IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完 作:鈴木_
院生試験当日、母親の美津子と一緒に日本棋院にヒカルはやってきた。
これから院生試験だと思うと、学校のテストより緊張してくる。
アキラに追いつくためには院生になり、もっと強くならなくてはならないと、意気込んでやって来るまではよかったが、まさか申し込み締め切りがすでに終わっていたのはヒカルも予想外だった。
偶然にも緒方が受け付けでごねて門前払いされる寸前のヒカルを見つけ、プロ棋士の推薦という形で試験申し込みを通してくれなければ、また次の申し込み受付を待つ羽目になっていただろう。
院生試験の受付を済ませ、廊下のベンチに座り自らの順番を待つ間、ヒカルはきょろきょろと見渡しては、棋院に来ている年配の老人や中年層の中から、たまに見る子供の姿を目で追ってしまう。
単に碁を打つ親に連れて来られただけの子供かもしれない。
しかし、試験を待つヒカルには、歳が低いような子供でさえ、棋院にいるというだけでヒカルより囲碁が強いように見えてしまうのだ。
――大丈夫です!ヒカルならきっと受かります!気持ちで負けてはいけません!
――さんきゅ。でも分かっているんだけど、もし落ちたら……
――初めから諦めては、本当に落ちてしまいます!自分を信じてヒカル!
耳元で佐為に励まされながらも、ヒカルは力なく頷く。
すでにプロ試験を通ったアキラと、院生試験をやっと受ける自分。
囲碁大会でアキラと対局し、ヒカルは自分の力の無さを思い知ったが、実際どれだけ力の差があるのか、こうして現実的に考えると果てしなく遠く、一種無謀のようにも思える。
遠いと分かっているアキラとの距離が、考えれば考えるほど、ヒカルはさらに遠くなる気がした。
――ところで、ヒカル
何気無い様を装っている佐為の声は、どこか浮き足立っている。
何言う前に目が物語る、というのはこのことだろうとヒカルは理解した。
口元を両手の袖で隠しながら、周囲を見渡す佐為の瞳は、この上なく輝いている。
――あの者と次はいつ打てるのでしょうか?
棋院に足を踏み入れたあたりから、そわそわと落ち着きがなかった理由はやはりそれか、とヒカルはげんなりした。
――知らねぇけど、時間が取れたら連絡くれるって帰りに言ってくれたじゃん。塔矢先生はお前と違ってすっげぇ忙しいんだから、いつでもどこでもホイホイ打てねぇんだよ!ワガママ言うな!
――ううっ……
――今の俺はお前と先生の対局より、これから受ける院生試験が大事なの!!
だいたい昨日の夜も、俺が院生試験前日なのにネット碁付き合ってやっただろ!、と試験直前で気が立っているヒカルは容赦ない。
第一、行洋が運良く棋院に来ていて、これまた運良く出会うことが出来ても、ヒカルから声をかけるのは不自然過ぎる。
初対面でもないので、ファンですとも言えない。
故に、ヒカルが出来るのは、すれ違い様、軽く会釈をする程度だ。
行洋の方も、ヒカルの姿に気付いても、声高に名前を呼ぶことはないだろう。
それを望んだのは他でもないヒカルなのだから。
佐為という幽霊の存在を信じてくれただけではなく、ヒカルがヒカルとして碁を打つのに支障がないよう佐為の存在を他言しないことと、今後も時間が取れたとき、佐為と内緒で打ってくれる約束までしてくれた。
これだけでも十分、恵まれ過ぎだと言える。
ガラッ、と。
試験を行っている部屋の戸が開き、ヒカルは振り返る。
「また次頑張ってきなさい」
部屋の中から落ち着いた壮年の男の声と共に、母親らしき人物に連れられて女の子が泣きながら出てきた。
聞こえた台詞と女の子の様子から、一目で試験に落ちたのだと察する。
自分があの部屋に入り、再び出てきたとき、あの女の子のように泣いているのか、それとも……
――ヒカル!
――お、おうっ!
持ってきた棋譜を片手にヒカルは椅子から立ち上がる。
「がんばってね」
「うん」
励ましの言葉と共に、部屋の外で待っているという美津子に手を振って別れ、ヒカルが室内に入ると、部屋には試験官と思わしき男が1人、碁盤の前に座っていた。
「次は、進藤ヒカルくんだね。そちらへ座って」
促されるまま、ヒカルは碁盤の前に正座し、その斜め後ろに佐為が腰を下ろす。
緊張で萎縮しながら、ヒカルは小さく会釈した。
「よろしく、お願いします……」
「そんなに緊張しなくていいから、リラックスして実力を思う存分出すように」
慣れた様子で試験官は言うが、判定する側ではなく、される側にリラックスしろというのは、無理難題だろう。
「では打とうか」
ヒカルの受付表に目を通し終えたらしく、ファイルを脇に置き、試験官が開始を告げた。