《完》[ToV]愛する貴方に   作:つきしろ

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第35話

 

 遅かった。

 

 イチトシは久しぶりのダングレストで久しぶりの酒を煽り呑んでいた。いつかドン・ホワイトホースと飲み交わした場所で、向かいにはアレクセイを従えて。度数の強い酒にアレクセイは眉を寄せる。

 

 いっそ今ある聖核を盗れないだろうか、穏便に。そう言った彼女が頼ったのはドンの孫、ハリーだった。だが、彼女が訪れた今、ハリーは笑って彼女を追い返した。聖核ならもう穏便に盗られたよ。そんな言葉を添えて。

 

 思い当たるギルドがひとつだけ。

 

「すごいなあ……。あの天才魔導師ちゃんが君に追いつく日は近いかな」

 

「そうだな、あの若さで行き着いたならば大したものだ」

 

「君の資料をあげてもいいけど……」

 

「ヘルメスの書を読み解いてからにしてくれないか……? あと少しなんだ」

 

「ふふっ、君はやっぱり研究者が向いてるよ。読んであげてもいいのに」

 

「答えだけをもらうのは嫌いだ」

 

 あはは。酔っているわけでもないのに彼女は酷く楽しげに笑う。酔っていてもこんな姿を見ることはなかった。声を上げて笑っていた姿を見たのでさえ数えるほどだった。まさしく過去見ていた姿とは『違う』彼女。凝視をすると彼女は机に肘を付き手のひらに頬を乗せて艶やかに笑う。こんな表情は昔はしなかった。

 

 だからこそ。

 

 好いた彼女とは別なのだと思えた。

 

 手元の酒を飲みきるとアルコールが喉を焼く。

 

「ダミュロンは良いのか」

 

 だから敢えてその名前が口を突いた。

 

 艶やかな表情は一瞬で消える。この方が彼女らしい。

 

「性格が悪い……」

 

 よく知ったイチトシの表情にようやくアレクセイも笑い、追加で運ばれてきた酒に手を付けた。

 

「魔導器を繋げた力だけで空のアレに勝てるのか」

 

「だけじゃないよ、大丈夫。始祖の隷長は君が想うより昔から世界を守ってるんだ」

 

 あの、大きな魔核みたいな力が協力していると思ってくれていい。

 

「次はどうする?」

 

「……魔導器がもしも無くなったらどうなる?」

 

「……。一言で言ってしまえば困るだろうな。柵のない街は魔物に侵入され、医療用魔導器と繋がっている人はおそらく命を失う。外で戦う傭兵ギルドは突然のことに反応できずそのまま魔物と戦うかもしれない。光照魔導器も光を失うなら夜に紛れた犯罪も増えるだろう。挙げればキリが無い」

 

「幸い私たちには貴族の力と、ギルドの力、そして――騎士の力がある」

 

 わずかに酒が回り始めて来たところでアレクセイは顔を上げる。

 

 貴族の力、ルディアースのことだろう。ギルドの力、イチトシ自身と海凶の爪、そして戦士の殿堂とのつながり。だが、思い当たらない力が一つ。否、思い当たりはするがそれは喪った力。

 

「調べは出した。アレクセイという騎士は、今のところまだ騎士団長だよ。噂程度流れているようだが……今まで見た景色をそう簡単には変えられないだろう」

 

「魔導器を捨てろとは言えないぞ」

 

「いいよ。少しでも被害を少なくするために動こう。幅広く力を持つ私たちに出来ることだ」

 

「ヘルメスの書は」

 

「空き時間に読んで。以前より自由時間はあるでしょ」

 

 まったくもう。呆れたようにため息を吐く彼女はまさしく出会ったばかりの頃の彼女。

 

 ああやはり、この方が落ち着く。

 

 彼にしか見せなかった笑顔を見せられたとしても、とても艶やかに笑いかけられても、こちらがいい。

 

「彼らがそちらに手を打つ前に、まずはザーフィアスに行こうか。頼むよ、閣下?」

 

 今までにしたことの無い呼称で呼ばれ、思わずそれ用の笑みを返す。

 

「任せておけ」

 

 道化は得意なんだ。

 

 そんな冗談を言えるくらいには元気になったんだ。頼ってくれ。言外の宣言にイチトシは器を返した。頼りにしているよ。

 

 

 程よく酔って乗った始祖の隷長の背中は馬車ほど揺れはなく、眠れそうなほどに心地が良い。体が沈む白の羽毛は暖かで滑らかで。

 

 アレクセイがイチトシの背を抱え、ゆっくりと目蓋を閉じた瞬間。珍しく乗っている始祖の隷長の羽音が乱れる。

 

「アレクセイ、落ちないように後ろを見て」

 

 背後の空が、割れていた。

 

 ひびは広がり、一本だけ見えていた破滅の姿はその全容を露わにする。夜空よりも深い色の中に、金色があった。

 

 あれが本体?

 

 金色はまるで人のような姿をしており深い闇に座っているようだった。

 

「あそこまで封印を解かれると困るな」

 

『眷属が、ノードポリカを目指しているようです。エアルの流れがいつもと違う、結界魔導器を無理に強めているような』

 

「アレクセイごめん。まずはノードポリカに行かせてもらうね」

 

 アレクセイの言葉を待たず始祖の隷長は向きを変える。向かうのはノードポリカ。視界をよぎった身体の大きな狐のような。一度頭を振れば消える幻に、イチトシは空を見上げた。

 

 青空を割って広がる深い色。

 

 イチトシの目に青空が染みた。

 


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