ただひとつの存在だけ「前回」の記憶を持って。
「元居た場所に捨ててきなさい」
玄関で仁王立ち、更には腕まで組んだ執事に彼女は腕の中の小さな毛玉を少し強めに抱いた。それは散歩にと出かけた帝都の外で見つけた小さな命。
街道から少し外れた場所で雨に濡れながら彼女に駆け寄り、身体を震わせながらも決して離れなかった。怒られることが分かっていながら連れ帰ったがこんなに怒られるのか。
面倒は見れる。そう言うと面倒を見るのは誰だと思ってるのか、と返ってくる。雨の中捨てたら可哀想だ、死んでしまうかもしれない。そう言えばそれが自然な姿だ、と返される。
それは確かにそうだけど。
なんとか言い負かそうと目の前で必死に言い訳を考える主人。執事は改めてその姿を見た。雨の中、小さな命を拾ってからは傘もささずに帰ってきたのだろう。灰色の髪からは雨粒が垂れ、外用の服も水を吸って色を変えている。
「それの扱いはともかく、お風呂に入って着替えてください。お身体が冷えます」
「勝手に捨てない?」
互いに何歳だと思っているのか。ため息が先行する。
「捨てません。その……猫らしいのもお湯で洗って乾かしておきますから。寄越してください」
主人の手から取り上げた紅く小さな姿。首根っこを掴めば体は力なく垂れ下がり二本の尻尾から滴が落ちる。
じゃあ、捨てないでね。
何処までも子供のような言葉を吐いて主人は風呂に向かい、残された執事は猫を洗面台に連れて行く。
お湯をゆっくりとかけても猫はただ静かに座り、執事を見上げる。
「言葉は通じていますか?」
体に付いた泥を洗い流しながら猫へと声をかける。にゃあ。と鳴いた猫は瞬きを返す。
「一体何者ですか、貴方は。私たちとも違う。もちろんただの猫でも無い。魔術は」
ぽっ、と前触れなく猫の目の前に小さな炎が現れ消える。蝋燭ほどの大きさの炎だが、蝋燭はもちろん火をつけることが出来る道具は洗面台にない。
体に付いた泡を最後に流して、執事は小さな猫の顔をそっと撫でる。
「あの方に付き従い、護ってくれると言うならこの場所に置いてもいい。そうでないなら今すぐ去りなさい」
赤の猫は身体を拭かれながらジイへ強い視線を向けた。きっと立ち去らないのだろう。あの主人は妙な物ばかり集める。これも、自身を守る盾としてではなくただ拾っただけなのだろう。
行き倒れを平気で拾い上げる当代ルディアースに、似なくて良いところばかり似てしまう。もっとも武芸以外で当代を見習って欲しいところなど無いが。何故ああも良く無いことが似てしまうのか。
口に出していた愚痴は赤の猫がその肩に飛び乗りようやく鎮まる。可愛いという感情を抱くことはもはや無いが、せめて便利であれば良い。
あ、良いなあ。
主人には貴族である以上に女性であるという自覚も必要だ。バスローブ一枚で髪も乾かしきらず上がってきた彼女の姿に一人と一匹は揃ってため息をついた。