IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完 作:鈴木_
「和谷、今度はいつ碁会所行く?また3人で団体戦みたいなのやりてぇ!」
「はやるなって。伊角さんの都合だってあるんだから!」
昼間、和谷と伊角とヒカルの3人で碁会所を回って打ったことが余程楽しかったのか、急かしてくるヒカルに適当な返事をしながら、和谷は研究会のための碁盤と碁石の準備をする。
チラリとヒカルを見やれば、その目は輝き興奮しており、プロ試験予選で一般外来に気圧されて飲まれてしまったというのが嘘のようだった。
すると、すっと音を立て部屋に森下や白川たちが入ってくる。
「あ、先生!こんばんは!」
ヒカルと和谷の元気な挨拶に、森下は軽く頷き、後の白川も朗らかな微笑みを浮かべ、こんばんはと挨拶を返す。
「先生、今日も国際アマチュア囲碁カップだったでしょ?どうでした?」
和谷が何気なく振った話題に、森下の顔が曇る。
ようやく二日目も終えた大会だったが、あと二日残っている。
その二日間でまたsaiの話題で騒ぎがおきなければいいが、と思いながら、和谷が振った質問には答えず、少々八つ当たり気味に、
「和谷、お前も相手の棋力もわからねぇネット碁もほどほどにしておけよ」
「でもネット碁だってsaiは強い」
ムッとして言う和谷に、森下は今最も聞きたくない名前を出され、易癖としつつ
「またsaiか。まったく今日の代表選手達といい、緒方君もネット碁をしとるらしいし、最近の若いもんは俺には理解できん」
頭を横に振りながら、森下はため息をつく。
その横で、和谷がネット碁のよさについて熱心に説明していたが、
「緒方先生ってネット碁するんだ……」
呟いたヒカルの声は小さすぎて、その場にいた誰にも聞こえることはなかった。
If God 29
国際アマチュア囲碁カップの二日目を打ち終えた島野は、対局後の疲れとともに、慣れない別の気疲れで疲労感を覚えていた。
今年も日本代表になれたことは当然嬉しいし、代表として恥じない碁を打とうと心がけている。
しかし、対局以外のことで集中力と気力体力をそがれるとは思ってもみなかった。
昨日、会場に入った島野を外国から来た代表選手が捕まえ、拙い日本でsaiについての情報はその後何もないかと聞かれた後は、『sai』という言葉に釣られたように、島野の周りに人垣が出来てしまった。
大会が開催できないと、棋院のスタッフが騒ぐ人々を注意してまわり、人垣を解散させてくれたときは、本当に助かったとしか言いようが無い。
昼食の時も外国の代表選手に捕まらないよう人気がないところに逃げ、二日目の対局が終わった今も昨日の二の舞は御免だと誰かにつかまらないよう足早に帰ろうとしている。
「島野さん?もう帰られるんですか?」
「緒方さん!」
日本棋院を後にしようとした島野を、激励に来ていた緒方が声をかける。
「対局は……帰られるということは終わったということでしょうが、早いですね。何か用事でも?」
「用事もなにも大会開催前からsaiについて各国の選手から質問攻めです。日本はsaiを隠しているんじゃないかとまで難癖つけられたときは、ほとほと困りましたよ。ですから下手に捕まらないうちに逃げるが勝ちかと」
言いながら、島野は誰か外国の選手に見つかりはしないかと周囲を見回している。
緒方がアマチュア囲碁カップの激励に現れたのは、今日からだったから、島野が質問攻めにあっている姿は見ていない。
だが、島野のあまりの困り果てように、緒方は見ていないその光景が簡単に想像できそうだった。
「それはとんだ災難だ」
微笑を浮かべながら、緒方は島野が早く帰ろうとしている理由に賛成し、
「では、もし何かありましたら、私から適当に話しておきます」
「すいません。そうしてもらえると助かります」
緒方に申し訳ないと詫びを入れ、そそくさと日本棋院を後にした島野を見送り、緒方がアマチュア囲碁カップの会場に戻ると、対局を終えたらしい選手たちが、さっそく会場の隅で情報交換をする姿をみかけ苦笑する。
saiの情報が知りたいのはこっちも同じだ、と小さな人垣を内心冷ややかに見つつ、緒方は森下のところにまで行く。
そして隣に並び立ち、何事もなさそうに装いながら小声で
「島野さんはまたsaiネタで各国の選手達に絡まれないうちに退散するそうです」
「そうだな。それが一番いいだろうな」
森下も扇をパチ、パチ、と開閉を繰り返しながら、顔は会場に向けたまま小声で答える。
国際アマチュア囲碁カップは本来なら世界中のアマの選手交流を目的として開催される囲碁の大会なのだから、開催国の代表選手が対局が終わったからとすぐさま帰ってしまうのは非礼にあたる。
しかし、今回は仕方あるあるまい、と諦め気味に森下は付け加えた。
下手にまた騒ぎになるのも面倒なので、面倒が起こる原因となるものを、問題が起こる前に出来る限り避けておくのも大会運営側の当然の配慮だ。
「まったくsaiってヤツも人騒がせな。自分の知らないところで何か問題がおきても関知しませんってやつか」
「逆に案外私達の近くにいたら、それはそれで面白いですけれどね」
小さな笑みを称えながら答える緒方に、森下は開閉を繰り返していた扇をパチリと閉ざし振り向く。
「近くって、緒方くん、saiの素性を知っとるのか?」
「たとえ話ですよ。どう推測を立てたところで、真実はネットの闇の中。推測の域を出ることはないでしょう。出来るものなら私も一度saiと手合わせ願いたい」
「ということは、緒方君もネット碁はするのか?」
「気晴らし程度です。でもsaiの棋譜はたまに並べますよ。考えさせられる部分が多々ありますので、並べ甲斐もある。そういえば、今年はお弟子さんは連れて来られていないのですか?」
去年のsaiの騒ぎでは、saiが唯一チャットをした人物として注目されていた子供が、森下の弟子だったはずだが、と緒方は思い出す。
個人の素性のことを隠しても、対局した一局の検討なりをsaiがしていれば、ある程度の憶測も立っていただろうが、あれからsaiがチャットをしたという情報は、森下の弟子と韓国の安太善の2件しかない。
「ああ、和谷のことだったら、今年は本気でプロ試験受けさせようとキツイ発破をかけてやったもんで、出来るだけ試験に集中させてやろうと今年の手伝いは頼まなかったんだ。今頃、進藤と一緒に碁会所でも行って大人達にもまれてる頃だろ」
「進藤は森下先生の研究会に行ってるんでしたね。どうです、彼は?」
「緒方くん、進藤を知っているのか?」
「ええ、少しだけ。院生試験を受けるとき私が彼を推薦したのですが、森下先生から見て進藤はどうですか?」
「緒方くんが院生の推薦者だったのか。そうだな……才能はあるだろう。師匠の俺が言うのもなんだが、囲碁のセンスなら弟子の和谷以上だ。院生研修と俺の研究会、他は師匠も無しでたった1年半であれだけの力をつけたんだとしたら才能という他ない。9段の俺ですら、時折ハッとする手を打ってくる。指導者無しで人が本当にあれだけの棋力を身につけられるもんなのか、正直俺も……」
確かに和谷に誘われ研究会に参加しだした当時、ヒカルは院生になりたての初々しさがあり危なっかしい碁だった。
しかし、次第にめきめきと力をつけ、プロ試験に入る直前には院生1組の3位にまで順位を上げていた。
ただ、プロ試験では平均順位となるため院生8位以内に入れず予選からのプロ試験になったが、しっかり予選は通過している。
これまで森下は和谷の前にも冴木という弟子を取り、そして多くの新人棋士を見てきたが、ヒカルほど成長スピードの速い子供はいなかった。
「それで、緒方くんは何故進藤に興味を?」
「2年くらい前、子供囲碁大会で、プロでも一見して難しい石の死活を、彼は即断したんです」
「死活をねぇ?たったそれだけで進藤の推薦を?」
「ええ。面白そうな子供だと思いまして」
本当はそれだけではなかったが、緒方はここで口にするべき話でもないと言わずにおくことにした。
当時小学生ではあったが、すでにプロ並の実力を持っていたアキラをヒカルは負かしたのだという。
それも2度。
1度ならマグレもあるが2度はない。
若獅子戦の時の一局も、実力的にはプロにはまだ少し届かないかもしれないが、悪手を見事に化けさせた打ちまわしは、今後の才能の開花を伺わせる。
「ところで、進藤の碁ですが、どこかで見たような印象などはありませんか?打ち筋とか棋風で似通った棋士とか」
「似通った棋風?う~ん、とくにそういったのは無いが……」
「そうですか、ありがとうございました」
ニコリと営業スマイルを貼り付け、森下から何か言われる前に緒方も退散する。
若獅子戦でのヒカルの碁から受けた棋風。
はじめこそ見間違いか勘違いかと思ったが、どうしても気になり、忘れることができない。
誰かに似ている。
そう考え初めてから、ふとした瞬間、緒方の目の前に答が映されていることに気付いた。
ディスプレイに映されたsaiの棋譜に。