼んでみるが――

 

「やめておけ。この街で夜を迎えぬほうがよい。夕刻の駅馬車で帰ることだ」

 

 にべもなく断られてしまった。しかし、私としてもここで引き下がることはできない。兄の行方も、叔父――とは認めたくないが――の残した謎めいた言葉も、その答えの全てはおそらくここにあるのだから。加えて言うならばあの駅馬車の雰囲気は何度も味わいたいものではないし。

 

 渋る私の様子を見て取ったか――その包帯に隠れた目でどうやって見ているのかは実に不思議だが――彼は一つため息をつき、諭すように語り掛けてきた。曰く、この街へと訪れるよそ者は、その大半が行方不明となった身内を探してか、あるいは奇跡の治療を求めてのどちらかであると。

 

「――病を得ているというわけでもなさそうだな。であれば早々に諦めて立ち去れ。それが貴様のためだ。どうせ見つかりはしない」

 

 治療であれば追い返すこともない、というのだろうか。そういえば『血の医療』というものがあるとロニー・ハズラックの手紙には記されていた。彼が最後に訪ねたであろう場所はその『血の医療』を施す場所であるはずだ。思い切って、それを求めて来たのだと伝えてみる。

 

「物好きな。とてもそうは見えないが……まあ、いい。それならば街門を出て左手に診療所がある。そこの爺に相談しろ。運が良ければすべて無事に終わるだろうよ」

 

 不穏なことを言う。とはいえやっと得た手がかりだ。念のため街門までの道を教わってむかうこととする。別れ際に名前も聞いていなかったことに気付き、改めて問いかけた。

 

「ガスコインだ。神父と呼ぶものも居る。まあ覚える必要はない」

 

 改めて丁重に礼を述べ、教わった通りの道を進む。噴水のある広場を抜けて大通りへ。そして一つ目のアーチをくぐり、道なりに。二つ目のアーチをくぐったら、目の前に見える階段を登らずにその右手の坂を下る、と。

 

 突き放すような言いざまの割に実に的確な説明で、無事に街門をくぐることができた。この左手に――診療所というにはやけに大きな館が見えるが、あれだろうか。

 

 立派な門をくぐると、まるで墓地のような庭があった。というよりは、墓地そのものだろうか。棺が積まれ、墓石も一つや二つではない。神父の――ガスコイン氏の言った、運が良ければ、という言葉が脳裏に蘇る。が、私は別段治療を求めて来たわけではない。この墓石に連なる心配は無用だろう。……念のため、兄の名が刻まれていないかは確認しておく必要がありそうだが。

 

 玄関へとたどり着いたころには、ノッカーを鳴らす必要もなく医師――いや、聖職者だったろうか。ともあれ診療所の主には気付かれていた様子で、すぐに扉を開けて迎え入れてくれた。治療を求めてではなく、相談したいことがある、という私の言にも快く頷いて、まして紅茶まで出してくれるなど! このヤーナムに訪れて初めてまともな人間に出会った心持ちになれたものだ。この老人もまた両目に包帯を巻きつけているが、きっとこれはこの地の聖職者の習わしなのだろう、と受け入れられるほどに。

 

 温かな紅茶で気が緩んだせいか、思わずこの老人へとこの地に訪れるに至った理由を話し始めてしまった。どこか茫洋とした意識のままに語り続け――叔父、とされる者の最期の言葉を告げたそのとき、穏やかに聞き役に徹していた老人が、突如その態度を変えた。

 

「ほう……『青ざめた血』ねえ。確かに、君は正しく、そして幸運だ。まさにヤーナムの血の医療、その秘密だけが君を導くだろう。

だが、よそ者に語るべき法もない。だから君、まずは我ら、ヤーナムの血を受け入れたまえよ……さあ、契約書を」

 

 まるで酩酊したかのような意識のままに、差し出された契約書にサインを記してしまう。何かがおかしい、はずなのだが……。

 

「よろしい、これで契約は完了だ。それでは、輸血を始めようか……なあに、なにも心配することはない。何があっても……悪い夢のようなものさね……」

 

 ささやくように語り掛ける老人の言葉を子守歌に、私の意識は途切れていった……。


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