血の夢に魅入られて   作:Frimaire

13 / 15
12.聖杯をこの手に

 迷った末、黒――血のような丸薬を口にした。あまり美味ではない血の味が広がっていくと同時、体の痛みと怠さが消え去り、力が漲ってくるのを感じる。やはりそうだ。この街では血こそが最大の治療なのだ。

 

 柱の陰から飛び出して獣へと相対する。靴音に反応したか、獣はすでにこちらへと跳びかかる体勢にあるのが見て取れた。

 

 咄嗟に柱の陰へと逆戻りすると同時、柱へと激しくぶつかる音が響く。今度こそ柱を飛び出し、獣の背後を取って鞭を振るう。先程よりも深く傷をつけることが出来――

 

 ――目の前には青い燐光を放つ燭台があった。周囲を見渡してみれば、この場所には覚えがある。獣の街へと繋がる扉の前。

 

 つまり――私は、死んだのか? なぜだ? あの獣の背後を取った以上、攻撃を受ける道理はない。では他に――例えば、他の獣が潜んでいた、あるいはあの獣に背後へと攻撃を行える手段があった可能性はあるだろうか?

 

 あの戦闘を思い返してみるが、最後に戦っていた場所は入り口の付近。獣が潜んでいたならばとうに襲われていただろうし、幾度も背後を取りながらも振り返っての攻撃以外の行動をあの獣が取ったことはない。これらの可能性はないと考えてよさそうだ。

 

 ならば他の理由があるはずだ。考えられるのは――毒、か。黒い丸薬で治ったものだと思っていたが、そうでなかったとすれば筋が通る。

 

 やはり効果の知れぬ薬など急場で使うものではない。この街に居る小型の獣の中にも似たような毒を持つものはいるのだ。あの灰色の狩人も蘇っている可能性を考えると恐ろしくはあるが、それを探して二つの丸薬の薬効を確認してみるとしよう。

 

 ――懸念していた灰色の狩人の邪魔もなく、幾度か毒を受けて試すうちにいくつかのことが解ってきた。最も重要なことは、白い丸薬にこそ正しく解毒の作用があるということだ。やはり薬らしい薬こそ正しかったらしい。この街の流儀に毒された私の判断を悔やむほかない。この毒ばかりはいかに白い丸薬といえども治せるものでもないが。

 

 一方で黒い丸薬の薬効は何かと言えば、一種の麻薬とでもいうべきものなのだろう。服用することで痛みを忘れ、力も増す。最も特筆すべき点は血を浴びれば浴びるほどにその作用は増していくということだ。まさに狩人のためにあるような薬ではあるが、問題もある。一つはまさに痛みを忘れるという点だ。毒を受けようと、傷を受けようと、それに気づくことが出来ない。もう一つはそれに比べればたいしたものではない。血を口にせずとも、ただ浴びるだけで酔っていくのだ。無論のこと、酔えば酔うほどに動きは乱雑になり、攻撃を受けやすくなる。これら二つの問題のおかげで、幾度か燭台のもとであれらと見合いをする羽目になってしまった。

 

 しかし代償を支払っただけの価値はある。今や私は二つの薬の薬効を完全に把握しているし、道中倒れていた狩人や町人たちから幾許かの丸薬を拝借することもできた。これで毒への備えは十分に出来たと言えるだろう。今こそあの獣を天へと送るべき時だ。

 

 以前に発見した塔を下り、こちらに背を向けた狼男――怪物とかつては呼んでいたものだ――を倒して崩れた聖堂へと向かう。

 

 辿り着いたそこには、やはり祭壇の前でこちらを威嚇するあの獣がいた。遠目にだが、以前与えた傷がすべて癒えているのが解る。道中の獣たちのように蘇ったのか、それとも治癒しているのかまでは解らないが、もう一度最初からのやり直しというわけだ。

 

 とはいえ、こちらは以前と同じではない。毒への対抗策も用意できているし、一つ思いついたこともある。以前の戦いでは幾度か大きく腕を振り上げる姿を確認できた。そこにこの銃を撃ちこむことで、動きを止めることの出来る可能性はあると思うのだ。かつての大橋の戦いで、ガスコイン神父が行ったように。

 

 祭壇へとゆっくり近づいて行く。前にここを進んだ時には随分と怯えていたものだが、今の私には余裕すらある。かつて叔父に聞いた言葉だが、たしか――敵を知り、自分自身を知っていれば、(If you know your enemy and know yourself,)百度戦おうとも負けることはない( in a hundred battles you will never be defeated. )、だったか。古代の東洋の賢人の言葉だと言っていた。一度敗れた今になって思い出すというのも我ながらいかがなものかとは思うが、今の私はその言葉に相応しいはずだ。

 

 あと三歩、二歩、一歩――以前と同じ位置まで進んだところで獣が動き始める。やはりそうか。あのオドン教会の前にいた大男と同じだ。あの獣にも私と以前戦ったという記憶はないのだろう。そうでなければ私の姿を見た時点で襲い掛かってきてもおかしくはないのだから。

 

 前回の焼き直しのように、後ろに回っては鞭を打ち付けながら時を待つ。腕を大きく振りあげるその瞬間を。獣が大きく吠えた。以前と同じならば、ここからはあの液に触れぬように気を付けなければ。

 

 中々隙を見せぬ獣を追い込むべく、慎重に戦いを続けるうち、さらなる変化を獣が見せた。獣がそれを意図したかどうかについては疑問の余地もあるが、全身の傷口からあの液を噴出しはじめたのだ。これでは近づくことすらままならない。かくなる上はつかず離れず、時が来るまで躱し続ける他はないか。

 

 振り回される腕を躱し、突撃を躱し、時に柱に隠れ呼吸を整え――幾度もそれを繰り返すうち、ついに待ちに待った時が訪れた。これが効かなければ毒を受けることを覚悟で攻撃に移るのみ。その覚悟と共に放たれた弾丸は、見事に獣の姿勢を崩すことに成功した。

 

 すかさず駆け寄り、右腕を獣へと叩きつけるように突き入れる。焼けるような痛みと共に頭蓋へと侵入した手で、その中身を掴み出した。同時に噴出する獣の血。濃厚な味わいと共に痛みを与えてくる。血そのものにまで毒があるのか、それとも噴出する時に混じったのか――今はそれを考えている場合ではない。ともかくこの場を離れ、白い丸薬を服するべきだ。

 

 柱の陰に隠れ、手早く治療を施した。獣が暴れまわる音は未だに聞こえているのだ。確実に仕留めたと思ったのだが、浅かったか。もう一度機を伺う必要がありそうだ。

 

 呼吸を整えて柱から出るが、獣はこちらに気付いた様子もなく暴れ続けている。痛みゆえか、それとも先程の一撃で視覚でも失ったか。いずれにせよ、あの暴れようではどれほど待ったところで私の求める機は訪れまい。

 

 自ら危険に飛び込むような趣味は持ち合わせていないのだが、この際仕方があるまい。慎重に近づき、液を被らぬよう注意して鞭を振るう。これでこちらに気付けば再び機を待てば良いし、気付かねばこのまま仕留めれば良いのだ。

 

 反応は劇的だった。鞭が獣の身を引き裂くや否や、こちらへと向き直り、腕を大きく振りあげる。そこへ弾丸を撃ちこめば再び体勢を大きく崩して地に伏した。

 

 今度こそ確実に仕留めるべく、より深く右腕を頭蓋へと突き入れる。焼け付く痛みの中、手先に感じる柔らかい物を握りつぶすと、獣は大きく痙攣を始めた。

 

 一度下がり、白い丸薬を飲み下しつつ様子を伺うが、獣にもはや動き出す様子はなく、痙攣も小さくなってゆく。やがて完全に動きを止めた獣は光へと変じ消えて行った。後に残されたのは黄金で作られた豪奢な杯が一つ。これが聖杯だろう。あの獣が飲み込んでいたのか、あるいはあの獣こそが聖杯の変じたものだったのか――それはもはや知るすべとてないが。

 

 杯を手に眺めていると、不意に青い燐光が舞い始めた。あれらが燭台を設置したようだ。丁度良い。狩人の夢に戻り、ゲールマンに問うてみるとしよう。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。