紅の絆傭兵団の首領バルボスが死んだ。聞けば「誰か」と共謀し、ギルド全体のトップとなろうとした。帝都で得た大型の魔核(コア)を設置した剣を武器に。だが、それだけか?
イチトシは首を傾げる。
ギルドのトップと吊り合うような取引相手が要る。帝国のトップになろうとしている人間? それとも帝国を裏で牛耳ろうとしている人間か。分からない、けれど。
「イチトシちゃん、おっさんの話聞いてる?」
ガスファロストでバルボスの最期を見届けた彼女はレイヴンに手を引かれるまま、ユーリたちよりも先に脱出をした。ダングレストへ向かう道中、魔物の相手をしながらイチトシに話しかけていたレイヴンはいい加減話を聞かないイチトシの腕を掴んだ。
引き止めるように強く掴んだつもりはなかったが、イチトシはハッとしたように強く左腕を振り払った。
振り払われた右腕を見つめ、レイヴンは驚きに言葉を失った。負の感情を持たないかのように怒ったり、荒だったりしない彼女が。
「……ごめん、なんだって?」
返された言葉もどこか、荒々しい。
彼女の逆鱗か、と観察するように彼女の左腕を見た。いつものように黒い手袋のされた華奢な左腕。
「だから、何でイチトシちゃんがあんな場所に来たの。それも一人で」
気づかないフリをした。けれど、彼女は隠す気もないのか、レイヴンの見る初めての不機嫌を散らしたまま押し黙ってレイヴンの前へと歩み出た。
通りに出る魔物はまるで居ないものかのように無視をするか、一撃のもとで気絶をさせられる。
左腕に触れただけで、こんな。
話しかけることもはばかられる雰囲気に、結局レイヴンはダングレストに着くまでこれ以上言葉を発することが出来なかった。
ドン・ホワイトホースに面通しを依頼しているイチトシの隣を通り抜ける時でさえ、緊張してしまう。
「レイヴン」
背後から名を呼ばれて、振り返った。
「ごめんね。……ありがとう」
何が。
「君の心配は、素直に嬉しい。だから、あんな対応をしてごめんね。心配してくれてありがとう」
そうして浮かべた笑みはいつもの笑みで、レイヴンもまたいつもの笑みを返した。やっぱり女性は笑ってなきゃ。
ドン・ホワイトホースの帰着を待ち、イチトシはレイヴンと共に報告を済ませた。バルボスの末路、発言、紅の絆傭兵団の様子。反対にドンからは街の状況について知らされる。
事の発端となった帝国、評議会の奴は同じく帝国の騎士に捕まったということ。そもそも何があったのか。
「……それは、ア――」
開きかけた口を閉じる。それはこの場に在ってはならない情報。自分が持ち得るはずのない情報。ギルドでは不必要なはずの情報。
「おい、イチトシ。何があった」
ドンに話しかけられ、左腕の痛みに気づいた。気づけば右手で力の限り左腕を握っていた。そこにあるのはただただ黒い手袋。そしてその下にあるのは。
「何も、ない。ガスファロストにも残されていなかった。うん、まだ私は振り出しに居るよ」
ケロリ。
その笑いが気に食わねえ。
決めつけたような言葉に、決めつけた意志。
「てめえ、いい加減自分で立ったらどうだ」
決めつけているから、閉ざしている。閉ざしているから、届かない。一発殴りでもしたら反応が得られるだろうか。物は試し。
ドンが不穏な空気とともに椅子から腰を上げると同時に、部屋の扉が勢い良く開かれる。
「イチトシちゃん!」
ドンの妙な気遣いが炸裂する直前。レイヴンが扉を開けた。
息を切らし、両手を、紅く濡らして。
イチトシはそんな景色を"知らな"かった。
「冗談だろう?」
ルディアースが書類を片付けながら使用人の言葉を疑った。
有り得ないと思っている言葉を鵜呑みにするほど、馬鹿ではない。と自負している。自分を殺しに来た帝都の亡霊を冷静に分析できるほどなのだ。
だが、だがそれは。
「アイツが……? っ、イチトシは、あの子は!」
声を荒げ、椅子から立ち上がり机を叩いた。
バン、と大きな音が響いた。
目の前で崩れ落ちた執事服のソレに気を取られた一瞬。
たった一瞬。
バン、と大きな音が響いた。再び。
熱い。そう、どうしようもなく胸が熱かった。視界が暗転する。思い出したのは最愛の妻でも、これまでの功績でもない。
ただ、愛おしい――
(2016/01/31 22:02:55)