細氷の華~遥か彼方のスヴェート~ 765PRO.Presents   作:dsyjn

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試験が終わった象


第十話 律子の反証

旧歴254-2年 帝歴764年 月 冬の湖 冬岸鉱山 四乃春 十一日

 

 千早は物音に目を覚ました。目を閉じても開けても闇に変わりはなかったが。どうやら扉の向こうで誰かが走り回っているようだ。

 

「なんだか外が騒がしいわね……」

 

 何かあったのだろうか、と千早は口元に手を添え思案する。しかし、懲罰房に閉じ込められた身であれば何もできないのも然り。千早はとりあえず恵美を起こそうとするも、千早が動くまでもなく、けたたましく叩かれる扉の音が恵美を夢の世界から引き戻した。

 

「千早さん! 恵美さん! 無事ですか!?」

 

「最上さん……?」

 

 扉を叩いているのはどうやら静香のようだ。もう一晩明けたのか、二人を呼びに来たのだろう。だがそれにしては随分と慌てた様子であることに千早は疑問を感じる。

 

「むにゃむにゃ、なになに……? もう朝なの? ……まだ暗いね。ていうことは夜だ。もう少し寝よ……。スゥ……」

 

 恵美もさすがに扉を叩く音に目を覚ましたがすぐに何事もなかったかのように寝息をたてはじめる。

 

「所さんふざけてないで起きなさい! なんだか最上さんの様子が変なのよ!」

 

「むにゃ……? 相模湾のもずくが変なの……? 千早の言ってることの方が変だよ?」

 

「もうっ! ……ぷっ、ふふふ! 相模湾、もずく……ふふふ! 所さん、本番中にあまり笑わせないで、うふふふ!」

 

(アタシのせいというより千早の笑いの沸点が低すぎるだけじゃ……)

 

 恵美の寝言に怒ってみるもツボに入ったのかなかなか笑いが収まらない様子の千早に、眠っている恵美も心の中でツッコミを入れてしまう始末である。そんな呑気な二人とは裏腹に扉の向こう側では静香の焦燥に拍車がかかっていた。

 

「お二人とも!? 寝ているのですか!? へ、返事がない!」

 

「……はぁはぁ! こっちも心配やってのは分かるけど……いきなり走られたら私も追いかけるん大変やわ! はぁ……! ま、まぁまぁ、静香。そう焦らんでもすぐ開けたるから。二人とも絶対無事や!」

 

「なんでそう言い切れるのですか!?」

 

「いやまぁ、関西人のカンっちゅうか……。なんやいま、この扉の向こうでめっちゃ薄ら寒いボケの気配を感じたっちゅうか……」

 

「寒い気配……? だったらなおのこと二人が心配です!」

 

 どうやら扉の向こうでは奈緒局長もいるらしい。おそらくこの懲罰房を開けるために一緒に来たのだろう、静香となにやら言い合いながらじゃらじゃらと金属音を響かせた。

 

「二人とも、今開けたるからなぁ! うーん、鍵どれやっけ……?」

 

「いいから早くしてください!」

 

「あ、これやこれや」

 

 奈緒局長は目当ての鍵を見つけたのかガチャガチャと鍵穴に鍵を差し込む音が聞こえたが。

 

「……これちゃうかった。あれぇ? おっかしいなぁ、絶対これやと思ったんやけど」

 

「もういいです! 私が開けます!」

 

「え、でも鍵……」

 

「はぁ!!!」

 

 奈緒局長がもたもたしているのを見かねてか静香が喝を放つ。

 

それと同時に。

 

 

 懲罰房の扉が轟音を立てて吹き飛び、笑いこける千早と寝ぼけ眼を擦る恵美の間を一髪の間隙で掠めすぎていった。扉は一点で大きくへこみ、そのまま懲罰房の岩壁に突き刺さることで何もなかった懲罰房に新たなオブジェとして仲間入りを果たした。

 殺人未遂のオブジェを前に千早と恵美は眠気も吹き飛び、戦慄した。

 そんなことはどこ吹く風とランスを投げ捨て静香が懲罰房に飛び込む。

 

「お二人とも! ご無事ですか!?」

 

「あやうく死ぬところでした……」

 

「ア、アタシ……こんな死に方はしたくない、かな」

 

 かつて扉だったものに目を向け震える二人の様子を見て静香が激昂した。

 

「死ぬところ!? い、一体誰に襲われたのですか!? 許せない! 私が今からでも見つけ出して……」

 

「最上さんにですよ!」

 

「静香にだよ!?」

 

「……へ?」

 

 そしてそんな三人にはもはや目も暮れず悲しみに暮れる少女が一人。

 

「懲罰房の扉まで……。食堂と合わせて一体いくらかかるんや……?」

 

 

 

「ほんっとうにごめんなさい!」

 

 静香は深々と頭を下げ、謝罪の言葉を述べる。

 

「い、いいのよ。わざとじゃないですし、二人とも無事でしたから」

 

「そーそ! こんだけ慌てて来てくれたってことは静香がそれだけアタシ達のこと心配だったってことでしょ? アタシは嬉しいよ!」

 

「お二人とも……!」

 

 静香によって懲罰房から解放された千早と恵美は奈緒局長とともに薄暗い坑道を歩く。四つの影法師が岩壁に浮かび上がり、付かず離れず四人の後を追った。

 

「まぁ、なんや二人ともなんもなかったみたいで安心したわ!」

 

「それなんですけど……。ここで何かあったのですか?」

 

「あー、それはな」

 

 千早の疑問に奈緒局長は口篭もり、言葉を探すように目を泳がせた。

 

「まぁ、なんや現場まで連れてくわ。すぐ近くやし」

 

「……?」

 

 千早は静香にも目を向けてみたが彼女もどことなく暗い表情なのを見てこれ以上の詮索をやめることにした。

 対して恵美は状況を察しているのかいないのか、静香と雑談を続けていた。

 

「ねぇねぇ静香。このでっかい槍はなに?」

 

 恵美が指差していたのは静香が背負ってきた2メートルにも及ぶ長大なランスである。狭いところでも持ち運べるようにするためか、今は穂先が四つに分かれ収納される形で1メートルほどに縮められていた。

 

「これ? ……あぁ、お見せするのは初めてでしたね。これが私の得意とする武器です。こんな狭い場所では真価を発揮しませんので普段は持ち歩いたりしないのですけど、今回は特別です」

 

「えへへ、アタシら特別ってことかぁ」

 

「もうっ、恵美さん!」

 

 そんな他愛のない会話をしつつ四人はいくつかの三叉路や四叉路を曲がりくねるとやがて道幅も広くなり、広大な空間へと辿り着いた。

 そこでは施設中のGRDFが人だかりを作って屯していた。……いや、どうやらその場にいるのはGRDFだけではない。物々しい制服を纏った屈強な男たちの姿もGRDFに混じって見られた。

 

「あれは……」

 

 警察だ、と千早は一目でわかった。仕事柄よく見かける制服である。しかし一体なぜここに……。

 

「ん? なになに、あの野次馬は? 誰か有名人でも来てるの? アタシも見たい!」

 

「ちょっと、恵美さん?!」

 

「あんま見て気持ちのええものじゃないと思うで!」

 

 恵美は人の群れを前に野次馬根性に火が付いたのか静香と奈緒局長の制止を聞き入れる前に人混みの中へと飛び込んでしまった。

 千早も二人の制止の声を尻目に、恵美の後を追って人混みの後ろにつき、野次馬たちに耳を傾ける。

 

「──んでるのか?」

 

「さすがに映画の撮影、とかじゃねぇよな……。てことはやっぱ」

 

「幽霊の仕業か?」

 

「んにゃん!」

 

「ぎゃっ! 今なんか俺の足元に毛むくじゃらが!」

 

「何言ってんだ、お前?」

 

 野次馬の中で姿勢を崩した者がいたのか僅かに人と人との間に隙間ができる。千早はその隙間から人混みの正体を見た。

 黄色と黒のテープ。強烈な照明で白く照らされた懲罰房と思しき小さな部屋。真ん中に被せられた青のビニールシート。

 

──そして夥しい量の赤黒い液体。

 

「あれは……」

 

 千早は絶句する。間違いない。あれは全部人の血だ。ビニールシートではまるで覆い隠しきれない、おぞましいほど大量の血である。

 人の死体なら今までも見てきた数は一つや二つではない。……だがこんな地獄絵図は初めてだ。ここまで大量な血が人間に詰まっているものなのかと千早は動転のあまり見当違いな感心をする。

 

「まぁ、静香があれだけ慌てるのも分かるやろ」

 

 いつの間にか千早の横に立つ奈緒局長が腕を組んでそう呟く。

 

「あ、あれ……」

 

「千早と恵美が一緒なって暴れてた奴や。……見ての通り、死んどる」

 

 しばらくすると恵美も蒼い顔をして千早の元に帰ってきた。

 

「ぁ、あれ……ししし、んで」

 

「止めたのに、言わんこっちゃない」

 

「……」

 

 奈緒局長と静香はため息をついて恵美を迎える。恵美はどうやら本当に気分を悪くしたらしく、ふらふらと静香に抱きつくと今にもその場に座り込みそうな勢いでよろめいた。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫ですか!?」

 

「あ、静香。……ありがとう、ちょっと休ませて」

 

「恵美さん、あっちで休みましょう」

 

 静香は恵美を引き連れてすぐ近くの岩に座らせる。奈緒局長も心配げにその様子を見ていたが千早に視線を戻すと、大丈夫か、と尋ねた。

 

「いえ……ちょっとびっくりしただけです。ただ、なんでこんなことに」

 

「それは私も教えて欲しいくらいやわ」

 

「……横山局長は随分と落ち着いているのですね」

 

「いやいや、私やって最初見た時は千早よりもごっつい驚いたで! ただ……私も見覚えのないものじゃないから」

 

 ……そうだ、と千早は思い出す。横山奈緒は金星の事故関係者である。それは事故に関与していたと言えるが、言い換えれば彼女はあの事故の生き残りでもある。……事故の惨事の中、一体どれほど多くの惨たらしい死を見てきたのだろうか。

 それは今の彼女の落ち着きが全てを物語っていた。

 

「とりあえず私はこの盆暗たちを仕事に戻すから三人とも落ち着いたらとりあえず仕事に戻りぃや」

 

 彼女はひらひら手を振ると野次馬たちの方へと向かう。

 

「でも警察達も捜査中ですのに仕事って……」

 

 そんな奈緒局長の背中に千早は問いかけた。

 

「あぁ、それなら大丈夫や。……すぐ終わる」

 

「……?」

 

「ほら、お前ら! 見世物やないで! 暇なのも分かるけどさっさと仕事戻り! 暇でしゃーない奴は私の書類仕事でも手伝って気ぃ紛らわせばええやろ!」

 

「ぜってーしねぇ」

 

「あいつ正直うざかったから死んで清々したかもな」

 

「さてはお前が犯人かぁ?」

 

「ばっか、ちげーよ」

 

「にゃんにゃん!」

 

「誰だ今の?」

 

「ええから、無駄口叩かんとてっしゅうー!」

 

 ざわめいていた現場もやがて残されたのは警官達だけになり、落ち着きを取り戻し始める。それに比例して警官達の緊張が解かれ、彼らは一様にほっとした表情を浮かべはじめた。

 ……無理もない、と千早は警官らの様子を窺う。元来GRDFと警察機構は犬猿の仲だ。こんな施設に警察が入り込むこと自体極めて異例な事態である。

普段なら警察に報告を入れるよりも先に本社が独自に事件を解決しにかかるものだが。

 

── 一体何がどうなっているの……?

 

 千早は目を細め、白く照らされた懲罰房に目を向ける。

 

──死者は語らぬ、か。

 

 恵美の回復を待って少しの間その場に座り込んで考え事に耽っていた千早だがやがて現場が騒々しくなってきたことに気付いた。

 

「警部入ります!」

 

 警察官の一人がそう叫ぶのが聞こえる。

 

「秋月律子警部、入ります!」

 

 同時にその警察官の後ろから、眼鏡を掛け、髪を後ろにまとめたいかにも真面目そうな少女が続いて現場入りするのが見えた。……というより千早の知り合いに違いなかった。

 秋月律子警部。系帝直轄警察庁から出向しているいわゆるキャリア組ではあるが、現場への熱意は間違いなく本物だ。その熱意からくる悪逆への執念は鬼の律子として多くの犯罪者を震え上がらせているとか。

 先日も千早と協力して宇宙海賊が一人、高坂海美をすんでの所まで追い詰めたことは記憶に新しかった。

そんな彼女ではあるがこんなキャリアに傷のつきそうな辺鄙な現場にまでわざわざ召喚されることが果たしてあるのだろうか……?

 

 

 

 律子は黄色のテープをくぐって懲罰房に入ると奥のブルーシートの下を覗き込んだ。

 

「……これはまた随分と酷い有様ね」

 

 律子はあまりの惨状に顔を顰めずにはいられなかった。被害者の男は見るも無残な姿だった。全身の穴という穴から血を噴き出したのか土気色の地肌とそれを覆わんばかりの大量の血液。相当苦しかったのか男の顔は苦悶の表情を浮かべ、かっと見開かれた眼窩にはあるべきものがなかった。四肢は縮こまりまるで胎児のような姿である。

 

「いやぁ全くですよ。これはお手上げですな」

 

 横に立っていた検視官も律子の言葉にやれやれと首を横に振る。

 

「被害者の死因は?」

 

「それが、損傷が激しくて自分もさっぱり。詳しく検案せにゃなんとも言えんです。ただ言えますのはこの仏さん即死とは言え死ぬまで相当苦しんだみたいですな。……ほら、その目」

 

「……?」

 

 検視官が顎で遺体の目を見るように促す。

 

「それ苦しみのあまり目ん玉が飛び出とるんですよ。まぁ、電気椅子なんぞで稀に見る事例ですけど、こりゃまたねぇ……」

 

 律子は検視官の言葉に顔を引きつらせた。

 

「ほれ、これが落ちてた目玉の干物です。なんかよう分かりませんが干からびてまさぁ」

 

「ひぃ!」

 

さらに彼が片手でつまみ上げた灰色の物体に律子は頓狂な声を放った。

 

「見た感じ体内の血液が沸騰した感じですかねぇ……信じられませんけど。あるいは何らかの要因で気圧が急激に変化したのか。空気塞栓による脳梗塞か出血性ショックか、まぁなんにせよ死亡時刻ですらあやふやですからなぁ」

 

 検視官は何が面白いのかはっはっは、と乾いた笑いを上げた。もしくは笑うしかないくらいひどい有様なのか。

 

「それにしてもこんなご遺体は初めてですよ。血管という血管が内側から破裂したみたいですしなぁ。一体どんな──」

 

「もう結構、もう十分です!」

 

「あら、そうですか?」

 

 律子はそれ以上話を聞いていても気分が悪くなるばかりだと検視官の言葉を遮り、その場を一旦離れることにした。

 

──まったく、死者の相手ばかりしていると皆ああなるのかしら?

 

律子は検視官の非常識に鼻を鳴らすと遺体が安置されている小部屋を後にした。

 その後彼女は他の警官数人にも現場の状況を聞いてみたが、その場で犯人の手掛かりだと断定できるものは見つかりそうにないことしか分からなかった。

 

「さすがGRDFのお膝元だけあって捜査も難航しているみたいね」

 

 今回の変死体事件、本来ならもっと警察内でも大きく取り上げられて然るべき案件だ。だがお偉方はどうも捜査には消極的なようだった。それも仕方のないことなのだろう。なにしろ今回はあのGRDFのお膝元での事件である。どうせ今回もGRDFの横槍が入るに違いないと上層部は踏んでいるようだった。

 それでも今回捜査に乗り出せているのも、とある匿名の一般市民から警察に連絡が届いたことを盾に、律子がどうにかここまで状況を持ち込んだからだ。

 

「はぁ、上の人たちも諦め半分の気持ちは分かるけど。さすがにこれはねぇ……」

 

 律子は現場をぐるりと見まわして嘆息する。テープもビニールシートも彼女が知る限りまず今の現場で見ることのない前時代の遺物だ。

 

「こんな化石みたいな代物、よくもまぁ引っ張り出してきたわね。……まぁ、こんな通信もできない、機材の搬入もまともに出来ない、ないないづくしの場所ではむしろ好都合だったかも」

 

 機材だけではない。加えて人員もほとんど割かれていないことがこの閑散とした現場からも窺い知れ、上層部のやる気のなさがひしひしと伝わってきた。

 しかし、律子はこれをチャンスと感じていた。今までなかなか手出しできなかったGRDFの現場にやっと踏み込めたのだ。これはまさしく前例を作るチャンスに違いない、と。

 律子がぐっとやる気を込めたこぶしを握り、周囲の捜査に向かおうと思った矢先、彼女はなんだか見覚えのある人物が先程からなんとなく視界をちらつくことに気付いた。

 

「んん?……ん~?」

 

 律子は目を細めよくよく周りに目を凝らしてみるとそこには申し訳なさそうに顔を伏せるGRDFの少女が見えた。……というよりこの前会ったばかりの少女だ。

 

「あれは……万屋の如月千早? ……こんなところで何をやっているのかしら?」

 

 そもそも彼女はGRDFだったか、などと疑問を禁じ得ない状況だったが律子は考えても仕方のないことは行動で解決するタイプの人間だった。

 

──とにかく話しかければ分かることね。

 

「おーい、千早さん! そこにいらっしゃるのは千早さんですよね!」

 

 律子は声をかけつつ千早の元に向かう。しかし千早のややバツの悪そうな顔で律子もさすがに勘づくことがあった。

 

──あ、あれ? もしかして話しかけない方が良かったかしら?

 

 しかし時すでに遅し。千早も諦めたのか律子警部、とこちらの名前を呼ぶ。

 

「こんなところにまで来るだなんてあなたも大変ですね、律子警部」

 

「あはは、それはこちらの台詞ですよ、千早さん」

 

 律子はとりあえず平静を装いつつ千早の周りにも目を向けてみた。そこには他に二人のGRDFの少女と一匹の猫がいた。二人のGRDFのうち片方は長い黒髪の気丈そうな少女で、もう片方は栗色の長髪で力なく項垂れていた。

猫の方はというとこげ茶色に虎柄で、首には白い首輪が巻かれていた。首輪が少し太くなっている部分には黒い油性ペンで“こぶん”と書かれているのが分かる。

 

「ちょっとその子、大丈夫ですか?」

 

 律子は心配げに栗色の髪の少女を見る。少女は律子の声に顔を上げると手を横に振った。

 

「あぁ、いや。……ちょっと気分が優れないだけで大丈夫、です。千早、知り合い?」

 

「えぇ、そんなところかしら」

 

「へぇ。千早さん、警察のお知り合いがいらしたんですね」

 

 千早の返答に黒髪の少女も意外そうな声を上げる。

 

「まぁ、そうね。……ちょっといいですか、律子警部!」

 

 千早は苦笑を浮かべると律子を少し離れた場所まで引っ張っていき、耳元に小声で話しかけた。

 

「律子警部、どうしてこんなところに!」

 

「それはこっちの台詞ですよ、千早さん! それともまた何かの調査ですか?」

 

「まぁ、そんなところです。とにかく律子警部。私はあくまでただのGRDF新兵の一人ということで通しているので」

 

 律子はコクコクと頷き、今度は自分の番と口を開く。

 

「千早さんが何を調査しているのかは敢えて聞きませんが、この状況について何か情報を知っているのであれば教えてください」

 

「私だって今知ったばかりで、情報が欲しいくらいです。でもよくゼネラルリソース社内部の事件の捜査にこんな早く乗り出せましたね」

 

「垂れ込みですよ。まだ情報源の探知まではできていませんけど、なんとなく匂ったので。ちょっと無理して調査に来てみればビンゴってわけです。垂れ込みをしてきた人も重要参考人として今探しているところです」

 

「……垂れ込み?」

 

「……そろそろ戻りましょう。あなたも怪しまれますよ?」

 

 おそらく律子もそれ以上千早には捜査の内情を話すつもりはない様だ。お互い寄せていた額を離し、それぞれ戻るべき場所へと向かおうとするも、そうそう、と律子が背中越しに千早を呼び止めた。

 

「なんですか?」

 

「千早さん、猫飼い始めたんですか? 可愛いですよね、猫」

 

 律子は最後にその言葉だけ残すとひらひら手を振って現場に戻っていった。

 

「……猫?」

 

 千早は相手が何を言っているのか分からなかったが、その答えはすぐ足元にいた。

 

「んにゃーん……ゴロゴロ」

 

「……ゴロゴロ?」

 

 千早は脛に何かふわふわした感触を感じ自らの足元を見下ろす。

 

「んにゃ」

 

「……猫」

 

 そこには千早の脛に体を擦りつける一匹のチャトラの猫。

 

「……え?」

 

「にゃう」

 

 

 

「はぁ……いったいどうなってるんだか」

 

 律子はため息をつくと現場の周りを少しの間うろつくことにする。

 

──それにしてもここ、一体何の施設なのかしら……。この小部屋にこの男は監禁されていたとでもいうの? 他のGRDF達の噂話を小耳に挟んだ限り、どうやら懲罰房のようだけど。……ここの局長に話を聞こうにも一向に取り合ってもらえないし。後で無理にでも聞き出すしかないみたいね。

 

 律子は嘆息するとこれからどのように捜査を進めるかの算段を付けはじめた。そんな考え事で上の空な彼女の視界の端に小さな光が反射する。

 

「……なに?」

 

 岩陰でともすれば見落としそうな場所にたまたま照明の光が差し込んだのだろう。律子は眼鏡の位置を指で直すと改めて先程光った場所を注視した。

 

「これは……髪飾り?」

 

 どうやらそれは髪留めのようだった。飾りとして模してあるものもどこかで見覚えのあるものだ。透明なダイヤの紛い物に金色の台座。一般的にはありがちな飾りにも思えたが。

 

「これ、どこかで……?」

 

 律子は暫く悩んでみたが。

 

「だめね……思い出せない」

 

 記憶を辿っても思い出せず律子はため息をこぼす。だがそんな小さな悩みもすぐに吹き飛ぶこととなった。

 

「大変です、秋月警部!」

 

 警官の一人が律子の姿を見つけ走ってくる。律子は部下の呼び声に髪留めをそっと自身の服のポケットに忍ばせ返事をした。

 

「なに、どうしたの?」

 

「上からの連絡です!」

 

 部下の警官から手渡されたのは携帯端末だった。ここまでは電波が届かないため電波が届く場所からここまでローカル電磁波で繋げ、万一の連絡に備えていたのだ。

だが部下のこの慌てぶりはあまりいい予感がしない、と律子は訝し気に端末を受け取った。

 

『秋月君、私が誰だかは分かるね』

 

「あなたは月面警察庁長官の……?」

 

『あぁ、そうだ。……突然だが、君たちがこれ以上そちらの事件に関わることは見過ごせない』

 

「……え?」

 

『今すぐ本庁まで戻ってこい、いいな?』

 

「ちょっ、ちょっと待ってください! 一体どういうことですか!?」

 

『どうもこうもない。……これは上からの命令だ』

 

「こっちは筋を通しましたよ! そちらも私達にはもう何も口出ししないと言いましたよね!? しかも上からの命令って……」

 

 月面警察庁は月面警察機構の最高府だ。さらにその上の命令となるとこれは系帝警察庁本部からの指令となる。それが意味するのは絶対服従に他ならない。

 

──いくらなんでも横暴すぎる!

 

 律子は唇をかみ、長官の言葉の続きを聞く。

 

「そうだ、系帝警察庁直々、捜査の中断命令だ。青二才の君でもこの言葉の意味することは分かるだろう? 君は考えなしですぐに突っ走るその若さを除けば優秀な人材だ。私はこれでも君を高く評価しているのだよ。……いいか? くれぐれも、余計なことは考えるな。この件についても忘れろ」

 

「しかし──!」

 

「さもなくば! 君が苦労して積み上げてきたキャリアも無傷とはいかんだろうな。……堪えてくれ。君のような将来性のある若者の出世街道をこんなところで閉ざすような真似、私もしたくないのだよ」

 

「……そう、ですか」

 

 律子はぐっと吐き出したい言葉を呑み、服従の言葉を口にする。

 

「……そうか、分かってくれて何よりだ」

 

 相手も律子の不満を察しているようだったが律子の渋々な承諾に安堵の声色を見せた。

 

「もう少し食い下がると思ったがね」

 

「……私も子供じゃないので」

 

「ふむ、それにしては随分と不満そうだね。……そうだね、秋月君。君に一つ教えておこう」

 

「……?」

 

 長官の声が僅かに低くなるのを感じ、律子は背中がピリピリした。おそらくこの先の言葉は自分もあまり聞きたくないことだろう、と。

 

「秋月君。その鉱山では最近幽霊騒ぎで出るとか出ないとか、ゼネラルリソース社に精通した署員の間でも噂になっていたそうだね」

 

「……」

 

「……君が今回の捜査に乗り出すにあたり建前として利用した一般市民からの携帯電話による垂れ込みだがな、逆探知できなかったのだよ」

 

「……え?」

 

「いいか? 我々の操作能力を以ても探知できなかったのだよ。そんなことできる人間は超級のハッカーか国家ぐるみの人間か、あるいは……亡霊か」

 

「な……!」

 

「君が追いかけているのはゼネラルリソース社の影で踊る亡霊だ。見ることも掴むこともできない。そして近付けば最期、とり殺される。そういった類のものだ。悪いことは言わない、それ以上不用意に近づくような真似はよせ。分かったな?」

 

「……はい」

 

「よろしい」

 

 ではな、と長官は一言残し電話を切るのを確認して律子も端末の電源を切り、部下に手渡した。

 

「あの、長官は……?」

 

 部下の不安げな声に律子は大きくため息をつくと一言で状況を説明する。

 

「撤収よ」

 

 

 

 千早は考え事をまとめると立ち上がった。

 

──こんなことがあってはあまり長居するのもやはり良くないみたいね。本当はもっとじっくりいくつもりだったけど、今日からもう本格的に行動に移さなければ……。

 

「んにゃー」

 

 千早の足元では相変わらず猫がちょろちょろと動き回っている。

 

「それにしてもこの猫、どこから来たんでしょうね」

 

 静香も迷い猫の出現はこの施設に勤めて以来初めてのことらしく戸惑いを隠せないようだ。

 

「私だって想像もつきませんよ。ただいつの間にか私達の前に現れたことだけはたしかですね」

 

「この子首輪に名前書いてあるよ?」

 

 恵美もだいぶ調子が戻ってきたのか、猫の愛らしい仕草に笑顔を見せ、首輪を指差した。

 

「こ、ぶ、ん。こぶんちゃんっていうのかな? おーよしよしよし」

 

 恵美はこぶんを自分の元まで身振り手振りで呼ぶとその首回りや尻尾の付け根を思い切り撫でまくる。

 

「それにしてもこの文字、大人の文字ではないですよね……。それにネーミングセンスもなんだか独特ですし。飼い主は小さな子供でしょうか?」

 

 静香は恵美に撫でられてご満悦な様子のこぶんを前に飼い主を想像した。だが子供が飼い主の猫となってくると一層こんなところに迷い込んでくることへの違和感が強まり静香は頭を抱えた。

 

「とにかくこの猫はここまでひとりでに来れたのであれば、放っておいても主人の元までまた帰れるのじゃないかしら? 所さんもだいぶ調子が戻ってきたみたいですし、行きましょう」

 

 千早は肩をすくめると二人にそろそろ仕事に戻るよう声をかける。

 

「そだね。いやぁ、ごめんごめん! アタシやっぱああいうのには慣れてないみたいでさ。血を見るとふぅってなっちゃうよ。アタシもまだまだだね」

 

「慣れない方がいいこともありますから……」

 

「静香は優しいなぁ」

 

「……」

 

 千早に声をかけられ、二人とも仕事に戻るべく立ち上がってみせたが今度は千早がその場で立ち止まってしまった。どうやら彼女は警察達の様子が気になったようで、警官達の動きを注意深く眺めていた。

 

「千早さん?」

 

「どったの、千早?」

 

「ごめんなさい、二人とも。先に行っててもらえるかしら」

 

 千早は二人から声をかけられるも心ここにあらずといった風で警察達の方へと向かってゆく。

 

「そっか。じゃいこいこ、静香」

 

「……?」

 

 静香は不思議そうに彼女を見送ったが恵美に急かされるまま二人でその場を後にした。

 

 

 

──警察達がもう撤収準備を始めている……。一体どういうことかしら?

 

 千早は足早に律子を探し当てるとずんずんと彼女の元へと向かう。

 

「律子警部」

 

「……千早さん?」

 

「随分とお早い撤収ですね。もしかして……」

 

「……はぁ。そう、お察しの通りですよ。お上に止められちゃいました。あれだけ啖呵切っておいてこのザマです」

 

 千早は律子の言葉にやはり、と頭を抱えた。

 

「無茶を通したとはいえ上層部がこんなに早く圧力をかけるなんてこと今までなかったのに……。ゼネラルリソース社はこんな寂れた施設に一体どんな価値を見いだしてい……」

 

 律子は呆れたように現状を嘆いてみせたがやがてその目には驚きの色が加わり、そしてゆっくりと千早に目を向けた。

 

「それだけの価値がある、ということ……なの? あなたがここにいるのも……」

 

 そう。これは千早にとっても凶報に違いなかった。人が一人死んだ程度でこれだけ強硬な隠蔽工作を行うほどゼネラルリソース社は懐の浅い企業ではない。犯人が身内であったにせよ精々適当に足切り役の犯人を仕立て上げ、警察に差し出すのが落とし所だろう。犯人が外部の者でもあろうものならなおさら警察の出る幕ではない。早々に物言わぬ亡骸が海から引き揚げられるところだ。

 だが、今回に限ってはそうもいかなかったのだろう。ゼネラルリソース社は事件の解決よりもこの施設への国家権力の介入を拒んだのだ。それは端的にここに近付くなという警告に近い。

 つまり、この施設には千早たちの当初の予測通り、なにか恐ろしいものが隠されていることをも意味した。

 千早はここの調査を進めていく中で僅かにだが希望も抱いていたのだ。ここには本当に何もなくて生物兵器というのもただのデマなのではないか。自分達はこの地球人たちの劣悪な環境を貴音に相談し、それですべてが解決するのではないかという希望的観測を。セキュリティは表面上甘く、局長である横山奈緒を含め、その他のGRDFにも不審な言動は見られなかった。

 だがそれは違った。否、正確には見落としていたのだ。この鉱山は自分の想像を超えて道義を外した場所だ。仮に兵器を抱えていなかったとしても、ここにいる全ての者の言動が違和感の塊だと言えた。そしてその逆も然り。それを無意識に前提と置いてしまったがゆえに多少の違和感を自分は見逃し続けてきたのではないか。

 不便といって過言ではないローテクノロジーに支配されたこの環境。電子の波も外界の光も治安の目も行き届かない天然の隠れ蓑と化した鉱山。誰も知らされていないこの施設の明確な目的。

 

「千早さん、そうなんですね?」

 

 律子が恐る恐る尋ねるのに対し千早は首を横に振る。

 

「私の口からは何も言えません。……ただ、律子警部のご想像におまかせします」

 

 律子は何か言いたげに口を開けたが諦めたように再び口を噤み、分かりました、と静かに答えた。

 

「律子警部、私もあまり時間がないようです。……もう行きますね」

 

 千早は俯きかげんにそう呟くと足早にその場を去ろうとする。律子はそんな彼女の背中を慌てて呼び止めた。

 

「あ、ちょっと一つだけ!」

 

「なんですか?」

 

「こんなこと聞くのも変だと思うかもしれませんけど……。この髪留め、この施設内で見覚えありませんか?」

 

 律子は先程ポケットに入れた髪留めを取り出すと振り返った千早の前にかざして見せた。

 

「私はそういった髪留めは使いませんし、所さんも髪留めなんて持ってないですし。……最上さんも仕事中にそういった飾りのついた髪留めを使ったりはしないと思いますけど。もしかしたら横山局長の物かもしれませんけど少なくとも付けていらっしゃるところは見たことないですね。……それがどうかしたのですか?」

 

「いえ、ただちょっと気になっただけですので」

 

「……そうですか。では」

 

 立ち去る千早を見送りつつ、律子は手元の髪留めを眺める。

 

──この事件、やっぱり引き下がれそうにないわね。……私が手に入れた反証の糸口はこれだけ、か。

 

 ふぅ、と大きくため息をつくと律子はその髪留めを握りこみ、拳を作った。

 




 試験が終わったのです。地獄の日々から解放され、作者は歓喜しています。
 というわけで更新。相変わらずの亀進行でもうどうすれば話が進むのやら。

 そしてここに来て律子再登場です。作者も当初出す予定じゃなかったので吃驚してます。でも本家キャラの出番は多いに越したことはないので嬉しいです。さてなんと一話を投稿してもうすぐで一年が経過しようというのに作中では二週間も進んでないという驚天動地。
 できれば一年経つまでにこの話を終わらせたいと思っていますので、頑張ります。

グリマスキャラ

 特に新キャラはいないですね。ただし猫登場。

如月千早(のギャグセンス)
 本当に謎ですね。でも普通に笑う千早は作中でおそらくこれが初出。下らないことで笑う千早は書いていて楽しかった反面、こんなところで爆笑する千早というレアシーンを使っていいのかと。そしてそのノリで千早にメタ発言までさせてしまっていいのかと。
 まぁ、最近重い話が続いていましたし。劇中劇ということを思い出してもらう機会にもなるかななんて思ってみたりもします。

横山奈緒
 どんどん自社の備品が破壊されていく苦労人となりつつあります……。割とボケキャラの部類のはずがシリアスボケの前ではツッコミに回るしかないみたいですね。

所恵美
 今回も引き続き豆腐メンタル。ぶっきらぼうなふりをする反面誰よりも周りに配慮し、女の子らしい一面を見せる彼女を見ているとついつい女の子らしさを際立たせてしまうのです。
 加えてアイドルとして芯のない自分について悩む恵美は作中の記憶のない自分について悩む恵美と被って見てしまうためか豆腐メンタルに拍車がかかっていきますなぁ。

こぶん
 猫。分かる人なら一発で分かってしまうでしょうね。飼い主は一体誰なんだ……。

秋月律子
 どことなくポンコツ感も出てきて作者も満足です。彼女が手に入れた髪飾りとは一体。

その他設定

警察機構について
 組織図はまだあんまりちゃんと固まってない部分もありますが基本的には系帝警察庁がトップにあってその下に他の各惑星の警察庁がある感じですね。律子もこの系帝直轄警察庁から出向しているのは作中にも記載済み。律子がトップクラスのキャリア組というのもよく分かります。
 ちなみに系帝警察庁の本部は金星にありますが金星警察庁本部とは別物なので注意。
 作中にもあるように警察機構とGRDFは仲が悪いです。それも仕方のないところですね。GRDFはゼネラルリソース社のためならば違法行為も辞さず。警察が手を出そうにも金星軍部が裏で糸を引いている限り手出しするのは難しいといった感じですから……。
 圧力をかけられると警察もGRDF相手では完全にお手上げです。権威失墜もいいところですね。
 ちなみにブルーシートやテープを前時代的と律子が呆れていましたが、この時代それらは全てホログラムが役割を果たしています。資源の温存を目的に使い捨ての道具はこの時代どんどん減ってきてます。では物流や消費と供給といった社会の資金繰りはどうなるのかについてはとりあえずここでは割愛。

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