細氷の華~遥か彼方のスヴェート~ 765PRO.Presents   作:dsyjn

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ほろろろろ

変更点

暦・年号について(第一話後書き参照)
 金星基準の年号。金星は日の出から次の日の出まで117日もあり、それを金星に住む人たちは新たに一年と規定しました。つまり764年とかは地球の暦的に考えると大体その三分の一。なんでいろいろ金星基準かというと金星が千早たちの住む宇宙帝国の中心だから。
 月では一年の間に4度、太陽が巡ってきます。そこで月の住人は一つの季節を7日に分け、「一乃冬」「一乃春」「一乃夏」「一乃秋」と続けて「四乃秋」まで数えて一年としています。
 でもこの計算だと
 4(季節)×4(巡ってくる季節の数)×7(一季節の日数)
で計112日と金星の暦と実質2日のずれが生じます。
 そこで月では14年に一度「五乃季節」を迎えることで14年で溜まった暦のずれを解消します。しかし、これは金星人からすると非常に不便な状況でお互いの時間間隔のすり合わせの為に企業などは地球の暦である旧歴をいまだに使い続けているのが現状です。
 つまり金星の威光のためには帝歴を慣例的に用いることを強要されるなか、月は我関せずと言わんばかりの独自の暦の利用をしていることからも月と金星の対峙が垣間見えてしまうのです。おそろしや。感覚的には地球の暦が西暦、月の暦は元号みたいな。
 一日の基準は地球の自転に合わせています。さすがに一日24時間を変更すると人類の体内時計的に厳しいという判断です。



第九話 記憶の残滓

旧歴254-2年 帝歴764年 月 冬の湖 冬岸鉱山 四乃春 十日

 

 懲罰房の存在については既に静香からも聞いていたが、法治共存体である月都において私刑が認められていないのはたしかである。つまりこの懲罰房一つをとっても検挙するには十分ではあるまいか。

 千早は黒塗りの空間を睨みつつ、そんなことを考えていた。

 

 ここは冬岸鉱山最下層の懲罰房。千早と恵美はGRDFに追い立てられるようにこの狭く、明かりもない部屋に二人して押し込められたのだ。食堂で一緒になって暴れ回った男はまた別の場所に監禁されたらしい。

 連れてこられた際に確認できたことだが、懲罰房と名乗るだけあって剥き出しの岩肌の洞窟に扉だけ取り付けたという具合の、本当にどうしようもない空間だった。人工物は精々扉と片隅に取って付けたかのような洋式トイレだけだった。

 

──しかも水洗じゃなくてただの穴……。

 

 おそらくこの真下を地下水脈が流れているのだろう、水流の音が僅かに聞こえる。廃掃法違反、と千早は呆れを通り越し、神妙な気分で唱えた。

 唯一の救いは一緒に毛布を放り込まれたおかげで固い地面に寝転ぶのも幾分楽なことだった。

 

 食堂を滅茶苦茶にしたこと自体はそれほど重い罪ではない。一晩で解放することを横山奈緒局長も確約してくれた。要するに喧嘩両成敗、お互い頭を冷やしてこいということなのだろうが、それにしては随分と違法性に富む処遇である。横山奈緒局長曰く、他のGRDF達への面目のためにもこの処遇には我慢して欲しいとのことだが。

 千早はこのような違法行為を平然とやってのけるゼネラルリソース社もといGRDFの闇深さにすっかり呆れ返って感心すらしていた。これでは地球人があれだけひどい仕打ちを受けるのも無理からぬ話だ。

 

 ──仮にこの処遇を立件しようとしたところで内部調査の末、GRDFの勝手な暴走として厳重注意で終わることは目に見えているのだけど……。

 

 こんな場所に何日も監禁され、孤独と無謬を堪え忍んだ静香には脱帽するばかりだ、と千早は思った。常人ならば一日も耐えられそうにない。

 

 千早が嘆息すると暗がりから恵美のどうしたの、という声が響いてきた。

 

「いえ。生物兵器に関する情報を早く手に入れてこんな碌でもない場所、早々に閉山してもらうことを改めて決意しただけよ」

 

「あはは。……私たち何やってるんだろう」

 

 二人は自分達の考えなしの行動にため息をこぼす。しかし、二人とも決して自分達の行いに後悔はしていなかった。払う代償がこの暗闇で一晩というのも追い出されなかっただけマシとも言えよう。

 しかし二人は本来、潜入捜査のためにここに来ているのだ。少しでも情報収集をするために時間が惜しいというのにこれではやるせない。

 

「……今日一日でいろいろヤなことも知っちゃって、お腹いっぱいだったし。一晩くらいここでゴロゴロしててもいいよね」

 

 恵美は冗談めかしてそう呟いていたが、実際のところ、かなりショッキングな出来事を今日一日で随分と体験したのは事実だ。それに声にも覇気がなく、疲れが滲み出ている。千早は心中、恵美のことを心配した。

 しかし、同時に千早はある疑問も抱いていた。地球人奴隷の待遇に恵美があんなムキになるのは一体なぜなのか。

 月の住人は確かに地球人を露骨に迫害することもないが、反面、地球人の冷遇ぶりにはひどく無関心である。それは地球人スラムを放置していることからも分かる。彼らにとって地球人とは貧しく、小汚く、傍迷惑な存在である。スリや強盗をされることはあれ、何ら益を生むわけでもなし。

 今回こそあまりにひどい処遇を目の当たりに衝撃は受けるだろう。がしかし、仮にも女王の身辺警備を任されている彼女が我を見失うほどの怒りを覚えるのは些か過激すぎではないか。

 

──そもそも私はあまりにも所さんのことを知らなさ過ぎるのでは?

 

 千早はハッとする。そもそも恵美とは会って日も浅いにしてもここ数日あまりに無頓着に過ごしすぎていはしまいかと。

 他人に踏み込まないと言えば聞こえはいいが、つまるところ他者との交流に二の足を踏む生来の性格がなす業だろう。恵美がどういった経緯で貴音に仕えるようになり、今に至るのか、いやそれ以前に彼女の好きなものや嫌いなものすらよく知らないということに千早は気付いた。人懐っこい恵美の性格に甘えて、相手を知る努力を怠ってきたことを否応なく自覚する。

 これは退屈の極致が生み出したものなのか。なんだかいつもより冴えわたった、というよりも、いつもなら気にも留めない考え事がここにきて頭をもたげ始めていることを千早は悟る。

 この好機を逃す手はない。今ならお互いの表情も読めない。思い切っていろんなことをお互いに喋るいい機会なのかもしれない。……それに眠るまでやることもなし。さぞ会話が弾むことだろう、と千早は今の状況を自嘲的に捉えて口を開くことを決意した。

 

「いやー、でもびっくりしちゃった!」

 

 しかし先に口を開いたのはやはりと言うべきか、恵美の方だった。

 このタイミングの悪さたるや……。千早は思考ばかりが先行する自分の性格を呪わずにはいられなかった。

 

「何が?」

 

 しかし、千早はそんなただならぬ心中を声色に出すことなく恵美に言葉を返す。澄ました様子で取り繕うことは自分の得意とすることだ、と少なくとも千早本人はそう思っている。

 ……存外、顔に出やすいタイプだと周りから思われていることを彼女はまだ知らない。

 

「千早って思ってたよりもずっと強いんだね! これじゃアタシがボディガードになる必要もあんまりないかな?」

 

 恵美は自分を恥じるように言う。

 

「そんなことないわ。所さんのおかげであの男との小競り合いも無傷でやり過ごせたのだから」

 

「あはは。お世辞はいいよ。実際アタシ、いつも使ってる武器がないと戦力にならないからさ」

 

 恵美は力なく自嘲した。

 

「まぁ……これだけ体が動くようになったこと自体、奇跡みたいなものだからさ」

 

「……奇跡?」

 

 千早は恵美の言葉に首を傾げる。恵美は千早の疑問の声色を察してすぐに言葉を続けた。

 

「そ、奇跡。アタシさ、昔の記憶がないんだ」

 

「……」

 

「話すかどうか迷ってたんけど。今日の千早を見て、話した方がやっぱりいいのかなって思う」

 

 恵美がうん、と頷く気配を見せ、語りはじめる。

 

「アタシ三年くらい前から記憶がないんだ。ただ起きたら全然知らない場所で、身体も動かなくて。始めて目を覚ました時はすっごく怖かったなぁ。でもアタシが目を覚ましたことに気付いた看護師さんが大騒ぎしたり、お医者さんが奇跡だって喜んでくれるのを見てちょっとだけ安心したのも覚えてる」

 

 千早は返す言葉も思いつかず、黙って暗がりから聞こえる恵美の声に耳を傾けた。

 

「お医者さんから聞いた話だとアタシは病気だったんだって。なんか神経がどうとか脊髄がどうとか色々難しいこと言われたけど、要は身体が動かなくなる病気だって聞いた。今の技術なら治せなくもないけどほとんどの神経が駄目になっていて再生医療よりも義体化しないとまともに身体を動かせるようにならないって言われたんだけど、アタシは断ったんだ」

 

 義体化……。千早も聞き覚えのある言葉だ。月都ではあまり好まれてないが、中には人間の限界を超えたいがために違法な義体化をする、なんて人のニュースは後を絶たない。無論、本来は再生医療と並んで立派な医療行為の一つとして世間にも浸透している。

 恵美のように身体を動かせなくなるなんて状況に陥って、義体化を断る理由などないはずだ。──普通ならば、の話だが。

 

「アタシ、怖かったんだ。身体以外何も残ってなかったんだ。“アタシのもの”が。記憶もない、アタシを知っている人もいない。アタシが胸を張って自分のモノだって言えるものはこの五体しかないんだって思うと、たとえまともに動かなくなったとしても手放すことができないって、そう思った」

 

 恵美は千早の反応を窺うように一旦、口を閉じた。闇の中で二人の呼吸音だけが木霊する。

 

「千早……?」

 

「……聞いてるわ」

 

「ご、ごめん。退屈な話だったかな?」

 

「そんなことないわ。ただ……」

 

 よく似た人を知っている、と千早は心の中で、いつも髪留めを片側に結ぶ溌溂とした少女を思い出していた。今頃、どうしているのだろうか。

 

「いえ。……その後どうしたの?」

 

 恵美はうん、と答えて言葉を続けた。

 

「アタシのワガママは実現するのがかなり難しいって言われたんだけど、ある人が技術提供してくれたおかげでどうにか手術は成功したんだ」

 

「……ある人?」

 

「名前とかは知らない。個人情報の秘匿が条件だったみたいでどうしてもお礼が言いたくて、調べてみたりもしたけど結局分からずじまい。でもその人がいなかったら今頃義体を使ってたかも」

 

「そんな義体化に代わるような優れた技術を無償で提供されたの……?」

 

「アタシも事情はよく知らないけど、これがまた大変でさ。普段は髪で隠してるけど、首筋からお尻まで背中を一直線に有機コンピュータが埋め込まれてさ、それが神経伝達路の補助をしてくれてるって聞いた」

 

「そんな技術……」

 

 聞いたことない、と千早は絶句した。それにそんな前例のない手術では技術だけではない、お金も相当掛かるはずだ。それを工面したのは一体誰なのか。……答えは聞かなくともすぐに思い至った。

 

「で、それを全面的に援助してくれたのが貴音だったんだ。貴音はこの世界に不安を感じてたアタシにずっと親身に接してくれた。辛いリハビリの時も毎回必ず貴音が来てくれて。……今考えると忙しいなか無理して来てくれてたんだなって分かる。貴音だけじゃない。お医者さんや看護師さん。全然知らないアタシのことをみんな励まして、応援してくれてた。アタシは運が良かったんだ」

 

 恵美の声が微かに震える。

 

「今日見た地球人。……アタシはあの人たちと変わらない。自分が何者なのか、どうして生きているのか。きっと何も分からないまま生きている。アタシも一歩間違えればあの人達と同じことになっていたのかもしれない。……それが堪らなく怖い」

 

 千早は納得する。恵美がどうしてあんなにショックを受けていたのか。恵美は怯えていたのだ。あの異常な世界に自らを重ねて。……でもそれだったら。

 

「所さん、私達がなんのためにここに来たか、思い出して」

 

「……千早?」

 

「私達月の民は、いいえ、少なくとも私はこの状況を変えてみせる。私達はその足掛かりを手に入れるためにここへ来たのよ。所さん、あなたにだってそれができる。この星の女王、四条貴音が背中を押してくれたのがその何よりの証拠よ」

 

 千早は暗闇の中、手探りに隣にいる恵美に手を伸ばす。

 

「過去の自分はもういないのかもしれない。でもそれなら今の自分を信じればいい。あなたを支える人たちだっている。あなたはもう一人じゃないわ」

 

 千早は恵美の手を掴むとぎゅっと力強く握りしめた。

 

「……ありがとう、千早」

 

 握り返されたその手に千早は笑みを浮かべた。

 

 

 

 男はごろりと寝転がり、懲罰房の暗闇を睨み付ける。彼にとって懲罰房に入るのは別に今に始まったことではなかった。過去に何度も問題行動を起こしてきた彼はこれくらい日常茶飯事であったし、ここに配属される前はもっと酷い目にもあった。これくらい大したことではない。……ただ、退屈なことに変わりはなかった。

 幽霊騒ぎだなんだと騒いでみたが、果たして地球人のファントムとやらはこんなところまで律儀にくるものなのか。……よしんばここまで来たとしてその悪霊とやらはこの扉をすり抜けてくるつもりなのだろうか。

 

──面白い。それくらい面白おかしい奴が来たならそのまま殺されるのも吝かじゃあない。

 

 男はくつくつとそんなありえない想像に笑いをかみ殺す。

 男は幽霊の存在なんてものは全くもって信じていなかった。幽霊を演じているという“誰か”もこの状況ではお手上げだろう。そうなれば幽霊なんてものに震え上がっていた同僚たちを小馬鹿にするいいネタになるに違いない。

 

「どうやら賭けは俺の勝ちだな。自分の命を張ったんだ。こりゃ相当巻き上げても文句は言わせねぇ」

 

 男はあろうことか自分の生き死にすら賭博のネタにしていた。まさに刹那的生き方の極致。だが彼からしてみれば勝てば大儲け、負けてもそれまでと、大変おいしい賭け事であったようだ。男は愉悦とともに肩を震わした。

 だがふっと、男は笑いをこらえるのをやめ、上体を起こした。

 

──人の気配。

 

 男は息を殺すと扉があるであろう闇に目を向けた。……気のせいではない。たしかに扉の向こうには人の気配が感じられた。

 

「誰だ!」

 

 男の大喝はびりびりと懲罰房の濃厚な闇を震わせた。だが返事はなかった。

 

「そうか、そこにいるんだな。地球人の悪霊とやらは」

 

 男は一笑すると、どうした、と扉の向こうに声をかける。

 

「まさか幽霊がそんなうっすい扉を抜けてくることもできないなんて情けねぇこと言わねぇよな? 生憎その扉は内からも開けられねぇ。招待してミルクの一杯でもご馳走してやりたかったんだがなぁ」

 

 男は調子に乗って下らない軽口をたたく。だが実際はいつ扉が開いて相手が飛び込んできてもいいように構えていた。……男はどこまでもふざけた人間ではあったが決して油断をしない人間でもあった。

 実際の所、相手が扉を開け、仮に襲ってきたとしても来る方向は一つしかない。男からしてみれば迎撃すること自体は造作もないことに思えた。だからこその軽口でもある。

 男の軽口に対しても扉の前の人物は反応を返すことはなかった。彼は面白みのない相手の反応に少しばかりイラつきを覚えた。

 

「……おい。黙ってねぇでなんか言ってみろよ」

 

「お前のことを調べてみた。なぜあれだけ地球人を嫌うのか。ただの嫌がらせにしては随分とご執心だったみたいだからね」

 

 相手の唐突な第一声に男は口を挟む機会を逃す。

 

「お前は今から二十年ほど前の火星戦線の戦火の中、幼少期を過ごした。その戦争の中、親兄弟を亡くし、二桁にも満たない年齢で天涯孤独の身となった。……戦争終結後も火星のスラムでストリートチルドレンとしてその日暮らしの日々を過ごす。その暴れっぷりについに金星の進駐軍にまで目を付けられるもその戦闘力を買われ、GRDFに軍人として迎え入れられることとなる」

 

 男は不思議なことにさっきまでの減らず口をつぐみ、神妙に自分の生涯を語る人物の言葉に耳を傾ける。その声は不思議なことに男女の別が分からなかったが、男には少年の声に聞こえた。

 

「GRDFでは戦闘においてまずまずの戦績を残すもあまりにも問題行動が続き、遂に重大な命令違反とそれに伴う上官への暴行行為を犯してしまう。そしてGRDFから今までの戦績と地位をすべて剥奪され、ゼネラルリソース社月面開発支部冬の湖開発支局への左遷を命じられて今に至る。……お前はなぜそこまで破壊と暴虐を好む。なぜ地球の民を無為に苦しめる行いをする。その行いはかつてお前が受けた苦しみに違いないはずだ」

 

 扉の向こうの少年と思しき人物は男への問いを以って、流れるような台詞に終止符を打った。

 

「……なんだ、それは。告解室の神父にでもなったつもりか?」

 

 男の問いに相手が答える様子はなかった。彼は言葉を選ぶように慎重に口を開く。

 

「お前、火星戦線を二十年前と言ったか。旧歴を前置きなしに使うっつうことはお前は金星人でもなければ月都の人間でもないな。……お前、地球人だろ?」

 

「……」

 

「……まぁいい。なぜ地球人を差別するかって? お前は難しく考えすぎなんだよ。火星戦線が終結してから“二十年”。だがな、あの戦争は何も終わっちゃいねえのさ」

 

 男は扉の向こうの少年に淡々と語る。少年は果たして今、何を思っているのだろうか。

 

「あの戦争で俺の母親と姉は地球人の下種共に嬲られ、俺と父親はそれをむざむざ見せつけられたのさ。俺の父親は笑っちまうくらいビビっててよ。必死に目の前の光景を受け入れまいともがいていたっけなぁ。くくく、今でも笑える。まっ、あんまり騒ぎ立てるもんだからすぐに文字通り首が飛んだがな。今の俺でもそうするさ。何せあの叫び声は耳障りで仕方なかった。……二十年経った今でも耳にこびりついて離れねぇ程な」

 

 男は間を挟むとさらに続ける。

 

「話が脱線したな。俺はあの時どうしようもなく悔しかったぜ? 別に肉親が次々と嬲り殺されることが、じゃねぇ。ましてや地球人への復讐なんてこれっぽっちも感じちゃいなかった。ただな、どうして俺は“こっち”側でやつらは“あっち”側なんだって無性に腹が立ったのさ。結果的にその地球人共も俺の母親や姉も、金星軍の爆撃で一緒くたばらばらに吹き飛んじまったが、そんなんじゃあ全然足りなかった。……俺はその時決めたね。俺はこれからずっと“あっち”側の人間でいようってな。それからは毎日人を徹底的に痛みつけることを覚えた。殺しも数えられねえくらいやったし、薬も女も覚えた。難民キャンプに溢れかえる人。硝煙と麻薬と娼婦の噎せる匂い。毎日が愉快だったね」

 

 男はその後の人生を振り返り、こみ上げる笑いをこらえつつ扉があるであろう闇に大喝した。

 

「どうだぁ!? あんたのご期待にそえる答えだったか!?」

 

 闇からの返事は返ってこないかに思えた。だが少年の答えは意外なものだった。

 

「……そうか。ボクと一緒だね」

 

「あぁん?」

 

「ボクも目の前で多くの同胞が殺された。その理不尽をボクはそっくりそのままお前ら金星人に返してやろうと思ってね。そのためにボクは手段を選ばない。ボクもこうしてお前が言う“あっち”側の人間になったのさ」

 

「……くくく」

 

 少年の言葉に耳を傾けていた男は肩を震わす。

 

「くっ、はははは! あはははははは!」

 

 そして何を世迷言を、と言わんばかりに大笑いした。

 

「馬鹿言っちゃいけねぇ! お前が俺と一緒!? くっははは! 寝言は寝て言え!」

 

 ひーひー、と男は笑いのあまりしばらく苦しそうにするも続けた。

 

「あんたは俺とは何もかも違う。あんたは悪ぶりたいだけの正義漢。要はお子ちゃまよ。ははは! あー、笑い死ぬところだったぜ。大した悪霊だな、お前も」

 

「……」

 

「幽霊(ファントム)とはまたよく言ったものだぜ。いいか、あんたは既に自分を見失っているのさ。……あんたは目の前で死んだ同胞とやらの無念を背負って生きてるつもりのようだが、なんてことはねぇ、あんたもその亡霊に取り殺されたもぬけの殻だ。晴れてお前も幽霊の仲間入りを果たしたってことだ」

 

「……」

 

「本当にお前が俺と同じ“あっち”側の人間だったなら、俺は今頃こんなところで笑いこけちゃいねぇ。既にあの世で舌を切られているだろうさ。あんたは俺にこんな無意味な三文噺を喋らせる必要なんてなかったし、さっさと俺の首を刈ってとんずら決めときゃよかったわけだ。違うか?」

 

 扉の向こうの少年は長らく言葉に窮していたようだったが、そうだな、と答えた。

 

「……お前の言うとおりかもしれない。ボクもまだまだ甘かったらしい」

 

「くくく、そうこなくっちゃなぁ」

 

「……最期に一ついいか?」

 

「なんだよ。この退屈を紛らわせてくれた礼だ、聞いてやろう」

 

「お前は勘違いしているようだが、ボクは今までお前が逢ってきた幽霊とは違う」

 

「……?」

 

「ボクは……嵐(テンペスト)だ」

 

 その言葉の直後だった。男は猛烈な不快感に襲われた。心臓は早鐘を打つように動悸し、倦怠感と疲労感が暴力的なまでに彼の体力を奪ってゆく。まるで全身の血液が沸騰するかのような強迫観念が彼の脳髄を掻き乱す。全身の穴という穴から何かが蕩けでるのを自覚した。プツプツと何かが切れる音も聞こえる。もはや男にとって五感は、脳は、臓腑は、血肉は、あるべきところになかった。

 しかし彼の残されたわずかな思考が少年の残したテンペストという言葉を捉え、一笑に付した。

 

──くっ、ははは。やっぱりお前は死ぬほど甘ちゃんだな。

 

 男の思考がぷつんと切れる。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 男にとって信じられない光景が目に飛び込んできた。

 

 それは見覚えのある光景だった。否、見覚えのある、どころではない。それは彼にとって忘れえぬ光景に違いなかった。

 

「……父さん? ……母さん、姉さん?」

 

 そう、目の前に広がっていたのはかつて自分が見た地獄の再演に他ならなかった。

 ……耳障りな声がする。忘れるはずもない。父親の絶望と怒りと恐怖が混在した咆哮だ。目の前で母親と姉が、かつて臓物が煮えくり返るほど憎しんだ男共の欲望を叩きつけられ、嗚咽を放っている。

 

「……おい、なんだよこれ。どうなってんだ」

 

 男はあぁああ、とあえぎ声を上げる。

 

「……なんでだよ? どうして俺は“こっち”側にいる、俺は“あっち”側の人間じゃなかったのか? 違ったのか? 俺は……おれは……。あぁ……あぁああぁ、ああぁああああぁあああぁあああ、ああぁああああぁああああぁああぁあああぁあああぁあああああぁ!!!!!」

 

 

 

「……そうか、お前にはそんなものが見えているのか」

 

 

 

旧歴254-2年 帝歴764年 月 冬の湖 冬岸鉱山 四乃春 十一日

 

 冬岸鉱山最下層。ここで一人の男が絶望の産声とともに絶命した。

 

 

 

 




 どう続けるべきかな、と悩み始めてはや四か月。どうしてこうなった。

 更新する意味があるのか果てしなく疑問ですが投稿。遅れてしまってたいっっっへん申し訳ないです。
というわけで紆余曲折ありつつ試験前に無事投稿。作者の単位やいかに。やはりアイディアは抑圧されたときに真に思いつくのですね、悲しきかな。

 今回は前半でほっこりさせておきながら後半で絶望に叩き落す二段構えのオチです。
 名もなき男も無事に役割を全うしてくれました。見事に怪演してくれたおかげで本当に名前出さないままここまでやってきてしまったがいいのか! なんて思いながら書いてました。こんな濃いキャラじゃなかったはずなのに……。
 新キャラも登場。一体誰なんだ。

グリマスキャラ

 新キャラは登場しましたが名前も伏せてますし。そもそもグリマスキャラかどうかも明かされてないですし。

その他設定

暦の変更
 金星や月に合わせて暦もいろいろ出しましたが、読者からしてみれば時間間隔を掴むことが難しいことこの上ないと改心。ちゃんと地球の暦も作中で使わせることにしました。しかし暦を捨てさせるというのも文明破壊の第一歩。地球に排他的な金星王室としては意地でも旧歴を使いたくないところですな。

義体化・再生医療
 攻殻機動隊の用語を丸パクってきました。義体化という言葉自体完成され過ぎている……。他に代替する言葉も思いつきませぬ。ベトナムだかどこかでは生体機器化なんて言うそうですがやっぱり義体化がスマートで言い易い。あと攻殻機動隊をちょこちょこ見直してましたが面白過ぎて辛い。
 なんて与太話は置いといて。この世界では無論、義体化技術も再生医療も大変な進歩を見せてます。基本的には再生医療が優先されますが、それだけでは解決しない場合ももちろんあります。この世界の再生医療は3Dプリンター技術とiPS細胞(もしくはそれ以上に高機能な幹細胞。STOP細胞? 知らない子ですね)によりあらゆる身体の部位の再生を実現してます。ですが遺伝病への対応はいまだできていないのが現状です。
 そこで活躍するのが義体化。(ほとんどの星の)法律上、身体の四割以上の義体化は違法とされていますが一部の難病などは全身義体化も認められていますよ。また義体の出力も厳密に決められており、過剰な出力の義体も厳しく制限されています。周りの人間にとっても危ないですし、これは著しく生身の自分の身体に損傷を与えますからね。つまりメスゴリラとかは違法に義体化しない限り誕生しません。

恵美の病気
 筋ジストロフィーと思った読者、残念。恵美の病気はALSです。筋ジスは筋肉自体が損なわれていく病気であるのに対して、ALSは運動ニューロンが損なわれる病気。似ているようで全然違うので要注意。
 ALSも筋委縮を起こしますがおそらく廃用性の二次的なもの。よく分かりませんが。ALSの治療方法は現在のところ不明ですがこの世界では既に確立している、ということにしています。薬物療法で治ります。きっと夢のような特効薬が開発されたのでしょう。恵美は月に一回その薬品を打ってます。
 しかし恵美の場合、病状の悪化を防げても損なわれたニューロンが戻ってくるわけでもなし。再生医療をしようにも全身を再生するなんてことはこの時代でも土台無理な話。全身義体化も嫌となるとこれはもう医者もお手上げだったところを有機CPUインターフェースという夢のような技術が彼女を救うことに。胸が熱くなる展開です。
 技術提供者の名前も伏せてますが、一体誰なんだ。

有機CPU
 恵美が脊髄に仕込んでる神経伝達補助インターフェースのこと。有機CPUとは神経細胞を利用したコンピュータというものでもっとマッドなサイエンティストで言うならば脳の並列化です。PSYCHO-PASSのシビュラシステムとかそうなんですかね。
 恵美の場合はシビュラほど大層なものではないのでご安心を。しかし、言ってしまえば恵美は背中に一直線に脳と似たような構造が突っ込まれてるのでなんだかなぁ。
 さてこれ。有線でつないでいればはっきり言って脊髄と役割は変わりませんが、この変態技術の真骨頂、この有機CPUは無線で筋肉に信号を送っているのです。つまり恵美は実は背中のインターフェースだけでなく全身の随意筋にもこのインターフェースの受信機がくっついているわけで。
 ……果たしてこれは本当に彼女の望んだ自分の身体なのか? なんて思っちゃう人もいるかもしれませんが、自分の身体を自分と認識するのに重要なのはどうも動かすためのプロセスとかそういったものよりも触感だとか痛覚だとか熱いだか冷たいだか深部感覚だとか。幻肢痛しかり、麻酔しかり。生身の身体からの感覚信号に依存するところが大きいようなので、恵美もあまり難しく考えることなく素直に喜んでるようです。まぁ、言うだけ無粋ってものですね。
 ちなみに背中のCPUは色が黒いです。なので背中に一直線、黒い縦線が肌を透かして見ることができます。絶対肌色のものも作れるんでしょうけど。異物感があった方がちょっとドキッとしてロマンを感じるでしょう。

恵美の過去
 未来にも匂わせている記憶障害がここでも。なぜ創作物のキャラクターは定期的に記憶障害を起こすのか。記憶障害なんて脳障害と同義で洒落にならないものですが。
 恵美の記憶についてはいろいろありますがそれはまたおいおい。

火星戦線
 実はこの世界では宇宙進出後、二度の大きな大戦を経験しています。火星戦線は二度目の方。旧歴にして約二十年前とはつまり帝歴にして700年頃、60年前です。さてその具体的な内容とその影響は長くなるのでここは大幅に割愛。
 簡単に言いますと地球人・一部の親地球人派の火星人(とは名ばかりの反火星政府軍)と火星政府軍・金星軍・GRDFの連合軍の衝突に端を発する戦争です。結果は凄惨なもので、最終的に火星首都の市街戦を中心に惑星全土に及ぶ果てなきゲリラ戦。溢れかえる難民。敵味方の区別もつかなくなり、あたかも殺戮と死体のバーゲンセール。
 泥沼化したかに思われた戦場ですが、ここに来て連合軍は意外な戦略で終止符を打ちます。それは軍隊による攻撃ではなく、強力な戦闘力を備えた個人に戦闘を一任するといったものでした。戦闘は速やかに終焉を迎え、火星戦線は連合軍の勝利に終わります。
 どれだけの人間や兵器が束になってもまるで相手にならない破格の戦闘マシーンを対処するには同じく強力な戦闘力を持った人間を当てればいい。
 この世界では現在集団的な戦闘よりも個人と個人による代理戦争が流行りになりつつある世界です。それは大規模戦闘が生み出す悲劇を恐れてのことです。
 というトンデモ設定によって個人に備わっている異常なまでの戦闘能力に意味合いを持たせてみたりします。
 実際は戦争を個人に任せるなんてありえないでしょうね。なにせ戦争は外交手段ですから。そんなあやふやなものに任せられるはずありません。多分。

テンペスト
 中二台詞が言いたかった。それだけです。
 というわけでもないですが。いろんなメタファーを盛り込みました。勿論、名もなき男にとっては色んな意味で嵐に違いないのですが。男がテンペストと聞いて、フッ甘ちゃんだぜ、のシーンはネタバレしますとシェイクスピアのテンペストでググるのだ。
 ところでこの名もなき男、戦災孤児からの脳筋軍人ときてる割にシェイクスピアなんて知ってるのがまずびっくりです。旧歴を使ってる人間を一瞬で地球人と判断してみたり。学がある。頭のいい極悪人はキャラとして魅力を感じます。

男の見た幻覚
 まるで少年が魔法か何かを使ったように見えますがちゃんと変態科学兵器使ってます。まぁ、さすがに幻覚の中身は作品の演出に合わせましたが。どんな兵器を使用したのか。乞うご期待。

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