血の夢に魅入られて   作:Frimaire

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10.灰色の狩人

 獣狩り不要。つまりこの張り紙は狩人に向けた宣言ということになる。そして、侵入を拒むということは――この先に獣が居る。獣の街というゲールマンの言葉に偽りなし、ということだろう。問題があるとすれば、この張り紙を張った人物の目的になる。獣を外に出したくないという理由であれば良い。しかし、もしも……あり得ないとは思うが、もしも、だ。獣を狩られると困る立場の人物であればどうだろうか。押し入った者――つまりは私のことだが――に襲い掛かってくる可能性は十分に考えられる。

 

 まあ、だからといって引き返すという選択はないのだが。それでは手詰まりのままだ。獣との戦いの間に襲われぬように警戒しておくのがせいぜいだろう。

 

 張り紙を引きはがし、扉を押し開くと同時、肉の焼ける臭いが鼻を刺す。おかしい。ここが焼き払われたのは昨日今日という話ではないはずだが。扉を抜けるとその異様はさらなる姿を見せた。磔にかけられた人――のようなものが、焼かれている。近づいてみればさらに異常な様相を呈してくる。人のような形こそしているものの、これは人などではあり得ない。なぜか包帯を巻かれているが、毛皮を有し、あの怪物のような――あるいは、はらわたをえぐるときの私のそれのような――異形の手を持ち、足先などは完全に獣のものだ。顔はといえば、大きく裂けた口に乱杭歯。尖った耳に血走った眼。瞳だけは何の冗談か人間のような青いそれだ。これは確かに獣という他ない。私の知るあらゆる獣とその姿は一致しないが、確かに獣だ。おぞましいことに、人間の面影を見出すことすらできてしまうとしても。

 

 似たような磔が他に四か所で行われているのが見て取れるが――やはりおかしい。これはいつから焼かれている? それとも私が思うよりも、前の獣狩りの夜というのは近い話だったのだろうか? それではゲールマンの言葉とも合わないし、なによりあの教会だ。あれが建つほどの間は開いているはずなのだが。

 

 とはいえ、これ以上考えたところで答えが転がってくるわけでもない。どこかに日付のわかるものがあることに期待しよう。

 

 まずは橋へと向かう。半ばほどまで渡ったところへと駆けてくる影――先程磔にされていたものと同種と思しき獣だ。思わず発砲したが、意にも介さず走ってくる。両手を広げ跳びかかるそこへと鞭を振るい、叩き落す。再度鞭を振るえば力尽きたか、その場へと倒れ伏した。

 

 改めて観察するが、やはり磔にされていたものと同種のように見える。違いは目か。こちらは市街で見た成れの果てと同様、白濁した――成れの果てと、同様? どことなく人の面影を持つ、これが? そういえばゲールマンは何と言っていた? 獣の病が蔓延した、と言ってはいなかっただろうか。だとすると――成れの果ての、その先こそがこの獣、とは考えすぎだろうか。

 

 真相はともあれ、そう考えておくくらいで良いかもしれない。蔓延して焼き棄てられた、となれば、この広い旧市街の住人がことごとく獣と化している可能性を考えておくべきだろう。

 

 気を引き締めなおし、橋を渡り切る。同時に煙を割って獣が襲い掛かってきた。半ばは予想していたことだ。慌てることなく鞭で打ち倒す。それにしても煙が濃い。一体何を燃やして――

 

 気にするべきではなかったかもしれない。焼かれているのは、人だ。焼け焦げて炭のように成り果ててはいるが、獣と違って変異していない、真っ当な人間だ。あの獣にそれほどの知恵があるとも思えない。これは医療教会のやったことなのだろう。成程このようなことをしては威信も堕ちようというものだ。

 

こみ上げるものを道端に吐き捨て、先へと向き直る。時計塔の上に人影が見えるが……あの張り紙の主だろうか?

 

 気にはなるがまだ遠い。あの位置にいるのならば今は獣にだけ気を付けて進めばいいだろう。そう思いつつ階段を下りていると――

 

「狩人よ、警告は読まなかったのか? 引き返したまえ。旧市街は獣の街。焼き棄てられて後、ただ籠って生きているだけだ。上の人々に、何の被害があろうものか。引き返さないのならば――我々が君を狩ることになる」

 

 そのような声をかけられた。あの塔の上からだろうか。だとすれば驚くべき声量だ。私もまた可能な限り声を張り、彼へと返答する。この街にあるという聖杯を求めて来ただけであり、襲ってこなければ狩らずとも構わない、と。

 

 その声に反応したか、獣が集まってきてしまった。布を被っているものもいるが、同じ獣だろう。二体までは鞭を振るって対処できたが、布の獣までは間に合わないか。銃で牽制を――うまく機がかみ合ったか、大きな隙を作ることができた。これならば。

 

 はらわたを掴み出され息絶える布の獣。その血は白塗りのそれよりも味わい深いものだった。獣の病の進行が血の味わいを増すのだろうか? だとすればここはなんと良い――そんな考えがよぎったのが悪かったのだろう。

 

「……貴公は良い狩人だな。狩りに優れ、無慈悲で、血に酔っている。ああ、実に良い狩人だ。だからこそ――貴公は狩らねばならん」

 

 ――そんな、呆れたような声とともに浴びせられた銃弾の雨に、私の意識は狩りとられていったのだった。

 

 気がつけば扉の前、あれらが設置していった燭台の隣にたたずんでいた。

 

 先程のあれは、何だ? ああまで連射できる銃など――いや、そういえば父が存命だったころに聞いたことがあった。元植民地の連中(アメリカ)が作った、何と言ったか……まあいい。たしか随分と愚痴をこぼしていた記憶がある。動き回る敵には当たらん、だとか……そうだ。瞬く間に弾が切れるから、そのたびに弾込めをやり直さねばならん、実に不便なものだ、と。そうだ、そう言っていた。あれも同様だとすれば、なんとか斉射をやり過ごせればその間に近づいていけるかもしれない。塔の根元にまでたどり着けばもはや撃てはすまい。

 

 ――彫像の影に隠れ、考えが当たったことに安堵した。一斉射の後、しばらく射撃が止まる。そして、銃弾は石を貫通できるほどのものではない。ならば、次の斉射後から行動を開始しよう。

 

 物陰へと身を隠しながら降りてゆき、幾度かの失敗を経て――一度など、安全だと思った場所ごと吹き飛ばされたが――塔の根元へとたどり着いた。扉は固く閉ざされ、中には入れそうもない。しかし、周囲をまわれば物陰に梯子がかけられている。あの張り紙の主が上るためにかけたものだろうか。ありがたく使わせてもらおう。

 

 梯子を登り切り、目の前の灰色の男に改めて声をかけた。我ながら白々しいとは思ったが、獣狩りに来たわけではない。ただ聖杯を得られればそれでよい、と。

 

 返答は散弾だった。聞く耳などもたぬ、ということか。まあ、私の欲求を感じ取っていたならばさもあらんというもの。体に食い込む鉛弾の痛みを感じながら間合いを開けて輸血液を打ちこんだ。

 

 そのままの間合いで機を計りつつ、灰色の男を観察する。見たところかなりの老年。右目を包帯で覆っているのは戦傷か、あるいは信仰によるものか。灰色の、頑丈そうな……しかし随分と古びた装束。左手に持つものは、先程の銃撃からすれば散弾銃か。かつてあれらに勧められた銃の、選ばなかった方と同じものに見える。右手はといえば、何とも形容のしがたいものを構えている。腕にくくりつけられた――槍、だろうか? 機械のようなものが基部にあるのが見える。無意味に取り付けているわけでもあるまいし、何らかの仕掛けがあるとみるべきだろう。

 

 じりじりと、互いに円を描くように間合いをはかるが、なかなか機を見いだせない。見た目通りの老練な狩人というわけだ。

 

 ぴくり、と動いたのを見て即座に銃を放つ。が、そこにはもはや姿はない。撃たされた。そう気づいたときには右肩にあの槍が突き刺さっていた。

 

 灰色の狩人が引くのに合わせ、私もまた距離を開けて輸血液を打ちこむ。この短期間で二本目だ。しかもまだ攻撃をまともに当てることさえできていないというのに!

 

 相手の機に合わせようとするから乗せられるのだ、とこちらから仕掛ければ散弾に動きを止められ、あの槍に貫かれる。槍を引き抜きざまに距離を取ってくれるのが唯一の救いか。おかげで私も輸血液を打ちこむ余裕がある。

 

 焦りは失敗を生む。(Haste make waste.)まずは躱すことに集中して、動きを読むべきか。隙を見つけるのはそれからでも遅くはない。なにより相手は老人。いずれは疲れも出てくるだろう。

 

 そうして躱すことに集中していると、灰色の男は突然槍をさらに深く機械に押し込んだ。そこからというもの、まるで剣のように振るい始める。これでは躱すのも一苦労。とても攻撃の機を見つけるどころではない。

 

 そうこうしているうち、塔の端――もう一歩下がれば転落するばかりのところへと追い込まれてしまった。灰色の男はといえば、腕を大きく振りあげ、何やら機械を動作させている。そうしながらも銃口はこちらを向けたままで、警戒は絶やしていないのはさすがというべきか。

 

 このままでは間違いなく叩き落され、死ぬだろう。またあの燭台に戻るだけであるとはいえ、好き好んで死にたいわけでもないのだ。ここは一か八か、やってみるか。(I'll take a risk.)

 

 右腕が突き出される。その下をくぐるように身をかがめて飛び込んだ。背後で爆発音。直後、爆風に吹き飛ばされて地面を転がされ、慌てて起き上がる。が――そこに灰色の男の姿はなく、ただ冷たい夜風が吹き抜けるばかりであった。

 

 先程まで追い詰められていた端から下を覗いてみるが、そこにはただ大きな血痕が残るばかりで、何者の姿もない。恐る恐る梯子を下り、血痕のある場所へと向かう。

 

 物陰から灰色の男が襲撃を――などということもなく、血痕の元へ辿り着いた。そこには何者かが歩み去った痕跡があるわけでもなく、ただその中央に銀製と思われるペンダントが一つ転がっているばかりだった。


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