IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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「緒方さんはこれ以上、ここで手抜きできないだろう」

 

「でも、例えばこう打つとすれば……」

 

アキラの指摘に、ヒカルは別の筋を示す。

ヒカルがプロになっての初対局以来、行洋の経営する碁会所でヒカルはアキラと検討したり、対局をするようになった。

そして現在、並べているのは先日ネット碁での佐為と緒方の二度目の対局。

ヒカルの方から緒方にメールして日程を決め、佐為と緒方の対局が行われたわけだが、対局が終わった直後、アキラから家に電話があったときは、ヒカルも驚きのあまり心臓が飛び出るかと思った。

 

恐る恐るヒカルが電話に出ると、『お父さんと十段戦を戦ってる最中だというのに』と電話口でアキラから散々愚痴を聞かされた。

愚痴を言いたいだけの電話なら、ヒカルも適当に返事して電話を切っただろうが、佐為との対局をヒカルが取り持ったという負い目がある分、無碍にすることも出 来ず、アキラの気が済むまで愚痴を聞いてやり、最後に『僕だってsaiと対局できるものならしたいんだ!緒方さんばかり!』と怒鳴り口調で本音が出て、よ うやくアキラの愚痴から解放されることができた。

 

「なんだか微笑ましいね~」

 

カウンターのところでヒカルとアキラの様子を眺めていた芦原が、微笑みながら言う。

少し前にこの碁会所に来ていたのだが、検討している2人の元へは行かず、こうしてカウンターから様子を眺めていた。

小さい頃から碁に夢中になっていたせいか、アキラが同い年の子供と一緒にいる姿を見たことがなかった。

大人に混じり、碁を打つ姿ばかりが思い出される。

 

それが久し振りに碁会所に顔を出してみると、今年のプロ試験で合格したヒカルと一緒になって仲良く検討しているのだ。

見た瞬間に芦原は自分の目を疑いかけたが、こうして落ち着いてみるとアキラが同じ年頃の子供と一緒にいる姿は、微笑ましい以外の何者でもない。

 

「そうですか?」

 

ヒカルとアキラを微笑ましそうに眺め、暢気な芦原の傍で、受付の市原は冷ややかに言う。

 

「進藤くんって、ここによく来るの?」

 

「来始めたのは最近ですよ」

 

「2人で検討するくらい仲いいなら、遠慮しないでもっと前からくればよかったのに」

 

「仲がいいかは微妙なんですけどね~」

 

名簿を整理しながら市原はふぅと溜息をこぼす。

少なくとも嫌いな相手と、わざわざ碁会所で待ち合わせしてまで検討はしないだろう。

しかし、2人で検討するのはおおいに結構なのだが、途中からがいただけない。

 

「ヤバくなってきた。そろそろ始まるぞ」

 

ヒカルとアキラの検討を傍で見学していた北島達が、とばっちりを食う前にと、そそくさと退散し2人から距離を置き始める。

 

「またぁ?全くもうっ」

 

「またって?」

 

すでに見慣れたこととはいえ、こう毎度毎度だと流石の市原も困り果ててしまう。

しかし、まだ2人のこれからを初めて見る芦原は周囲の反応の意図が分からず、これまた暢気に疑問符を飛ばすと

 

「『ああそうか』だって!?これくらい気付いたらどうだ進藤!」

 

「何言ってんだ!お前だってこの下がりが見えてなかったくせに!」

 

「その前にキミはこっちのツケを見落としてたろう!だいたい『ああそうか』ってもう何回キミが言ったと思う!?」

 

最初の怒鳴り声はアキラだった。

そしてヒカルも負けじと応戦する。

大人しく、怒鳴り合うアキラを一度も見たことがなかった芦原は初めて見る光景に面食らう。

 

「3回じゃない!4回だ!」

 

「数えてたのかよ!暇だな!お前なんか俺の言った事に6回も『ナルホド』って感心したじゃねぇーか!」

 

「デタラメ言うな!6回も言うわけないだろう!」

 

直後、ギリギリと歯を食いしばり、たっぷり10秒は睨めっこをして

 

「帰るっ!!」

 

ヒカルのお決まりの宣言を読んでいた市原が、受付後ろのロッカーから預かっていたヒカルのバッグを取り出し、出入り口に向かって息荒くドスドス足音を立ていくヒカルに渡す。

 

「はい、バッグ」

 

そのバッグを受け取り、店からヒカルの姿が消えてから

 

「ね、小学生のケンカですよ」

 

呆れたとばかりに市原が言う。

最初こそコスミやツケなどのレベルの高いミスの指摘応酬だが、それも長くは続かず、すぐに低レベルな言い争いへと変わる。

下手に2人ともプロなので、周囲の大人が注意できないのが悩みの種だ。

 

「アキラくんがケンカねぇ~……。でも初段の進藤君だとアキラ相手はちょっと荷が重いかな」

 

珍しいものを見たと楽観しながら芦原が笑うと

 

「僕だってたかが三段ですよ」

 

背後からアキラが芦原を睨みつける。

 

「どんなに力があっても始まりはみんな初段。段位と力は関係ありません!進藤を初段と思って侮らないでください!」

 

ヒカルを侮られたと憤慨しているようなアキラの物言いに、芦原は気圧されてつい『ごめん』と年下のアキラに謝ってしまう。

その謝罪を聞き届けて、検討していた席に戻るアキラの背中を見ながら、

 

「……ケンカしてたんだよね?」

 

「そうですよ」

 

ケンカするほど仲がいい、と最初に言ったのは誰だろうか。

 

 

□■□■

 

 

都内でのイベントで、自分の公開対局の時間になるまで緒方は控え室で、寄せられる周囲の視線を尻目に、1人で棋譜を並べては崩し、また同じ棋譜を一手づつゆっくり並べていくを繰り返す。

もともと、人を寄せ付けない雰囲気があることと、声をかけるのも憚られるほど、今の緒方が険しい顔で碁盤に集中していることがあり、必要外に誰も緒方に話しかける者はいなかった。

 

緒方がsaiと二度目の対局をしたことはプロ棋士と関係者の間ではほぼ周知の事実で、なぜ二度も互戦の対局が叶ったのかと噂になっている。

緒方は偶然を押し通しているが、偶然で二度もsaiと互戦で対局できたのを単なる強運で片付けるには、どうしても納得できない。

やはり緒方はsaiの正体を知ってて隠しているのでは、と無謀という名の勇気を出して尋ねた勇者に、緒方は冷たく

 

『正体を知っているんだったら、わざわざ他人に見られるネット碁で打って要らぬ疑いをかけられるより、どこかで対面してこっそり打つ方を選んでいる』

 

という至極最もな反論で退けた。

二度目の対局もsaiの3目半の勝ちだった。

突然の対局申し込みで打った前回と違い、今回は前もって対局する時間を決め、気持ち的に余裕を持って対局に臨むことができたのだが、saiの強さは揺らぐことはなかった。

緒方の厳しい打ち込みをするりとかわし、その上をいく。

 

対局後、お礼とまた打とうという旨のメールが、中学生らしくないほど丁寧な文章で緒方に届いた。

これをヒカルが考え文章を書く姿は想像できなかったが、やはり二度もヒカルに負けてしまった事実は、緒方を強かに打ちのめした。

 

だが、現在、緒方が並べている棋譜はsaiとの対局のものではなく、ヒカルが芹澤と対局しているときに現われたsaiの棋譜だった。

ヒカルにsaiを問い詰める前に大きく立ちはだかる壁。

どんなに緒方が確信していようとも、ヒカルとsaiのアリバイが成立していれば、確信も無力に等しい。

しかし、正面から行くのは、ヒカルの背後に誰がいるか分からない現状では決して得策ではない。

 

もう1人、saiとしてのヒカルと同等の棋力を持つ正体不明の誰かがいるとも考え難いので、ヒカルの背後にいる人物は恐らく緒方も知っている棋士だろう。

だが、あと一歩のところでその棋士が誰か分からず、苛立ちだけが増していく。

 

「なんだ?棋譜を並べてんのか、緒方くん。」

 

不意に声をかけられ、緒方は顔を碁盤からあげる。

普通の神経の持ち主なら、今の緒方に近づき声をかけるなんて真似は出来なかったろうが、相手はそれ以上の神経と度胸の持ち主だった。

 

「森下先生……」

 

さしものの緒方も目上にあたる棋士を、邪険に追い払うわけにはいかない。

どう対処するべきかと悩んでいる緒方を他所に、森下は緒方の並べていた棋譜をヒョイと見やる。

 

「行洋のか。それはいつんだ?見た記憶がねぇが」

 

「塔矢先生?」

 

思いがけない名前に、緒方は森下の出した名前を繰り返す。

 

「行洋んじゃねぇのか?いや、しかし……誰の棋譜だ?」

 

「森下先生はこれを塔矢先生だと思いますか?」

 

森下は行洋と同期で合格したプロ棋士で、その付き合いも長い。

その森下がひと目で、この誰が打ったとも知れない棋譜を行洋とあたりをつけた。

棋譜を見る前から下手に疑わず、見た瞬間の印象で森下は言っただけなのだろうが、だからこそ信憑性も増す。

 

「パッと見た感じはそんな印象を受けたが、やっぱり行洋なのか?行洋にしちゃらしくない打ち方してるな」

 

顎に扇子の先を当て、じっと碁盤を森下は眺め、緒方も驚愕のあまり思考の回らない頭で、緩慢な速さで視線を碁盤に戻す。

 

急に強くなった行洋。

 

以前、棋院で緒方の追及から逃れようとしたヒカルを追っていたとき、咄嗟に行洋の後ろに隠れたヒカル。

あのときは子供の無神経さで塔矢行洋の背中に張り付くなんて恐ろしい芸当が出来たのだと思っていたが、すでに2人が誰も知らないところで親しい仲だったからこそ近寄るのも憚られる行洋にヒカルは助けを求めることが出来たのか。

 

そして、行洋もヒカルがsaiの知り合いだという緒方の言い分を上手く退け、何も知らない森下にヒカルを預け逃がした。

 

そこで緒方はこれまで深く考えたことのなかったヒカルの一言が頭を過ぎる。

プロ試験に合格が確定していて、ヒカルは誰かと全勝合格する約束をして、そして研究会の日に、行洋へあった『約束を果たした』という電話。

 

すべての糸が繋がったと緒方は思った。

 

 

 


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