IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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年が明け、碁会所のマスターから譲ってもらった週刊碁の新聞を広げ、ヒカルはベッドにうつ伏せに寝転がる。

足をパタパタさせながら、面白そうに記事に載せられている王座戦第三局の棋譜を眺めていた。

王座にいた座間は、去年アキラが新初段で対局した相手だった。

その相手を行洋はストレートで3勝しタイトルを奪取した。

どの新聞も行洋の強さと勢いをトップに記事を書き連ねている。

 

「やっぱ塔矢先生強いなー。ここのシノギとかすっげぇカッコイイっ」

 

――行洋殿を褒めちぎるのはいいですが、ヒカルもこれからプロになっていずれは戦う相手なのですよ?

 

軽く窘められたヒカルがムッとして言い返す。

 

「分かってるよ、それくらい。でも佐為だってこの対局すごいってずっと見てただろ?」

 

――私はっ……いいのです!ヒカルと違って、私はしっかり分別と区別がついていますから。対局にも何も差し支えありません

 

と言いながらも、図星を当てられたらしく、佐為は少し頬を染めながら口元を袖で隠しそっぽを向いてしまう。

 

「手紙こなかったってことは多忙過ぎて時間取れなかったんだよな、きっと。塔矢先生にできたら去年のうちに一回会って合格の報告とお礼、ちゃんと言いたかった な。あとお祝いも。塔矢先生、5冠になったって碁会所の人言ってたから、これまで以上にもっと忙しくなって会える回数減ったりしたらイヤだけど……」

 

最後に行洋と会ったのは4ヶ月前になる。

複数のタイトルホルダーとして多忙スケジュールの毎日を送る行洋の都合の良い日に、ヒカルが合わせるようにして会っていたが、昨年内に可能ならば少しだけでも会っておきたかったのがヒカルの正直な気持ちだった。

ヒカルが自身の力で対局するために、佐為の存在を秘密にしておかなくてはならないとはいえ、会いたいときに会えないというのは、ヒカルと同様に佐為もまたやりきれない思いになる。

 

そのとき、一階の電話が鳴り響き、

 

「おっと、お母さん買い物だった」

 

家に自分だけだったことを思い出し、ヒカルは一階へ降りる。

 

「ハイ、進藤です」

 

『日本棋院の事務をしております鈴木と申します。進藤ヒカルくんでしょうか?』

 

「あ、ハイ!俺ですケド!」

 

突然、日本棋院からという電話に、ヒカルは不意を突かれたように声が上ずってしまう。

 

『新初段シリーズはもうご存知ですよね?』

 

「新初段シリーズ?知ってます!」

 

『その対局相手が決まりましたので連絡にお電話しました』

 

「はいっ!それで相手は?」

 

ヒカルはすぐに去年、幽玄の間で行われたアキラと座間の対局を思い出した。

掛け軸がかけられ、小さな石庭が隣接された12畳の和室。

全力で打ってくる座間に怯まず、守りに入らず、まるでヒカルに追って来いと言わんばかりに最後まで攻めの姿勢を貫き通した。

 

そして今年は、アキラが打った幽玄の間でヒカルが打つ。

アキラと同じように、それ以上にヒカル自身の力を見せるときが来たのだ。

 

その対局相手が誰に決まったのか、ヒカルは急いたように問いかける。

 

『芹澤8段です』

 

「芹澤、先生?」

 

対局相手の名前を聞いた瞬間、そんな名前のプロは知らないと思うも、しかし直ぐにどこかで聞いたような気もしてヒカルは首を捻る。

反対にヒカルの後ろで電話を聞いていた佐為は、らしくもなく口をあんぐり開けてしまった。

 

『詳しい日程は後日郵送しますので、そちらをご覧下さい。何か新初段について聞いておきたいことはありますか?』

 

「あ、イエ、とくには……」

 

『もし何かありましたら、棋院事務所にまでご連絡ください。それでは、失礼します』

 

「ど、どうも。ありがとうございました」

 

相手が電話を切ったのを確認して、ヒカルは受話器を下ろす。

新初段の対局相手が決まったことは良いことだ。

しかし事務員が言った『芹澤8段』がどんな人物だったか、のどの辺りまで出掛かっているのに、あとちょっとのところで引っかかって出てこない。

 

「佐為、芹澤先生って誰だっけ?知ってる?」

 

ヒカルが簡単に思い出すのを諦め、ギブアップして佐為に尋ねる。

きょとんとして、危機感が全く見られないヒカルに、佐為は頭を抱え

 

――雨宿りをした店で私が打った者ですよ!緒方が気をつけろと言っていたではないですかっ!

 

「え?緒方先生?……あ、ああ―――っ!!」

 

ヒカルの叫びが冬晴れの空に木霊した。

 

□■□■

 

 

「あんのバカ……」

 

自宅のパソコンの前で、緒方はヒカルから貰ったレシートをグシャリと握りつぶす。

パソコンディスプレイに映されているのはメールブラウザ。

そのメールブラウザの真ん中に小さなウィンドウが表示され、『送信できませんでした』の文字を映す。

 

saiの、と表向き言いながら、ほぼ間違いなくヒカルのものであろうメールアドレスに緒方がメールを送ると、送信した直後に『送信できませんでした』の文字が表示された。

一回目は、緒方自身がアドレスを打ち間違えたのかと思ったが、再度確認し、2度、3度目となると間違っているのは緒方ではなく、アドレスを渡したヒカルだと分かる。

 

メールアドレスが間違っていて、メールが送れない。

これをヒカルが確信犯でしているのだとしたら、現本因坊の桑原以上の狸だ。

 

メールアドレスの間違いを指摘しようとして、ヒカルを捕まえようにも、プロ試験に合格したヒカルは、春まで森下の研究会に出る以外に、棋院には近寄らないだろう。

棋院の事務所でヒカルの連絡先を聞くのも、不審がられるだろうし、もし芹澤が偶然でも緒方とヒカルが接触しているところを見られたらと思うと、下手に棋院内で捕まえることもできない。

合格祝いにラーメンを奢り、碁会所で一局打った後、家まで送っているのでヒカルの家の住所は分かっているが、アドレス間違いを指摘するためだけに、わざわざヒカルの家へ車を走らせるのは、緒方のプライドが許さない。

 

棋院から電話があり、よければ新初段に出てくれないかと打診されとき、緒方ははじめから断る気であった。

しかしなんとなくすでに対局が決まっているトップ棋士がいるのかと尋ねたところ、愛想の良い口調で『芹澤』の名前が返って来た。

無意識に事務員に聞いてしまったのは、何か虫の知らせだったのかもしれない。

しかも、対局相手にヒカルを指名したのだと言う。

事情を全く知らない事務員は、『やはり緒方が院生試験推薦をしていることと、プロ試験を全勝で一発合格しているヒカルに、芹澤先生も目を付けたのでしょうか』と上手くお世辞まで言ってきたが、緒方は新初段を丁重に断った。

 

やはり芹澤は、カフェで対局した子供とヒカルが似ていることに気がついたのだ、と緒方は思った。

 

擦りガラス越しに芹澤がどれだけ相手の容姿を見てとれたのか、緒方には皆目分からなかったが、やはり身長や体系以外の特徴もいくらか気付いていて、緒方に話さなかったのだ。

ヒカルの姿をどこかで見て、すぐにsaiだと言って行動しない辺りを考えると、芹澤もヒカルがsaiか確信はないのだろう。

それを見極めるために新初段で対局して見極めようとしているのかもしれない。

 

別にヒカルがsaiであり、どんな理由があってsaiであることを隠そうとしているのか、緒方には分からないし関係のないことなのかもしれない。

そしてヒカルには以前、上手くしてやられた過去もある。

ヒカルを庇ってやる義理はない。

ヒカルがsaiであると芹澤と一緒になって言えば、信憑性も増すだろう。

 

しかし、緒方にはめられたとも気付かず、逆に親切で芹澤のことを教えてもらったと勘違いし、間違っていたがsaiのメールアドレスをくれたヒカルの笑顔が、どうしても邪魔をする。

子供が大人を騙せばイタズラだが、大人が子供を騙すのは卑怯だ。

 

「どうするつもりだ……?」

 

仮にも相手はトップ棋士。

手を抜いたり、打ち筋を誤魔化そうとすれば、すぐに気付くだろう。

それは、逆に芹澤の疑惑を深めかねない。

 

ヒカルの元に、新初段の手合いの連絡がそろそろ行っている頃だ。

saiと知り合いという関係なら、緒方の時のように証拠が無いことを盾にしてシラを切ればいいかもしれないが、sai本人となれば話は全く変わってくる。

世界中の棋士がsaiの正体を知りたがっているのだから。

 

自らsaiであることを認め、緒方に助けを求めてくるのなら助けなくもない。

あくまでヒカルから認めてきた場合に限ってだが。

だが、緒方に向かってアッカンベーをやれる根性があるなら、ヒカルは今回も芹澤をどうにか誤魔化そうと策を練ってくる筈だろうと緒方は思う。

しかし、いくら考えても、対面して対局した芹澤を誤魔化すのは難しい。

 

今日何度目かも分からないため息が、緒方から零れた。

 

 


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