IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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ゴールデンウィーク。

岐阜の水明館で行われる日本棋院主催の囲碁ゼミナールに、ヒカルはプロとして初めての指導碁要員として参加することになった。

開催する棋院側のスタッフもだが、参加する一般客も水明館に一泊二日で泊まり、指導碁以外にもホテルの広間でプロ同士が対局しての大盤解説なども行われる大きなイベントである。

プロでも学生であるうちは、学校のある平日の仕事は学業を考慮して控えられるが、週末や大型連休のイベントではここぞとばかりに駆り出される。

 

ヒカルもその例外ではなく、朝早くから貸し切りバスに乗り込み、昼過ぎに会場に着くと、係員からスケジュール表を受け取り確認する。

 

――あ、緒方先生も来てる。イベントの合間にでも空いてたら、この前の対局の感想聞き行く?上手くいけば、検討とか出来るかも

 

――いいですね!是非!

 

イベントスケジュール表に緒方の対局を見つけ、ヒカルと佐為が目を輝かせる。

アキラとヒカルで一度検討しているが、やはり本人同士で検討するのでは話が違う。

もっとも佐為の代弁をヒカルがするだけで、上手く言葉を誤魔化しながら検討しなくてはならなくなるのだが、そこは仕方ないと割り切るしかない。

 

一度部屋に行って荷物を置き、相部屋の2人に挨拶すれば、少し休憩を取ってから指導碁の時間になる。

2人から3人を相手に同時に指導碁を打っていく。

ヒカルは指導碁に慣れているわけではなかったが、1人1人の棋力に合わせ、普段佐為がヒカルに打っている指導碁を思い出しながら丁寧に打った。

 

――ヒカル、次の指導碁、私が打ってもいいですか?

 

1回目の指導碁が終わり、碁盤の石を片付けていたヒカルに佐為が指導碁を打たせて欲しいと頼む。

 

――佐為?

 

――指導碁でしたら私が打ってもバレないと思うのです

 

プロですら勝てないのに、アマが2、3人寄って集ったところで、佐為の実力であれば力半分で蹴散らすだろう。

しかし、指導碁は勝つことが目的ではない。

本気さえ出さなければ、佐為の言うとおりバレる心配はないだろう。

 

――まぁ指導碁くらいならいっか

 

と、軽い気持ちでヒカルは答え、他のプロと交代制で行う指導碁を、佐為とも交代でヒカルは打った。

 

指導碁とひと括りに言っても、複数を相手に人それぞれに棋力が違えば、検討で指導していく内容も違ってくる。

どうすればこの人に分かりやすいだろうか、ということを考える気苦労を佐為と交代で分け合ったお陰か、初イベントの仕事だったわりにヒカルはそこまで疲れたということはなかった。

だから、出来るだけ参加している人に碁を指導してやりたいと思い、夜の11時を過ぎても会場に残り、参加者達の指導碁をすすんで引き受けた。

 

「だから、このサガリは今すぐにはきかないけど、他に狙いがあるんだ。出るだけならどうやっても出れるけど、それだけじゃ不満なんだってば」

 

自分が打った指導碁の一手の意味を、父親よりも年上の客達にヒカルは熱心に説明する。

佐為が指導碁を打ったとき、その佐為の説明も代弁したので、どう言えば相手に理解されやすいか、ヒカルにもいい勉強になった。

すると、客もヒカルの説明が理解できたようで、

 

「ほー、そういうことか」

 

と、相槌を打つ。

ヒカルが直接指導している相手ではない、指導碁席の周囲に集まっていた客達も、ヒカルの分かりやすい説明に感心したように

 

「あんた中学生でプロだって?たいしたもんだ」

 

「進藤ヒカルくんか、これから応援するからな」

 

などと口々に誉めるので、ヒカルは照れ笑いした。

いつも佐為から指導碁を受けるばかりなので、こうして自分が初めてプロとして指導碁を打ち、一生懸命話した説明が相手に分かってもらえることも十分嬉しいが、誉めてもらえばもっと嬉しい。

そこに、

 

「こんな時間まで打っているのか?もう夜も遅いぜ」

 

知っている声ではあるが、微かに舌ったらずな口調で、いきなり空いていた席に了承無く緒方が座る。

会場にも何人かプロ棋士が残り指導碁をしている姿はあったが、緒方の姿は夕食以降、見かけることはなかった。

それが急に現われたかと思うと、頬を紅潮させ、目もどこか据わっている。

昼間、指導碁の空き時間にヒカルと佐為が見学し、大盤で的確に解説していた緒方の姿はどこにもない。

 

「緒方先生っ!?」

 

「おいおい、そんなに驚かなくてもいいだろ」

 

ヒカルの驚きように、緒方はニヒルな笑みを浮かべる。

 

「緒方先生と飲みに行ってたんですか?」

 

「ああ、ワシのオゴリでな!」

 

恐らく緒方と一緒に飲みに行っていた連れも、緒方と同じく顔が赤い。

歩けないほどではないが、相当飲んだのだろう。

指導碁の席はいくらか離れているのに、それでも酒の臭いが漂ってきて、ヒカルはうっと顔を背けたい気持ちになった。

 

――酒くせぇっ

 

――見事な酔っ払いですね……

 

幽霊である佐為は、ヒカルのように緒方たちの酒の臭いは分からなかったが、大の大人が酒に酔っているからと言って、子供のヒカルに絡もうとしている態度には顔を顰(しか)めた。

 

「おい進藤、グーを出してみろ」

 

「ぐ…グー?」

 

この酔っ払いは何を意味不明なことを言い出すのか、と困惑しながらヒカルは手のひらを握りしめ緒方の方に差し出すと

 

「よし俺の勝ちだ!俺の質問に一つ正直に答えろ」

 

「はぁ!?」

 

緒方はパーを出し、じゃんけんに自分が勝ったと言うのだ。

後だしも甚(はなは)だしいが、それを言ったところで、この酔っ払いが相手ではどうにもならないだろう。

周囲も注意するどころか、緒方が酔っ払って子供に絡んでいるのを楽しそうに見ている。

どうしたらこの酔っ払いを追い払えるのかとヒカルが思案しても、酔っ払いは父親と親戚の類しか相手にしたことがなく、プロ棋士の先輩相手では全く対処法が思いつかない。

 

そうこうしている間にも、緒方が顔をヒカルへぐっと近づけ、

 

「おがっ……」

 

「何故実力を隠す?」

 

「え?」

 

ヒカルの思考が停止する。

2人のやりとりをヒカルの後ろで聞いていた佐為も、緒方の言葉に目を見張り、持っていた扇子を握る手に反射的に力が篭る。

 

「saiはお前だ。塔矢先生には話して、どうして俺には」

 

酒が回り、どこか間延びした口調で、緒方はヒカルを半開きの目で睨み、責めてくる。

が、緒方がまだ喋っている途中で、

 

「違うッ!!俺じゃない!!」

 

ヒカルは本能的に緒方を拒絶した。

大声を上げ、ヒカルが立ち上がった勢いで座っていた椅子が激しく倒れたことで、会場内にいた者たちが何事かと音のした方を注目する。

シン、と会場が静まり、ヒカルは直ぐにハッとして

 

「すいませんっ何でもないです!」

 

慌てて倒れてしまった椅子を起こす。

しかし、何も無いという言葉とは裏腹に、心臓は激しく脈打っている。

 

「ごめんなさいっ!俺明日早いからもう部屋戻ります!!」

 

指導碁の客への挨拶もそこそこにヒカルは会場から逃げ出すように出て行く。

途中、後ろを振り向いたが緒方が後を追ってくる気配はない。

足早にヒカルは自分の部屋に戻りながら、

 

――どうしよう佐為!あの人、俺がsaiだってことも塔矢先生のことも気付いてる!何で!?どうして!?

 

――ヒカル、落ち着いて!とにかく落ち着いて冷静に考えましょう!

 

自分がsaiであると疑っていたのは芹澤だけではなかったのか、とヒカルは困惑する。

緒方は芹澤のことをヒカルに教えてくれたが、それはヒカルがsaiと知り合いだと考えてのことだと思っていた。

現に、緒方は棋院でヒカルを問い詰めたときもヒカルとsaiは別人として見ていた。

それなのに、何時の間に知り合いから本人になっていたのだと、自ら気付かないうちにボロを出してしまっていたのかとヒカルはこれまでの行動を思い返す。

 

――明日はヒカルは何も予定無いんでしたよね!?

 

――そ、そうだけど……

 

――でしたら明日朝一番に、緒方に顔を合わせる前にここを出ましょう!考える時間は少しでもあった方がいい!

 

佐為の提案にヒカルは頷き部屋に戻るが、その夜はいつ緒方が訪ねてくるか分からない恐怖で、ヒカルは一睡も出来ず、次の朝を迎えた。

 

緒方に顔を合わせまいと、ヒカルは棋院のスタッフに今日の仕事は無いから帰ることを伝え、ホテルから出る一番早いバスに乗って家に戻った。

スケジュール表を見れば、緒方は今日もイベントの仕事が入っている。

バスにさえ乗ってしまえば、しばらくは緒方と顔を合わせる心配はない。

ほっとした安堵感で、昨夜一睡もしていない眠気がじわじわとヒカルを襲い、都内に着くまでヒカルはずっと眠ってしまっていた。

 

しかし、寝たといっても窮屈なバスの中で、熟睡出来たとは言えず、眠り眼で家に着くと、そのまま部屋に戻りベッドに潜り込んでしまった。

緒方のことはもちろん考えなくてはいけないが、こうも眠気があってはろくな考えは出てこない。

 

――言われた直後はテンパってどうしたらいいか分からなかったけど、塔矢先生に相談したら緒方先生のこともきっとまたいいアイディア出してくれると思うし……

 

とりあえず今はたっぷり寝て、全てはそれからだとヒカルは夢の中にダイブする。

それからヒカルが目覚めたのは5時間後のことだった。

時計を見れば既に夜の8時を回っている。

もそもそとベッドから起き出し、

 

「母さん、なんか食うもんない―?」

 

「やっと起きたのね。すぐに用意するわ」

 

ようやく起きてきたヒカルに、美津子は自分と夫が食べた皿を洗うのを止め、ヒカルの分にと別にしておいたオカズを暖めなおす。

イベントの話を聞いた当初こそ、中学生がホテルに一泊して仕事をするなど、どういう世界だと疑ったが、こればかりは美津子がどう言ったところで、ヒカルが選んだ道だ。

中学生だが社会人。

母親として出来る限りのことをやるしかないと、結局はそこにたどり着く。

 

「ふぁ……」

 

ヒカルから大きなあくびが漏れる。

慣れない時間に眠った所為で、起きても眠気が抜けず体もだるい。

ずっと眠っていた所為で乾いた喉を潤すために、ヒカルは冷蔵庫から適当に500mlのペットボトルジュールを取り出す。

しかしその蓋を取ろうとして、つけていた居間のテレビから聞こえてきたニュースに、ヒカルはピタリと立ち止まる。

 

知っている人の名前が聞こえた。

そしておかしなことをニュースキャスターは言っていた。

寝ぼけて聞き間違いか、と思いながらヒカルはテレビの方に振り向く。

そこには行洋の顔写真が画面中央に映され、『塔矢行洋、心筋梗塞で死亡』と白い大文字のテロップが書かれていると共に、

 

『繰り返します。囲碁界のトップ棋士、塔矢行洋6冠が昨夜未明、心筋梗塞で亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りいたします』

 

と、ニュースキャスターが抑揚の無い声で、行洋の他界を報道する。

 

――亡くなった!?まさか行洋殿がっ!?

 

突然の知らせに戸惑い動揺した佐為が声を荒げ

 

「……嘘だ」

 

ヒカルの手から持っていたペットボトルが力なく床に落ちた。

 


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