ロリ提督から幼妻に転職する羽目になった   作:ハンヴィー

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「きひっ!?」

 

 ノックの音にビビッた俺は、変な悲鳴を上げて固まってしまった。

 時刻は十時五十五分。さすが帝國軍人。ぴったり五分前行動だ。

 って、そんなどうでもいいことを考えてる場合じゃない。

 

「は、は、はいってましゅ!」

 

 早く返事をしなきゃとテンパっていたせいか、そんな間抜けな台詞を口走ってしまう。しかも、噛んでしまった。やばい。早く何か言わなければ。

 

「ど、どうぞ! 開いてます!」

 

 慌てて言い直すが、もうこの時点で、なけなしだった俺の心の余裕は完全に消し飛んでいた。

 ドアの開く音がして、ゆっくりと扉が開いていく。

 やがて、その向こうから姿を現したのは、ゲームの中では至極見慣れていたはずの若い男性の姿だった。

 軍帽を小脇に抱え、司令長官職を現す飾緒の着いた軍服を隙無く着こなす姿は、俺の記憶にある以上に様になっていた。

 しかも今回は、精巧に作られたコンピューターグラフィックスではなく、現実に生きている人間だ。

 いつものように声を掛けようとしたけど、喉から声が出なかった。

 中の人の好みなのか東郷さんの外見は、女性向け恋愛ゲームに登場するような、細面のありがちイケメン顔ではない。

 美形であることに変わりは無いが、どちらかというと、尚武という単語が似合いそうな、古きよき日本男児といったかんじの偉丈夫だ。それでいて、体育会系の息苦しさや暑苦しさとは無縁の、清潔感溢れるいかにも海軍士官らしい佇まいをしている。

 俺のほうを見ながら微笑を浮かべるそんな彼の姿に、不覚にも見惚れてしまっていた。

 

「摩耶」

「えっ、あっ」

 

 名前を呼ばれた途端、その昂ぶりが最高潮に達した俺は、まともに返事をすることも出来ない有様だった。

 そして、同じ男相手にそんな感情を抱いてしまったことに愕然とした。

 東郷さんはそんな俺の葛藤を知ってか知らずか、ベッドの傍にある来客用の椅子に腰を降ろした。

 

「ロリ。ようやく会えたな」

 

 さらりと言われた一言に頭の芯がすっと冷えた。

 この人は今、俺をロリと呼んだ。

ゲームの中でも、俺と二人きりの時にしか使わなかった呼称だ。

 それが意味することは、つまり。

 

「と、東郷、さん……? 東郷さんなのか……?」

 

 当人に対して、こんな間抜けで意味不明な質問も無いだろう。

 東郷さんもそう感じたらしく、浮かべていた笑みを深くした。

 

「何にせよ、無事に目を覚まして良かった。気分はどうだ?」

「う、うん。まあまあ、かな」

 

 曖昧な笑みを浮かべ、そう返すのがやっとだった。

 それっきり、暫くの間、お互い無言になってしまう。

 東郷さんのほうも、何を話せばいいのか、どこから話せばいいのか会話の選択に迷っているような感じだった。非常に気まずい。

 

「おい、ロリ」

 

 東郷さんが何かに気付いたように、俺の顔に手を伸ばしてきた。

 思わず背筋を硬くしていると、東郷さんの指が俺の前髪を掻き分け、こめかみの辺りに触れた。

 当たり前だけど、自分の手とは随分違う。ガンさんみたいなマッチョってわけでもないのに、結構大きくて無骨に感じた。だけど、不快な感じはまったくしない。

 

「ここに傷跡があるじゃないか」

 

 その傷痕は、衝撃で吹っ飛ばされたときについた擦過傷らしかった。

 医者からは、生命維持のための治療を優先させたため、やむを得ず後回しになってしまったと聞かされていた。

 俺が女だということもあってか、かなり気を使って懇切丁寧に、後々、皮膚移植などで傷跡を完全に消すことが出来ると説明されていた。

 

「う、うん。でも、大したことないよ……」

 

 前髪を下ろしていれば隠せる程度だし、だいたい手術なんて痛いことは嫌なので、あまり気にしていなかったし、そのままにしているつもりだった。

 というか、東郷さんの顔が凄く近い。そのせいで、一時は収まった動悸がぶり返してきてしまった。

 

「そ、そんなことよりもっ!」

 

 それを誤魔化すように、俺はことさらに素っ頓狂な大声を張り上げた。

 

「い、色々と、他に話すことあるんじゃないかな! お互いに!」

「ああ、そうだったな」

 

 ちょっと驚いたように、東郷さんは手を引っ込めた。

 

「それで、どこまで覚えている?」

 

 気を取り直すように居住まいを正すと、東郷さんは小声で呟くように言った。

 質問の意味をわかりかねた俺は、軽く首をかしげた。

 

「すまん。漠然とした聞き方じゃ分からんよな。昔の事は覚えているか?」

「む、昔のこと……?」

「そうだ。子供の頃の事でも何でもいい」

「そ、そんなの、覚えているわけ無いじゃんか。だって、ここは……」

 

 俺達がプレイしていたゲームの世界なんだろう? そう喉元まで出掛かった言葉を寸前で呑み込んだ。

 

「ふむ。では、ゲームとしてプレイしていたという記憶しか無いんだな」

 

 恐る恐るといった感じで、俺は頷いた。

 

「記憶にある限りでいい。話してみろ」

 

 東郷さんに促されて俺は、『インペリアルセンチュリー』を始めた頃から、覚えている限りの事を洗いざらい話して聞かせた。

 東郷さんとの出会いや、アデルやガンさんといった親しい付き合いがあったキャラクター達の事、軍に入ってからの事、紆余曲折の末、東郷さんと夫婦になった事。

 

「最後は、対馬でリャンバンの艦隊とやりあったところまでだよ」

 

 最後の戦闘で重傷を負った俺は、一縷の望みを託して救難ポッドに入ったところで、摩耶が意識を失いログアウトされた。

 その後、一眠りして目が覚めたらこんな有様になっていたわけだ。

 俺の感覚では、ほんの数日前の出来事だ。

 意識不明のまま二年間も昏睡状態だったといわれても、未だにまったくピンと来ない。

 

「前世……という言い方は適当では無いかも知れないが、そちらでの記憶は?」

「もちろん、あるよ」

 

 俺にとってはついこの間までの出来事だし、むしろそっちが俺にとっての現実なんだから当然だ。さすがに、二十数年間生きて来たこと全てを覚えているわけじゃないが、ここ最近の事ははっきりと思い出せる。

 

「この前、富士で東郷さんと会った時の事だって覚えているぞ」

「ああ」

 

 東郷さんが少し遠い目になる。

 

「そんなこともあったか。懐かしいな」

 

 俺にとっては、懐かしむほどの過去でもないんだけど、東郷さんが俺と同時期に転生(?)したのなら、あれから二年以上経過していることになるんだよな。

 

「東郷さんは、いつからなんだ?」

 

 尋ねると、東郷さんは少し難しい顔になって、考え込むように顎に手を当てた。

 

「唐突に前世と思われる記憶が呼び覚まされたのは、対馬事件のときだ。お前が私との合流を命じた対馬警備隊の艦艇から、お前の戦隊が挺身攻撃を敢行するとの報告を受けたときにな」

 

 じゃあ、時期的には殆ど同じなのか。

 東郷さんは、平気だったのかな。突然性別が逆転して、しかも軍人として、ゲームではない現実の戦場に赴く途中で。

 

「すごいな……」

 

 素直にそう思った。俺だったら、間違いなくパニックになっているだろう。

 それをこの人は、当時震災で大打撃を受けていた対馬の救援と並行して、かつ俺の尻拭いまでやってのけたのだ。並の胆力じゃない。あの小柄でどこか頼りなさげだった中の人と同一人物とはとても思えない。

 

「お前と同じだったら、多分そうなっていただろうな」

「どういうこと?」

「私はね、摩耶。いや、ロリ。お前とは状況が逆なんだよ」

「逆?」

 

 逆とはいったいどういう意味なんだ。それって、もしかして。

 ハッとして見上げると、東郷さんはゆっくりと頷いた。

 

「お前がゲームと思っているこちらの世界、私にとってはそれこそが現実なんだ」

 

 中々衝撃的な一言だった。

 

「私の場合、かつて日本で暮らしていた記憶のほうが、まあ、前世の記憶なんだろうと思うよ」

 

 前世、と口にするときの、東郷さんの何ともいえない表情が印象的だった。

 そういう表現は気に入らないが、他に例えようがないので、やむを得ずそう呼んでいるといった感じだ。

 

「それを、唐突に思い出したのが、あの時だったというわけだ」

「そう、なんだ……」

 

 それっきり、俺は言葉を無くしてしまった。

 俺にこちらの世界での記憶が無いのは、どういうことなんだろう。

 医者の言うとおり、頭を強打したせいで記憶障害を起こしているということなんだろうか。

 もしかしたら、そのかわりに、東郷さんと同じように、前世らしき記憶が蘇ったとでも言うのだろうか。

 

「こんな事は、誰にも話すつもりはなかった。私自身の妄想に過ぎないと思っていたからな」

 

 それはそうだろう。俺だって、東郷さんからロリと呼ばれるまで、誰にも、当の東郷さん本人にだって打ち明けるつもりはなかったんだ。

 

「お前が目を覚ました時、担当医から錯乱して暴れたと聞いて、もしやと思ってな」

 

 そうだったのか。だから、態々ロリと呼びかけてくれたわけか。

 

「今にして思えば、随分と荒唐無稽な記憶だ。帝國の祖と言われている過去の地球の日本国で、女性として生活していたのだからな。しかも、外見はお前にそっくりと来ている。まったく、何の冗談なのかと思ったよ」

 

 俺にとっては、そちらの生活のほうが現実だったんだけどな。

 中の人が摩耶そっくりだったってことには、俺自身かなり驚いたけど。

 

「どうやら、あまり恵まれた人生では無かったようだ。姉との折り合いが悪かったようだし、私自身は半引き篭もりのような生活をしていたからな。そちらの世界では」

 

 たしかに、そんな事を言っていたな。本人はゲームの中で、ネタのように高等遊民なんて嘯いていたけど。実は結構気にしていたのかな。

 

「生き甲斐といえば、お前と一緒にプレイしていたこの世界に酷似したゲーム、『インペリアルセンチュリー』と、ちょっとした物書きの仕事ぐらいだったな」

「ああ、あの、読者参加型ゲームの小説ね。あれ、面白かったよ。参加者じゃない俺が楽しめたくらいだもの」

「そ、そうか……?」

 

 照れくさそうに頬を掻く東郷さんが、なんだか少し可愛らしかった。

 

「……なんか、不思議だね」

「そうだな。偶然共通する妄想を抱いていたというには、出来すぎた話だ」

「その頃から縁があったってことなのかな」

「そうなのかもな」

 

 俺と東郷さんは、顔を見合わせて、ぎこちなく微笑みあった。

 理由なんて分からないけど、一人きりじゃないということが分かって、精神的にはかなり楽になった。

 それから、俺達は色んなことを話した。

 一番気になっていたのは、俺が親しかった人達が今どうしているのかだった。

 東郷さんには、特にそのあたりのことを詳しく聞かせてもらった。

 アデルは俺が意識不明の状態に陥って以降、精神的に参ってしまい予備役に編入後、退役していた。何でも、俺を護りきれなかったことをずっと自責していたらしい。意識が戻るまでの間、ICUで昏睡する俺の元に、欠かさず見舞いに訪れていたという。

 当初はかなり精神的に不安定だったようだが、当時付き合っていた彼氏――現在の旦那さんや、周囲の人々の助けで何とか持ち直し、今では専業主婦になって、幸せに暮らしているようだ。

 思えば、彼女には昔から苦労ばかり掛けていたような気がする。幸せに暮らしていると聞いて、とりあえずは安心できた。

 ガンさんは、相変わらず軍人を続けているが、今は一等宙佐に昇進していて、俺の後釜として第二宙雷戦隊司令を勤めている。最近、奥さんであるかなえさんとの間に子供が生まれたらしく、前にも増して軍務に精励しているらしい。

 

「実はな。お前がリャンバンとの戦闘で意識不明の状態で救助された時、ガンさん……岩野にぶん殴られたんだ」

「ええっ!?」

 

 欧米人染みたポーズで肩を竦める東郷さんに、俺は目を見開いた。

 

「俺がお前に、退役することを強く言っていれば、こんな事にはならなかったんだ……ってな感じでな」

「な、何やってんだよ、ガンさんは!」

 

 怒りを顕わにする俺を、東郷さんはまあまあと宥めた。

 

「それだけ、お前のことを気に掛けていたということだよ」

「わかってるよ。わかってるけど」

 

 東郷さんも俺も自分の職責を果たしただけだし、そこを責めるのは筋違いだ。

 それにしても馬鹿な事を。上官に暴行を働くなんて間違いなく懲罰ものだ。

 それがさして問題にはならず、昇進までしているということは、東郷さんが自分の胸三寸で抑えたってことなんだろうか。

 

「アデルも岩野も、お前の意識が回復したと聞いて会いたがっている。もちろん、私の両親もな。どうだ?」

 

 俺はちょっと迷ってしまった。

何しろ、東郷さんと違い、俺が知っている彼らは、あくまでゲームのキャラクターとしての彼らだからだ。

 実際に面と向かって向き合った記憶が俺には無いのだ。

 いったい、どういう顔をして彼らに会えばいいのだろうと考えてしまったのだ。

 特にアデルとガンさんに対しては、それまでかなりイキった態度を取れたのだって、それがゲームだったからに過ぎない。

 

「やめておくか? 医師の診断では、記憶障害となっているわけだし、まだ精神的に不安定だということにも出来るが」

 

 黙りこんでしまった俺を気遣うように、東郷さんは言った。

 

「いや、大丈夫。会うよ。俺も会って話がしたい」

「そうか。わかった」

 

 二人は幸せに暮らしているみたいだし、義両親にも顔を見せて安心させてあげたい。

 

「ところで、ロリ。いや、摩耶。退院した後の身の振り方だが、どうする?」

 

 そうだ。そのことについても、きちんと考えないといけない。

 

「当時の第二宙雷戦隊の生還者は、全員一階級昇進している。退院後になるが、お前も宙将補(少将)への昇進が内定している」

「そうなのか。俺も閣下呼ばわりされる身分になるのか」

 

 なんだか、まるで実感が沸かない。他人事みたいに聞こえてしまう。

 

「お前は、いちおう対馬失陥を阻止した救国の英雄扱いだ。このまま軍人を続けたとしても、おそらく前線に出ることは無いだろう。英雄をうっかり戦死させるわけにはいかないだろうからな」

 

 前線に出るとかどうとか以前に、正直軍人を続けていく自信なんて全く無い。俺の脳裏に退役の二文字が浮かんだ。

 だけど、そうなると。

 そうなると、俺に残されているのは、専業主婦の道だけってことになるのか……?

 

「摩耶……? どうした、顔が赤いぞ」

 

 気が付くと、東郷さんの心配そうな顔が間近にあった。

 やや無骨な大きな掌が、俺の額に当てられる。

 途端に、俺の心臓の鼓動が跳ね上がった。

 

「熱があるな。少し疲れたか?」

 

 またさっきと同じような状況になった。

 東郷さんと再開してから、自分の様子がどうにもおかしい。

 男同士なのに、恋愛にも似た感情を抱いてしまっている。俺にはそういう趣味は無いはずなのに。

 でも、待てよ。

 東郷さんは、元々女なんだし、これは別に、同性愛って事にはならないのか。

 じゃあ、別に何の問題も無いのか……?

 

「摩耶。大丈夫か?」

「えっ! あっ、うん。す、少し、疲れたかな……」

「そうか。そろそろ面会時間も終わるし、今日は出直すことにするよ」

 

 そう言って東郷さんは、俺から離れた。

 

「なるべく時間を作って見舞いに来るから、安静にしてるんだぞ」

「う、うん。分かった……待ってる……」

「ああ。じゃあな」

 

 俺の態度に少し不審そうにしていた東郷さんだったけど、深く追求することは無く帰っていった。

 扉の閉まる音と共に、俺は大きく息を吐いた。まだ胸の動悸が治まらない。

 俺は、パジャマの胸元をぎゅっと握り締めたまま、自分の中に湧き上がる感情を必死に抑え込んで、その日を過ごした。


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