ゲーム内時間で次の日。帝國標準時刻で07:59:50。
「10秒前……気をーつけー!」
甲板下士官の号令の後、上甲板に「気をつけ」のラッパ音が鳴り響いた。
「時間。揚げ。てーっ」
続いて、ラッパ譜『君が代』の独特なメロディーに合わせ、艦尾の旗竿に旧帝國海軍、海上自衛隊時代より続く軍艦旗――十六条旭日旗が、粛々と掲揚されていく。
(くっそ……ショックがでかすぎて、相手がどんな奴なのか、聞きそびれちまったな……)
摩耶に敬礼で軍艦旗を追う動作をさせながら、その斜め後ろで同じように敬礼しているアデルを注視した。
あんな衝撃の告白を受けたせいか、妙に女の顔をしているように見えるのは気のせいだろうか。
やがて、君が代のメロディが終わり、軍艦旗は旗竿の頂点まで達した。
「かかれー。てーっ」
「かかれ」のラッパ音が鳴り響き、乗組員達は自分の担当する部署へと散っていく。
水上艦とは異なり宇宙艦なので、軍艦旗の掲揚は、課業開始時の儀礼的なものだ。せっかく掲揚されたばかりだが、すぐに降納され旗竿も収納される。この後、すぐに出港準備に入るためだ。
宇宙船の場合、国籍や船籍表記は艦の目立つところにホログラフで明示することになっているので、態々真空中に旗を晒すような真似はしない。宇宙に空気はないから意味が無いし、なにより、航行に必須というわけでもない無用な突起物は極力減らさなくてはならない。うっかり破損でもしたら、それがそのままデブリになってしまうからだ。
第一、旗なんて晒そうものなら、放射線の影響であっという間に漂白されてしまう。
栄えある我が帝國の国旗や軍艦旗が、白旗になってしまっては物笑いの種にしかならない。
俺は出港準備に備えるため、アデルを伴い航海艦橋へと上がった。
「出港用意!」
ラッパ音と共に甲板下士官の号令が掛かり、航海長や航法士官の指示や確認が飛び交う。
「舷側タラップ収容完了」
「全アウターエアロック閉鎖確認」
「アンビリカルケーブル切除完了。収容確認」
「船体固定アームロック開放確認」
「機関室より入電。メインリアクター出力臨界」
「全機構異常なし。抜錨作業完了確認。出港準備用意よし」
作業の統括を行っていたアデルが頷き、俺のほうへ振り返った。
「提督。出港準備完了しました」
「ん」
俺は鷹揚に頷いた。
あとは、管制室からの発進許可を待つだけだ。
「管制室より入電。『あまつかぜ』発進を許可する。よい航海を」
通信担当官の報告と同時に、航海艦橋のガラス越しに見える宇宙空間に向けて、誘導灯の明かりが灯るのが見えた。
出港ゲートの出口付近には、「安航を祈る」を意味する旗旒信号U.W旗のホログラフが浮かび上がった。
俺は頷き、出港の号令を下した。
「発進。前進微速、赤黒無し。宜候」
「前進
航海長の復唱の後、『あまつかぜ』は静々と前進を始めた。
ゲートから出る際、管制室に発光信号で答礼を返し、『あまつかぜ』は宇宙港のゲートより出港した。
「両舷原速、黒
「両舷原速、黒10。宜候」
「上舵
「
「戻せ。35度」
「もーどーせー、35度。上げ舵35度、宜候」
出港直後は、何度かの細かい軌道修正を行い、規定の軍用航路上へ艦の進路を固定することに専念する。
出港時と入港時のこの作業が、操艦時に最も神経を使う。
俺は司令官でもあるが、同時に『あまつかぜ』の艦長でもあるため、俺の仕事になる。
「航海長、操艦」
「頂きました、航海長」
規定の航路に乗った時点で、ひとまず俺の仕事は終わる。後は、入港時や戦闘時以外の操艦は航海長の仕事になる。
もっとも、最初の亜空間ゲートに到達するまでの間、オートパイロットで航行することになるので、現実世界の水上艦に比べれば、負担は大幅に軽減されてはいるはずだ。
ただし、他の船舶や障害物との接触事故の損害は、水上艦のそれとは比較にならないため、見張りは変わらず厳重な警戒が必要だ。
「アデル。ゲートに到達するまでに、
「はい、提督」
いわゆるワープに相当する亜空間航行だが、入り口となる亜空間ゲートより亜空間に突入し、目的地近くの亜空間ゲートより通常空間に戻るという移動手段となる。
ワープと聞けば、出発地と目的地の物理的な距離なんて無視して、移動時間を大幅に短縮できると考えがちだ。
実際、その通りではあるのだが、実は亜空間は非常に不安定で、通常空間の影響をかなり受けてしまう。
例えば、A地点からB地点に亜空間航行で移動するという場合、出発地と目的地との間にある恒星の活動が活発化したり、超新星爆発が起こったりなんてことがあった場合、亜空間に大きな影響が出てしまい、目的地への到達が大幅に遅延してしまうのだ。
最悪の場合、その亜空間航路が使用不能となり、迂回経路をとらざるを得ないことになってしまう。
つまり、AからBへの移動が最短ではあるが、その経路が使用できないため、AからCへCからDへそこからようやくBへ……なんて経路で移動せざるをえないなんてことになるのだ。
当然、今いる武蔵星系のゲートから、はるか遠い中国銀河の、佐世保のある肥前星系までの間にも無数のゲートが存在する。
アデルに命じたのは、何も問題が発生しなかった場合の最短航路と、問題が発生した際、最も迂回を強いられる航路の最遅延航路の時間の算出だった。
この亜空間ネットワークの構造は、ノードを介して世界中のネットワークとの相互接続を実現している現実世界のインターネット網に近いものがある。
インターネットも、ある経路が使用できなくなると、ノード(正確にはノードを構成するルータの設定によるが)が自動的に迂回ルートを算出するようになっているからだ。
「提督。最適航路は日数にして11日となります。しかしながら、経路上のいくつかの地点で恒星活動の活発化が確認されています。、さらに、畿内銀河で確認されている赤色巨星が、超新星爆発の兆候を示しているとの情報もありました。これらの影響で、迂回経路を取った場合、16日~22日程度の日数が予想されます」
「まあ、そんなものか」
来るときにはなんの問題も起きなかったのだし、出来れば、帰りもそうであってほしい。
まあ、東郷さんとしては、俺にあまり早く戻ってきて欲しくないかもしれない。
そんな事を考えながら、俺はこのゲームを始めたばかりの頃、東郷さんと出会ったときのことを思い返していた。