ロリ提督から幼妻に転職する羽目になった   作:ハンヴィー

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「だぁー、疲れた!」

 

 俺はソファーにだらしなく寝そべるように身体を沈め、天井を仰いだ。

 居留守を止めてきちんと対応しようと決意した傍から、早々に後悔する羽目に陥っていた。

 

「うちの出版社で自伝を書いてみませんか? ゴーストライターを取り揃えていますので、何の心配も要りません!」

「安全保障についての討論番組に出演してみませんか?」

「摩耶さんをモデルにしたフィギュアを発売したいのですが……」

 

 ……とまあ、そんな感じで、招かれざる客の来訪が相次いだからだ。政治家に住所がバレているのは百歩譲って良い。調べようと思えばいくらでも手段はある。だけど、マスコミや出版社なんかにまでバレているのは、どういうことなんだろうか。

 帝國軍の情報管理はいったいどうなっているんだ。これじゃ、暗殺やテロの標的にしてくださいって言ってるようなもんだろう。……と憤慨したものの、前お花畑政権時代、反乱やクーデターを防ぐためという名目で、宙将補以上の将官クラスの士官の氏名・年齢・居住地などの情報を公開するよう帝國軍法を改正していたことを思い出した。

 つくづく碌な事しねえ連中だ。現政権がさっさと改正してくれることを期待したいが、すぐには難しいだろうし、一度拡散された情報が消えることは無い。

 幸いなことに、やってくる連中の殆どが、丁重にお断りすれば、必要以上に食い下がることはなく、ごく一部を除いて、わりとすんなり引き下がってくれた。

 そのごく一部とは、お花畑政党の社会国民党と真逆に位置する右派政党の帝國専一党の勧誘だった。先刻のオバハンの時同様、やたらとしつこく食い下がってきて辟易した。

 政党名からもわかる通り、帝國の国益と国民の幸福を全てにおいて第一に考慮すべしというのが党是だ。

 それは別にいい。政治家が自国の国民と権益を第一に考えるのは当然のことで、そうでないほうがむしろおかしい。党名がそのまま党是となっているのもわかりやすくて結構なことだ。

 主張している政策の中には、軍備の増強案を含め、頷けるものがいくつかある。それだけなら、まっとうな保守野党で終わるんだが、党首が活動家上がりのせいか、とにかく過激な言動で物議を醸すことが多かった。

 対馬事件が起きた時も、リャンバンに聯合艦隊を派遣して懲罰すべし、なんて意見を声高に叫んでいた。現在与党を担っている保守政党自由臣民党に対しても、対外政策が手ぬるい。特にリャンバンには国交断絶を含めて毅然と対応すべしと批判的だ。

 過激な論調からマスコミに取り上げられることは殆ど無いが、ネット界隈ではそれなりに名が知れており、議席は少ないものの支持者は結構いるようだった。

 勧誘に来た党員と称する20代前半ぐらいの兄ちゃんは、現与党や他の野党の悪口を一通り並べ立てた後、今度は俺の軍人だった頃の功績やら対馬事件での対応を大袈裟なぐらいに褒め称え、愛国者である俺にふさわしい是非我が党にとかなんとか言ってきたのだ。

 俺が対馬事件の現場指揮官だったということもあるんだろうけど、俺のことを熱烈な愛国者だと思っている事が、言葉の節々から感じられた。

 確かに俺は、どちらかというと保守的な考え方を持っているほうだが、愛国心と呼べるほど御大層なものは、多分持ち合わせていない。何しろ、死ぬのが怖いという理由で退役する予定の臆病者なのだ。

 しかし、下手な対応をして、さっきのオバハンみたいに激高されては敵わない。考えた末、俺は、国粋主義的な思想の人間が好みそうな女を演じてみることにした。

 つまり、常に男を立てて、一歩引くような古風な女だ。幸い、俺は専業主婦になる予定なのだから、嘘はついていない。

 俺は、司令長官である夫を支えるため、主人が後顧の憂いなく軍務に邁進出来るようにするため、家庭に入り内助の功を目指すことを決心したと、若干誇張しつつ懇切丁寧に説明した。

 説得は思いのほかうまくいった。

 兄ちゃんは「あなたこそ、真の愛国者です! 大和撫子です!」なんて妙に感激してあっさりと帰ってくれた。

 まあ、三笠さんのために、という点については、偽ることのない俺の本心だし、まるっきり口から出任せというわけではない。

 何にせよ、変にキレられたり、居座られたりしなかったのは助かった。

 幸いなことに、それ以降はその手の来客は無く、俺は半ば放心状態でソファに身体を投げ出していた。

 今日一日だけならともかく、こんな事がしばらく続くとしたら、ちょっと面倒かもしれない。

 時計に目をやると、まだ十時を回ったばかりだった。まだ午前中だというのに、ものすごく疲れたような気がする。

 俺は気を取り直してソファーから立ち上がり、うーんと伸びをした。

 

「……とりあえず、家事でもやろう」

 

 少ないとはいえ、全くやることが無いわけじゃないし、初日から手を抜くわけにはいかない。

 寝室に向かった俺は、ベッドの上に脱ぎ捨てられていた三笠さんのパジャマとシーツを回収した。

 それらを両手いっぱいに抱えた時、丁度顔の位置に三笠さんのパジャマがあった。

 

(これ、三笠さんの匂い……)

 

 気が付くと、俺は洗濯物をその場に放り出し、パジャマに顔を埋めてハムスターのように鼻を鳴らしていた。

 薬物か何かにやられたように、一心不乱に三笠さんの匂いで鼻腔を満たしていた。

 暫くして我に返った俺は、自分の仕出かしたことに愕然として、羞恥のあまりその場を転げまわった。

 

「何やってんだ俺! これじゃただの変態じゃねえか! 気持ち悪っ!」

 

 衣服の匂いを嗅いでうっとりとか、三笠さんに知られたら、間違いなくドン引きされる。っていうか、間違いなく離婚ものだ。

 変な声で呻いたり、頭を掻きむしったり、一通り悶絶した俺は、肩で息をしながら、とっ散らかった洗濯物を掻き集めた。

 自分でも頭がおかしいと思うが、なんか、物凄く満たされている感じがしてしまったのだ。

 

「と、とりあえず、さっさと洗っちまおう」

 

 何とか気を持ち直した俺は、大して多くもない洗濯物を洗濯機に放り込んだ。今回は量も少ないし、部屋干しでも問題ないだろう。

 大して多くもない洗濯物を干し終えた後は、夕飯の残りのカレーで昼食をとった。

 あとやる事と言えば、風呂掃除と夕飯の支度ぐらいだが、今すぐやらなきゃならないことでもない。

 ネットでもやって時間を潰そう思った俺は、三笠さんが俺用に用意してくれた端末を起動した。

 

 

 

 惑星佐世保の静止軌道上に位置する佐世保鎮守府は、帝國宇宙軍有数の巨大軍事プラットフォームだ。

 艦隊に所属する百五十隻余もの艦艇を収容・整備する造船施設と、艦隊の作戦行動を支える武器弾薬、推進剤の製造・供給プラントを備えた一大コンプレックスの威容は、佐世保の地表からも視認可能なほどだ。

 一部の環境保護を叫ぶ市民団体が、惑星からの景観を損ねていると声高に主張するが、軍港の星・佐世保を象徴する存在であることは間違いない。

 民間船舶発着ターミナルとはコンプレックスハブを通じて接続されており、その途上からは軍港エリアの開放型ドック――通称倉島桟橋に係留されている艦艇や泊地に停泊している艦艇、出入港する艦艇の全景を一望することが出来るため、軍艦マニアにとって人気のスポットになっている。

 その先の鎮守府エリアには、当然一般人が立ち入ることは出来ないが、事前に申請して許可が下りていれば、資料館や停泊している艦艇の見学を行うことが出来る。当然のことながら、帝國籍を持つ帝國在住の者に限られるが。

 さらに、民間発着ターミナルからは、地元観光業者が運営する軍港エリア付近を巡るクルーズ船が運航されている。帝國宇宙軍の軍艦やドックを間近で見学できる人気の観光船であり、佐世保観光収益の一翼を担っていた。

 その鎮守府と駐留する機動艦隊を指揮する若き司令長官は、司令長官執務室で日々の任務に精励しているところだった。

 本年は、対馬事件の影響で順延となった観艦式と聯合艦隊集合訓練が執り行われる予定にある。式典と訓練に供出する艦艇の手配や訓練計画などで、いつにも増して事務仕事が多く、それらに向けての訓練計画書の策定や、書類の精査と決済だけで、既に半日を費やしていた。もちろん、領宙監視を始めとする通常の艦隊運営もおろそかにするわけにはいかない。やらなければならないことは山積みだった。

 中でも東郷が頭を悩ませているのは、観艦式に供出する供奉艦(ぐぶかん)の選定だった。

 供奉艦とは、各国の大使や武官、招待者などの来賓を迎えるために用意される艦艇だ。それなりのゆとりと居住性の良さが求められる。ところが、第二機動艦隊群の艦艇は、駆逐艦や巡航艦といった小型・中型艦で構成されており、来賓をもてなすような余剰スペースを取れる艦が少ない。

 これが他の艦隊であれば、余剰空間に余裕のある戦艦や機動母艦が選ばれるのだが、生憎どちらの艦種もこの艦隊には配備されていない。

 暗礁宙域の警備行動を主任務としている第二機動艦隊群は、閉域空間での運用性に難がある大型艦を運用していないためだ。

 

「閣下。そろそろ、ご休憩なさっては如何でしょうか?」

 

 副官白菊二佐の声に、東郷は顔を上げ、この時代では珍しい卓上アナログ時計に目をやる。時計の針は既に15時を回っていた。

 

「そうだな。昼食を摂ってくることにする。何かあれば連絡してくれ」

「はい。どうぞ、ごゆっくり」

 

 執務室を後にした東郷は、いつもの高級士官食堂ではなく、鎮守府内にあるリフレッシュエリアに向かった。

 リフレッシュエリアは植物園区画となっており、将士達の軍務の合間の休憩や非番時の運動などに利用されている区画だ。この類の自然環境を再現した施設は、官民問わず大小様々な宇宙ステーションで採用されており、居住可能惑星より遠く離れるほど、より本物の自然環境に近づいていく傾向があった。

 太陽光すらまともに届かないエッジワース・カイパーベルトやオールトの雲といった最果ての辺境宙域にあるステーションなどでは、園というよりも巨大なテラリウムと言ったほうが正しく、中には自然環境を忠実に再現しようとするあまり、人体に有害な動物まで園内に放し飼いしているくらいだ。

 さすがにそこまでやりすぎてはいないが、佐世保鎮守府の植物園区画は、山林に生息する野鳥や小動物が放し飼いにされており、小鳥の囀りや時折遊歩道を横切る小動物の姿を楽しむことが出来た。

 木蔭のベンチに腰を下ろした東郷は、摩耶が持たせてくれた弁当を取り出した。まさか、態々弁当まで作ってくれるとは思っていなかった東郷は、ひそかに期待に胸を膨らませていた。弁当を包む布巾を解き、おもむろに弁当箱を開ける。

 弁当箱の半分に敷き詰められた白飯の上には海苔が敷かれ、その上には焼鮭が鎮座していた。敷居で隔てられたもう半分には、ほうれん草のバター炒めと卵焼き、切れ目の入ったウインナーと鶏の唐揚げが収まっている。

 特別凝った内容というわけではないが、やはり、愛妻弁当というだけでテンションが上がってしまう。

 どこから手を付けようか僅かに逡巡した後、東郷は箸を好物でもある唐揚げへと伸ばした。

 噛みしめると、さっくりとした衣の中からジューシーな肉汁が溢れ出てきた。

 咀嚼して飲み込む暇もなく、東郷は卵焼きの攻略に向かう。こちらもふわふわの焼き加減だ。

 白飯の上に乗った焼鮭も程よい塩加減で、下に敷かれた香ばしい焼き海苔と合わせて、食欲をそそった。

 

「おや、閣下。珍しいところでお会いしますな」

 

 弁当のほぼ半分を攻略した頃、背後から無粋で野太い声がかけられた。せっかくの至福の時を邪魔された東郷は舌打ちしそうになった。

 

「ほほう、これはこれは……。摩耶さんの手作り弁当でありますな」

 

 顎髭をしごきながら無遠慮に背後から覗き込んで来た巨漢を、横目で睨みつける。

 

「……岩野一佐。よもや貴官、私を監視しているのではあるまいな」

「滅相もない。偶然、閣下を見かけたので、お声をかけただけですよ」

 

 東郷の声は剣呑だったが、岩野に全く動じるそぶりはなかった。

 

「摩耶さんは、裁縫だけでなく、料理の腕も中々のもんですからなぁ」

「知ったような口を利くじゃないか」

「ええ、もちろんですとも。摩耶さんの手料理を何度かご馳走になったことがありますからね」

 

 東郷は耳を疑った。聞き捨てならない台詞だった。

 

「どういうことだ、それは」

 

 いつもの戯言と聞き流すわけにはいかなかった。自然、詰問する口調になってしまう。

 

「おや。摩耶さんからは聞いていませんでしたか?」

「聞いていない」

 

 わざとらしく驚いてみせる岩野に、東郷は苛立ちを隠せない。

 その苛立ちを知ってか知らずか、岩野はしたり顔で得意げに語りだした。

 摩耶は傭人だった頃、部下として配属された岩野を始めとした乗組員に、度々手料理を振舞うことがあった。

 軍属でしかない傭人の、それも特優者の下に配属されるなど、職業軍人にとっては屈辱でしかない。

 そのことをよく理解していた摩耶は、様々な方法で彼らの不満が鬱積しないように手を尽くしたのだ。

 

「今思えば、いつか閣下に手料理をご馳走するための練習だったのかもしれませんな。健気なもんです」

「ふん。それで、貴官ら大の男が、まんまと摩耶に手懐けられたというわけか」

 

 危惧していた事と全く異なることに安堵しつつも、東郷は余裕を見せるように鼻で笑った。

 

「否定はしませんよ。ま。ともあれ、夫婦生活が円満なようで、小官は安心いたしました」

 

 岩野は摩耶が傭人だった当時を思い返した。

 やんごとない理由で摩耶の船に配属された岩野も、当初は彼女に対して不信と不審を隠そうともしなかったが、接してみるうちに、彼女が一般的に言われる特優者とは全く違うことに気付いた。

 何より、与えられた任務に対して、誠実で最大限の努力を惜しまない献身的な態度には感心させられた。

 口調こそ小生意気ではあったが、年長者を舐めるような態度は決して取らず、周囲の意見にも真剣に耳を傾けていた。

多少空回りしている部分が無かったわけではないが、天才肌で傲慢かつ傍若無人な振る舞いの目立つ特優者が、周囲に気を遣う素振りを見せるのは意外なことだった。

 副長として摩耶を補佐する立場だった岩野は、頻繁に助言を求められた。船長として、皆の前での態度はあれで良かったのか。今の判断や言動は正解だったのか。どうすれば最良だったのか。他の乗組員が居ないところで、神妙な面持ちで尋ねられたものだった。

 いくら気に入らない特優者の小娘だとはいえ、素直で向学心のある人間を無下に扱うほど岩野は冷酷な人間ではない。自分の知りうる限りの指揮官としての心得や、部下に対する時にふさわしい態度を伝授したものだった。

 そんな彼女の本気が将士達のも伝わったのか、彼らの態度も次第に軟化していき、わずか数か月で、摩耶は船長として乗組員達の信頼を獲得するに至った。

 岩野が感心したのは、当時若干十二歳でしかなかった摩耶が、男共のモチベーションを維持する手段に長けていた事だった。

 前述した手料理もその一環だったのであろうし、常備している裁縫キットで乗組員の服の解れを直してやったりと、馬鹿な男が一度は夢見そうな事を一通りやってくれた。

 それに加え、岩野をはじめとした乗組員の大半が、陸戦隊上がりの血の気の多い連中――口さがない言い方をすれば脳筋であることをよく把握していた。

 彼らの欲求不満を解消する目的で、任務の合間に宙賊狩りを行ったのだ。

 外観が非武装の採掘船であることを利用して、遭難船を装い救難信号を発し、のこのことやってきて接舷した宙賊艦に、岩野を始めとした屈強極まりないベストガイ共が熱烈に歓迎し、至れり尽くせりのおもてなしをして差し上げるという戦術をよく使った。

 ストレスを解消し、宙賊から収奪した戦利品で懐を温かくすることも出来たため、乗組員は大喜びだった。宙賊からの収奪品を軍人が横領するのは当然軍規違反だが、そんなお固いことを言い出す空気の読めない輩は誰もいなかった。そもそも、正規の軍艦ではないので、法務士官も憲兵も搭乗していないのだ。何の気兼ねもない。

 特優者特有の常人には理解できない行動を取ることもあったが、そちらも乗組員からは受けが良かった。

 それは、自分の縫製した衣装で、突然ファッションショー紛いの事を始めることだった。

 最初こそ乗組員達も困惑していたものの、娯楽の少ない船内では、衣装の出来の良さと、幼いとはいえ摩耶自身の可愛らしさも相俟って、楽しみにしている者も少なくなかった。乗組員の間では、次のコスプレ衣装が何になるか賭けの対象にまでなっていたくらいだ。

 後にアデルが加わってからは、嫌がる彼女を無理矢理着せ替え人形にしていたりもしたが、そちらも中々好評だった。

 そして何よりも、岩野ら乗組員を和ませたのは、東郷に対するときの摩耶の態度だった。

 大の大人相手でも物怖じせず、時には下品な海軍スラングを平気で飛ばす摩耶が、東郷から指令を受けたり、任務の報告をするときに限って、明らかに態度が違っていた。

 労いの言葉を掛けられ、頬を赤らめてはにかむように微笑む彼女の顔は、憧れの人に恋焦がれる少女そのものだった。

 東郷への想いが周囲に駄々洩れであることに、本人が全く気付いていないところが、実に微笑ましいもので、東郷のために与えられた任務を忠実にこなそうとする健気な態度は、素直に応援したくなるものだった。

 

「ところで、岩野一佐」

 

 東郷の声に、岩野は回想から立ち返った。

 

「態々、暇潰しの雑談でもしようと声をかけたのではあるまい?」

「ええ、ええ。もちろんですとも」

 

 岩野は、おもむろに携帯端末を取り出した。

 

「これこれ、見てくださいよ、閣下」

 

 馴れ馴れしく肩に手を回すようにして、携帯端末の画面を見せつけてきた。

 突然鼻先に突き付けられたそれに、顔をしかめつつ、東郷は仕方なく画面に目を落とした。

 画面には動画が再生されていた。

 岩野の妻であるかなえが、にこやかに微笑みながら、可愛らしい赤子を抱いている映像だった。

 赤子は笑顔を浮かべながら、撮影者に向かってしきりに手を伸ばしている。

 

「可愛いでしょ~? うちの娘なんですよ~」

 

 山賊と見まごうような厳つい顔をだらしなく崩す岩野に、東郷は若干引いた。

 自分の子供が可愛いのは分かる。一般論として子供は可愛いものだというのも理解はできるが、所詮は他人の子供だ。

 死んだ魚のような目で東郷は「そうだな」応じた。自分も父親になるとこうなってしまうのだろうかという不安に戦慄を覚えた。

 

「もう言葉もしゃべれるんですよ~。あ、ほら! 今、パパって言ったでしょう~?」

「…… いや。私には何も聞こえないが」

 

 赤ん坊は口を動かしているように見えるが、そんな言葉は聞こえなかった。

 

「いやいやいや。ほらほらほら。もっとよく聞いてみてくださいよ~」

「貴様、いい加減に……!」

 

 いよいよ怒りが限界に達しそうになった時、東郷はふと画面の下部に表示されている文字列に気付いた。

 コンピュータのフォントが文字化けしたような、一見すると無意味な記号の羅列のように見える。

 それは、東郷が一部の部下との間でのみ情報を交換する際に使用している符牒だった。

 素早く目を通した東郷は、それの意味するところを即座に理解した。

 

(ウラジオストクのツァーリ艦隊が増強されている……?)

 

 ウラジオストクは、帝國との国境に位置するツァーリ社会主義共和国連邦の軍事星系だ。艦隊の根拠地というだけでなく、星系内の至る所に要塞化が施され、帝國に対するあからさまな侵攻拠点となっている。帝國にとっては、国防上常に動向を監視しておく必要がある重要な星域だ。

 符牒には、艦隊の増強が始まった日時や兵力なども記されていた。特に、艦艇の増強が著しく、ここ最近はある時期を境として、新造艦がすべてウラジオストク艦隊に配備されていた。その中には、ツァーリ宇宙軍の虎の子、ピョートル・ヴェーリキー級機動母艦が含まれていた。

 蝦夷星系の活動家連中を唆して反乱でも起こさせて、帝國艦隊が鎮圧に向かう前に、急襲して占領する腹積もりなのかもしれない。

 大方、帝國在住の自国民保護のためとかもっともらしい理由をつけて侵攻し、居座るつもりなんだろう。

 

「子供とは実に良いものです。閣下も早く子供を作ったほうが良いですぜ」

「……ああ、そうだな」

 

 情報の確認を終えた東郷は、ウンザリとした表情のまま、追い払うように端末を押し退けた。その際、僅かな指先の動きで次の指示を出す。

 

「どうでもいいが、一佐。私の貴重な休憩時間を、これ以上邪魔しないでもらえるか」

「おお、それもそうですな。では、小官は任務に戻ります」

「そうしてくれ」

 

 威儀を正して海軍式の敬礼を残すと、岩野は飄々とした足取りで去って行った。

 

「あの野郎……。態々飯時に報告しにきやがって……」

 

 司令長官らしくない悪態をつき、東郷は弁当の残りの攻略に取り掛かるのだった。

 


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