彼が落ち着かない。
持ち帰った仕事を女性が進めている間、廊下を行ったり来たり。しばらく音が聞こえなくなったかと思えば今度は走ってどこかに出掛けては走って帰ってくる。
最終的に今、彼は女性の部屋の前で立ち止まっている。
足音が部屋の前で止まったのだから、部屋の前にいることは間違いないだろう。
彼が何をしているかは置いておくとして、このままふらふらされては仕事も疎かになってしまう。
扉を開けると扉をノックしようとしていたのか片手に拳を作り肩の位置まで上げていた。
「さっきからどうしたんだい?」
「あ、あの。今時間ある?」
「……珈琲でも淹れてこようか」
「ううん!いらない!お邪魔します!」
まるでいつもと別人。
彼は女性の脇を潜るように通り過ぎ、本人曰く座り心地のいいソファーへ座って女性を隣へ招く。
いつものように隣へ座る。
相変わらず落ち着かない様子で彼は視線を彷徨わせる。
「浮気したとか?」
「違うって! 何かある度にそれ言うの止めてくれない? ちょっと傷つく」
「何かあったの? ずっと落ち着いてないよね」
「あー、うん。えっとね。近々騎士がいっぱい送られる魔物掃討作戦があるんだ」
そうなんだ。
頷く彼女は知っていた。テムザ山の近くで行われる大規模魔物掃討作戦。大隊をいくつか動かして挑む作戦だ。
目標はとある人物の警護と、新魔導器の試験運転。そして魔物の掃討。
作戦自体は知っていても青年もその作戦に参加することは、知らなかった。
「でさ、それが遠征任務になるからしばらく会えないんだ」
「お仕事だからね」
「そう、で。でさ、帰ってくるまで時間があるんだけどさ」
落ち着かない様子のまま彼はポケットに手を入れる。
取り出したのはいつかプレゼントしたペンダントが入っていたのと同じ黒い箱。だが、大きさは今回のものの方が幾分か小さい。
正方形の黒い箱は手のひらに乗るサイズ。
「帰ったら、帰ったら結婚してください!」
ここで箱を開いて指輪を見せるのを忘れるところが何とも彼らしい。
思わず笑う。
いつものような笑い声に青年が顔を上げる。耳まで真っ赤にした彼の顔を見て、彼女はまた笑う。
「結婚しても、私は恐らく忙しいままだ。男性と関わることも多い。それでも良いなら、よろしくお願いします」
「いや、忙しいのは俺もだし。え? あ、よろしくお願いします!」
ゆるりと差し出された片手を両手で包み込み、青年は顔を真っ赤にしたまま満面の笑みを浮かべる。良かった、と笑う。
青年が笑ってくれるなら。
いつか言ってしまった守るという言葉。出来ることなら実行したい。この子の笑みを守りたいから。
自分に幸せを教えてくれた彼に、幸せになって欲しいから。
彼の頬に手を添え、そっと額に唇を落とす。
「無事に帰ってきてね」
「う、うん。でさ、結婚式に呼びたい人、考えといてね」
箱の中の指輪を女性の指に通し、青年は彼女を抱きしめる。
「幸せにするからね!」
「ありがとう」
首元に顔を埋める青年の背中へ腕を回す。
帰ってきたら色々お祝いだ。そう言って笑う彼女の左手にはシルバーの煌き。
任務から帰ってこれば、彼の左手にも嵌められる輝き。
「こいつ、持ってくから」
彼が触れるのは彼女にプレゼントされたリヴァヴィウスの指輪。
「じゃあ、お互いに寂しくないね」
彼女が触れるのは彼にプレゼントされたリヴァヴィウスのペンダント。
互いに互いの存在を想うことはできる。ただそれでも寂しいから。
「帰ってくるよ、だから覚悟して待っててね。イチトシ」
「心して待ってるよ、だからちゃんと帰ってきてね。ダミュロン」
そうして彼女の家をウキウキとした足取りで青年、ダミュロンは出て行った。
女性、イチトシはその姿が見えなくなるまで玄関先で見送っていた。
帰ってきたら夫婦だ。
そんな思いを、胸に抱いて。
そして彼は彼女の元へ帰ることはなかった。
いくら待っても、どれだけ探しても。
彼女に届いたのは『ダミュロンという騎士は戦死した』という訃報だけだった。
そして彼女の世界は一変する。
彼女の世界は色も温度もない、かつての世界へと戻っていった。
彩りの消えた世界で、彼女はひとつの誓いを胸に旅に出る。
"幸せ"を、探す旅に。