IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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森下の研究会がある日、いつものように学校が終わってから直で日本棋院に来ていたヒカルを緒方が捕まえる。

 

「進藤ちょっと待て」

 

「え?緒方先生?」

 

急に名前を呼ばれてヒカルは振り向く。

そしてすぐに周囲を見渡し、誰かに見られていないか確かめる。

ヒカル自身はそうでもないが、研究会を開いている森下は、プロ試験に同期で合格したらしい行洋にライバル心を燃やしていて、門下生の弟子達にも塔矢門下には負けるなと発破をかけていた。

ヒカルは森下門下ではないが、研究会に参加させてもらっている手前、出来るだけ塔矢門下である緒方と話している姿を見られたくないのが正直な気持ちだ。

 

「お前、森下先生の研究会以外に違う誰かの研究会に行ってるとか、研究会でなくても誰かプロに指導してもらっているということはないか?」

 

問う緒方に、ヒカルは一瞬ドキリとした。

プロではないが、プロ以上に強い佐為と毎日打っていると口にするわけにはいかない。

首を横にふるふる振り、しどろもどろに、

 

「……森下先生の研究会以外、プロの人と話す機会もないし」

 

こうしてトップ棋士の緒方の方からヒカルに声をかけてくるのは、例外として答える。

その内心では、次の日曜日にまたこっそり行洋と佐為が対局することを緒方がどこかで感づいた上で、こんな質問を自分にしてきたのでは、とヒカルは内心気が気でない。

行洋が弟子の緒方に佐為のことを話したとは考えにくいが、ヒカルか行洋が店に入ったりするところを誰かに見られでもしたのかと、疑心暗鬼が頭を駆け巡る。

隣にいた佐為もヒカルと同じことを考えたようで、ハラハラしながらヒカルと緒方を交互に見やる。

 

ヒカルの返事にふむ、と緒方は頷いたものの、ヒカルを離すつもりはないらしく

 

「じゃあ、囲碁の勉強は家で1人で本を読んだり棋譜を並べたりするだけか?」

 

確認を取るように再度質問をしてくる。

緒方本人は睨んでいるつもりはないのだろうが、白スーツにメガネから上から視線でものを尋ねられると、それだけでもヒカルには十分過ぎるほど威圧感がある。

 

「はい……」

 

「そうか」

 

「……それが何か?」

 

「いや、いいんだ」

 

質問してきて、勝手に1人納得したように立ち去る緒方の背中を眺めながら、誰かに見られる心配が無いにも関わらず、佐為は自身が幽霊だということも忘れて、扇で耳打ちするようにヒカルに話しかける。

 

――ヒカル、びっくりしましたね

 

いきなり誰かプロに指導してもらっているか、と緒方が尋ねてきたとき、佐為の頭には真っ先に行洋が思い浮かんだ。

しかし、ヒカルは行洋と佐為の対局と検討を見聞きしていただけで、指導らしい指導は受けたことはない。

ヒカルが碁をはじめるきっかけになったのは佐為であり、これまで指導してきたのもずっと佐為である。

 

――……何か感づいたのかな?

 

――私と行洋殿が内密に対局していることですか?

 

――それ以外なにがあるんだよ。今度、塔矢先生に会ったとき、念のためにこのこと話しておくか

 

睨んでくるヒカルに

 

――……そうですね

 

扇で口元を隠し、ヒカルからワザと視線を逸らせて佐為は頷いた。

 

■□■□

 

大手合いの打ち掛けで、休憩室で他のプロ棋士達が昼食をとる中、行洋が1人お茶を飲んでいると

 

「塔矢先生は昼食はとられないのですか?」

 

同じくプロ棋士の芹沢が昼食を食べた様子のない行洋に話しかけてくる。

対局途中に休憩を取ると集中力が乱れるといって、休憩を取らない棋士も中にはいるが、食べる量に差はあっても、これまで行洋は昼食に箸をつけていたと芹沢は思う。

それなのにお茶を飲むだけで、昼食を全く取らないでいるのはどこか体調が悪いのかと心配して声をかければ

 

「いえ、とくに平気ですよ。ただ今日は昼食を取る気分にならないだけで」

 

「そうですか?最近は対局続きで疲労がたまっているのではありませんか?無理は禁物ですよ」

 

言えば失礼になるが、行洋の歳を考えれば少しの異変が大事に至る場合もある。

複数のタイトルホルダーとして多忙は分かるが、やはり人間全ての資本は体であり、少しでも食べておいたほうがいいのではと芹沢は思いながら、無理強いするにもいかず、話題を切り替え

 

「まだ日中天元戦でのお祝いを言ってませんでした。おめでとうございます」

 

「どうも」

 

行洋が小さく頭を下げる。

 

「今年の日中天元戦は中国での開催でしたが、聞きましたよ。何でも天元戦の検討中にsaiの対局を観戦することになりsaiの一手を予測したのだとか。見ていた中国のプロ棋士達も誰も気付けなかったそうですね」

 

「……たまたまですよ」

 

「そのときのsaiの棋譜を見させてもらいました。たまたまで気付ける一手ではありません。さすが塔矢先生です」

 

打ち掛け中ではあったが、日中天元戦での出来事を芹沢は口にする。

saiはもちろん、その対局者もそれなりの実力者なのだとろうと棋譜から推察できたが、saiの打った最後の一手は絶妙なタイミングだった。

受けなければ破られるし、破られなくても地を多く荒らされる。

それまでずっと粘っていた対局者は、その一手で投了したが、saiは荒らすだけでなく本気で破る気だったのでは、と芹沢は思う。

芹沢自身、実際に棋譜を並べて破る道を探してみて、結局見つけることはできなかったが、saiの直前の長考は破るためのヨミにかかった時間のような気がした。

 

「芹沢先生はsaiをご存知なのですか?」

 

弟子で、トップ棋士の仲間入りを果たしている緒方は、年齢的にはまだ若く、パソコンで棋譜整理もしていると聞いていたが、芹沢までネット碁を嗜むとは考えられず行洋が尋ねると

 

「ええ、知ってます。私はネット碁をしませんので、棋譜だけですが。私がsaiかと聞かれたこともありますよ。もちろん違うと答えましたけれど。」

 

ハハハ、と苦笑しながら答える。

対局で地方に赴いたおり、見知らぬ相手から突然saiかと尋ねられたときは、何の前置きもなく唐突過ぎて、それが己のことを指して尋ねているのかどうか、芹沢は一瞬判断が出来なかった。

尋ねてきた相手も、何か確証や心当たりがあったわけではなく、芹沢がタイトル戦を戦うようなトップ棋士だからという理由だけであてずっぽうに聞いたようで、芹沢が違うと答えると、一言詫びて去っていき、呆気にとられてしまった。

 

「……本当にsaiとは何者なのでしょうね。こんなに世間で騒がれ、そして実際に強いのにネットの中にしか現れず、名前も歳も素性は何も分からない。本人はこんなに自分が騒がれていると知っているかも不明だ。でも、プロアマに関わらず、こんなにも多くの人から対局を望まれるのなら、碁打ちとしてこれ以上の幸せはないのではないでしょうか」

 

打ち掛けとはいえ、対局中に与太話をしてしまい申し訳ないと、芹沢は苦笑しながら行洋に詫びる。

そしてそろそろ対局部屋に戻りますと一言断り、芹沢が出て行ったあと、行洋は冷めてしまったお茶に視線を落とした。

薄い緑色の水の面に、行洋自身の顔が揺らぎ浮かぶのを眺めながら

 

「佐為が碁打ちとして幸せ……」

 

芹沢の言葉を行洋はポツリと繰り返す。

 

芹沢はsaiの正体を知らない。

佐為はヒカルの存在があって、初めてその意思を盤面に刻める。

だとしたら幸せなのは佐為ではなく、生きている自分達の方なのではないだろうか。

千年の間、神の一手を極めるために死んでもこの世に留まり続けている、というだけならすごいことなのかもしれないが、それだけならとても『幸せ』とは思えなかった。

肉体がなければ、石が持てず、打ちたくても碁を打つことは出来ない。

例え対局することをどんなに望まれても、それはただひたすらに歯がゆく苦しいだけで、幸せというには程遠い気がする。

 

だとすれば、幽霊である佐為がこの時代のヒカルと奇跡のように出会うことによって、佐為と打つことが出来た自分達こそが、幸せなのではないだろうか。

 

 

 


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