細氷の華~遥か彼方のスヴェート~ 765PRO.Presents 作:dsyjn
旧歴254-2年 帝歴764年 月 蒸気の海 月都南部 四乃冬 五日
「ひどいよ、千早! こんなの聞いてなかったよ!」
「ごめんなさいね。でも言えばついてこなかったでしょ?」
「あ、あはは……まぁね」
亜利沙の家からほうほうのていで逃げ出してきた恵美は開口一番に千早を非難した。だが当の千早本人はあまり悪びれた風でもなく、びっくりしたでしょう、と答える。
「私も初めてここに来た時に同じことをされたわ。あの時は白猫白スク水を着せられて……今でも身震いするわ」
千早の話を聞いて恵美も震え上がる気持ちだった。
「いつもは助手に任せているのだけれど……」
「そういえば、さっきから気になっていたんだけど、その助手の……未来って言う子だっけ? その子はどうしちゃったの?」
「今回の依頼に未来を関わらせるつもりはないわ……。いつ危険な目にあうか分からないじゃない」
「それもそうか」
千早は路地の暗がりを歩きながら未来を想った。
──今朝メールで、暫くの間、仕事は休みだと連絡したけど。今頃どうしているのかしら。
「千早! これからはどうするの?」
恵美が千早の顔を覗き込んで尋ねる。そういえば特に今日はこれ以上の予定を考えていなかった、と千早は考え込んだ。
「そうね。所さん、当分私の家に泊まるのだから、あなたの服や生活雑貨を買いそろえておく必要があったわね。……今日の残り半日は買い物にしましょう!」
千早はそう言って恵美に微笑みかけると恵美はうるうると目を輝かせる。
「ちはや~!」
「私の服をいつまでも貸すわけにもいかないでしょう。私の方が背がたか……」
と千早は恵美を見て気付く。
自分の方が少し背が高いのだから、自分が恵美に貸した服は、彼女にとって少し大きいかもしれないと千早は思っていた。だが。よくよくみると少し裾の部分が足りていない……。
千早は恵美の豊満な胸を見て合点がいく。
「……くっ! とにかく一度家に戻って何が足りないのか確認したら、街に買い物に行きましょう」
「そうだね! うわー、楽しみだなぁ! 千早とお買い物! そうとなったら早く家に帰ろう! 家まで競争だよ!」
恵美は楽しげに笑みを浮かべ、走り出す。つられて千早も走り出した。
「ふふふっ、もう! 所さんったら!」
旧歴254-2年 帝歴764年 月 蒸気の海 月都西部 四乃冬 五日
未来は街中をとぼとぼ歩いていた。
「今日から暫くお仕事お休みかぁ……。何しようかなぁ」
今日こそ千早の助っ人として大活躍するつもりで朝から息巻いていた未来だったが、今日から暫く仕事がお休みだと千早から連絡があり、彼女のやる気は行き場を失っていた。
「うーん、千早さんのお仕事のお手伝い以外、やることないしなぁ」
未来はこれからしばらく何をして過ごすべきか悩んでいた。何かをしたいという気持ちを持て余し、つい街まで出てきてしまったが……。当てどなく街を彷徨うのも家でゴロゴロするのも大して変わらない気がした。
──うーん、まぁ散歩をするのは楽しい、かなぁ?
未来はそんなことを考えながら街を歩く。
月都は人口百万人以上を擁する巨大都市で王宮を中心に広大な城下町がひろがりを見せる。しかし、地下に埋設されている重力炉の関係で、王宮以外の建物には高さ制限がかかっているため、月都のどこからでも王宮を望むことができた。
「えーと、王宮はあっちだから。……今は月都の西側かな?」
王宮を目印に未来は自分がどこにいるのかあたりをつける。
ここ、月都では王宮を目星に歩けば、まず迷うことはない。そのため、あまり知らない場所でも物怖じすることなく歩き回れることができた。
「……うーん、なんだか歩くのも疲れてきたなぁ。でも馬車とかは高いし。自転車欲しいなぁ」
反面、月都は徒歩で散策するには少し大きすぎるきらいもある。そのうえ、車の乗り入れ制限や電車の敷設禁止といった制約もあってなかなか交通は不便だった。
未来はすっかり疲れを感じ、近くの公園で休むことにした。
──ふぅ、今日も地球は青くて、綺麗だなぁ。
見上げた空には青い惑星がぽつりと見えた。
──金星の人たちは地球のこと嫌いみたいだけどなんでだろう……。あんなに綺麗な星なのに。
未来はふと、最近話題の反地球運動のことを思い出した。だが未来はあまり難しいことはよく分からなかった。ただ、みんなもっと仲良くすればいいのに、というのが彼女の思うところである。
地球の光の下、公園は街の人々の憩いの場となっていた。眺めてみると、みな思い思いに過ごしている様子である。ジョギングしている人や未来と同じようにベンチで休憩する人。冬休みなのか子供が戯れている姿も見えた。
「ふふふ、みんな楽しそうだなぁ。あの人なんて一生懸命に手を振ってるなぁ。何してるんだろ?」
「おーい! おーいおーい! そこにいるの未来でしょ!」
「って、私に手を振ってたの!?」
一生懸命に手を振りながら走ってくる少女に、未来は目を凝らしてみた。
──あの子……。たしか昨日会った、えーと、名前はたしか……。
「翼、だっけ?」
「えへへ、覚えててくれたんだね! でも良かったぁ、見つかって!」
「見つかって? ……もしかして私を探してたの?」
「うん! 昨日のお礼がどうしてもしたくて! お仕事抜けだしてきちゃった!」
えへへ、と笑う翼に未来は思わず声を上げる。
「ええ!? い、いいの? お仕事抜けだしちゃうなんて!?」
「いいの、いいの! どーせ、私がいてもいなくても気付かれないよ。ね、それより、今日一日、一緒に遊ぼうよ!」
「……ふーん、それなら」
未来はちょうど暇を持て余していたところだ。断る理由もない。ここは素直に翼と遊んでこのもやもやした感じを吹き飛ばすのも悪くないかも、と未来は思った。
「よし! そうと決まれば未来! 街まで遊びに行くよ!」
「うん!」
二人は互いに顔を見合わせると街へと向かった。
街に出向いた二人はアクセサリーショップにまず足を運んだ。
「未来、未来! 見て見てこれ! このアクセとか可愛くない?」
翼が屈託のない笑みで未来にネックレスを見せる。
「うわぁ! ホントだ!」
二人が小さなダイヤモンドの嵌め込まれた首飾りを覗き込むと、店員の女性が声をかけてきた。
「あら、お客さん! お目が高い! それは今年の暮れに一般公開された月の篝火にちなんだネックレスですね。人工なため価格の方は控えめですが、その輝きは天然と見間違うほどの美しいものを選りすぐっておりますよ!」
「へぇ! 月の篝火なら昨日ちょこっとだけ見せてもらったよ! 綺麗だったなぁ」
未来は店員の言葉に昨日少しだけ仕事の時に目にした宝石を思い出し、うっとりとした表情を浮かべた。
「あら! あれを見るために観光客で連日長蛇の列ができているくらいですよ! 羨ましいですねぇ! 私も見てみたいものですよ!」
二人が世間話をするなか、翼は熱心に他のアクセサリーにも目を通す。
「うーん、どれも可愛いなぁ。でも昨日の臨時収入は使えないし、私の手持ちだけだとこんな高いものは買えないかも」
翼はアクセサリーを眺めながらブツブツと独り言を繰り返す。
「どうしたの、翼?」
「……ううん。未来、気になるのとかないの?」
「わたし? 私はそうだなぁ。この髪留めとか気になる!」
未来が手に取ったそれはさっきまで翼が見ていたものと違い、値段こそ控えめだが、やはり月の篝火を模した、可愛らしい髪留めだった。
「私、髪留め集めてるんだ! これ可愛くて、なんだかさっきから気になっちゃった」
えへへ、と笑う未来。
「へぇ、ちょっとその髪留め貸して」
「うん! はい」
未来は翼に言われるまま髪留めを渡した。すると翼は少しそれを眺め、うん、と満足げに頷いて。
「店員さーん! これください!」
「えぇ! 翼!?」
翼はその髪留めを店員から受け取り、お金を払うとそれを未来に手渡した。
「これ、昨日のお礼!」
「え! でも、これ……」
「いいの! 私からのお礼、受け取ってくれると嬉しいなぁ」
未来は髪留めを握り、翼に笑顔を向けた。
「……ありがとう! これ、大事にするね!」
翼はその言葉に満足げに笑う。
「よーし! 次行こう! まだまだ街を回るよ!」
それから二人は時も忘れ、町中を遊びまわった。服屋の試着で二人だけのファッションショー。気になった屋台によって食べ歩き、小物や雑貨を見て回る。
翼との街遊びは未来にとってどれも新鮮だった。
「……ふぅ、だいぶいろんな所回ったね!」
翼と未来は休息がてらに広場のベンチに腰を下ろしていた。未来は翼の言葉に、そうだね、と答え、足を揺らした。
「足が杖になりそうだよぉ」
「ん? それを言うなら棒になる、とか?」
「あれ!? そうだっけ!? ……それにしても少しのどが渇いたなぁ」
未来は背もたれにもたれかかるのをやめ、立ち上がった。
「何か飲み物買って来るよ!」
「あ、それなら私も……」
「いいから、いいから! 翼はそこで座ってて! すぐそこのお水屋さんで冷たいお水買って来るね!」
翼にそう言い残すと未来は広場の中央の水売りの屋台に向かった。
「えーと、1本いくらかな」
屋台の料金表を見ようと視線を上げたその時だった。未来は見覚えのある顔を見た。
──あれは……千早さん?
「おーい! 千早さー……」
未来の呼びかけはしかし、もう一人の見覚えのない少女の登場によって遮られた。
見たところ、千早と親しげな様子の栗色の髪の少女。未来は千早の知り合いとはほとんど面識があるつもりだった。だが彼女について、思い当たることは一つもなかった。未来は好奇心からそっと二人に近づいてみることにする。
物陰に隠れ二人のそばに辿り着いた未来は二人の会話に聞き耳を立てた。
「……所さん、さすがに自分の荷物くらい、自分で持つわ」
「あぁ、いいって、いいって! これくらいやらせてよ! まだめぼしい仕事もできてないし、荷物持ちくらいやるよ」
なんだか少女は千早をとても慕っている様子。
──二人はどういう関係なんだろう? 見たところただの友達でもなさそう……
未来の疑問はしかし、次の一言で解けた。
「アタシも千早の助手としてバリバリ働いてみせるよ!」
──助手……?
未来は一瞬、その言葉に耳を疑った。だが、千早の
「もう、所さんってば!」
というくすぐったげな声に確信に変わった。目の前の少女は千早の“新しい助手”なんだ。そしてそれの意味することは……。
──私。……私は!
未来はその場にいるのが居たたまれなかった。それもそのはず。自分は千早に解雇されてしまったのだから。……もっと言うと見切りをつけられたのかもしれない。私は、もう役に立たない、と。
当然と言えば当然なのかもしれない。考えてみれば自分は千早の役に立ったことがあっただろうか。
未来の自問に対する答えは否定以外になかった。むしろ、自分は千早の邪魔でしかなかったのかもしれない、と。
未来はいつの間にかその場をそそくさと逃げるように歩き出していた。最初はゆっくりと。しかし、一歩踏み出すたび、胸に溢れてくる何かは増えていくばかりで。溢れないようにと次第に早歩きになり、最後は自然と走っていた。
「未来……?」
帰りの遅い未来を心配して広場の中央まで来ていた翼は未来の駆けていく様をその目に捉えていた。彼女の様子は翼の目から見ても尋常ではない。未来の、今にも泣きだしそうな表情をみとめ、翼は彼女のあとを追いかけた。
いくつかのブロックを走り抜けたところで未来は疲れたのか、駆け足を緩め、路地裏へと入り込んだ。後から駆け込んだ翼の前には、膝を抱え、その場に座り込む未来がぽつり。
「どうしたの……? 未来」
「……翼。……うぅ、ひっく! つばさぁ!」
泣き出した未来をどうにか落ち着かせ、翼は未来に事情を聞いた。
「……私、この街に来たのもつい最近でね。ずっとある人にお世話になりっぱなしで……。多分、その人がいなかったら今頃私、自分がどこの誰なのかも分からないまま、この街で野垂れ死んでいたかもしれない……」
未来の言葉に翼は静かに耳を傾ける。
「……どうにかその人のお仕事のお手伝いをさせてもらえることになったんだけど、全然その人の役に立てなくてね。頑張って、もっとお役に立てるようにならなきゃって思ってたんだ。そしたら今日、突然仕事の暇を与えられたんだけど、さっき街でその人見かけて。……新しいお手伝いを連れていた。それを見たら私、なんか分かんなくなっちゃって……!」
「未来……。そんなに悲観することないよ、未来。きっと未来の気持ちはその人にも伝わっているよ。きっとさっき見たことは何かの間違いだよ!」
「……そうかな?」
「うん、きっとそうだよ! ううん、絶対そう! それに未来がその人の役に立てるようになりたいっていうのなら私も手伝うよ! 仕事の休みをもらったのなら休み明けに生まれ変わった未来を見せつけちゃおう!」
翼の勇気づけに未来も徐々に気を持ち直す。
──そうだ。くよくよするよりもまずは行動しなきゃ。ここで諦めたら本当に千早さんに何も恩返しできないままになっちゃう! そんなのわたしは絶対に嫌だ!
「うん……。そうだね、翼! 私、頑張る!」
未来の元気が取り戻されるのを見て、翼は安心したように笑みを浮かべた。
「よし! じゃあ、二人で頑張るよ、未来!」
翼はそう言うと拳を宙に突き上げた。
「……うん!」
未来もそれに応え、拳を空に向けた。
そんな二人の決意も束の間。
「うわぁ! だ、だれかぁ! 助けてほしいぞー!」
路地裏から少女の叫び声が聞こえてきた。
二人は顔を見合わせるが。
「未来、まずはこの事件を解決だよ!」
「……えぇ!? 翼!?」
「いっくよぉー!」
「ま、待ってよ! 翼!」
翼に修行を手伝ってもらうこととなった未来だが、その前途は多難のようである。
やっと繁忙期を終えました……。また再来週あたりから忙しくなりますが……。
というわけで執筆。今回は短めですが、次回は主要な登場人物がまたまた増えるので今回の話に入れるのを控えました。あと、すぐに書き上げて投稿したかったので。
今週来週は週一くらいで投稿できるかもです。
今回はそんな説明することもないので解説は割愛で。強いて言うなら千早の白猫白スク水は「千早 アイドルの試練」で検索!