細氷の華~遥か彼方のスヴェート~ 765PRO.Presents   作:dsyjn

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ひょほよほい


第十一話 夏への扉

旧歴254-2年 帝歴764年 月 冬の湖 冬岸鉱山 四乃春 十一日

 

 千早は恵美たちの元に戻ろうと坑道を足早に歩いていた。だが彼女は今大きな問題に直面していた。

 

──完全に迷ったわ……。

 

 無造作に掘り進められた結果、縦横無尽に作られた坑道はまさに迷路そのものだった。加えて、緩やかな勾配が続くことで自分が果たして地上に近付いているのか地下に潜っているのかも判別がつかなかった。

 千早はさすがに自分の迂闊さに参ってしまった。考え事に耽ると周りが見えなくなる性を如何なく発揮したために脇道に逸れていることにも気付かず、いつの間にか帰り道が分からなくなっていた。

この鉱山が奇怪な構造であることは千早も薄々感付いていたが、その質の悪さを経験してみて改めて彼女は思い知った。

 

──おかしいわ。この坑道の造り、明らかに意図して人を惑わすようにできている……。

 

 普段使っている坑道は裸電球で明るく照らされ、道幅も坑道にしては広めに作られている。だが脇道に逸れると光源はほとんどがヒカリゴケで道も交差したり、五叉路で自分が今通ってきた道がどの道なのかも分からなくなるような造りと、悪意すら感じられる迷い小路と化していた。

 千早は途方に暮れるもその歩みを進める。一体この道はどこに繋がっているのか。自分がいま通った十字路はさっきも通ったのではないか。そんな不安が浮かんでは消えていった。

 

 何度交差路を抜けただろう、そろそろ疲れを感じ始めた千早は視界の端に白い何かを見た。

 

──この感覚……。

 

 千早はその白色に既視感を覚えた。否、既に一度会ったことがあるのだ。

 

「……千早ちゃん?」

 

「その声……萩原さん?」

 

 千早の前に現れたのは薄暗い坑道に不釣り合いな天使のような少女だった。萩原雪歩。地底湖で一度対面した少女だ。だがなぜ彼女がここに……。

 

「やっぱり千早ちゃんだ! こんなところでどうしたの?」

 

「それはこっちの台詞よ。萩原さんこそどうしてこんなところに……? なんだか神出鬼没ね」

 

「あはは、そんなことないよぉ。ちょっと散歩していただけだよ?」

 

 ちょっと散歩するのにわざわざこんな迷宮を選ぶ物好きが果たしてここにいた。

 

──ミーノタウロスも裸足で逃げ出すわね。

 

 でも助かった、と千早は安堵する。これで外まで連れ出してもらえるに違いない。千早は早速雪歩に事情を説明した。

 

「ふんふん、道に迷ったから外まで連れ出して欲しいってことだね」

 

「ええそうよ、萩原さん。お願いできるかしら?」

 

「それはいいんだけどね……」

 

「……けど?」

 

「私も外へ出る道、よく分からない」

 

「へ?」

 

 千早は信じられないようものを見る目で雪歩を見た。これはつまり二人とも遭難ということでいいのだろうか……。

 雪歩は千早の表情から察することがあったのか、じわじわと瞳に涙を湛える。

 

「こ、こんなダメダメな私! 穴掘って埋まってますぅ!!!」

 

 そしてどこから取り出したのか、スコップを両手で握ると泣きながら穴を掘りだした。しかも異様なほど高速な穴掘りだ。そんな信じられない光景にしばし呆けていた千早は雪歩の姿が完全に見えなくなったところではっとした。

 

「は、萩原さん!? それ以上地下に埋まってどうするつもりなの!?」

 

 千早は苔の光が届かないほど深くなった雪歩手製の穴に向かって叫ぶ。しばらく自分の声が穴で残響した後、一体どれほど深く掘ったのか。

 

「それもそうですぅ……」

 

 という雪歩の小さな声が返ってきた。

 

 

 

暫く雪歩が穴を登ってくるのを待って、二人は坑道を道なりに進むことにした。

 

「萩原さんは散歩でここまで来たみたいだけど、こんな状況で不安とか感じないの?」

 

 千早は自分の前を歩く雪歩に問いかけた。雪歩は不思議そうな表情を浮かべる。

 

「不安……? 私、暗くて狭いところが好きなの。暗くて目立たなくてダメダメな私はこういうところがお似合いなのかなって」

 

「それは萩原さんの思い違いだと思うけど……」

 

「うふふ、千早ちゃんは優しいね。えっとね、それに私が普段掘っている穴の方がここの坑道よりもずっと深いし長いからこれくらい平気だよ」

 

「……たしかにそうね」

 

 千早は先程の光景を思い出して苦笑した。雪歩がえへへ、と笑って見せるのに対して、別に褒めているわけではない、と千早は内心思った。

 

「穴を掘る……。ということは萩原さんも地球人なのかしら?」

 

「そうだよ? よく分かったね、千早ちゃん」

 

「いえ。ここ、地球人がたくさん働かされているじゃない」

 

「あっ……。そう、だったね」

 

 雪歩が憂鬱な表情を浮かべるのを見て、千早はそこに違和を覚えた。彼女が今までの地球人奴隷と何か違うのは明白だ。

 

「……そういえば萩原さんは知っているかしら?」

 

「……?」

 

「今日GRDFの男が殺されたの。地球人を苛めてばかりのどうしようもない男だったわ。萩原さんも何か知っているのじゃないかしら?」

 

 雪歩ははっとした表情を見せたがすぐに首を横に振った。

 

「私は……知らない」

 

 千早は彼女の反応に、嘘が下手ね、とため息をこぼした。

 

「何を知っているの、萩原さん。……あなたは一体何者?」

 

 雪歩は再び首を横に振る。そして。

 

「わたし、私本当は地球人じゃ……。ううん、人じゃないのかも」

 

「萩原さん?」

 

「私は……魂だけの亡霊。殻の中の二つのゴースト。千早ちゃん、私の中にはもう一人の私がいるの。今の私は本当に何も知らない……。でも分からない。もう一人の私が何をするのかなんて知らない」

 

「もう一人のあなた? ……それはどういう意味?」

 

「千早ちゃん、どうしてそんなこと気にするの? 千早ちゃんこそ何のためにここに来たの? 私達の居場所を奪うため? ……前もそうだった。私の目の前でたくさんの人が死んじゃって、真ちゃんもみんなも……! 今度は守りたい! でも、それだったら私、千早ちゃんも……」

 

「萩原さん、落ち着いて! 一体どうしたの?!」

 

 雪歩は千早に肩を掴まれ、うつろな瞳に光が戻る。

 

「ご、ごめんなさい。私、少し変みたい。今のは……忘れて」

 

「え、ええ」

 

 雪歩は大きく息を吐くと前を指差した。

 

「千早ちゃん、この先をまっすぐ進むと出口みたい。私はちょっと一人になりたいから」

 

 雪歩は千早の背中をそっと押すと反対方向へと歩き出した。千早は黙ってその後ろ姿を見るしかなかった。

 

「あぁ、千早ちゃん」

 

「……なに、萩原さん?」

 

「……また千早ちゃんの歌、聞きたいな」

 

 彼女は最後にそう告げると今度こそ無言で千早の元を去っていった。

 

 雪歩の言う通り、道なりに進むとよく見る広い坑道へと千早は脱出することができた。しかし、彼女の心が晴れることはなかった。

雪歩の台詞一つ一つを反芻する。それの意味することを。萩原雪歩は自らを亡霊と言っていた。つまり自分を死者だと。死者……。千早は萩原雪歩の名前に引っかかりを感じていた。会う前にどこかで見聞きしたのか。ならばそれは一体どこで……。

 

──死者、亡霊、地球人、……萩原雪歩。思い出したわ! あの子……!

 

 そうだった、と千早は自分が抜けてきた洞窟、雪歩が消えていった闇を見た。彼女の言葉に嘘はなかったのだ。彼女はたしかに亡霊だ。そう、萩原雪歩。帝歴にして三年前。金星王都地下トンネル崩落事故の死傷者一覧にその名をたしかに見た。間違いない、彼女は噂の通り横山奈緒が金星から連れてきた亡霊そのものだ。

 その瞬間、千早の脳裏にある仮説が浮かんできた。隠された生物兵器の噂。奈緒局長が連れてきた亡霊。秩序の光を拒絶する鉱山。変死した男の遺骸。それらが一本の線になって繋がる。

 

──ゆっくりなんてしていられないわ! 早く所さんと合流しないと!

 

 

「あ、おかえりー! 千早、遅かったね。どったの?」

 

「んにゃっ!」

 

 恵美はGRDFの待機室でこぶんを膝に抱えて千早を待っていた。息を切らして帰ってきた割には遅い帰還の千早に恵美は不思議そうに問いかける。

 

「所さん! 最上さんは?」

 

 しかし千早は何を焦っているのか恵美の問いには答えることなく、辺りを見渡した。

 

「へ? いやぁ、なんか千早を探しに行くって出ていったけど? アタシは土地勘もないからここで待っとけって言われて、待ってたんだけど……」

 

「なら好都合だわ。行きましょう」

 

「え? ……え?」

 

 恵美は状況が掴めず目を白黒させて千早を見た。千早はいそいそとここに来る際に準備してきた荷物をまとめている。一体この短時間で彼女に何が起こったのだろうかと恵美は悩まし気にその様子を見ていた。

 

「所さん、あなたも急いで準備して。……最上さんが帰ってくる前に」

 

「ちょ、ちょっとタンマ! 待って待って! 千早、何があったの? アタシにも説明して欲しいんだけど! それに静香が一緒だと困るの?」

 

「ごめんなさい、所さん。でももし、私の仮説が正しければここで悠長に喋っている場合じゃないのかもしれないわ」

 

「仮説……? 千早、何か分かったの!?」

 

「今は急いで!」

 

「わ、分かった!」

 

 千早に急かされるまま恵美も準備を整えると二人と一匹は待機室を飛び出た。

 

「そういえば所さん、武器は持っているのかしら?」

 

「……また物騒だなぁ。残念だけどアタシ財布入れてた鞄に武器も一緒に入れてたからさ。全部盗られちゃって持ってないんだ。精々、食堂からくすねてきたこのナイフくらいかな?」

 

 恵美がナイフを掲げ、肩をすくめてみせたが、千早は黙考した後、まぁいいわ、と答えた。

 

「武器を持っていたところで対処のしようもないでしょうし……」

 

「……?」

 

 千早はこの話は終わったとばかりに足早に坑道を進む。恵美は聞きたいことが多すぎたがとにかく現状の把握に努めることにした。

 

「で、どこに向かうの千早?」

 

「この施設の変電設備よ」

 

「へ? それはまたなんで?」

 

 千早は足早にエレベーターへ向かいつつ恵美をちらりと見た。

 

「まずは手っ取り早くこの施設の正体を暴くわ」

 

 

 電力の供給というものはいくつかの段階を踏んで行われる。発電所で作られた超高圧電流は送電される中で必要時に段階を踏んで降圧することで本来は効率的な送電がなされる。一般に高電圧送電が行なわれるのは発熱など送電によるロスを最小に抑えるためだ。

高電圧で送電されてきた電力はそのままでは無論、電圧が高すぎるために使い物にはならない。そのため変電施設や、供給される側の工場設備によって変電され、電力として供給されるわけだ。

そして当然、電力がより多く必要な大規模施設へ電力供給する際には変電施設で降圧を受ける前の電圧で供給した方が効率的に大容量の電力供給を行えるのは千早も知っていた。つまり、供給される電力を見ればその施設の規模がおおよそ把握できるのだ。

しかしこの鉱山で仮に生物兵器を開発していたとして、電力規模を調べたところでそれはあまり意味のないことと千早は当初思っていた。

一つにこの鉱山の施設としての規模が全く不明だったこと。もう一つに仮に生物兵器を作っていたとしても、この鉱山に対する電力供給の数字が不自然なほど大きくなることはまずないと踏んでいたからだ。

生物兵器とは一般に既存の細菌やウィルスをばら撒くことを示唆する。新型の細菌やウィルスを開発することも考えられるが、千早はその可能性を極めて低いと断定していた。

生物兵器の一番のメリットは低技術で安価に量産できることにある。そして一番のデメリットは兵器としての舵取りが非常に困難なことだ。この最大のメリットを捨て、最大のデメリットを生み出す新型微生物の創造は、兵器開発として悪手中の悪手に思われた。

つまるところ、培養設備だけで事足りるのであれば、必要電力もこの手の施設に供給される電力に比較して不自然に多くなることはないということだ。

また、生物兵器自体、人民への被害は甚大なものであることに変わりはないが、一国を傾けるにしては即効性や破壊力が足りず、交渉材料にするにしてもかなり厄介な代物であることは明白だった。

貴音は善き為政者であるが故に、わざわざ金星と敵対する危険を冒してまで千早に調査を依頼したわけだ。千早自身もそれを重々承知していたが、おそらく生物兵器が使われることはよほどの事態が来ない限りないだろうとして、当初は事を急くよりも誰にもバレることなく、慎重を期して安全に調査を進める方針で悠長に構えていたのだが。

 

──もしここでアレが開発されているとしたら……。

 

 千早は変電設備に着くとすぐさまコンソールを見つけ出し、持参してきた携帯端末を繋げた。コードで遊びだすこぶんに辟易しつつ、携帯端末をいじる千早は余裕を取り戻したのか、先程の恵美の疑問に答えることにする。

 

「私の立てた仮説が正しいならば、この施設には膨大な電力が必要になるわ。それこそ信じられないくらいの電力が。だからここに来たのよ」

 

「ふーん……。でもこの鉱山だって地下施設なんだから照明とかで結構電力が必要そうに見えるけど?」

 

「そうでもないわ、所さん。この施設の光源を思い出してみればいいわ」

 

「え? えーと、裸電球に、ヒカリゴケに……あぁ、なるほど!」

 

 恵美も千早の言葉で彼女の示唆することに納得する。そう、この施設にはほとんど電力を大規模に必要とする設備がないのだ。照明ですら、裸電球を使い回しているような施設にそもそも大量の電力を要するような設備を期待すること自体、不自然な話だ。

 しかしもし、こんな寂れた鉱山の奥深くにより電力を必要とする施設があったとしたら……。

 

「結果は……最悪ね」

 

 千早は携帯端末の画面を恵美に見せると大きくため息をついた。そこに表示されていたのはこの施設に供給されている電圧の変電前の数値だ。果たして示された数値はおよそ30万Vといったところ。これは大量に電力を必要とする類の施設に供給されている電圧の二倍に近い、膨大なケタ数だ。

 

「その割に随分とちっちゃな変電設備だね、これ」

 

 だが恵美はいまいちその数値にピンとこないのか冷静なツッコミを入れる。

 

「おそらくこの変電パネルも操作するためだけのもので言ってしまえばフェイクよ。この裏に一体どれくらいの規模の変電施設が隠されているのかしらね……」

 

 千早は大きく息をつくと、これで黒確定ね、と呟いて立ち上がった。その足元でじゃれてくるこぶんの尻尾の動きを目で追いつつ、千早はこの先の公算を考えた。

 

「問題なのはこの後よ。おそらくこの鉱山の奥深くにこの施設の全貌が隠されているのはたしかよ。……ただこれ以上の深入りは危険だと思うわ」

 

「じゃあ、どうするつもりなの?」

 

「にゃうにゃう」

 

 恵美はこぶんを抱き上げると肩に乗せ、千早の考え事の邪魔にならないようにする。

 

「所長室に忍び込むわ」

 

「でもあそこ監視カメラもあるし、所長だって今の時間いるんじゃないかなぁ……?」

 

「だからここで所さんの出番よ」

 

「……へ?」

 

 

横山奈緒はパソコンの前で地味なデスクワークをこなすうち、疲れを感じ始めていた。

 

──なんや、めっちゃ肩凝るなぁ……。

 

 彼女は首の付け根辺りを揉むと、懲罰房で起こった怪死事件の報告書の作成もまだ残っていることを思い、憂鬱な表情を浮かべた。

 

──ちょっと休憩した方がええかも。

 

 そんなことを思いつつ伸びをした奈緒は部屋の扉の叩かれる音に慌てて姿勢を正すと、どうぞ、と扉の向こうに声をかけた。

 

「失礼します!」

 

「おぉ、なぁんや、恵美か! どうしたん?」

 

 ノックの主は新人GRDFの所恵美だった。奈緒は恵美の少し緊張した面持ちにくすりと笑った。

 

「なんやなんや! 私の前ではそんなかしこまらなくてええからな! それで何しに来たん?」

 

 恵美は、はい、と返事をすると要件を述べた。

 

「実は千早が迷子になってしまったみたいで帰ってこないんです! 今静香も探していますけどなかなか見つからないみたいなので、もしかしたら所長しか知らないような場所に迷い込んでるかもしれないと……」

 

 恵美が事情を話し始めると奈緒も心配そうな表情を浮かべて彼女の言葉に頷いた。

 

「それはたしかに困るなぁ……。分かった! 私も探したる!」

 

「ホントですか!? そうと決まれば善は急げ! さぁ、行きましょう! すぐ行きましょう!」

 

 奈緒が了承するのを見て恵美は奈緒の手を握り、引っ張っていく。

 

「ちょっ、ちょっと! せめて部屋の扉ぐらい閉めさせてや! ほんまに! 勘弁してやぁ~……」

 

 その様子を眺める人影と猫影。

 

「随分と強引に連れて行ったわね……」

 

「にゃん……」

 

 千早の提案はいたってシンプルなものだった恵美を囮に所長室に忍び込むのだ。監視カメラはこの際、放置でも構わなかった。もはやこちらの正体がバレたところでこの施設の秘密を暴けばそれどころの話ではなくなるからだ。

 所長室には先程まで奈緒がいじっていたコンピュータが放置されていた。このコンピュータは本来タッチ式のカードリーダーによってセキュリティーが守られているようだったが、今は恵美が有無を言わさずに奈緒を連れて行ったため、ログイン状態のまま点けっぱなしで放置されていた。

 

──所さんの強引さが功を奏したみたいね。

 

 千早はキーボードを叩くと何か手掛かりがないか探る。だが手掛かり自体は簡単に見つかった。奈緒はこのコンピュータを介してゼネラルリソース社とかなり密に連絡を取っていたようだ。奈緒もおざなりながらセキュリティーキーでそれらの閲覧を制限していたようだが、千早の力量でもクラックのできる簡単なものだった。

 

「さて、これでこの鉱山も白黒はっきりつくわね」

 

 千早はふぅ、と息をつくとキーボードを叩き終わり、奈緒の会話ログを開示した。

 

「……?」

 

だが。そこには何一つ本文の書かれていない白色の画面が映し出されるばかりだった。否、本文はなかったが代わりに添付ファイルが一つだけ表示されている。

 

「これは……」

 

 千早は躊躇いつつもそのファイルをクリックして表示した。そこに映っていたのは。

 

『……千早、逃げて』

 

 恵美の捕まっている姿だった。

 

「所さん!?」

 

 千早は瞬間、思考が停止する。彼女は奈緒と一緒に鉱山に戻ったはずではなかったか。だが、その答えは目の前に映りこんでいた。

 

『やぁやぁ、千早! 私が二人の目的に気付いとらんと思っとった? 適当に泳がしてたんやけど、まさかこんな強引にくるとは思わんかったで! おかげで私らもちょっと手荒に対処することになってもうたやん。おとなしゅうお帰り願おう思ってたんやけどなぁ』

 

「横山奈緒……!」

 

 恵美の隣にいたのはさきほど恵美が連れだしたこの鉱山の所長、横山奈緒本人に違いなかった。それだけではない。その隣には……。

 

「折角、静香が一生懸命探してくれとったのにそんなオイタして! あかんでほんまに! 静香もなんか言い!」

 

「……」

 

 最上静香。彼女まで一緒にその場に立っていた。さらには鉱山で地球人奴隷を庇っていた金髪の少女も立っている。一体どうなっているのか、千早は混乱のあまり何も言えず画面の前で固まる。

 

「おぉ……? なんやわけわからんくて言葉も出てこんみたいやな。まぁええわ! そっちに迎え寄越したるから大人しゅうそこで待っときや!」

 

 奈緒は一方的にそう言うとカメラを消したようでそのまま画面が真っ暗になり、元の画面に戻った。

 

「なんで最上さんまで……?」

 

 千早は気力が抜け、所長の椅子に座り込むと天を仰いだ。

 

「にゃぁ……」

 

 千早の足元ではこぶんが心配げに彼女を見上げる。

 

「どうやら私もここまでみたいね」

 

 千早は足元の猫にそう話しかけると大きく嘆息をこぼした。だがそこでピコンという機械的な音が鳴った。

 

「……なに?」

 

 そこに一つのポップアップ表示が出ていた。本文には

 

「『夏への扉はすぐそこだ』?」

 

 同時に画面が暗転して文字の羅列が大量に表示され始めた。

 

「何かを解析してる……?」

 

 しばらくそれを眺めていると最後に《passcard:》という表示が現れ、文字列の発生が止まった。

 

「これはパスカードを通せってこと? でもそんなもの持って……」

 

 そこで千早は足元の猫を見た。夏への扉。そうだった。夏への扉を探し続けているのは猫だ。

 千早はこぶんの首輪を外すとそれをカードリーダーにタッチした。すると突如画面上に大量のフォルダが表示され始めた。その全てに共通してある文字が書かれていた。

 

「これは……」

 

 

 千早が恵美の質問に答えた時のことだ。

 

「結局この鉱山には何が隠されているの?」

 

 恵美は所長室に急ぐ千早に改めてこの鉱山の秘密を問い質した。千早は足早に進みつつそれに答えた。

 

「そうね、そろそろ言った方がいいわね。……所さんは火星戦線のことは知っているかしら?」

 

「うん……まぁ、なんとなくは。アレでしょ? たしか地球人と反政府軍が連邦軍と戦って最後はゲリラ戦にもつれ込んでの泥沼化。たくさんの人が死んじゃったし、何百万人もの難民が出て、今も火星はその復興ができてないとか……」

 

「そうよ。じゃあこの戦争、どうやって終わったかも知っているかしら?」

 

「うーん……なんかすごい兵器ができたんだっけ? 敵を選別して各個撃破していったって。……もしかして」

 

 恵美も気付いたのか驚きで目が見開かれる。

 

「そう、ゲリラ戦では戦略兵器が意味をなさないという状況が続く中、かつての戦争のように白兵戦を主体に置いてみてはどうかという声が上がった。義体化技術が進んだ現代において個人の身体がどこまで兵器として完成されるのかという悪魔の試み。結果、戦争は迅速に終結し、ある者は救世の女神と呼び、ある者は全てを蹂躙した破壊の神と呼んだ。そして人々は彼女達をこう呼ぶようになったわ。全人の偶像、【IDOL】と……」

 

 

 千早の前に置かれたパソコンに表示されたフォルダ。その全てに【IDOL】という文字が書かれていた。

 

「……やっぱり、そうだったのね」

 

 千早は呟くと後ろを振り向く。そこに立つは真白い少女。

 

「ごめんね、千早ちゃん」

 

 如月千早の意識はそこでぷつんと消えた。

 

 

 

旧歴254-2年 帝歴764年 月 蒸気の海 月都北部 四乃春 十一日

 

 警察署に戻った律子は髪飾りを前に唸っていた。

 

「やっぱりどこかで見たことあるのよねぇ」

 

 そこへ婦警が通りすがり、律子に声をかけた。

 

「律子警部、署長がお呼びです」

 

「ん、分かりました。すぐ行きます」

 

「あら、その髪飾り。律子さんもこういったお洒落されるのですね」

 

 婦警の言葉に律子はじろりと彼女を睨む。

 

「ちょっとどういう意味ですか」

 

「あぁ、違いますよ! ただ律子警部はこういった流行には流されない方だと思っていたので」

 

「流行……?」

 

「そうですよ! それはここ最近発売された月の篝火を模した髪飾りで、表通りのアクセサリーショップ限定品なんですよ! もしかして知らずに買われたのですか?」

 

「え!? あ、いえ、そうそう、そうなんですよ! 実は前の仕事で月の篝火を一目見てからすっかり虜になってしまってですね! 柄にもなく髪飾りまで買ってしまいましたよ! あ、あははは……!」

 

 律子は空笑いしつつ、内心自らの誤魔化しの下手さに呆れていた。しかし。

 

「やっぱり鬼の律子警部といえども月の篝火の美しさには敵わなかったのですね! いやぁ、月都の民として誇らしいです!」

 

 どうやら月の民は律子の想像よりも遥かに純粋で人を疑うことを知らず、なによりかの宝石に誇りを持っているようだった。

 嬉しそうに去っていく婦警にほっと胸を撫で下ろすと律子も署長室に向かうべく立ち上がった。

 

──いえ、待って。今、私すごく失礼なこと言われなかったかしら……? 鬼の……。いえども……。

 

 律子は自分が周りにどう見られているのかを自覚し、がっくりと肩を下げる。

 

──私、皆からああいう風に思われているのかしら?

 

 律子は“鬼の律子”という甚だしくイメージを損なう称号に辟易する思いをするも、一旦それは胸中にしまいこみ、署長室に向かうことにした。

 

「失礼します」

 

「あぁ、どうぞ」

 

 戸を叩いて署長室に入った律子は署長に敬礼した。対して署長も答礼でそれに応じる。

 律子の勤める月都中央警察署の署長は警察組織の人員の中では珍しく気弱で低姿勢な男だった。しかし図体ばかり大きく、ガタイの良さは署内随一なのが彼の情けなさに拍車をかけていた。今も部下である律子を前に太い眉がハの字に曲がり、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 

「君には随分と迷惑をかけてしまったみたいで私も面目が立たないよ。……私だって説得は試みたんだがね」

 

「いえ、これも組織に属する上では仕方のないことですよ」

 

 律子は努めて快活に受け答えしてみせたが署長は安堵の表情を見せるどころか、ますます渋い表情を浮かべると、それでだ、と恐る恐る本題を切り出した。

 

「律子君。……どうやら君も有休が溜まっているようだね」

 

 律子はその言葉にピクリと片眉が上がるのを自覚した。

 

「……それがどうされましたか?」

 

「いや、仕事熱心なのもいいが少し休んではどうだね? その、なんといえばいいか。まぁ、人間休むのも大事だ。最近君も立て込んでいたようだし、ここいらで思い切り羽を伸ばすのも悪くないと……」

 

「それも……上からの命令ですか?」

 

「ひっ!」

 

 律子の思いの外低い声に署長は小さく悲鳴を上げ、椅子の上で縮こまる。

 

「あ、いや、そう! いやいやいや、私の好意と思って……」

 

「もう一度尋ねますが。そ、れ、は、上からの命令ですか?」

 

「あ、あぁ……すまない。そうだ、命令だ」

 

 署長は部下からの追及にしょんぼりと俯くとそう告げた。

 律子は署長の様子に小さく溜息をつくと、そうですか、と穏やかな表情を浮かべた。

 

「あ、あれ? 律子君? やはり怒って……」

 

「ないです」

 

「いやいやいや! いつも眉間に皺を寄せている君が菩薩のような笑みを浮かべるだなんて天変地異、怒っているに決まって……」

 

「ないです!」

 

「ひぇえ!」

 

 律子の笑顔の恫喝に署長は椅子を盾に隠れた。だが彼のあまりに大きな身体を隠すには心許なく、まさに頭隠して尻隠さずとはこのことか、と律子は内心思った。

 

「では、すぐに有給休暇の書類を持ってまいります。失礼します」

 

 律子はにこりと笑みを浮かべるとズンズンと出口へと向かった。そんな彼女の背中に署長は蚊の鳴くような声で

 

「くれぐれも変な気は起こさないでくれよぉ。あ、あと有休が上からの指示だってことも内密になぁ」

 

 と最後は上司らしく彼女に釘を刺した。

 

「仰せの通りに」

 

 が、笑顔で振り向く律子に彼が再び悲鳴を上げ、顔を隠したのは言うまでもない。

 

 

 

旧歴254-2年 帝歴764年 月 蒸気の海 月都西部 四乃春 十一日

 

 律子の眼鏡は実は高性能PCであるというのを彼女は誰にも言ったことがなかった。なぜならこれが彼女にとって一番の隠し玉であり、誰も知らないからこそ意味を成すものであった。

 画面はヴァーチャルリアリティとして目の前の空間に表示され、操作は視線認証と小さな手の動きによって行うことができる。

 そんな便利アイテムを利用して、律子が何をするのかというと。

 

「ハッキング完了……」

 

 表通りのアクセサリーショップに設置されている監視カメラに不正アクセスしていた。

 署長に散々釘を刺された律子だったが、はっきり言って彼女はまるで聞く耳を持っていなかった。律子は自分の勘を信じていた。あの鉱山には何か恐ろしいものが隠されていると。

 解明のための情報はこの手の内の髪飾りだけ。ならばそれを調べるのが道理だった。手段こそ道理から少しばかり外れているが……。

 

「今日以前でこの髪飾りを購入した人の顔写真を表示、と」

 

 律子は手慣れた風に画面を操作するとどんどん検索を絞っていく。

どんな客層がいつどんな商品を購入したかはこの時代、非常に容易に検索することができた。あらゆる情報はビッグデータとして管理され、企業は表立って、あるいは秘密裏にそれらを利用して商品開発をする。情報はより拡散の一途を辿り、誰もが顔の見えない誰かの食いものにされている時代だ。

ものの五分も掛からず、律子の手に入れたい情報は手に入った。後は捜査資料からくすねてきた冬岸鉱山の労働者の顔写真付きリストと今手に入れた画像を照らし合わせれば、自ずとこの髪飾りが誰のものか分かるという寸法だ。

 

──我ながらなかなか順調に捜査は進みそうね。

 

 そして実際、律子の考え通り、結果はすぐに表示された。

 

──この金髪の少女……えーと名前は。

 

 捜査資料には伊吹翼と書いてあった。

 

──なるほど。この子が鍵かしらね……ん?

 

 律子はこれで次の捜査すべき対象は決まったと、念のため彼女が髪飾りを購入する時の映像を流しつつ捜査資料を見ていたが、ふと彼女のその後の行動に気になるものを感じた。

 

──待って、これ彼女が買った後……誰かに髪飾りを渡している? 一体誰に……?

 

 律子は別視点の監視カメラから当時の時間帯のものを検索し、この翼という少女が髪飾りを渡している相手の正体を探ってみた。……暫くして検索結果が出る。そこには律子も見覚えのある少女が嬉しそうに髪飾りをもらっている瞬間がばっちりと映りこんでいた。

 

「この子……千早さんの助手の。えーと、名前はたしか」

 

 律子は頭を抱え名前を思い出そうと眉間に皺を寄せる。そして思い出した拍子にぱんと手を合わせた。

 

「そうそう、思い出したわ! 春日未来! ……ってどうして彼女が伊吹翼と一緒にいるの?」

 




 少し遅れての投稿です!
 平行してクトゥルフのシナリオを書いていたのが間違いでした。完成したらここでも公開しようと思ってますが。まだまだ時間はかかりそう。

 さて今回で話はひと段落、鉱山の謎も解決しそう!
 と思いきや、まだまだ引き伸ばす所存。いい加減にせいよということですが、いかんせん未来や翼や環が冒頭で結構絡んでいたのにいったいどこへ行ったと思っていたでしょう。
 次回から戻ってきますよ! たぶん!
 ……つまるところ登場人物が多すぎてまだまだこの冬岸鉱山の謎を明かすには各々の描写が足りないということで、作者の力不足ですよ! もっとコンパクトに話をまとめられればいいものですが。
 しかし話も終盤が見えてきましたし、このまま書き上げたいと思ってますよ! まだ第一部ですが!

グリマスキャラ

 今回は特筆すべきこともなし、って感じでしょうか。なんだか千早がどんどん博識になっていったり、雪歩がなんだか怖い人になっていったりしているくらいですかね。

その他設定

変電施設の下り
 これしたり顔で書いてますが合っているのでしょうか。なんとなく調べて書きましたが詳しい人に教えてもらいたいところですね。

夏への扉
 SF好きならだれもが一度は耳にすることはあるでしょう、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』!
 有名なSF小説としての高名もさることながら猫小説としても評価されていたりいなかったり。
 一部の本格SF好きからはいろいろツッコミを受けつつもおススメSF小説とかそういったラインナップではよく見かけますね。後、地味に屈指のロリコン小説だと一部の人からクレームがあったりなかったり?
 主人公の飼い猫が夏への扉を探して冬の家を彷徨うも、実は主人公も夏への扉を探して必死こいていたという話のようですが、一番の問題は作者自身読んだことがないということ。
 しかしSFを書いていて猫まで出てくると夏への扉を引き合いに出さないわけにもいかなかったのです……。

【IDOL】
 やっとアイドルという言葉を出せました! いやぁ長かったです。
 今までの嘘予告もよく分からない定義のアイドルが出てきましたがこの小説でも登場。前々回くらいの設定で出てきたように火星戦線の結果生まれた悪魔の人間兵器アイドル。分かりづらいと思いますが、作中の状況は言ってしまえば日本で原爆が大量生産されていたくらいの衝撃です。怖いですなぁ。

律子の眼鏡
 律子の本体も魔改造。ビッグデータとして現代では多くの個人情報が世界を駆け巡っています。もはやだれにも止められない情報の奔流をどう利用するかは人々の良心にかかっていますね。律子は良心よりも事件の捜査を優先。悪い人もいるものですよ!

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