三笠さんが何か手を打ってくれたらしく、次の日から来客が格段に減った。
政治結社やら出版社やらマスゴミやらといった、団体とか企業なんかからの訪問が全く無くなったおかげだ。これはありがたかった。さすがに、個人レベルでの訪問を無くすことは出来ないが、これは仕方がない。
前回のようなことがあるので、絶対にドアは開けず、インターフォン越しの塩対応を心掛けた。
この前のオバハンのように、中庭から入ってこようとした不埒な輩は、三笠さんに言われたように、容赦なく通報して
警察のほうでも、俺が退院した直後からその手の警戒は強めていたようで、詳しく説明しなくても、電話しただけですっ飛んで来てくれた。こんなことなら、最初からそうすればよかった。
もし、俺の身に何かあったら、「警察の怠慢で国家の英雄に危害が加えられた!」なんて叩かれるもんな。多少は本気にならざるを得ないんだろう。
お巡りさんの尽力にも関わらず、親戚だとか同じ学校の親友だとか、いう連中が尋ねてくることもあり、ほとほと辟易させられた。
俺の親戚なんて、いやいや面倒を見てくれた叔父一家しかいない。それも、俺の記憶にあるわけではなく、記憶喪失になる前に俺自身が書いた日記から判明しただけで、容姿なんて全く覚えていない。
学校にしたって、小学校ぐらいは通っていたかもしれないが、十歳の時に宇宙に飛び出してるわけだし、義務教育すらまともに受けていない。友人だってほとんどいないボッチだったし。
そんな自称親戚やら親友やらに「昔からあなたを気にかけていた」とか「子供の頃よく一緒に遊んだね」なんて空虚な言葉を掛けられても白けるだけだ。
「私には、戦傷の後遺症の影響で、幼いころの記憶が一切御座いません。したがって、貴方がたの事は一切覚えていません」
だから俺のほうも、塩対応に終始することにしていた。こいつらのさもしい魂胆なんぞ見え見えだったからだ。
自ら望んだわけではないものの、俺はそこそこ名前の知れる有名人になった。だけど、だからと言って、別に金持ちになったわけじゃない。
旦那は佐世保の一等地に新居を購入できるような高給取りではあるけれど、あくまでも旦那の資産であって、俺が自由にできるのは、俺が現役の頃に稼いだ金と、退役後に受領する予定の年金だけだ。
最も、たとえ唸るほど金があったとしても、物乞いに恵んでやるほど寛大な心は持ち合わせていない。
そんなことを幾分かオブラートに包んで説明してやると、大抵は恥じ入ったようにすごすごと引き下がっていった。
その自称親戚の中には、どうやら俺の実の叔父と叔母がいたようだった。家出した時に、方々手を尽くして探した~とかなんとか言ってたから、多分間違いない。
事業に失敗して借金で首が回らないとかなんとか言っていた。俺の両親の遺産は、とっくのとんまに使い切ってしまったらしい。
しつこく情に訴えて来たのが鬱陶しかったが、その他の自称親戚や自称親友らと同じように、徹底した塩対応を心掛けた。
「子供の頃、さんざん面倒を見てやったのに! この恩知らず!」
「責任を取って、老後の面倒を見なさい!」
最後には、本性を表して逆ギレされたのには、苦笑するしかなかった。
癇癪を起こしたのか、ドアを蹴飛ばしてきやがったので、お巡りさんにお持ち帰りいただいた。
叔父夫婦には息子がいたはずなんだが、彼はどうしたんだろう。別に興味もないけど。
あしらい方は、そこそこ慣れてきたけど、こんなんじゃ、迂闊に外出も出来ない。
そろそろ食材の買い出しにも行きたいし、いい加減、運動不足になってしまう。
空いてる時間をネットで潰すだけっていうのも不健康極まりない。
そんなわけで俺は、意味もなく家の掃除をすることが多くなった。地味に運動不足解消にもなるしね。
事案が発生したのは、三笠さんの書斎を掃除している時の事だった。
三笠さんの書斎は、几帳面なあの人らしく、きちんと整理整頓されている。
本棚に収まっている本の背表紙を眺めてみると、その殆どが古今の戦略やら戦術に関する専門書や、最新の軍事技術や兵器についての解説書なんかだった。
俺も名前ぐらいは聞いたことのある軍事学者の著作や、最新軍事技術の理論書といった、タイトルを見ただけで頭痛がしてくるような難解そうな本ばかりが並んでいた。
俺も前世では結構な軍オタだったが、割とライトな感じだったので、ここに並んでいるような、ガッチガチの専門書とは全く無縁だ。
きっと、目が痛くなるような細かい字で、小難しい理論や理屈がびっしりと書かれているに違いない。
「まあ、いいや。とにかく掃除しよう」
窓を大きく開け放って風通しを良くした後、床のカーペットに掃除機をかける。
「あ、やべ」
掃除機の本体を引っ張った時、結構な勢いで本棚にぶつけてしまった。幸い、本棚自体に瑕が付くようなことは無かったが、綺麗に収まっていた本が一冊床に落ちてしまった。
やたらとごつい装丁の本のタイトルは、クラウゼヴィッツの戦争論(しかも原書)だった。
本棚に戻そうと手を伸ばし、俺はその本に違和感を覚えた。
なんか、本の小口の紙質が妙に不揃いだし、色合いもかなり違う。
いくら夫婦とはいえ、旦那の蔵書を勝手に覗くなんて、悪趣味だとは百も承知だったが、どうしても気になってしまったのだ。
震える手で、おそるおそる適当なページを開いて内容を確認してみると、予想通りエロ本だった。
何ページかパラパラと捲ってみて気付いたが、どうやら色々なエロ本から好みのシチュエーションを抜き取って、態々ハンドメイドで装丁したものらいしい。なんつう、手の込んだことを。
息子のエロ本を見つけてしまったおかんの心境が、少しだけ理解できたが、俺だって前世では男だった。エロ本を見つけてしまったぐらいで、とやかく言うつもりはない。
三笠さんは、前世では女だったはずだけど、それでもこういうのを見て興奮するもんなんだろうか。
最初の数ページをペラ読みしてみたんだが、内容が中々にマニアックで、若干引いてしまった。まさか、こんな特殊な性癖があったとは。
しかも、相手役の女の容姿が、どことなく俺に似ている気がする。俺に対して、多少なりともそういう願望を持っているってことなんだろうか。
掃除の途中だったこともすっかり忘れ、俺はしばし読みふけってしまった。
前世で男だった頃は、この手の本に幾度かお世話になったことがあるけど、男向けのエロ本って、女の目から見るとかなり無理がある。
まあ、男が見て愉しむためのものなんだから、ある程度は仕方が無いのは理解できるが、さすがに無理があるシチュエーションもある。
特に無いわと思うのが、男が女を無理矢理襲っちゃう系のいわゆるレ〇プものだ。
「嫌々言いながら気持ち良いんだろ~。濡れてるぜえ~げへへへへ」みたいなシーンがよくあるが、別に気持ちよくなくても濡れるんだよな。
濡れるのは単なる生理現象。粘膜が異物を排除しようとする反射行動だ。目を擦ると涙が出る。鼻をほじると鼻水が出る。それと同じだ。
あくまでフィクションであり、演出でしかないわけなんだが、こういうのを真に受けて、初体験でやらかしてしまう奴が一定数いたりするんだよなー。
三笠さんは、まさか、そんなことは無いよな。だって、前世は女だったわけだし。分かってくれているはずだよな、うん。
俺は無理矢理自分を納得させた。
男向けのエロ本なんて、今となっては欠片も興奮しないはずなのに、相手役の女の見た目が自分に似ているせいか妙な気分になっていた。
(み、三笠さんに同じようなことをされたら……)
そんな愚にもつかない妄想が頭に思い浮かんでしまった。
下腹部に妙な熱を感じ、思わず内股を擦り合わせてしまう。非情にやばい状況だ。
思わず、股間に手を伸ばし掛けた時、来客を告げるインターホンが鳴った。
我に返った俺は、慌てて本棚に戻し、急いで居間に向かった。
どうせまた、俺の知らない自称親戚か自称親友が訪ねて来たんだろうけど、今だけは招かれざる客に感謝したい気分だった。
ホームネットワークのモニター越しに玄関を確認した俺の予想は、良い意味で裏切られた。
「お久しぶりです。摩耶さん。ご挨拶に伺いました」
「こんにちは、ていと……摩耶さん!」
モニター越しに笑顔を見せたのは、ガンさんの奥さん、かなえさんと、猫耳美幼女から女豹に脅威のクラスチェンジを遂げたかつての副官アデルだった。
まさか、二人が訪ねてくれるなんて思いもしなかった。
三笠さんかガンさんが気を回してくれたのだろうか。
何にせよ、助かった。
「久しぶりです! 上がってください!」
玄関に飛んで行った俺は、そう言って二人を招き入れた。
久しぶりに会うかなえさんは、俺の記憶にある彼女と全く変わりがなく、聖母のような菩薩のような柔らかな笑みを湛えていた。
そして、アデルは相変わらずのナイスバディだった。
ドアを開いて初めて気づいたが、来客はかなえさんとアデルだけでは無かった。
かなえさんの足にしがみつき、半身になってこちらを伺っている。
「この子、もしかして、かなえさんの?」
「ええ、そうよ」
かなえさんはいっそう笑みを深くして頷いた。
俺がしゃがみ込んで視線を合わせると、幼児ははにかむように母親の陰に隠れてしまった。
「ほら、紘子。お姉ちゃんに挨拶しなさい」
「ひろこちゃんっていうんだー。こんにちはー」
俺は満面の笑みを浮かべ、彼女に向かって挨拶した。
自分の赤ちゃん言葉が若干気持ち悪かったが、意識しないことにする。
「こ……こにちわ」
舌足らずな言葉ながら、紘子ちゃんはきちんと挨拶した。
「えらいねー、きちんとあいさつできたねー。いくつかなー?」
「……いさい」
「一歳かあ。もうこんなにしゃべるんだね。すごいねー」
一歳でここまで喋れるようになるもんなんだなぁ。ちょっとびっくりだ。
それにしても、妙な気分だ。
前世も含めて、今まで子供なんて可愛いと思ったことは一度もないはずなのに、紘子ちゃんが可愛らしくて仕方がない。
俺はアデルとかなえさん母娘を居間に招き入れた。
「主人や東郷さんから、摩耶さんの様子を見て来てくれと言われて、アデルさんをお誘いしてお伺いしたんですの」
「そうだったんですか。気を使ってもらってすいません。アデルもありがとな」
「気にしないで、摩耶さん。私も久しぶりにお会いしたかったんだから」
「そうですよ、て……摩耶さん。私も久しぶりに落ち着いてお話がしたかったんです」
現役時代の癖なのか、アデルは何度か俺を提督と言い掛けていたのが少しおかしかった。
ここ最近、三笠さん以外のまともな話し相手に飢えていた俺は、二人との会話を大いに楽しんだ。
二人とも旦那の惚気話が多く、夫婦仲が良好であることが嫌というほどよくわかった。
それこそ、砂を吐くほどに。
こういうのをあれか、ガールズトークって言うのかな。よくわからんけど。
自分の事を女子とかガールとか称するのって、なんか知能が低そう抵抗があるんだよな。
「あー、それにしても、紘子ちゃん可愛いな~」
「ふふ……。ありがとう、摩耶さん」
遊び疲れてしまったのか、大人達の会話が退屈だったのか、紘子ちゃんは安らかな寝息を立てて眠っている。超可愛い。マジ天使。
この子の遺伝子の半分がガンさんであることが信じられないくらいだ。
「摩耶さん、さっきからそればかりですね。確かに、紘子ちゃん可愛らしいですけど」
アデルは同意しつつも少し呆れているようだった。
そんなことを言われても、可愛いものは可愛いんだからしょうがないじゃんか。
「そんなに子供が好きなら、旦那さんにおねだりしてみたらどうかしら?」
「んえっ!?」
かなえさんの何気ない一言に、俺は固まった。
よくよく考えてみれば、そんなふうに捉えられてもおかしくない。
「そうですよ、摩耶さん。自分で産んだ子供なら、もっともっと可愛いはずですよ」
「う……そ、そういう、アデルはどうなんだよ」
妊活みたいな流れになりそうだったので、俺よりも先に結婚していて、同じく子供のいないアデルを巻き込むことにした。あわよくば、矛先をそちらに逸らすつもりで。
「私、お腹の中に赤ちゃんいるんです」
「…………え?」
僅かにほほを染めて笑みを浮かべるアデルに、俺は驚愕した。
「ま、マジか……」
「ええ。まだ、一か月ぐらいなので、目立ってませんけど」
うっとりと自分の腹部を撫でまわすアデルの手つきが、どことなく扇情的に見えた。
「そういうわけで、残るは摩耶さんの番なのよ」
かなえさんが追い打ちをかけてきた。
「い、いや、その。俺は、ほら。まだ子供だし! 子供が子供産むってのもおかしいじゃん!?」
「私と一つしか違わないじゃないですか」
歳は近いかもしれないが、今の俺とアデルじゃ見た目が大違いだ。アデルは完全に大人の女だが、俺は変わらずのロリ体系なのだ。
「摩耶さん。もしかして、まだなのかしら?」
頬に手を当てて、かなえさんは小首を傾げた。
「ま、まだっていうのは……」
「それはもちろん、夫婦の夜の営みについてよ」
はい。まだです。
意識したことが全くないわけではない。
求められたら受け入れるつもりではあったけど、三笠さんはそんな素振りは一切見せなかったし、あまり考えないことにしていた。
「そんな、摩耶さん……。私よりも早く結婚していたじゃないですか」
「んな事言われても、一緒に暮らし始めたのは、ここに越してきてからだぞ?」
結婚期間だけなら、確かにアデルよりも上かもしれないが、どちらも鎮守府の自室で寝起きしていたし、夫婦らしい生活は全くしていない。
そのうえ、その頃の俺は、あくまでゲームの中での話だと思っていたわけだし。
「それじゃ、摩耶さん。今夜頑張ってみましょうか」
「ええっ!?」
「そうですね。このままじゃ、いつまで経っても進展しませんし!」
「い、いや、ちょっと……!」
かなえさんとアデルは、俺の意見そっちのけで盛り上がり始めた。
「摩耶さん。下着の色は何かしら?」
「い、いきなり何を……」
「大事な事なの。答えて」
かなえさんが笑顔のまま、俺にずいっと顔を近づけてきた。
何故に俺は、同性にセクハラを受ける羽目になっているのだろうか。
「し、白、ですけど……」
抗いがたい雰囲気に気圧され、俺は正直に答えるしかなかった。
「摩耶さんらしい、清楚な色ね。じゃあ、今夜は黒にしましょう。こんなこともあろうかと、用意してきたの」
こんな事ってどんな事ですか。まったく意味が分からないんですけど。
「良いですね! 今の摩耶さんには、少しアンバランスな気がしますけど、それはそれでアクセントになりますね」
それはあれかかな。俺が幼児体系だから大人っぽい下着なんて似合わないという、一種のディスりなのかな。アデルさんや。
「ねえ、摩耶さん。三笠さんはきっと、うちの主人と同じで、女性をガラス細工か何かだとでも思っているのよ。迂闊に手を出したら壊れてしまうとでも思っているの。それはそれで、大事にしてくれているということなんだけど、やっぱり、物足りなくなっちゃうのよね」
「あ、わかります! うちの主人もそんな感じの人なんです。思い余って、私が押し倒しちゃいましたけど」
ア、アデル! なんてはしたない! いつの間にそんな破廉恥な娘になってしまったんだ。
「そんなわけで、摩耶さん」
かなえさんは、俺の視界を塞ぐように、女性物の黒いパンツを広げて見せた。
なんか、妙に生地が薄手で、向こう側が透けて見える。
こ、これを、こんなのを履けっていうのか……?
「これで、三笠さんもいちころですよ!」
「頑張ってね、摩耶さん」
無理矢理渡された下着を手に、俺は愕然としていた。
「が、がんばいえ~ね?」
いつの間にか目を覚ましていた紘子ちゃんが、意味も分からず、母親の言葉を真似て微笑んでいた。