「さて。誤解と紆余曲折の末、俺達は夫婦になってしまったわけだが」
「うむ」
俺と東郷さんは、いつもの調子で士官食堂でだべっていた。
戸籍上は夫婦になった俺達だが、ゲームの中でのお互いの立ち位置に何か変化があったわけでもなく、それまでどおりのプレイスタイルを貫いていた。
変わったことといえば、東郷さんとの区別をつけるため、俺に対する周囲の呼称が、秋月提督や秋月一佐と呼ばれていたものから、摩耶提督とか摩耶一佐という感じで、名前で呼ばれるように変わったことぐらいか。
それとは別に、俺の場合、例のヘルメットマウンテッドディスプレイを本格的に使い始めた直後で、操作に不慣れだったということもあって、ゲーム内でしょっちゅう素っ転んだり頭をぶつけたりしていた。そのせいで、艦隊内では、「結婚したとたん、ポンコツになった」「珍しく浮かれてるのか。意外と可愛いな」「だがそれがいい」などと、噴飯物の下世話な話が一時期飛び交ったりもした。
「お互いの呼び方も決めたほうが良いんじゃないかと思うんだ。二人だけの時は今までのままでいいと思うけど」
「なるほどな」
「というわけで、候補をあげるので、好きなのを選んでくれ」
そう言って俺は、四つばかり候補を出した。
一.旦那様
二.あなた
三.三笠さん
四.ダーリン
「さあ、好きなものを選びたまえよ」
「ロリ……」
「なお、四番を選んだ場合、俺の語尾が「だっちゃ」になります」
「お前、実は結構楽しんでるだろ?」
「あ、わかる?」
始めの頃は困惑していたけど、最近の俺はこの状況を楽しむ余裕が出来ていた。開き直ったと言えるかもしれない。
まあ、ゲームなんだし、この際は存分に愉しむことにしていた。
「まあ、三番が妥当かな」
「なんだ、くそ。つまらん」
意外と普通だったので、俺はちょっとがっかりした。どのみち、公的な場では「閣下」としか呼ばないんだから、もう少しはっちゃけても良いと思うんだけどな。
「ところで、ロリ。お前もとうとう、ヘルメットマウンテッドディスプレイの虜になったらしいな」
「うん。まあね。正直舐めてたよ、これ」
言いながら俺は、窓に顔を向けた。窓の外にはいつもの軍港ドックの光景が見えるが、窓ガラスには、伊達眼鏡を掛けたショートボブの美幼女の姿が映っている。
「お前もついに、幼女になりたい願望に取り憑かれてしまったみたいだな」
「ちげーよ」
俺は鼻で笑いながら否定した。俺が専用ヘルメットマウンテッドディスプレイを使用している理由は、そのほうが幼女美を堪能できるからというただそれだけに過ぎない。今みたいに、窓ガラスや鏡に映る自分の姿や、アデルのような猫耳幼女を眺めてほっこりしたいだけなのだ。
「ふうん。私には、背の高い美青年になってみたい願望は前からあったな」
「そうなんだ」
意外だ。てっきり、俺が愛でる対象として自キャラを幼女にしたのと同様に、理想の異性みたいな感じで設定したものとばかり思っていた。
「ま、子供の頃から、男になりたい願望があったことは確かだ。男のほうが女よりも楽だしな」
「楽かねえ……。女のほうが、社会的には甘やかされてるだろ。男損女肥社会って言われているぐらいだし」
「楽さ。男には生理痛なんて無いだろう? それが無いだけでも十分すぎるよ」
「そういう生々しい話は勘弁してくれ……」
そもそも、男には経験しようが無い事を例に出されても、返答に窮してしまうじゃないか。
「それに、私が男だったら、姉さんだって……」
「え?」
俺に対してというより、無意識のうちに口から出てしまったようなその言葉尻が気になり、思わず聞き返した。
「む……時間か」
腕時計に目を落とした東郷さんは、誤魔化すように呟くと立ち上がった。
「そろそろ、幕僚会議の時間だ。遅れるなよ」
「ん、わかった」
立ち去る東郷さんを敬礼で見送った。
どうやら、リアルの東郷さんにはお姉さんがいるらしい。
誤魔化しかたといい、なんだか妙な雰囲気だったけど、立ち入って良い話ではない。
「うん。忘れることにしよう」
俺もさっさと会議室に向かうことにした。
現実の日本国がDQN国家に囲まれているのと同様、八紘帝國もちょいと頭のおかしい国々と国境を接している。
ひとつが、この前佐世保近辺の宙域で粗相をやらかした価値観の共有できない自称民主主義国家の大リャンバン共和国。
もうひとつが、領宙だけは広大だが有人惑星が極端に少なく、居住可能惑星の環境も非常に厳しく、隙あらば他国の領土を掠め取ることに心血を注いでいるツァーリ社会主義共和国連邦。列強の一つで、プレーヤーが選択出来る国家だ。
そして最後のひとつが、共和国とは名ばかりの一党独裁拡張主義のファシズム国家・朝華民主主義人民共和国。この国も列強国の一つで、プレーヤーが選択出来る国家だ。
何れも甲乙付けがたいアレでソレな問題児なのだが、そのひとつ、朝華民主主義人民共和国の艦隊が、帝國の領宙に程近い宙域で演習を行うという情報が入った。三隻の機動母艦を基幹とする空母機動部隊による大規模な演習だという。
事前に帝國を含めた周辺各国には公宙上での演習の通達はされていたが、態々隣国との国境付近で大規模な演習を行うという時点で、座視することは出来ない。
すぐさま、軍令部は警備担当区域である第二機動艦隊群に監視のための艦隊を派遣することを指令、朝華艦隊に対する示威も兼ねて、司令長官である東郷さんが直率する第三航空戦隊を基幹とした、割と大規模な艦隊が派遣されることになった。
しかし、ここで宙軍省からケチがついた。
「周辺国にも事前通達を行っており、危険性は全く無い。監視艦隊の派遣は相手を刺激することになるだけだ。その必要を認めない」
そのあまりにもお花畑な思考に、俺達は怒りを覚える以前に呆れ返ってしまった。
東郷さんが軍令部総長の塚田さんを交えて宙軍省と激しいやり取りを繰り広げ、なんとか「相手に脅威を与えない程度」の小規模な艦隊であれば、派遣するという決定を取り付けることが出来た。
しかも、派遣する艦隊の編成は、駆逐艦以下の艦艇で構成され、十隻未満であることという条件まで付けられてしまった。
そうなると、おのずと派遣できる戦力は決まってしまう。
第二機動艦隊群の現時点での部隊構成は以下のようになっている。
・第三航空戦隊(司令長官直率)
・第四航空戦隊
・第四巡航戦隊
・第五巡航戦隊
・第二宙雷戦隊(俺の戦隊)
・第六宙雷戦隊
固定化されている戦隊はこんなところで、あとは補給艦や掃宙艦などの補助艦艇で構成された部隊が、状況に応じて随時編成される。
第二機動艦隊群には正規空母が配備されていないため、航空戦隊と称してはいるものの、実体は機動巡航艦を基幹とした部隊であり、艦載機の運用能力は限定的だ。
巡航戦隊はその名のとおり、巡航艦を基幹とする部隊で、有事の際は艦隊戦の主力となる重要な部隊だ。装甲は戦艦より薄いが火力は戦艦に準ずるものを保有しており、そこそこの運動性能も持ち合わせている汎用性の高い部隊だ。
そして最後は、駆逐艦のみで構成されたフットワークの軽さが売りの軽快部隊である宙雷戦隊だ。
「東郷摩耶一等宙佐」
「はっ」
方針を決定する幕僚会議の場で、名前を呼ばれた俺は東郷さんに向き直り姿勢を正した。臨席しているのは参謀長や副官の白菊といった司令部幕僚要員や、俺と同格の戦隊司令官とその幕僚達だ。
「貴官の第二宙雷戦隊に朝華艦隊の演習監視任務を命ずる」
「拝命致します」
居並ぶ戦隊司令や幕僚達の間で、僅かにどよめきが広がった。
「閣下。ここは本職が」
第六宙雷戦隊の
「秋月……いや、摩耶提督の能力を疑うわけじゃありません。しかし……」
「しかし、なんだ?」
東郷さんが聞き返すと、竹中提督は言葉に詰まってしまった。
俺と東郷さんは、ゲーム時間で一ヶ月程前に入籍し、俺は秋月摩耶から東郷摩耶になった。
いわば、新婚ほやほやの状態だ。
公的な場では上官と部下で、私情の立ち入る場ではないとはいえ、新妻に危険な任務を命じるとは思ってもみなかったのだろう。
名目上は演習の監視だが、相手は札付きのDQN国家だ。何か不測の事態が起こらないとも限らない。
「竹中提督。お気遣いは有り難いが、司令長官閣下が任務の遂行に私の戦隊を指名したのは、その任に耐えうると判断されたからだ。貴官の隊は、先日領宙監視任務から帰還したばかりで、将士の疲労の回復も必要だ。艦隊のローテーションを考えても、私の隊が臨むのが適切であろう」
竹中提督は、むっつりと口を引き結んで俺を見やった。見た目がガンさんとタメを張れる強面のいかついオッサンなので、慣れないと結構怖いが、見た目に反して気のいい親父だ。そういや、このおっさんには、俺と同い年ぐらいの娘が居るんだったっけな。
心配してもらえるのは有り難いんだけど、こんな面白そうな事を、他人にやらせたくなんか無い。
万が一の時に備え、東郷さんの直率する第三航空戦隊を隣接宙域に展開させる事も決定された。宙軍省の指令に背くことになるのではないかという意見も出たが、直接対峙させるわけではないし、何より東郷さん自身が、数少ない宇宙に出るための口実をふいにするわけが無い。
「他に何か意見はあるか」
一通りの基本的な対処方針の決定が終わった後、東郷さんは居並ぶ面々を見渡した。
俺を含め、特に提案や異議を唱える者は無く、幕僚会議は終了し、それぞれの任務に戻っていった。
俺もアデルやガンさんと共に、自分の戦隊の出動準備に取り掛かる。
「何か言いたそうだな、ガンさん」
振り返らずに、少し斜め後ろを歩いているガンさんに言った。
「もちろん、山程ありますぜ。でも、聞きゃしないでしょう」
溜息混じりに、ガンさんが呟く声が聞こえた。
結構。それが分かっているだけで十分だ。
それだけじゃなんだし、一応フォローはしといたほうが良いか。
「大丈夫だよ、単なる監視だけだし、無茶な真似をやる気は無いよ」
向こうが大人しくしている限りは。
「アデルだって、無事に帰って彼氏とイチャつきたいだろうしな」
肩越しにガンさんの隣を歩くアデルを振り返り、茶化すように言った。
アデルははっとしたように目を見開くと、頬を染めて俯いてしまった。やべえ、可愛い。恥らう幼女最高。
アデルに彼氏が出来たと知った時は、血の涙を流して慟哭したもんだが、事あるごとに彼氏の事をからかってやると、面白いように反応してくれて楽しい。
「……まあ、良いでしょう。出動の準備に掛かりましょうぜ」
「うん。よろしく頼む」
軍港区画まで来たところで、ガンさんは敬礼を残して自分の艦『ときつかぜ』へと向かって行った。
それを見送りつつ、俺とアデルも旗艦『あまつかぜ』へと向かった。