IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

34 / 61
34

森下の研究会の日。

棋院にやってきたヒカルを緒方が待ち構えたように捕まえた。

さすがにプロの緒方が、中学生のヒカルの家まで押しかけるのは躊躇ったらしい。

一般客の多い一階ではなく2階でヒカルを待つあたり、確信犯が伺える。

それでもプロ試験当日の対局直前でないあたりは、緒方も一応気遣ったのかもしれない。

 

しかし予め、ヒカルの方も佐為と作戦を練っていたので、突然現われた緒方の姿に慌てた素振りは見せなかった。

むしろ、来たなといわんばかりに、仁王立ちし緒方を迎え撃つ。

 

「進藤、お前、棋院の事務に頼んで、俺の打った棋譜を全部持って行ったらしいな」

 

「俺、超緒方先生のファンなんです!」

 

本人を眼の前に、無表情の無抑揚でヒカルは『ファン』という部分を強調して面と向かって言い切った。

しかし口ではファンと言っても、何の説得力もない。

顔には公然の嘘ですと太文字で書いてある。

 

佐為が緒方と対局したあと、ヒカルに授けた秘策は『開き直って、シラを切りとおす』だった。

 

佐為から言われた瞬間はヒカルも訝しんだが、確固とした証拠が無いのは確かである。

メッセージを送ったと言っても、内容は挨拶程度のもので、別に普段チャットをしないから変だというわけではない。

対局後に緒方から『進藤と関係があるのか』と問われはしたが、認めるどころか、それに対して返事をしていない。

強い打ち手にsaiがまた打ちたいと思って、『また打ちましょう』とチャットを返したのだろうとでも言って言い逃れることは可能である。

 

緒方がヒカルを疑っていることは明らかで、この状況で疑いを晴らすことはもう不可能かもしれないが、証拠さえなければヒカルが認めない限り手出しは出来ない。

疑惑と証拠では、天と地ほどの差があるのだ。

そして佐為が言ったとおり、半信半疑なまま怯むことなく堂々とヒカルが開き直ってみせると、緒方の方が逆に気圧されている様子に、このままシラを切りとおしてみせるとヒカルは臨戦態勢を強める。

 

――このやろう、開き直ってシラばっくれるつもりだな

 

ヒカルの警戒心剥き出しの様子に緒方も作戦を変更することにする。

saiとヒカルを関係付ける確固とした証拠がないことを、一番理解しているのは緒方の方だ。

答えは見えているのに、決め手がないということほど、歯がゆいものはない。

 

「だったら、俺の棋譜を隅々まで並べて勉強したってことか?」

 

「有難く隅々まで勉強させてもらいました」

 

警戒を解くことなく答えるヒカルを緒方はしたり顔でひっかける。

開き直るつもりなら、それはそれで好都合。

考えていることが顔に出やすいヒカルから、ボロを上手く引き出せばいいわけだ。

 

「それならこれから俺の言う問いに答えてみろ」

 

「え?」

 

「俺の棋譜をしっかり勉強したんだろう?」

 

ニヤリと口の端を斜めにした緒方に、ヒカルは顔を緒方に向けたまま

 

――ヤバイッ!佐為どうしたら!?

 

――任せて!緒方の棋譜なら私が全て覚えています!!

 

ヒカルの焦りを他所に、緒方は問題を出す。

 

「2月の大手合いでの乃木先生との一局、64手目」

 

――11の6

 

「11の6っ」

 

「去年の天元戦、第3局、52手目」

 

――8の5

 

「8の5」

 

2問とも即答したヒカルに、緒方の余裕も消えていく。

 

「…………3年前の棋聖戦、3次予選、40手目」

 

――15の10

 

「15の10」

 

3問とも正解され、緒方は内心たじろぐ。

ヒカルが緒方の棋譜を求めたのはsaiに渡すためだと考えていたのだが、本当にヒカルが勉強するために欲しがったのだろうか。

 

――棋譜をもらって数日で、本当に俺の打った対局、全部覚えてやがるのか?

 

本当にヒカルが緒方の棋譜を全て勉強したとしても、たった数日である。

その数日で全ての棋譜を覚えたのだとしたら、驚異的なものだろう。

 

――へへーんだ。棋譜なら佐為が全部覚えてるぜ!!

 

緒方の動揺を見越したように、今度は逆にヒカルがニヤリと笑む。

 

「じゃあ、話は変わるが、お前の打ち筋、棋風、ネット棋士のsaiにそっくりだよな」

 

「緒方先生もsaiをご存知だったんですね。俺、saiも好きだからsaiの棋譜もよく並べるんです」

 

ヒカルが答えた返答も、もちろん棒読みだった。

緒方の思惑は全てお見通しだと言わんばかりのヒカルに、緒方は舌打ちし、作戦を変えて正攻法に切り替える。

 

「saiとは何者だ?名前は?歳は?なぜプロでもないのに、あれほど強い?」

 

それまでの探りを入れるような姿勢から、急に真正面から佐為の核心をぶつけられ、ヒカルは思わずたじろぐ。

証拠がなければ正面から切り出せないだろうと踏んでいたから、予想外の展開にヒカルは対処する術を知らない。

 

「し、知りませんっ」

 

「だめだ、話せ」

 

「知らないってば!」

 

正面からじっと見られることに耐えられず、ヒカルが視線をそらしその場を離れようとするが、

 

「待て!」

 

「放してッ!!」

 

逃がすまいとヒカルの腕を掴もうとしてきた緒方の手を強引に振り払い、咄嗟にヒカルは緒方から走り逃げる。

すぐに緒方もヒカルを捕まえようと追ってきて

 

――ヒカル!あそこ!

 

――え!?

 

佐為の指差す方向を見て、ヒカルは急転回した。

そして見つけた人物の背後に隠れる。

 

「塔矢せんせっ!!」

 

「進藤くん?」

 

「進っ、塔矢先生!?」

 

「緒方君まで、どうか……」

 

行洋の後ろに隠れ、着ている着物をぎゅむっと掴み、縋るような眼差しを向けてくるヒカルと、恐らくヒカルを逃すまいと追いかけてきたであろう緒方を、行洋は交互に見やった。

過日に行洋が佐為とヒカルの打ち筋の相似に緒方が気付いていると話した矢先、佐為と緒方がネットで対局をしていると知ったときは、もしかすると、己の知らないところでヒカルが佐為の存在を緒方にも話したのかと行洋は思った。

 

緒方はあれでも口が堅い方だ。

佐為の存在を知っても他言するような性質ではないが、ヒカルが佐為の存在を話したとすれば、一緒に自分のことも話しているだろうに、緒方から行洋にそういった話を持ちかけられることはなかった。

 

ゆえに、下手に動くようなことはせず、事のなりゆきを静かに静観することにしていたのだが、ただならぬ二人の様子に行洋も何事かと怪しむ。

 

「先生は先日、俺がsaiと対局した一局をご存知でしたよね。進藤はそのsaiと繋がっているんです」

 

「……本当かね、進藤君?」

 

振り向き、自身の背中に張り付いているヒカルに問うと、ヒカルは首をブンブン横に振って否定する。

緒方からして見れば、ヒカルが首を横に振ったのは、単にsaiとヒカルの関係を否定している意味に映ったが、行洋からするとヒカルは緒方に佐為の存在を話していないと必死に訴えているように見えた。

 

だとすればヒカルの後ろにいる佐為の存在に、緒方が気付いてはいるが、確実な証拠を緒方は掴んでいないのだろう。

そしてヒカルも佐為の存在を緒方に打ち明ける気はない。

だからヒカルに詰め寄り強引に白状させようとし、ヒカルは緒方から逃げているのか、と行洋は推察する。

ヒカルが佐為の存在を緒方に話していないのなら、佐為の存在を秘密にするとヒカルに約束した以上、弟子とはいえ、行洋が緒方に味方してやることは出来ない。

 

「進藤君はこう言っているが?」

 

「本当なんです。saiが俺に対局を申し込む直前に、こいつは俺が打ってきた棋譜を棋院で全部印刷して手に入れている。それを進藤はsaiに渡したんです。何より、こいつの打ち方はsaiにそっくりだ」

 

「俺は院生試験の時も推薦してもらったし、緒方先生のファンだったから棋譜が欲しかっただけだ。それにsaiの棋譜だってしょっちゅう並べる!」

 

顔半分を行洋の背中から覗かせ、ヒカルが反論する。

 

「お前、よくそんな白々しい」

 

言いかけた緒方を、行洋が手のひらをすっとあげ制した

 

「緒方君、君の言い分は分かった。しかし、大の大人が、それも院生の見本となるべきプロ棋士が、大事なプロ試験の最中の院生に絡み、大声を上げるのはどうだろうか?何があるにせよ、今は進藤君はプロ試験に集中すべきだし、我々プロ棋士はそれを見守るべきだと思わないかね?」

 

「そ、それは……」

 

「お互いに言いたいことや聞きたいことがあれば、プロ試験が終わってからでどうだろうか」

 

師匠であり囲碁界の重鎮でもある行洋にそこまで言われたら、さすがの緒方も引き下がるしかなくなる。

そして、言葉が詰まったように何も言えなくなった緒方に、ヒカルもこれ以上、強引に詮索される内心ほっと安堵する。

行洋が棋院にいたのは偶然だったが、本当についていた。

 

「進藤君も目上の人に対して言葉使いをもう少し改めなさい。囲碁は強さもだが、それ以上に礼儀が最も大事だ」

 

振り向き、ヒカルにも諭す行洋の眼差しは苦笑している。

あまり派手に動くかないでくれと無言で言っているようで、ヒカルもしゅんと体を小さくさせ項垂れた。

人前でヒカルと行洋が親密にしている姿を見せるわけにはいかない。

弟子でもないヒカルがトップ棋士の行洋と親しくなる接点がない。

だから、これがヒカルを庇う行洋の精一杯の配慮なのだろう。

佐為の存在を秘密にしてくれている行洋を、決して困らせたいわけではない。

 

「はい、すいません……」

 

「進藤君は今日は棋院に何の用で?」

 

「これから森下先生の研究会が、あっ!」

 

廊下の向こうからやってくる森下の姿に気がつき、ヒカルは声を上げる。

森下もすぐにヒカルたちに気付いたようだったが、ただならぬ気配に、森下の眉間に皺が寄った。

 

「行洋?進藤、それに緒方君まで。どうかしたのか?」

 

「いや、何でもない。さあ、行きなさい」

 

ぎゅっと羽織を握りしめるヒカルの手を解き、行洋は森下の方へ行くようにヒカルを促す。

この場を穏便に済ませるには、問題の2人を引き離すのが一番手っ取り早い。

緒方はまだヒカルを睨んでいたが、行洋の促しに応じヒカルは森下の方へ行こうとして、チラリと行洋が自分を見てないことを確認してから

 

「なっ!?」

 

――ヒカルッ!?

 

ヒカルの顔を正面から見えていた緒方と佐為が、ほぼ同時に反応する。

明らかに緒方に向かって、ヒカルが舌をべっと出して、人差し指で目の下を引っ張ったのだ。

世間一般のいわゆる『あっかんべー』というやつで、時間にしてみれば1秒ほどだったので、緒方と佐為の他に気付いた者はおらず、

 

「ほら、さっさと来い、進藤」

 

「は~い」

 

こちらに来るかと思えば、いきなり緒方の方に再度振り向いたヒカルを、森下が急かすように手招きする。

何もないと言われても、場を満たすただならぬ様子なのは森下も感じていたし、そして行洋が緒方とヒカルを引き離そうとしていることも、長年の付き合いで何言うことなく察する。

事情は後で聞くとして、とにかくヒカルの方を連れて行こうとする森下に、何食わぬ顔でヒカルはついて行く。

 

――ヒカル、いくら開き直るといっても、そこまで調子にのってからかうのは……さっき行洋殿に言われたばかりで……

 

――いいのいいの。緒方先生って楽しー

 

上手く緒方から逃げることができ、鼻歌でも歌いだしそうなほど上機嫌のヒカルに、佐為も苦言を呈すが、当人に全く聞く様子はない。

さすがに『開き直れ』というのは度が過ぎたかと、佐為は額を押さえ、己の考えの浅はかさを悔やむしかなかった。

 

その後ろで、

 

「緒方君?」

 

ヒカルがあっかんべーをしたことに気付かなかった行洋は、その場に立ち竦み、プルプル震え、表情に険しさを増した緒方に微かに首を傾げた。

 

――あんのクソガキッ!!

 

ギリリ、と歯をかみ締め、血が滲み出そうなくらい拳を強く握り締める緒方を他所に、ヒカルはさっさと森下の後ろについて研究会をするであろう部屋に行ってしまう。

ヒカルがsaiに繋がっていることは明白だったが、さっきのヒカルのイタズラで確信に変わった。

証拠を掴むかヒカルが決定的なボロを出さない限り、ヒカルとsaiのことを緒方が第三者に話しても妄想か戯言と一蹴されてしまうだろう。

そしてそのことをヒカルは最大限に活用し、緒方がヒカルとsaiの関係を疑っていることを承知で、一切認める気がないのだ。

 

ヒカルの『あっかんべー』は、自分はsaiの正体を知っているが緒方には絶対教えてやらない、と無言で宣戦布告しているに等しい。

 

子供であることを利用し、行洋と森下という若輩の緒方が手を出せない庇護下に隠れたヒカルの機転は、見事だと緒方も認めるしかない。

おまけに行洋にプロ試験の間は見守れと言われた手前、今年のプロ試験が終わるまではヒカルに手が出せなくなった。

大人の中で育ってきたアキラでは考えもつかないだろう。

実に子供らしく、そして緒方の気持ちをこれ以上ないほど逆撫でするイタズラだ。

行洋と森下さえいなければ、プロの見本や模範など蹴り飛ばして、saiの正体もお構いなしに、緒方は間違いなくヒカルにキツイ拳骨を落としていた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。