どうしてこうなった。
青年は男と並んで歩きながら呆然と考えていた。失礼なことをした覚えはない。否、彼の娘であり次期ルディアース当主と付き合ってはいる。
騎士に入る前は不真面目なことばかりやらかしていた自分のことだ。そういう意味での覚えなら数えきれないほどある。だからといって大貴族と、今付き合っている彼女の父親と並んで歩くなど恐怖イベントに他ならない。
緊張しすぎて肩や腰は悲鳴を上げている。
今どちらの手を出してどちらの足を出したのかさえ意識する。
「そんなに緊張するかね」
「そりゃも、いえ! そんなことないです」
加えてルディアースの現当主と言えば厳格で剣の達人としても有名だ。過去に彼を襲った賊は一人残らず彼自身に叩き伏せられている。
本当かどうかも分からない噂だらけの大貴族。
今更ながらそんな貴族の娘といるんだよな。
青年は悲鳴を上げる背筋を伸ばしながら前を見やる。
街を案内してほしいという名目で隊舎から連れ出されてからというもの、とりあえずめぼしい所を案内してはいるが反応は一切ない。
「アトマイス君、僕はファリハイドで君の良い噂を聞いたことがない」
やはり。
ルディアース当主はファリハイドでの評判を知っている。
それもそのはずだ。ルディアースが本邸を構えているのもアトマイス家と同じファリハイドなのだ。
そういえば、綺麗な跡取りが居るといって侵入しようとしたこともあった。思いの外厳重な警備でかなわなかったけど。
もしもあの時に出会っていたらどうなったのだろう。今のようになれたのだろうか。
「だが、彼女の幸せそうな顔は初めて見たんだ」
「幸せ、そう?」
「彼女から聞いたかもしれないが、私たちに血の繋がりはない。一昔前に傷付いた無表情な女の子を拾った。彼女は笑い方も泣き方も知らなかった」
まるで人としての記憶を持っていないかのようだった。
ルディアースは溜息をつく。
今思い出してもひどいものだ。泣くという本能すらない彼女はどれだけ大きな傷を負っていても、痛くても、表情を変えることすらしなかった。
妻と二人がかりで笑うこと泣くこと怒ることを教えた。
彼女は必要な時に笑い、必要な時に怒った。知識として知ったから。
だから彼女が無意識に笑ったところなど見たことはない。
けれど、君と居るときは違うようだ。
ルディアースは笑う。君と居る時の娘はとても幸せそうに笑う。
「君は遊びのつもりじゃないんだね?」
「もちろんです」
「いつ結婚するんだい?」
「今準備……え!?」
「準備中か、何か不都合が起きたら私に言いなさい。大事な娘の結婚式だ。邪魔があれば何があっても消してあげよう」
突拍子のない問いかけ、思いもよらぬ言葉。
青年は足を止めたルディアースを振り返る。彼は笑っていた。厳格な大貴族などどこにもいない。
ただ一人。娘の幸せを願う父親が笑っていた。
言っていることの規模は大きく、おそらく彼はそれを実行するだけの力も持っている。
けれど一人の父親だった。
青年が力強く頷いたのを確認し、彼が笑う。
「ああ、そうだ。無いとは思うが君が娘を悲しませたり、不幸せにしたら……分かってるね」
「必ず、必ず幸せにします!」
「よし。じゃあそろそろ戻ろうか。仕事中に呼びつけてすまなかったね」
楽しくはない。極度の緊張の中におかれた帝都観光は、楽しくなくても暖かくなるような時間だった。
昨日探しに行ったとある物。これから必要となる物を思い、笑った。
きっと彼女はあれを見せると驚きながらも笑ってくれる。
笑って、迎えてくれるんだ。
思わず頬が緩むとルディアースが隣に並ぶ。
「そうなると君が息子か」
「お義父さん!」
「しかしその呼び方は禁止だ! 娘以外に父と呼ばれるつもりはない!」
「えぇー」
面白かった。父親とはこういうものなのか、と感じた。
貴族らしくあれ、家に居ろ、正しい言葉で話せ。
貴族の中の父親は貴族らしくあることだけを考えているものだと思っていた。現にアトマイスの当主は青年に貴族らしさを問うた。言うことを聞くことは無かったが。
父親というものを気にした時期もあった。
だから、青年にとってここから騎士隊舎までの帰路はとても楽しかった。
「君に、一つ失礼なことを言わせて欲しい」
隊舎の前で、ルディアースは足を止める。
青年が振り返れば申し訳なさそうな顔をした男が見つめていた。
「君は良い子なのだろう。それこそ娘の選んだ人にケチを付けるつもりはない。けれど、僕は、アトマイスが嫌いだ。アトマイスだけじゃない。大半の貴族が嫌いだ」
娘と一緒になるというなら、きっとアトマイス家はルディアースに取り入ろうとするだろう。
娘はきっとそれを分かっている。
けれど、君は?
問いかけられ、青年は言葉を飲み込んだ。
考えていなかった。自分と家のことなど。最近は自分が貴族であることも忘れていることが多い。だから家名がどれほどの力を持っているのかも、自分が目上である貴族と一緒になるということが家に何をもたらすかも、考えなかった。
「僕は貴族の典型とも言えるアトマイスが嫌いだ」
「……。俺は」
家に良い思いはない。
けれど恩はある。
「俺は、それでもあの人と一緒に居たいと思っています」
ルディアースにどれだけ迷惑をかけるのだとしても。自分の家を危険にさらすのだとしても。
「ふ、あはははは!」
返事を聞いたルディアースは大声をあげて笑った。
それこそ、本当に貴族とは思えない笑い方だと青年は思った。
「悪かった。君を試させてもらった。僕は疑り深くてね、娘の言葉だけで信用はできなかった」
「信用に足る言葉でしたか?」
「充分だ。アトマイスのことを君が心配する必要はない。君は娘を幸せにしてやってくれ」
頭に手を乗せられると、目頭が熱くなった。
何故泣きそうなのかわからなかった。認めてもらえたからか、家を気にしなくて良いからか、父親が出来たからか。
彼女の両親はファリハイドへと帰っていった。父親は娘との離別をひどく悲しみ、母親はそんな父親を引きずっていった。
彼女に「何か良い事あった?」と問われ、良い両親だなと返すと私の両親だからともっともな言葉が返ってきた。
良い両親だった。良い両親ができた。
「幸せにするから」
「? うん、よろしくね」
手をつなぐと、彼女は幸せそうに笑った。