《完》[ToV]愛する貴方に   作:つきしろ

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第17話

 

 仕事で何度か帝都を訪れる機会があった。イチトシはその度に大量の菓子を買っては下町の宿に置いていった。直接的に金銭を渡すことは出来ないから。いつもの笑顔を浮かべてそういう彼女の好意を下町の人は歓迎した。イチトシのことは昔からよく知っていたからだ。

 

 えせ貴族の、女性として。

 

 ギルドの一人であることは隠していたが下町の人はいつだって笑顔で彼女を迎え入れた。

 

 彼、ユーリ・ローウェルもそんな下町の住人の一人だった。

 

「こんにちは、ローウェルくん?」

 

「ユーリで良いって。また来たのか。アンタたちも物好きだな」

 

 お菓子の袋から適当に取って軽く投げて渡すとユーリは片手で受け取る。いつもどおり。違うのはユーリの額に傷があることくらいか。

 

 また騎士に喧嘩を売ったの。イチトシの言葉にユーリはいたずらっぽく笑った。

 

 ジイに目配せをすると彼は片手をユーリへ向けた。ジイの手から放たれた柔らかな緑の光がユーリの傷口を包み、傷口は綺麗に消え去った。

 

「君も武醒魔導器を持っているでしょう?」

 

「あー魔術とかそういうのは苦手なんだよ。ありがとさん」

 

 じゃあ散歩でもしてくるかな。宿酒場を出て行くユーリと入れ違いに、青い毛並みの犬が堂々と店の中へ足を踏み入れ、イチトシの足下で座る。シャープな頭をイチトシへ向ける。

 

 歴戦の。そんな言葉が似合いそうなほどに凛々しい犬。

 

「やあラピード」

 

 声をかけるとウォン、と勇ましい声が帰ってくる。

 

 彼の名前はラピード。ユーリと共に暮らす『ただの』犬、らしい。

 

 イチトシが頭を撫でると目を細めて喜ぶ、こんなところは確かにただの犬だが。

 

 視線の配り方に警戒の仕方、ユーリと共に動いている時の警戒の仕方。ただの犬には出来ない芸当だ。それが出来るのは、軍用犬。青毛の軍用犬と聞いて覚えている心当たり。けれどイチトシは決してそれをユーリとラピードの前で口に出したりはしない。

 

 意味が無いことだ。

 

「おや、どうしました?」

 

 不意にラピードはジイの燕尾服の尾と言える部分を軽く咥えて引っ張った。座ったまま引っ張っているからどこかに付いて来てほしいわけではないだろう。

 

 理由を問うばかりのジイに、イチトシは笑った。

 

「確か保存食を買っていたよね。その匂いじゃない?」

 

 ジイの腰元にある口の閉じた巾着からの匂いを当てたのならば随分鼻の利く子だ。引き込みたいな。

 

 ジイから手渡しで保存食にとかった贖罪を分けてもらっているラピードは不意に顔を上げた。邪な考えが伝わってしまったかな。イチトシの考えも気に留めずラピードはユーリの後を追うように走り去った。

 

 あら、フラれた。

 

 ふざけた彼女の言葉にジイは笑った。私もフラれてしまいました、と。

 

「さて、運勝負といきますか」

 

 不意に、ジイがサイコロを巾着からふたつ取り出して片手に構え、もう片方の手に籐の編みこみで作られたグラスのようなものを構える。

 

 ああいいよ、イチトシの言葉を合図に彼はふたつのサイコロを籐編みの中へと放り、飲み口を下にするように机に置く。中でサイコロが転がる音が宿酒場に軽く響いた。

 

「私は半にしよう」

 

「では私は丁ですね」

 

 ジイが籐編みをどけるとその場にはふたつのサイコロ。

 

 どちらも一の目を上に向けている。思わずイチトシの眉間にしわが寄る。

 

「ピンゾロの丁……、嘘みたいな目だね。こうなると難題を言われるわけか」

 

「はは、そうでしたな。ピンゾロの丁、それなりの目で負けたならそれなりの依頼が出来る。その決め事をしたのは――」

 

「もちろん私だよ。分かってる。それで、ジイの望みは?」

 

 

 思ったよりも簡素な部屋だ。

 

 使われた形跡のないくらいに綺麗なベッドに腰を下ろしてイチトシはため息をついた。

 

 ここは騎士団長の私室。貴族出身でありながら自分の館を帝都に持っていないアレクセイ騎士団長は他の多くの騎士たちと同じように隊舎にある自分の部屋で寝泊まりする。それが今、イチトシの座る場所。

 

――では、騎士団長閣下の真意を聞いてきてください。

 

 ピンゾロの丁をはじき出した彼女の部下からの依頼だ。

 

 月一の賭け事で互いに依頼を出してみよう。

 

 気まぐれの言葉がこんなことをやらされる羽目になるとは思わなかった。逢魔が時、人の目が最も働かない時間を見計らって隊舎に忍び込み、この部屋に入り込んだ。窓は閉まっていたが問題はない。

 

 寝て待ってもいいが、そう思ったところで勢い良く扉が開く。

 

 見えた剣のきらめきに笑いかける。

 

「斬らないでね、アレクセイ」

 

「っ、イチトシ……? なぜ、君がここに」

 

「うーん、ジイとの賭けに負けてね。もし、嫌でなければ少し話をしよう?」

 

 武器から手を離し、アレクセイは困ったように笑った。君はいつでも唐突だな。昔と変わらない言葉は複雑な響きを持ってイチトシの心を震わせた。

 

 アレクセイは慣れた様子で茶菓子を用意する。

 

 饅頭と、茶。

 

 いつかの話を思い出し、イチトシはまだ貴族としてアレクセイと話をしていた時のように、茶に手をつけた。

 

「ギルドを、作ったそうだね」

 

「うん。夜駆け鼠って言うんだ。騎士団から色々借りてるよ、ごめんね」

 

「知っている。……正直、機密情報をああも簡単にとられると自分の不甲斐なさを痛感するよ」

 

「あはは、ジイは慣れてるからね」

 

「やはりジイか」

 

「ジイか私だよ。カレンには外の仕事を任せてるから。……君は、随分やり方を変えたね」

 

 アレクセイの手が止まる。優しさの暖かさを無くなった冷たい瞳が正面からイチトシを見やる。イチトシは相変わらずの笑みを浮かべたまま言葉を続けた。

 

 一言だけ。

 

 帝都の亡霊。

 

 それだけを言って再度カップに手を付けると、強い力で机が叩かれる。

 

「私はどうしたらよかったと言うんだ!」

 

 お茶が溢れなくてよかった。ノンビリとしたイチトシにアレクセイはまた苛立ちを募らせる。

 

「知らないよ。私だってずっと間違っている気がしてならない」

 

「っ。イチトシ、それを諦めてコチラに来ないか?」

 

「……」

 

 思いもよらない提案に今度はイチトシが動きを止める。

 

「アレク、セイ?」

 

 何を言っている? そう言わんばかりの声に、アレクセイが微笑んだ。

 

(2016/01/03 23:18:42)


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