あのヤーナム行からもう五年になる。あの日、ヤーナムを訪れた私は血の医療を受け――そして翌日、オドン教会なる建物の裏手で目覚めることになった。覚えのない血にまみれた装束で、鉄製の杖に古めかしい銃を手に。
夜の間に何があったのか。あの老人に説明を求めに向かった診療所で私を待っていたのは、閉鎖された廃墟であった。ヤーナムの住人は相変わらず話を聞こうともしない。前日と違うのはどこか怯えをにじませていることだろうか。この装束がその原因になっているようにも思える。
多くの疑問を抱えたままに――恐るべきことに、私はなぜヤーナムを訪れたのか、その理由すらも自らの手稿を読み返すまで忘れ去っていた――彼の地を去ることになった私だが、その日からというもの、夜を迎えるたびに悪夢に苛まれることとなった。
夜のヤーナムで獣と化した住人たちを狩り、あるいは異形の怪物に襲われ、そして最後には
夜ごとに訪れる悪夢。それがただの夢でないことはじきに知れた。幾度夜を迎えたころだったろうか、今ではもはや曖昧だが、倫敦を訪れた時のことだ。何の気なしに立ち寄った画廊で、一枚の絵に出会ったのだ。獣と化した群衆を相手に、鋸のような鉈を振るう見覚えのある装束の怪人物。手にする武器などいくつかの違いこそあれど、私の見る悪夢の光景を形にしたようなそれ。画廊の主人に問えば、他にもいくつかの作品があるという。
「不気味だからあまり飾らないんだ」
そう言いながら持ち出してきたそれは、確かに客足の遠のきそうなものではあった。大男のはらわたを引きずり出し、噴き出す血を浴びて哄笑する、もはや人とも思えぬ姿の何者か。あるいは陰鬱な大聖堂に向かい祈りを捧げる異形の胎児。さらに私を驚かせたもの。それは墓に向かい、祈りを捧げる女性――いや、人形だった。その傍らには夢に現れた車椅子の老人もいる。もはや疑う余地はない。この画家は私と同じ悪夢を見ている。
これは同時に、私にとっては恐ろしい事実も示唆していた。同じ悪夢を、名も知らぬ誰かが見ている。それはつまるところ、あの悪夢こそが、私から失われたヤーナムの夜の記憶ではないのか。そしてこの画家もまた同様の経験をしたのではないだろうか?
画廊の主人から在所を聞き出したが、それは郊外の癲狂院であった。いささか訪れるには勇気のいる場所ではある。だが、当時の私はなにをおいても彼の画家に会わねばならぬ、と――一種狂気めいた使命感に駆られていたのだ。
かくして画家――アルバート・カーステアスという――との面会へと赴いた私であるが、彼との鉄扉越しの会話において得たものはさほど多くはなかった。なんとなれば、彼もまたヤーナムへと赴き、そして私と同じようにその夜の記憶を失い、目覚め、そして悪夢を見ている。それを確認したのみに終わったからだ。ただ一つの収穫とも言えるものは、彼と私の見る悪夢が大筋において同一であるという事実のみである。
無論、細かな点においては違いがある。例えば彼はガスコイン神父を知らず、独力においてあの獣を打ち倒し、また旧市街においては死闘の末に灰色の男を下したという。私に比べて随分と優秀なことだ。
しかし、そういった些末な違いに目をつぶれば全く同一と言っても過言ではないほどに重なるのだ。市街地から大橋へ、そしてオドン教会、獣の街へと向かい聖杯を得、そして、あの孤児院で――彼は孤児院だということに気付いてはいなかったが――終わりを迎える。
この符合の意味するところは何か。そして、この悪夢を見ているものが私と彼のみであるのか。悪夢の手がかりを得たと思えば深まった謎を解くため、私は癲狂院を辞したその足で新聞社をいくつか回り、広告を出すことにした。ヤーナムの悪夢、、あるいは血の医療について知るものを求めたのだ。
これは一定の成果を収めた。集まった情報のうち悪戯や虚言らしきものを除き、同じ経験をしたであろう者と書簡を交わすうちに事態の輪郭が浮かび上がってきたのだ。
まずヤーナムからの帰還者であるが、把握できる中で最も古いものが私――より正確を期するのであれば叔父――であること。また、正気を保っている――少なくとも癲狂院に送られない程度には――者の他、叔父同様に獣のような姿で発見され、ほどなく死亡したものも一定数いること。そして、悪夢が徐々に変化していることである。5年前――つまりは私がヤーナムへと向かったのと同様の時期に訪れた者たちは皆、私と大筋において同じ悪夢を見ている。それが4年ほど前のある時を境に一変するのだ。孤児院に向かうことなく、大聖堂において強大な獣と戦い、そして古い教会で姿の見えぬ何者かに捕らえられ、そこで目覚めるという。
これらの話の中で、私の悪夢においては謎であったいくつかのことについても答えを得ることができた。たとえば私がただ、あれらと呼んでいたものについて。あれらは使者であるという。複数の書簡においてそう称されているが、何処からの使者であるのかについては変わらぬ謎といえる。また、白の丸薬についても複数の書簡に共通して記されていた。旧市街を蝕んだ灰血病なるものの治療薬であり、体を蝕む毒に対して有効であるという。そして、この灰血病こそが獣の病が旧市街に蔓延した原因であるとも記されている。
さて、ここ2年ほどになると同じ悪夢ばかりではなくなってくる。死せる馬の曳く馬車に連れられ、古城へと向かったという話、何処かの学び舎に迷い込み、狂い果てた学徒たちに襲われたという話、或いは森の奥の館にたどり着いたがそこから先の記憶がないという話など。
そしてもっとも新しい話――およそ1年前のことだ――によれば、大橋は閉鎖され、そして――私の恩人でもあるかのガスコイン神父が、獣へと堕しているという衝撃的な事実が記されていた。これ以前の話では、私の時と同様に助けられた、あるいは出会うこともなかったという話ばかりであったのだが。
この話を記した人物もまた、森の奥の館で記憶が途切れているとのことだった。ヤーナムへと赴いた時期によって悪夢が変わる。それは何らかの事態が彼の地で進行していることを意味しているように思われた。
その考えが私を決定的に支配したのが、つい先程だ。つまりは貴方の話を聞かされた時、ということになるか。
直接訪ねて来たのには驚いたが、なるほど新聞記者ともなればその行動力にも頷けるというものだ。まして自らヤーナムを訪れたと聞くに及んではその勇気に感服するほかない。その末路を知っていながら、なおそうするというのは無謀と呼んでも差し支えないかもしれないが。
貴方も知っての通り、私と書簡のやり取りをしていた彼らの多くは癲狂院に追いやられるか、あるいは――遠いところへ行ってしまった。
彼らは悪夢の中の出来事に苛まれるあまり、現実においてもそうしてしまったのだろう。私にもそれはわからないではないのだ。時折――血を求める衝動に駆られるのだから。
――これで私の話は終わりだ。少しは参考になっただろうか。貴方がこの――何と言ったか、そう。好血症と名付けたという、この数年でヤーナムに訪れた者がとりつかれる狂気について。
さて、それでは貴方の話をもう一度聞かせてほしい。貴方の見たヤーナムは廃墟と化し、住民の姿も見なかったというが、それは本当のことだろうか?
忙しさにかまけてすっかり筆が止まっていました。申し訳ありません。
今後も暇を見ての不定期投稿になるかと思います。