IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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「放してっ!放してってば!!」

 

「暴れるな進藤!俺が変質者に見られるだろうが!」

 

暴れるヒカルを車の助手席に放り込み、バタンと扉を閉め緒方自身も運転席に回る。

運転席側から助手席柄の扉が開けられないようロックし、緒方はようやく一息入れ警戒心むき出しで己を睨むヒカルをチラリと見やった。

 

「何だ、その目は?」

 

「別にっ、ていうか何だよ?俺をどこ連れてく気?何も喋らないからな!」

 

ムッと言い返しながら、ヒカルはロックされ開かないドアをガチャガチャ開こうと無駄な努力を続ける。

 

「ドアが壊れるから止めろ。さっきも言っただろうが。合格祝いに緒方9段がプロ試験合格したお前にメシを奢ってやると言ってるんだ」

 

「そんなこと言って、どうせsaiの正体探ってるだけなんだろ?そんな見え透いた罠に俺は引っかからないぜ!」

 

「saiの正体は諦めん。だが、お前のプロ試験一発合格を祝わないこともない。俺が推薦してやったのに、プロになるどころか院生試験にさえ落ちていたら、俺の面目丸潰れだったんだ。メシぐらい奢ってやる」

 

目的を隠すどころか『saiの正体を諦めない』と臆面無く断言し、合格祝いに飯を奢るという緒方に、ヒカルは戸惑い判別つきかねて佐為の方を見やる。

確かにヒカルは緒方の推薦があったからこそ院生になることができ、そしてプロ試験に合格できたとも言える。

プロが推薦しておきながら、プロになれなかったとしたら、緒方の言うとおり面目は潰れていただろう。

 

――推薦していただいたご恩もありますし、お食事を頂くくらいよいのでは?

 

佐為の言葉にヒカルはそれまでの全面拒否から少しだけ譲歩し、

 

「飯奢る代わりにsaiの正体教えろとか言っても何も知らないよ?」

 

「そんなセコイ真似を俺がするか。何食いたいんだ?寿司か?食べたいもの好きに言え」

 

抵抗し暴れるのをやめ、少しは聞く耳を持ったらしいヒカルに、緒方は車のエンジンを入れ、ブレーキを踏みながらサイドブレーキを下ろす。

そのまま車を運転し棋院の駐車場を出ようとして

 

「ラーメン!」

 

「却下!」

 

ヒカルのリクエストに、緒方は間髪入れず却下しながら、こめかみに微かな頭痛を覚えた。

仮にも9段の棋士に奢ってもらえる食事に、その選択はないだろう。

 

 

If God 40

 

 

結局、押し問答の末にたどり着いたのは、合格したヒカルのリクエストが通りラーメン店だった。

ヒカルは希望が通り嬉しそうに空いている席に座り、緒方を待たずメニュー表を広げている。

そして仏頂面の緒方が席に着くと、『何でも頼んでいいんだよね?』と確認を取り、店で一番高いラーメンを頼む。

緒方も一言『ラーメン』と注文を取りに来た店員頼み、先ほど棋院でヒカルが越智と言い争っていた理由を尋ねる。

2人の会話を緒方がはじめから聞いていたわけではなく、言い争っていた相手を緒方は知らないが、ヒカルはすでに試験合格が決定し、前哨戦をする必要が見当たらない。

単に気が合わない同士で仲が悪いのなら話は違うが。

運ばれてきたラーメンを食べながら、

 

「なんでそんなに鼻息荒く意気込む必要がある?もう合格したんだろう?」

 

「合格云々の問題じゃない。アイツの、越智の後ろには塔矢がいる。越智を通して塔矢が俺を見てるんだ!」

 

「塔矢?アキラ君のことか?」

 

口では何と言おうとも、ヒカルとアキラが互いにライバル視していることは緒方も知っている。

しかし、なぜ今年のプロ試験にアキラの名前が出てくるのか分からず、緒方の箸が止まった。

 

「越智のやつ、塔矢から毎日のように鍛えてもらってたらしいんだ。それで、俺に勝ったら塔矢が自分のことをライバルとして見てくれるって。それって塔矢も俺のことを見てるんだ!」

 

「アキラ君が見ているねぇ……」

 

「それに全勝で合格するって約束してるし」

 

「約束?誰と?」

 

「教えないー」

 

ふふふんっ、とプイと顔を斜めにしながら、ヒカルの顔は嬉々としている。

緒方が子供と触れ合う機会は、それこそヒカルと初めて出会った子供囲碁大会などに限られるが、そこに出場している小学生の子供でも、ここまでガキっぽくはないだろう。

ヒカルのする仕草一つ一つがガキ臭い。

プロ試験に受かった今でも、一見するとヒカルは囲碁とは無縁に見えてしまう。

 

そしてこの姿を見てヒカルがsaiだとは誰も想像できないだろう。

saiのあの見事な打ちまわしは、とても子供が打てるものではない。

 

――まだ進藤がsaiと決まったわけじゃない……

 

得意げに鼻を鳴らしているヒカルに、緒方は箸を置いて、利き手を伸ばす。

 

「進藤」

 

「ん?イデッ!?何!?何すんの!」

 

名前を呼ばれ、緒方に振り向いた瞬間、おでこに鋭い痛みが走り、ヒカルは両手で額を押さえた。

振り向き様、痛みと同時にバチッと音まで聞こえる。

そして先ほどの痛みが、宙に浮いた緒方の手の形から、デコピンされたのだと分かり、むぅ、と睨みつけた。

しかし、ヒカルの睨みを全く気にした素振りもなく、緒方はスープが飛んで汚れないよう隣に置いていた白のスーツジャケットを抱え、

 

「この前のイタズラの仕返しだ。拳骨じゃなかっただけありがたく思え。ほら、さっさと食え。行くぞ」

 

まだ食べかけのヒカルを置いて、伝票を持ち、席を立つ。

急に席を立った緒方に、ヒカルは緒方の言いたい意味が分からず、

 

「えっ?行くぞってどこに?帰るの?」

 

「違う。一局打ってやる」

 

「へ?誰が?」

 

「俺がお前にだ。他に誰がいる?俺の気が変わらんうちに食ってしまえ」

 

「ちょっ、ちょっと待ってってば!!」

 

会計を済ませ、置いてけぼり食らいそうな勢いに、ヒカルは慌てて残りのラーメンを胃の中に流し込む。

駐車場にヒカルが走って出てくると、すでに緒方は運転席でタバコを吹かしており、ヒカルも今度は自ら車の助手席に乗り込んだ。

シートベルトをしながら置いていくなと文句を垂れるヒカルを無視し、緒方は車を発進させる。

さほど時間をかけることなくついた先は駐車場付きの碁会所で、緒方は受付を済ませてしまうと、さっさと奥に入ってしまう。

 

「……緒方先生、何考えてるの?」

 

向かいの席に座り、膝の上にひじを立て顎を乗せたまま、無表情でじっと碁盤を見ている緒方に、ヒカルは眉間に皺を寄せる。

9段のプロと打つ機会はそうあるものではないし、ネット碁では佐為と緒方が対局するのをずっと観戦しているだけだったヒカルも、実際に自分が緒方と打てるのは嬉しい。

だが、急にヒカルを食事に連れて行ったり、碁を打ってやると碁会所に行くというのは、何か度が過ぎている気がした。

 

「俺と打つのは嫌か?」

 

「そんなこと無いけど、突然だし、ここ来る途中もずっと無言だったし、様子はもっとおかしい。なんか変。うさんくさい。怪し過ぎる」

 

疑いの眼差しを向けてくるヒカルに、緒方は何か言い返そうとしたが、緒方の存在に気付いた客達が周囲に集まりはじめ、無言のまま口を閉ざした。

 

「俺が握ろう」

 

碁笥から白石を取り、適当に握って盤面に置く。

ヒカルが出した石の数は1個。

当たっている。

 

「俺が先番だね。お願いします」

 

「ああ」

 

挨拶を言うヒカルに、緒方は小さく頭を下げた。

 

若獅子戦で緒方が観戦したときより、ヒカルがずいぶん強くなっていると緒方は感じた。

あれから数ヶ月経ってるとはいえ、若獅子戦の時とは比にならない程、実力をつけている。

これだけ打てればプロ試験に全勝合格を目標にするのも納得できる。

しかし、たった数ヶ月でこれほど強くなれるものなのかという疑問も沸いて来る。

それとも、元々あった実力を少しずつ表に出してきているのだろうか。

 

ゆっくり時間をかけ打ちながら、緒方はヒカルの打つ石の流れを追っていく。

 

――今の打ち方なんか、ほんとsaiそっくりだな

 

余裕を見せながら打つ緒方とは違い、真剣な眼差しでヒカルは碁盤を見つめている。

もし本当にヒカルがsaiで、実力を抑え、一生懸命打っているフリをしているのだとしたら、相当な役者だろう。

 

「何?」

 

緒方が盤面ではなくヒカルの方を見ていることに気付き、声をかけると

 

「この打ち方、そっくりだな」

 

あえて、誰に、とは緒方は言わなかった。

ヒカルの動揺を誘っている風でもなく、淡々とヒカルが打った石を指差し見つめている。

何か答えるべきか、それとも緒方の独り言と流すべきか、また以前のように誤魔化すべきか、ヒカルは迷った末、緒方の指す一手を見やり、

 

「そう、かな?」

 

「ああ。自分では分からないか?」

 

「特に意識してないから」

 

「そんなものか」

 

小さく笑み、緒方は対局の続きを打ち始める。

 

やはりというべきか、対局は緒方の6目半勝ちに終わった。

突然店にやってきたプロ棋士の対局に、周囲に集まっていた観客も歓声を上げる。

それでも緒方がヒカルの実力に合わせ、力を抜いて打ってくれていることは、ヒカルにも伝わってきた。

 

遠慮するヒカルを、強引ついでだ、と丸め込み、緒方が車で家まで送る途中、

 

「はじめに言っておく。これは俺の独り言だ」

 

突然、話を切り出した緒方をヒカルはみやる。

 

「え?」

 

「先日、芹澤先生が雨宿りで立ち寄ったカフェで、1人碁らしきものを打っている子供に興味を持って、擦りガラス越しに対局したそうだ。対局結果は芹澤先生のが負け、相手の子供は名前を聞く前に店員から注意され走り去ったらしい。芹澤先生もまさか負けるとは思っていなかったから、店に入ったとき、子供の顔をよく見てなくて、顔立ちなどはよく覚えていないそうだが、擦りガラス越しにも前髪が明るい特徴的な髪色をしていたらしい。プロになるなら絶対お前の容姿は芹澤 先生の目に留まる。気をつけておけ」

 

正面を見据え、ヒカルをチラリとも見ることなく緒方は淡々と言葉を続ける。

 

「それって……」

 

緒方の言っている件に、ヒカルはもしかしてと、同意を確かめるように佐為を見やる。

すると佐為も頷き、

 

――先日、私が打った一局のことではないですか?

 

――だよな……。でも何で緒方先生、そのこと俺に?それに気をつけろって?

 

――ヒカル、これは緒方の独り言です。何も問い返したりしてはいけません

 

小さく微笑みながら、佐為は瞼を伏せ、首を横に振った。

唇に人差し指をあて、何も問い返してはいけないとヒカルを暗に諭す。

 

――緒方先生って、もしかして今日はこれを俺に伝えようかどうか迷って、それでご飯誘ってくれたのかな?

 

――かもしれませんね

 

ニコリと、佐為が微笑むのを見て、ヒカルは緒方に

 

「……ねぇ、緒方先生」

 

「なんだ」

 

「何か字書くもの無い?ボールペンとか」

 

「ペンならそこのダッシュボードに入ってるはずだが?」

 

「ちょっと借りるよ」

 

緒方に言われた通りダッシュボードからボールペンを探し見つけると、ヒカルは財布の中から適当なレシートを取り出し、その裏面におもむろに文字を書き始める。

そして書き終わったレシートを、ポイ、と一度、助手席の足元に捨てた。

 

「あっ!こんなところに裏にメルアド書いたレシートが落ちてる!誰のメルアドだろうね~。彼女?まさかsaiのだったり~?」

 

瞳にイタズラ心を輝かせ、ヒカルは先ほど自分が書いたレシートを、己の顔の横でくるくる回して緒方に見せびらかかす。

その一部始終を横目で見ていた緒方は、呆れ半分、苦笑半分という感じで

 

「お前のはワザとらし過ぎるんだよ」

 

左手でヒカルが持っているレシートを奪い、緒方は内ポケットにしまった。

 

家に着くと、最初の警戒心が嘘のように満面の笑顔でヒカルは緒方に手を振って見送ってくる。

緒方の去り際、『またラーメン奢ってね』と無邪気におねだりしてくる姿に、緒方は『次はラーメン以外だ』と苦笑しながら頷き、車を発車させた。

 

そしてヒカルの家から少し離れたところで、道路脇に車を寄せ、エンジンをかけたまま停車すると、緒方はハンドルに力なく突っ伏す。

 

「あのバカ……悠長にメルアド渡してる場合じゃないだろうが……」

 

――ちょっと優しくしてやれば、すぐ警戒心解きやがって

 

緒方の棋譜を数日で全部覚える頭があれば、それを少しは相手の話す言葉にも警戒するように使えと、緒方は思わずヒカルに言いたくなった。

 

芹澤が緒方に話したのは、中学生くらいの子供ということだけである。

擦りガラス越しに前髪が明るい特徴的な髪色とは全く言っておらず、緒方が勝手に付け加えた。

 

ヒカルがどういう反応をするかカマをかけたのだ。

プロになるなら気をつけろというのも、どう解釈してもヒカルとは別人の子供ではなく、プロ試験に合格したばかりのヒカルのことを指している。

しかし、それを言ってもヒカルは否定するどころか、あたかも自分のことのように受け取り、独り言のお礼にsaiのものであろうメルアドまで緒方に寄こした。

 

言葉の駆け引きに慣れていない未熟さだ。

 

ヒカルはsaiと知り合いどころか、自分がsaiであると無自覚に認めたのだ。

 

「saiが進藤……。嘘だろう、あんなガキが……あんなガキに俺は負けたのか?」

 

あれほどsaiの正体を知りたいと思っていたはずなのに、いざ正体が分かってしまうと怖気づいてしまう自分がここに在る。

今日、碁会所で緒方が打ったヒカルの中に、世界中の棋士を魅了して止まないsaiが潜んでいるのだ。

何故ヒカルがsaiの実力をネットの中に隠し、院生クラスの実力と別個で打ち分けているのかはまだ分からない。

 

何にもまして、どうやってヒカルがsaiほどの棋力を持てるようになったのかという疑問が先に立つ。

 

saiの正体を知ってさらに疑惑が深まるとは緒方は思ってもみなかった。

正体が分かったからこそ、聞きたいことや知りたいことは、山ほどある。

ネット碁だけでなく本物の碁盤に向き合い、もっと沢山打ちたいという気持ちもある。

 

ただ、saiの正体が分かったばかりの緒方には、ヒカルに尋ねる気力がなかった。

 

 

 

 


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