血の夢に魅入られて   作:Frimaire

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11.黒か、白か。

 姿を消した灰色の男についてはひとまず置くとして、これからどうしたものか。ここまでは射手の排除ないしは和睦を目標にしたが、この先となると指標がない。聖杯というからには教会に安地されているものだとは思うのだが。

 

 今一度灰色の男がいた塔の屋上へと登り、地形を確認する。塔の目の前にあった木橋の先は、何処かの建物の屋上へと繋がっているようではある。その建物の下から伸びる橋の先に教会らしき建物が見えるが、そこへ向かう道は見当たらない。

 

 他はとみればもう一つ、塔の裏手にそれらしき建物は存在した。あのオドン教会と同じ十字架を掲げているところから見ると、医療教会のものではないとも取れるが。しかしその規模は川むこうの物とは比べものにならない。先にこちらに向かってみよう。

 

 梯子を下りてみれば、果たしてその建物へと繋がるらしい木橋は存在した。破られた窓へと繋がっているのが不気味ではあるが。

 

 窓から中を覗き見ると、布を被った獣が二匹、何をするでもなく立っている姿が確認できた。どうやらこの内部も獣の巣であるらしい。迂闊に踏み込まず、まずは見えているものを処理する必要がありそうだ。

 

 懸念していた伏兵もなく、二匹の獣は打ち倒すことができた。距離を取って鞭を振るうばかりで、銃を撃ちこむ機を見出せなかったのは実に残念なことだが。問題はその先だ。階段を降り始めたところで――おそらくは先の二匹との戦いの音を聞きつけたのだろう――獣が次から次へと襲い掛かってきたのだ。階段では鞭を振るえず、やむなく杖で応戦することになり――手傷を負う羽目になったのだ。

 

 爪が掠めただけだ。そう軽く考えていたのだが、これが実に厄介なことになった。輸血液を打ち、傷は塞がったというのに痛みと怠さが抜けないのだ。獣のうちいずれか、あるいはすべてが爪に毒を持っていたのだろう。結局、毒が完全に収まるまでの間、何本もの輸血液を打つことになってしまった。

 

 今にして思えば、通路まで下がって戦えばよかったのだが。鞭は狭い場所では十全に振るえないという事実を前に慌てすぎた。輸血液の残りが心許ない。どうにか補充の手段を講じる必要がある。

 

 考えを巡らせながら降りて行った先には、驚くべきものが存在した。シャンデリアに吊られた、巨大な獣。全体としては布を被った獣によく似た姿だが、巨大さはその比ではない。大橋の上で戦った獣――聖職者の末とも言われたあれに匹敵するほどにも見える。この聖堂の聖職者が成り果てたものだろうか。死して動くこともない様子であるのが救いとも思える。

 

 獣にばかり気を取られていたが、その奥には祭壇がある。近づいて行くと、祭壇の上には水盤にも似たものが安置されていた。内側には血が満たされ、固まることも、溢れることもないままにただ揺れている。これが聖杯だろうか? と考えもしたが、血を受けている、という部分こそ一致するが、とても杯には見えない。しかし祭壇に捧げられていたのもまた事実。念のために器だけ持って行こうと思ったのだが――不思議なことに、傾けても血が零れることがない。残念だ。いや、零れないのならばそれで良いとして、袋に詰めておく。

 

 祭壇の裏を抜けて進むと、怪物――ここまで獣が多種多用に居るのを見ると、もはや別の言葉こそがふさわしい気もするが――が二匹、市街地を闊歩している。二匹とはいえど、もはや見慣れた相手だ。一匹は鞭で仕留め、もう一匹は機を見て一射。喉元を抉り取る。二匹とも鞭で仕留められないでもなかったのだが――ふと思ったのだ。これの血はいかなる味だろうか、と。

 

 ――残念ながら期待していたほどのものではなかったのだが。

 

気を取り直し、先へと進むと橋があり、その先には教会様式の建物――塔の上から確認したものだ――が見えてきた。遠目にも戸板がしっかりと打ち付けられ、封鎖されていることが解る。中へと入る手立てを考えながら近づいた私に、教会は一つの教えを授けてくれた。

 

 ――安心は最大の敵である。(Security is the greatest enemy.)打ち付けられた戸板を吹き飛ばし、怪物が飛び出してきたのだ。完全に油断していた私は、諸共に吹き飛ばされてしまった。対面の家の壁に打ち付けられ、手ひどい傷を負ったが、死にはしなかったのは幸いだ。輸血液を打つ間も取れたことだし、態勢さえ立て直せば何ほどのこともない。

 

 さらに残念なことは続く。教会だと見立てたこの建物は、塔だったのだ。上階まで上ってはみたものの得られたものといえば――あえて言うならば、燭台からすぐ近くの場所の扉が判明したことだろうか。崩落した数か所を下りることができれば、この建物へと入れそうに思える。もしもこの先で死んだ時には試す価値はあるだろう。

 

 失望と共に教会を求め彷徨ううち、私は焼け落ちたと思しき聖堂へとたどり着いた。先に血の満ちた水盤を得たものに勝るとも劣らない規模のものだ。奥には大きな祭壇も見て取れる。

 

 それだけならば、すぐにでも駆け込むのだが――ちょっとした問題がある。道中の聖堂ではシャンデリアの斬新な飾りとなっていた獣。それと同種のものが中で元気に動き回っているのだ。まあ、動くたびに血を噴き出し、焼け焦げた姿を元気というのであれば、だが。

 

 あの奥の祭壇にこそ聖杯がある――と仮定しよう。でなければ困る――として、あの獣に気付かれずに祭壇までたどり着くことはできそうもない。どうにかしてあれを誘き出す、というのも不可能だろう。なんとなれば、どう見てもあれは私に気付いているのだから。祭壇の周辺を離れようとしないところを見るに、変ずるより以前はこの聖堂の司祭であったのかもしれない。だとすれば私は聖堂の宝を奪いに来た賊徒の類か。それではたとえあれが正気だったとしても、一戦交えることは避けようもない話だ。

 

 今の手札を確認しておこう。鞭は血に汚れてはいるが、鋭さを保っている。それから輸血液が九本。加えて――あまり使いたくはないが、道中の住民の死体から拝借した、いつのものかもわからぬ輸血液が六本。水銀弾は倒れ伏した狩人から借り受けたものを含め二十。それについ今しがた抜いた血で五。それから――薬効のわからぬ丸薬が二種。これは考慮に入れる必要はないか。

 

 古人呼びの鐘は――何も伝えてこない。この近辺に呼び出せる魂はないのだろう。となれば、大橋の時とは違って完全に独力での戦いになる。私にやれるだろうか?

 

 いや、ここで迷っても仕方ない。やってみなけりゃわからんよ(You'll never know unless you try.)、だ。幸いなことに失敗したところで死ぬわけでは――いや、死にはするか。ともかく、そこで終わりではない。ならば、もはや逡巡は無意味だろう。

 

 聖堂の扉をくぐると、獣はこちらを向いて威嚇してきた。近づくにつれ、獣の唸り声が高まってゆく。このまま威嚇だけで済めばいいのだが――祭壇までおよそ二十ヤードほど。そこまで近づいたところで甲高い、耳障りな叫びを挙げて獣が動き始めた。

 

 意外なほどにのろのろとした動きを見せる獣だが、腕の長さを考えればあまり油断はできない。じりじりと近づきながら隙を探る。鞭が届く距離まで、あと五フィート――嫌な予感がして、全力で飛び退ると同時、目の前を獣の爪が通り過ぎる。

 

 あの動きは擬態か? これは正面から近づくのは危険と考えるべきだ。回り込んで――だめだ、こちらを向く方が早い。何度か接近と離脱を繰り返してみたが、手を振り上げる速度はさほどでもない。見てから躱すことは十分にできる。が、振り下ろす爪につかまればそこで終わりだ。恐ろしい勢いで腕を振り回している。背後から鞭打たれていようとお構いなしだ。――単純に、私の鞭が何ら痛痒を与えられていないという可能性もあるが。

 

 幾度もの交錯。獣の傷は増え、私はまだ生きている。だが、先程あの獣が吠えてからというもの、何かがおかしい。時折噴き出すようになった液体。あれに触れた部分がどうにも痛むのだ。怠さも感じ始めている。

 

 この症状には覚えがある。もう一つの聖堂、あそこで受けた毒だ。輸血液で症状を抑えつつ安静にしていれば抜けるものではあるが、現状ではそれは難しい。

 

 一縷の望みにかけ、入り口付近まで退き柱の陰に隠れた。祭壇の周辺から離れぬ習性がそのままであれば、あるいは、とも思ったのだが――どうやら多少の時間を稼げただけのようだ。あの獣の暴れる音が近づいてくる。

 

 毒はいまだこの身を蝕んでいる。あれが私を見つけるまでに抜けることはないだろう。この状態で戦うというのは無謀にもほどがあるというものだ。可能性があるとすれば――道中の住民が握りしめていた丸薬。これに賭けるくらいだろうか。白く小さなものと、黒く巨大なもの。いずれかがこの毒に効くといいのだが。

 

 白い方はいかにも薬らしく油紙に包まれ、黒い方はといえば白い紙にくるまれてこそいるが、血のような赤いにじみがそこかしこにできている。一見した印象からすれば白い方こそが効きそうなものだが、ここはヤーナムだ。現実として輸血液のあの異様なまでの治療を体験している。血を練り固めたような、この黒い丸薬こそ効くのではなかろうか、という考えは捨てきれない。

 

 音は近づいてきている。早く決めなければ。

 

 ――黒か、白か。


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