こんなに激昂している彼を見るのは初めてかもしれない。
目の前で魔術により巨大化させた大剣を振りかぶるジイを見ていた。普段、ジイはレイピアを使った補助と魔術に寄った戦い方をする。こんな、一撃必殺のような戦い方をする彼は見たことがない。
空に浮かぶエイのようなキモチワルイ魔物の核であろう球体を一刀の元に斬り伏せたジイはようやくイチトシを振り返り、失礼しましたと腰を折った。
「珍しいね、君が怒るなんて。今の魔物に想うところでも?」
「……貴方の知らない私の過去です。どうか気になさらないでください」
「うん、分かった。今までと変わらないのであれば問題ないよ。この羽根があるということは、今のはフェローの」
言葉は途中で遮られる。
先程のキモチワルイ魔物の声が近くで発生していた。
砂漠の真ん中で体力を消費させ、倒れさせるつもりか。挟み撃ちの状態で迎え撃たなければならない状況にもかかわらずイチトシは水筒の中の水を口に含んだ。
正直二体程度であれば問題はないが、もしもこれがフェローの羽一枚から作られたものだとしたら相手にしていてはキリがない。
「フェローは諦めてテムザの先に行くよ」
短い肯定の返事を受けて彼女は砂漠の移動用に買った魔物の背中に跨る。馬のようなそれは砂の上を長時間走ることのできる魔物。
ジイが炸裂させた水の魔法を合図に腹を蹴ればイチトシを背中に乗せた魔物は走り出し、後ろにジイが続く。エイのような姿をした闇色の魔物は移動速度がそれほど高くはなく、イチトシたちはオアシスまでの道を一気に駆け抜けた。
「フェローはよろしかったのですか?」
オアシスで移動用の魔物たちに休息を取らせていると水筒に水を詰めているジイがイチトシへ問う。武器の手入れをしていたイチトシはううん、とわざとらしく考えるふりをする。
「フェローはなんとなく答えを持っていない気がする。どちらかと言うとベリウスだよね。私に隠し事をしてる。私に関することだけじゃなくて、何か、あの子に関すること。フェローはただ……私たちを敵視して殺そうとしているだけな気がする」
本当のところは分からないからただの勘だけどね。
鋭い人だ。ジイは魔物たちに食べ物を与えてやりながら先程のイチトシの言葉を考える。
自分が我を忘れ、あの魔物に戦いを挑んだのはもちろん失態だった。だが、それ以上に常に冷静な彼女はより多くのものを理解しすぎる。それはイチトシが知らなくても良いこと。フェローのことも、ベリウスの隠し事も。
『ただの人』である彼女が知るには重すぎる。
そろそろ行くよ。イチトシの声にジイは魔物たちを優しく起こす。
向かうのはテムザ。かつて人魔戦争が行われたその現場。
そういえば現場を知らないね。その思いつきのように言われた言葉で向かっている。ギルドの管理はカイという青年に任せているため問題はないだろう。
思い付きの言葉、か。
自分の考えにジイは苦笑する。そんなモノではないと分かっているのに。
十年。彼女がその現場に足を運ぶために気持ちに整理をつけるためにかけた年数だ。決して思い付きなどではない。ずっと、テムザの地図は彼女の部屋においてあった。
その麓に立って足を止めるほどに、つらいと言うのに。
「イチトシ様、お手を引きましょうか」
話しかけられ、彼女は顔を上げてまっすぐにテムザ山を見やった。それは、かつて十年前の戦で戦場となった場所。多くの騎士や人が倒れ、死んでいった。
一歩を踏み出せば彼女を拒むように向かい風が吹き付ける。
だが意思を決した彼女は足を止めない。大きなクレーターがいくつも存在する山道にはもう何も残っていない。クレーター以外の違和感はもう何もない。
十年経てばそうもなる。大半の手がかりがなくなっているのは。
もっと早く来れれば。何か。あったのか。
山を中腹まで登った所で思わず足が止まる。鼓動と連動するように頭が痛みを訴える。耳元で鼓動がなっているかのように煩い。心臓が壊れるのではないかと言うほどに、早く動く。
大丈夫ですか。ジイの声にも応えられない。
この場所に彼らが来たから、この場所に現れたから、何もかも苛立たしい。自分から彼を『奪った』奴らがすべて。理不尽じゃないか。『今』を生きたいと願う彼らの、彼女たちの命を奪い何になるというのか。
一歩を踏み出した彼女の足に、硬い何かが当たる。
しゃがみ、手に取ったそれは傷ついては居るが銀色の箱。
箱の開け口であろう場所を押すとぎこちないながらも箱が開く。汚れた鏡に、荒れた化粧品。
「コンパクト……?」
かつてこの場所に住んでいた誰かのモノか。それとも、この場所で戦った――
「キャナリちゃん……?」
かつて彼と一緒に過ごしていた、綺麗な女性だ。彼と同じようにこの場所に来て、戦った。
コンパクトを大事にカバンへしまい込み、振り返るとジイが近くの魔物を相手にしていた。探索をするイチトシに邪魔が入らないように、だろう。
最後の一体を魔術を発動して消し飛ばすとジイが笑った。
ジイは、ずっと一緒にいる。『気付いた時』からずっと。ルディアースの家に仕えているわけではないらしいが、ずっと、ずっと。
もう、潮時なのだろうか。
この場所で聞くべきなのだろうか。
彼に関する、自分に関する、全てを。
全てを喪った、この場所で。
「ジイ」
声をかけると彼は笑って返した。
「君の、名前はなんて言うんだい」
その言葉にジイは無表情になり、手に持ったレイピアを下ろした。
その頃レイヴンたちはカドスの喉笛を越えようとしていた。闘技場都市ノードポリカからコゴール砂漠へ超えるこの洞窟が目的ではなく、闘技場都市でヨームゲンへ届けるはずの澄明の刻晶を奪った犯人を追ってきていた。
遺構の門首領、ラーギィ。
魔術を暴発させるような力を持つ何か、澄明の刻晶を求めるのに良い予感はしない。
足下が水に満ちた道を越え、ようとしたレイヴンたち。
彼は不意に片手を左胸にやった。
何か、違和感が。
ふわ、と空気が立ち上るようにパーティの髪の毛が揺れる。
「な、なにこれ!」
パーティの中でも最年少の少年カロルが慌てる。高濃度のエアル。紅い光となったそれはラーギィとレイヴンたちの間に立ちふさがるように満ち満ちてしまう。
「突破は……無理そうだな」
当たり前、と天才魔導師の声がする。高濃度のエアルは人体に影響を与える。
ナルホド。
レイヴンは左胸を庇うように手を置き、紅いエアルの向こう側へ視線をやる。見ればラーギィも胸のあたりを押さえている。
「(何でアイツまで……っ)」
突然、地面が揺れ竜が吹き抜けになっている部分から降りてくる。これがこの洞窟の強い魔物? ユーリの問いにカロルは違うと応えた。
竜は咆哮と共に頭を高く掲げる。
その口へ、紅い高濃度のエアルが吸い込まれ消えていく。
「嘘、エアルを、食べた!?」
天才魔導師リタの言葉が聞こえたのか、竜は落ち着いたエアルの中で視線を落とした。
見られてる?
その威圧感にユーリたちは体を固めた。これはマズイ状況だというユーリとは違い、レイヴンは体が動かないということもなくジッと竜を見ていた。
その竜が見ているのは明らかに――自分で。
『……無知とは愚かな』
語りかけられているのも、自分。
だが、その意味はわからない。
『あの方のことを何一つ知りはしないアナタが、あの人を想うことも、あの方に想われることも。自らを認めることすら出来ないような者が世界と戦うなど――出来はしない』
最後に別の者に視線をやった竜だったが、やはりレイヴンを見やった竜は入ってきた吹き抜けの場所から飛んでいった。一体何だったんだ。
ユーリたちが話し合っている中で、レイヴンは竜が消えた場所を見続けていた。
――あの方に想われることも
――自らを認めることすら出来ない
何なんだ。
まるで人のことを知ったように。
ムカつく。苛立つ。――恐ろしい。
そして、もう一つ。もし『あの方』という言葉が彼女を指しているのなら、何故あんな『化物』が彼女のことを知っている。何故尊敬するような言葉を使う。
分からないことが多すぎる。
――無知とは愚かな。
ユーリたちから離れた所で、舌打ちを漏らした。
(2017/01/22 00:05:48)