どことも知れぬ場所を歩いていた。
街道を歩き、港で船に乗った。
気付くと人の多い街へ出ていた。
意識を取り戻し、目の前の建物を見上げた。大きな門、猛々しい石像。首なしの石像。首のない状態でも違和感が無いのは元々素晴らしい石像だったからなのか。
開け放たれた門をくぐり、大きな廊下を進んでいく。
すれ違う人は皆興奮に満ちた表情で今日の試合がどうだった、次の試合はこう思う。そんなことを話していく。
大会や決闘。
この街は、ノードポリカ。
ギルド戦士の殿堂が運営する闘技場都市。
ほとんど意識のないままよくここまで来たものだ。帝都ザーフィアスからは程遠い場所だ。
「大会の参加者か?」
コロシアムの入口を眺めていると横から声をかけられる。
見れば体格の良い男が小さな扉を守るように立っている。
「参加者に、見えましたか」
掠れた声に自分で驚いた。自分の身にはそれなりに気を使っている。ここ十日ほど、誰とも口を聞いていなかったからか。久しぶりの言葉に身体が間に合わない。
声をかけた男も驚いたように目を見開き、訝しげにも心配げにも見える表情で彼女を見る。
「すみません。音に惹かれてこちらに来てしまっただけなのです」
「貴女は……、まさかイチトシ様ですか?」
「はい。イチトシは私ですよ」
関わったことのないギルドの人間に名を知られている。
不思議で仕方ないが扉を守る男の姿勢は丁寧と言って過言ではない。きっと良識も兼ね備えているだろう。
帰ろうとした足を止め、振り向く。
「統領(ドゥーチェ)ベリウス様より、貴女が来たらお通しするよう仰せつかっています。どうぞ中へ」
守っていた扉を開き、中にイチトシを招く彼は酷く真剣な顔をしている。冗談ではないと彼の表情が語る。
けれど、イチトシには統領に呼ばれる覚えがない。
貴族として暮らして十何年も経つ。ギルドに関わることさえ滅多にない。
統領ベリウス。古くよりこの土地を守り、闘技場都市を治めてきた戦士の殿堂首領。もちろん、関わったことも、見たことすらもない。
「私に何用でしょうか。私はまだ貴族たちに影響のある身。統領と呼ばれるギルドの重鎮とお話するのは」
『相変わらずじゃの。何、そなたの姿を見るだけじゃ。そこに居るナッツも他言はせぬ』
ただ単純に驚いた。
よく通る声とは違う。年老いた女性のような声だった。扉の先に人影は見えないが、声は確かに響いた。
ナッツ。統領にそう呼ばれた彼は先の言葉を肯定するように頷く。
信用に足るような物証も、時間もない。
「貴女は私のことを知っているのですか」
扉の奥に問いかければ優しげな声が返ってくる。とても敵対するなどとは考えられない優しい声。
『そなたの知らぬことを知っておる。話すことはできぬが、そなたもそれは望まないじゃろう』
「……少しだけで良いなら」
『すまぬの』
扉をくぐると長い階段が見える。今からここを登るのかと思うとつらい。
一歩を踏み出せば背後で扉が閉まる。
戦士の殿堂統領ベリウス。噂に名高きギルドの重鎮。
一体どんな方なんだ。
この日はイチトシの世界に少しだけ色が継ぎ足された日となった。