IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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番外3 アキラ

お互いプロとして対局した大手合を境に、ヒカルとアキラは行洋の碁会所でたまに打つようになった。

公式手合いで打ったお互いの対局検討が主だったが、実際に2人で対局したりもする。

当然、一般客である北島たちがヒカルとアキラの対局を傍で観戦することも多いが、稀に観戦者無しで打つときもあった。

北島のように昔からの顔馴染みであれば別だが、中学生とはいえ、正式なプロ棋士2人が真剣に打っている姿は、一見して近寄りがたいほど凄みがある。

行洋が経営するこの碁会所に顔を出すようになって日が浅い客では、傍で観戦するのはどうにも気が引けた。カウンターで受付をしている市河も、それが分かっているから客達に強く観戦を勧めたりはしない。

 

そんな観戦者が1人も周囲にいない状況で、碁会所の隅でヒカルとアキラは対局していた。

お互いが負けず嫌いであり、何より対局相手はライバルと認識している。

公式手合いであろうがなかろうが、絶対に負けたくない。

けれど、対局も中盤に差し掛かった頃、膝の上に置かれていたアキラの手のひらが、ピクリと反応する。

 

今、一瞬だがヒカルの打った一手が誰かと重なった。

ヒカルと二年ぶりに打った大手合の対局でもアキラは感じたが、ヒカルの棋風は確かにsaiに似ている。

打ちながらヒカルの打つ碁にsaiの影が何度チラついたかすら分からない。

先ほどのヒカルの一手に感じた違和感も、またいつものようにsaiの影がチラついたのかとアキラは思ったが、その石を眺めれば眺めるほどsaiでは無い気がしてくる。

saiでなければ誰なのか。

アキラが違和感を覚えたというからには、アキラの知っている誰かだろう。

少し前の手順から、丁寧に反芻しながら影の正体をアキラは追う。

 

「塔矢?」

 

長考するような場面でもないのに次の一手を打とうとせず、目を細め考え込んでしまったアキラに、ヒカルは顔を碁盤から上げた。

 

「ここの一手……似ている?」

 

ヒカルが打った一手をアキラが指差す。

独り言に近い呟きだった。

自分の一手がまた佐為に重なりでもしたのか、とヒカルは思い、

 

「saiなら知らねーぞ」

 

アキラが何か言い続ける前にヒカルは否定した。

佐為に棋風が似てしまうことは、今更どうしようもない。

ヒカルが碁を始めた時からずっと佐為から碁を学んできたのだから、棋風が似通ってしまうのは致仕方ないことなのだ。

だが、佐為を知らないアキラには知らぬ存ぜぬを突き通す他ない。

 

「違う。saiじゃない。これは……」

 

アキラの脳裏に知っている棋士たちの顔が巡る。

影の主はよく知っている棋士だ。

この打ち方をアキラは幼い頃から見てきた。

塔矢門下の誰かではない。

もっと、自分に近い。

 

(僕?違う。影の主は僕じゃない。これは……)

 

アキラの脳裏に浮かんだ最後の人物が、ヒカルにチラついた影にピタリと重なった。

 

「お父さ、ん……?」

 

言いながら、最後の部分が疑問系になった。

顎に手を当て、じっと考え込む。

何故、ヒカルと接点が全く見当たらない行洋が思い浮かんだのかアキラ自身分からない。

どちらかというと、行洋よりアキラの方がヒカルと接点があり、偶然似たような打ち方になってしまったと考える方が説明がつくし、説得力もある。

しかし、ヒカルの一手はアキラを飛び越え、行洋に辿り着いた。

 

「えええっ!?」

 

アキラが口にした人物にヒカルは素っ頓狂な声を上げる。

 

「うん。これはお父さんだ」

 

理由は分からないが、アキラは影の主が行洋であると確信する。

幼いころから毎日欠かさず打ってきた相手だ。

父として、そして棋士として誰よりも行洋を知っているとアキラは自負している。

 

「進藤、君のこの打ち方、何でお父さんに似ているんだ?」

 

「何で!?何でって何でいきなり塔矢先生の名前が出てくるんだよ!?そっちの方が何でだ!!」

 

「君にsaiの影がチラつくのはしょっちゅうだし、この際、今はいい。だが、何でお父さんに重なるんだ?saiではなく僕のお父さんが!」

 

「そんなん俺が知るかよ!最近塔矢と打ってるから、それで塔矢先生の打ち方と似通ってる部分が俺にうつったんじゃないないのかよ!?お前、ガキの頃から塔矢先生と毎日打ってるんだろ!?」

 

「そうだ。今朝もお父さんと打った。毎日打っている僕だからこそ分かる。これは僕じゃない。お父さんだ」

 

アキラがビシリと断言する。

こっそり人目を忍んでだが、行洋とはたまにヒカルも指導碁を打ってもらっている。

もちろんアキラは知らないはずだ。

その為、ヒカルの打つ碁に行洋の棋風が漂ったのかもしれないと、ヒカルは動揺しながらも推察した。

 

だが、行洋の気配が漂ったのだとしてもごく僅かなはずだ。

アキラが行洋と毎日打っているように、ヒカルは佐為と毎日打っている。

それこそ一日も欠かさずに、時間があればいつでも。

たまにしか打たない行洋の影など、佐為の影に覆われ、殆ど隠れてしまうだろう。

それを微かであろうとも見逃さず、一発で行洋と言い当て、かつ確信しているように言いきるアキラの自信はどこから来るのか。

 

(あー。確かにこの打ち方、言われてみれば行洋殿っぽいですねー)

 

2人の対局を静かに横から見ていた佐為が、閉じた扇を口元に寄せ、うんうん頷きながら他人事のように述べる。

 

(塔矢先生っぽい!?どこが!?)

 

(ここの受け方、前回会ったときに行洋殿が打ってましたよ。すごい偶然ですね。この角の並びは、あのときの石の模様に似てますよ)

 

「マジで!?」

 

佐為の指摘にヒカルはアキラの前だということも忘れて声を上げてしまった。

特別、行洋を意識していたわけではない。

 

けれど改めて今打っている盤上と、前回行洋と打った対局を思い出し比べてみれば、佐為の言う通り確かに似ている。

幸か不幸か、ヒカルは一度並べたり見た対局は覚えてしまう特技があった。

違うのは似ている石の並びの部分が、ヒカルから見て左上か右下かの違いくらいだ。

 

「進藤」

 

ヒカルをアキラが睨む。

 

「知らないっ!俺は何も知らない!」

 

アキラが話している途中で遮り、ヒカルは首を横に振った。

行洋との間柄を話すわけにはいかない。

6冠のトップ棋士が誰にも内緒で隠れて誰かと碁を打っていたこともだが、対局やイベントで多忙を極める行洋が、わざわざ時間を作ってまで打つほどヒカルを特別扱いしていたことが世間に知られれば、大変なことになることくらいヒカルにも分かる。

行洋とヒカルを繋ぐ佐為の存在を秘密にすればするほど、行洋に特別視されるヒカルへ注目が向くことだろう。

ヒカルの中の佐為に薄々感づいているアキラであっても、そう簡単に話せる内容ではない。

特にアキラは行洋の息子だから、佐為のことと行洋とこっそり打ってましたなんて話した日には、内緒にしていた行洋に勢いアキラが噛み付きそうだと冗談ではなく本気で思う。

 

ヒカルの窮地に佐為がどう助け船を出すのが自然かと思案する。

この場合、ヒカルが何かボロを出したわけではなく、アキラの勘が鋭過ぎた。

佐為ですらアキラが言うまで打ち方の相似に気付かなかった。

常に佐為が傍にいることで、独力で碁の勉強をすることでありがちな変な癖も付くことがなかった。

全くの素人だった頃から佐為が丁寧に指導したことで、ヒカルは教えられたことや上手いと思った相手の打ち方を素直に吸収する。

それはたまにしか打たない行洋であっても、指導された碁をヒカルは無意識に、そして貪欲に自分の碁の中に取り入れてしまう。

そのお陰でヒカルは碁の上達が早く、碁を覚えてたった二年でプロに受かることが出来たのだが、アキラ相手では裏目に出てしまった。

 

 

(行洋殿の棋譜ばかり並べていたとでも言い逃れては?)

 

佐為のアイディアに藁を縋る思いのヒカルは飛びついた。

 

「あっ!わかった!ここずっと塔矢先生の棋譜ばっかり並べてたからだ!」

 

「お父さんの棋譜を並べてた?」

 

「そうそう!だって塔矢先生、来月から始まる本因坊も取ったら7冠だろ!?気になるじゃん!今やってるリーグ戦も観戦しに行こうかなーなんてさ!」

 

佐為のアイディアにヒカルもそれらしい理由をこじつけて、どうにか誤魔化そうと試みる。

そんなヒカルにアキラの無言の視線が突き刺さり、背中を嫌な汗が伝う。

もしもこの先、アキラに佐為のことを話すときが来たなら、きっとこの日のことをつっこまれネチネチしつこく言われるんだろうな、と憂鬱になりながら。

 

「塔矢先生勝つといいなー」

 

ヒカルが己の打ち筋から、行洋の7冠に話題を逸らそうとすると、アキラの声は抑揚なくヒカルをばっさり切り捨てた。

 

 

「進藤、君はえらくお父さんの肩を持つんだな。君がそこまでお父さんの応援していたとは知らなかった」

 

感嘆すべき観察力と洞察力だろう。

そうきたか、と佐為も思わず目を見張った。

いくら行洋がアキラの父とはいえ、ヒカルとは世間的に全く繋がりがない二人だ。

ファンだと言うのも、今更白々し過ぎる。

だが、アキラのこの鋭さと勘の良さがあってこそ、ヒカルの中の佐為に気付けたのだろう。

 

(ひうっ!もうなんだよ!誤魔化そうすればするほど、つっこんで来やがって!)

 

言えば言うほどアキラの視線がキツくなるばかりで、ヒカルは逃げ腰になった。

 

「進藤、saiのほかにもまだ他に隠していることがあるのか?」

 

「saiなんて知らねえし、他も何も隠してねえよ!!」

 

「言え!」

 

「ねぇもんは言えねぇだろうが!」

 

いきなり立ち上がったアキラが、碁盤を挟みヒカルに詰め寄り、ヒカルも半ば逆ギレ状態で応戦する。

さすがにお互い商売道具の手を上げることはなかったが、それまで静かだった碁会所の一角で始まった喧騒に、少し離れて様子を伺っていた客と、カウンターの市河はまたかと早くも見慣れた光景に、大きな溜息をついた。

 


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