IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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50 アキラVSヒカル

プロ初対局日。

対局開始時間に余裕を持とうと少し早めにヒカルは家を出たので、開始時間30分前には棋院に着いた。

エレベーターを出てすぐに、テーブルにもたれ掛け腕を組んでコチラを見る見知った顔を見つけ、ヒカルは駆け寄る。

 

「冴木さん」

 

「遅い」

 

「お、遅い?開始まで30分あるよ」

 

「お前の緊張をほぐしてやろうと、こうして俺が早めに来てやったというのに。俺なんか、初戦の日はすごく早く来てさ、始まったら始まったで緊張して石が持てなかったりしたんだぜ。進藤はそうでもないみたいだな」

 

冴木に言われ、ヒカルは思案する。

プロになって初の対局で、まったく緊張してないと言えば嘘になるだろう。

ヒカルが院生になって初めて初めて対局するときも、それなりに緊張した。

しかし、今日の対局はそれとも違う気がして、

 

「ん――、知ってる相手だからかな。気負いはあるけど……そういう緊張はあんまり……」

 

「塔矢か」

 

師匠の森下が塔矢門下を目の仇にしていることを抜きにしても、ヒカルは初めて森下の研究会に来たときからアキラに勝ちたいと意気込んでいた姿を冴木は思い出す。

それを聞いた当初は、英才教育のアキラ相手に、身の程知らずでオモシロイ目標を持っているヤツだとしか思わなかった。

だが、それから一年もたたずにヒカルはプロの世界に足を踏み入れた。

 

週一で行われる研究会で、冴木自身がヒカルと対局したり、白川のような高段の棋士と対局しているのを傍で何度も見てきたが、冴木の目からもヒカルの成長はハッキリ目に見て取れた。

見るたびに成長していく才能。

噂でアキラがヒカルをライバル視していると聞いたことがあったが、こうしてプロになったヒカルを前にすると、あながちヒカルの一方通行なライバル視ではなかったなと思う。

 

「冴木、今日の昼飯どうする?」

 

不意に声をかけられ冴木は視線を向けると、そこに同じプロ棋士の中でも親しい者が立っていて

 

「外で食おうぜ」

 

あえて冴木は外食をすすめる。

初手合いのヒカルには、気分転換のしやすい外での外食の方がいいだろうと思ってのことだった。

 

「その子は?今年入ったヤツ?」

 

「うん。俺とは森下師匠の研究会つながり」

 

「おはようございますっ」

 

見知らぬ大人から声をかけられ、ヒカルは少し緊張混じりに挨拶する。

対局場も院生研修の時の同じ部屋なので、実感が沸かなかったが、こうして大人から声をかけられ、そしてエレベーターから子供ではなく次々と見知らぬプロ棋士たちが現われてくると、本当に自分がプロの世界に入ったのだと思えてきた。

ホワイトボードに書かれた対戦表をヒカルは眺め、

 

――和谷も越智も今日はいない

 

もしかすると、今日の手合いでヒカルが知っている人物は冴木と対局相手のアキラぐらいなのかもしれない。

そのまま冴木に手招きされ、対局場の方へヒカルはついていく。

 

「対局場は院生研修と同じだけど、ちょっと違うのは、プロの手合いにはお茶がつく。他にもコーヒーとかコーラとか好きなものを持ち込んでいいんだぜ」

 

「へー」

 

「冴木さんは今日誰とやるの?」

 

「女流の桜野さん。進藤だいぶ落ち着いてきたな。エレベータから出てきたときは強張った顔してたぜ」

 

「そ、そうだった?」

 

顔が強張るほど緊張している自覚はなかったので、冴木に指摘され驚き戸惑う。

しかし、自分1人では気付かず強張った顔のままでアキラと対局していたかもしれないことを考えると、こうして冴木が自分を気遣い世間話してくれたことが、ヒカルは嬉しいような気恥ずかしいような気がした。

 

「緊張がほぐれ過ぎてもなんだから、必殺のオマジナイしとこう」

 

「何?」

 

「森下先生の顔を思い出せ」

 

ヒカルの脳は一瞬で冴木の出した名前の人物を脳裏に映像化する。

しかも森下は険しい顔で『塔矢アキラをなんとかせいっ!!』と扇子をこちらに向けて大声で怒鳴っている。

 

「すげープレッシャー!!やめてよ冴木さんっ!」

 

「あははは」

 

森下の怒鳴り顔を思い出したらしいヒカルの反応に冴木は面白そうに笑う。

休憩室から対局場内へ入り、それぞれ己の場所へ座り始めた気配に、冴木はヒカルの場所を指差し、

 

「そろそろみんなも来始めだな、進藤の場所は……一番後ろの向こうから二つ目だ」

 

自分自身も対局する席へと移動する。

そんな冴木に一言『ありがと』と礼を言ってから、ヒカルは自分の席に正座した。

まだアキラは来ていない。

しかし、ヒカルの目にはその姿が半分透けた幻のように、対面にアキラが座している。

 

――待ちに待った相手、ヒカルも力をつけたし楽しみですね

 

――もうじき塔矢と…………

 

「あっ」

 

引き寄せ、取ろうとした碁笥の蓋がヒカルの手からこぼれ落ちる。

手が滑ってしまった訳ではなかった。

碁盤に落ちた蓋を拾おうとしたヒカルの手が震えていた。

 

――あの時の塔矢と同じ……2年前の中学夏の大会で、塔矢は佐為を追ってきた。今は俺が塔矢を追ってここに座ってる。今なら、あの時の塔矢の気持ちがよく分かる。

 

2年前の大会で、対面したアキラは今のヒカルのように手が振るえ碁笥の蓋を床に落としてしまい、そして拾い上げる間もその手は振るえたままだった。

佐為を追い、恐れを抱きながらも、逃げずにヒカルの前に立ったのだ。

震える手をヒカルは一度ギュッと強く握り締め蓋を拾い傍に置いた。

 

俯きじっと見ていた盤面にうっすらと影が差し、ヒカルは顔をあげた。

 

「……君との対局は囲碁部の三将戦以来、約2年ぶりだ」

 

言いながら、アキラはヒカルの対面に座り、ヒカルをじっと見てくる。

 

「そんなになるのか」

 

「うん……長かった」

 

少し思案してアキラは視線を逸らし、2年の月日を思い出しながらゆっくりと呟く。

その言い様はまるで自分に追ってくるのが遅いと遠まわしに言っているようだなとヒカルは思った。

三将戦の後、インターネットカフェでネットをしていたヒカルをアキラが掴まえたときも、対局を申し込まれて、ヒカルは受けなかった。

打ちたいと願うアキラをヒカルはずっと待たせていたのだ。

 

「あの時は、お前に怒鳴られ落胆されたけど、今日は俺の力を見せる番だ。俺だってこの2年弱、ただ遊んでたわけじゃない」

 

対局開始時間まぎわになり、対局場から私語が消えていく。

シンとした静かな時間が流れ、対局開始時間を知らせる音が部屋に響く。

 

アキラがニギリ、ヒカルが先番になる。

 

「「お願いします」」

 

2人同時に礼を言い、黒石を持ったヒカルが右上スミ小目に打つ。

それに対し、アキラはその位置にヒカルが打ってくることを見越していたように即座に白石を打ち返してきた。

ヒカルもアキラ同様、時間をかけずに打っていけば、やはりアキラは同じだった。

 

――早い!とても持ち時間5時間の打ち方じゃないっ!早碁だ!

 

まるで、ヒカルと打つこの一局を待ちきれなかったように打ってくるアキラに、

 

――ゆっくり構える気はねーってことか……いいぜ!この一局を待ちきれなかったのは俺も同じだ!

 

ヒカルはアキラに呼応するように早碁で石を打ち返した。

やっと叶った対局だった。

一年前の囲碁部での大会は、前半を佐為が打ったので、全てヒカルが打ったとは言えない。

その前の碁会所で打った2局も佐為が打ったものだった。

眼の前で打っている対局が、ヒカルとアキラの初対局であることを知っているのはヒカルを除き、佐為と行洋だけだろう。

 

――この速さで打っているのに的確に読んでくる!

 

アキラの打つ一手に動じず、鋭く打ち返してくるヒカルにアキラは確信する。

海王中の囲碁部の顧問に見せてもらった、ヒカルと洪秀英の対局。

そして編集部で聞いたヒカルの全勝でのトップ合格。

越智はヒカルとの対局をアキラに見せなかったが、そんなものは対局している今はアキラにとってどうでもよくなっていた。

 

知りたかったヒカルの実力は盤上に映し出されている。

 

――間違いないっ!君は僕の生涯のライバル!

 

そうアキラが確信した瞬間、ヒカルの一手が別の人物の一手に重なり、アキラは思わずその言ってに見とれ、石を掴もうとした手がピタリと止まってしまった。

 

――sai……

 

ヒカルが打った一手にsaiの影がちらつき、似ている、とアキラは感じる。

ネットの中にしか現われない最強の棋士がヒカルに重なる。

顔は盤面を向きながら、アキラは視線だけ上を向きヒカルを伺うが、ヒカルはアキラの止まった手に動揺することなく盤面をじっと見ていた。

今は対局中で、saiのことを考えている場合ではないとアキラは気持ちを切り替え打ち続けようとする。

 

しかし、一度ヒカルにsaiの影がちらつくと、その後からヒカルが打つ全てにアキラはsaiの影を探してしまう。

ネットの猛者を、日中韓のプロ棋士をことごとく打ち負かしている無敗の最強の棋士。

正体不明の棋士が見せる圧倒的な強さは、決してヒカルではない。

けれど、よくよく見ればヒカルの打ち筋はsaiととても似ている。

 

昼食の打ち掛けの呼び音が鳴り、途端に対局場に石が打たれる音がやみ、人の声がざわめき出す。

 

けれど、対局の集中が抜け切らず、ヒカルがハッと気付いたときには皆昼食を取りに行き、周囲には誰もいなかった。

冴木と外に食べに行くことになっていたのだが、盤面に集中している自分に遠慮して、声をかけなかったのかもしれないと、後を追おうとして、

 

「あ、メシっ!塔矢、お前メシは?時間なくなるから俺いくぜ?」

 

ヒカルは声をかけてみたが、アキラが反応する気配はない。

食べない気なのかと、ヒカルはアキラに構わず昼食に行こうとして

 

「……sai」

 

――はいっ!

 

名前を呼ばれたと勘違いした佐為が、和谷の時とおなじく、条件反射で返事をしてしまう。

ヒカルも一瞬驚いたが、当然佐為の姿が見えていたわけではなく、アキラは正座し盤面を見据えたままだった。

 

「君と打っていてネットのsaiが思い浮かんだ」

 

「俺はsaiじゃねえぜ」

 

緒方や芹澤が気付いたように、アキラもまたヒカルの碁の中に佐為を感じ取ったのだろう。

そう思いながら、ヒカルはsaiではないと否定する。

打ち筋が似てしまうことはどうしようもない。

けれど、ヒカルは佐為ではないことだけは、きちんとアキラに言っておきたかった。

 

「……君だよ」

 

「塔矢?」

 

「もう1人の君だ。もう1人、君がいるんだ。僕達が出会った頃の進藤ヒカル、彼がsaiだ。碁会所で二度僕と打った、彼がsaiだ。キミを一番知っている僕だから、僕だけがわかる。君の中に……もう1人いる」

 

アキラの前だったが、ヒカルと佐為は反射的に顔を合わせた。

 

ヒカルと対局し、ヒカルの碁から受ける印象と初めて出会った頃に打った二度の対局から、アキラは思いつき、感じたままを語る。

ヒカルはsaiではないと何度理性で否定しても、本能はそれをまた否定する。

ヒカルと出会ってからアキラはずっと考えていた。

初めて対局したというヒカルが、アキラとの一局で見せた指導碁。

立ち向かってきたアキラを一刀両断のもとに打ち負かした二度目の対局。

 

夢か幻のような対局だった。

 

その後に、アキラが追いかけ中学の三将戦での対局が、ボロボロで無残であればあるほどに。

だが、その数ヶ月後にアキラが対局したsaiは、古い定石の影もなく、ヒカルに負けた対局より遥かに強い印象を受けたのに、途中の一手がヒカルの一手に重なった。

素人丸出しの親指と人差し指で石を持つその手に。

 

そして、今もまたネット碁で打ち続けるsaiとヒカルがアキラの中で重なる。

 

――塔矢が私に気付いた……

 

――話してもいないのに、俺しか知らない佐為に、俺の碁から佐為に気付いた……

 

もしも比べるとすれば、ヒカルより幽霊である佐為の方がヒカルより驚きが勝っていただろう。

虎次郎に取り憑いた時も、やはり虎次郎しか佐為の存在を知らず、他の誰も気付かなかった。

 

「……いや、なんでもない。おかしなことを言ってるな、僕は……」

 

言ってから支離滅裂なことを言っていると思い、アキラは気にしないでくれと先ほど自分が言ったことを自ら否定する。

 

「キミの打つ碁がキミの全てだ。それは変わらない。それで、もういい」

 

アキラに2度勝ち、次にボロ負けし、そして今、プロの世界まで追ってきてヒカルがアキラと互角の対局をしている事実だけは誰にも否定できない。

確かな真実だ。

 

「お前には……そうだな、いつか話すかもしれない」

 

誰に言うでもなく、ポツリとヒカルが零す。

考えて言ったわけではなかった。

アキラの言葉がヒカルにそう言わせたというのが自然だろうか。

 

もしアキラと出会わなければこうしてヒカルが囲碁のプロになることはなかった。

そのアキラが、はじめに追っていた佐為ではなく、今打っているヒカル自身の碁が全てだと言ってくれたのが嬉しかったのかもしれない。

 

――話すんですか?私のことを塔矢に

 

――いつかな、いつか

 

昼食を取るためにエレベータに向かいながら佐為に話しかけられ、ヒカルは曖昧に誤魔化す。

話すかもしれないし、話さないかもしれない。

だが、もし話すとしたら、さっきアキラがヒカルの碁が全てだと語り、それに対しヒカルが無意識に話すかもしれないと言った時のように、その瞬間は無意識にごく自然な流れで話しているのだろうとヒカルは思う。

頭で話そうと思って話すのではなく、体が話したいと思った時に話せればそれでいい。

 

「進藤!どういうことだ?」

 

「な、なんだよ」

 

突然名前を呼ばれ、ヒカルが体をビクリとさせながら振り向く。

声だけでも分かっていたが、やはりアキラが対局場からヒカルを追ってきて、ヒカルは戸惑いながら、ドアの開いたエレベータに乗り込む。

すると、アキラまで乗り込んできて、

 

「やはり謎があるのか!?話せ!」

 

「やだね!お前さっき俺の打つ碁が俺の全てとかいったばっかじゃん!それで、もういいんだろ!?」

 

「そ、それはそうだが……」

 

ヒカルの言葉にアキラは言葉に詰まる。

 

「ならしつこく聞くなよ!」

 

「でも僕には話すって!」

 

「いつかだいつか!お前までウルサイっ!!バカ!」

 

「バカとはなんだ!それにお前までってどういう意味だ!進藤!」

 

つい言ってしまったヒカルのボロを、アキラは買い文句で流さずしっかり拾い上げる。

 

「あーもうっ!だったら塔矢先生に互戦で勝てたら教えてやるっ!」

 

「なんだそれは!?どうしてそこでお父さんが出てくる!?」

 

昨日までは本当に会話すらしなかった2人が言い争う姿を眺めながら、佐為は扇で口元を隠し、クスリと微笑んだ。

 

 

 


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