IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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父親の行洋が経営する囲碁サロンに入ると、顔馴染みの者達がアキラを嬉々と出迎える。

 

「いらっ――あ、アキラくん!」

 

「新聞見てますよ。デビューから3連勝、絶好調ですね!」

 

幼い頃から行洋や兄弟子達に連れられて来ていた場所なので、アキラも別段気に留めることはなかった。

すでに何度も打ち、気心知れた店の客に、アキラの方も気さくに返事する。

 

「ありがとうございます。奥、行ってるね」

 

いつも座る指定席をアキラが指差すと、受付の市河は慣れた様子で頷く。

 

サロンの一番奥の席で、アキラは黙々と棋譜を並べていく。

並べている棋譜は夏休みにアキラがsaiと対局した一局。

名人である行洋と打っているようなプレッシャーが始終あった。

そして日に日にsaiは力をつけ強くなっている。

 

不意に断りを入れることなく向かいの席の椅子が後ろに引かれ、アキラが顔をあげると兄弟子の姿があった。

 

「緒方さん」

 

恐らく店に入るとき、多少なり受付の市原や店の客が緒方に気付き騒いだはずなのだろうが、棋譜並べに集中していたアキラは全く気付けなかった。

内ポケットから緒方はタバコを取り出しながら、

 

「何を並べているかと思ったら、インターネットの君とsaiの一局じゃないか」

 

「緒方さんはご存知でしたね」

 

アキラが並べていた棋譜を一瞥して、それがsaiとの対局だと緒方は見抜く。

そのままアキラが石を並べていく様を眺めながら、緒方は咥えたタバコに火をつけ、深く吸った。

 

「saiか……魅力的な打ち手ではある。だが、何故表に出てこない。何かしら事情があるにしろ、これだけ打てれば碁打ちとしての噂の一つくらい立ってもよさそうなものだがな」

 

相手の分からないネット碁ではあったが、緒方も気晴らしや手慰み程度にたまに打つことがある。

その中でログインアカウントの中からsaiの名前を探すことも多いが、緒方がsaiを見かけたのは数えるほどでしかなく、それも誰かと対局中のものが全てで、緒方自身がsaiと対局したことは一度もない。

saiの出現頻度が下がったこともあるが、緒方もタイトルを狙うプロ棋士として多忙な為、ずっとパソコンに齧りついてはいられない。

 

だが、saiが打った棋譜は、saiのファンを自称するプレーヤーたちがネット上で情報を集めUPしているので、後でダウンロードすれば簡単に手に入った。

 

saiが初めて現れたのは去年の夏。

突如、ネットの中に現れるのはいいが、それより前はどうなのだろうか。

これだけ打てるようになるには、それだけ誰かと打ち競い合い、己の技量を切磋琢磨しなければ、決して打てない。

1人で本を読み、棋譜を並べ、詰め碁をするのも限りがある。

碁は相手がいなくては成り立たないゲームなのだから。

 

緒方の中で、根拠はなかったが、saiはプロではなくアマではないだろうか、と仮定するようになっていた。

saiの正体を求める大多数が、saiはプロの誰かだと口を揃えていうが、プロがこんなに派手に素人相手に打つというのは考えにくく、すぐに打ち筋から素性がバレるだろう。

 

打ち筋を変えたところで、必ずボロが出る。

逆にアマだからこそ、その素性が知れないのではないかと考えられる。

ネット碁の認知度と利用者の増加は、近年になってからパソコンの家庭内普及とともに比例して増えたが、まだまだ年配層の利用率は低い。

その中のネットをしない狭い間柄だけでsaiが打ってきたのなら、急にsaiが現れて、素性が一向に知れなくても納得がいく。

 

そこで緒方は一度思考を切り替え、棋院で見てきた若獅子戦の対戦表を思い浮かべた。

棋院の廊下で偶然すれ違ったヒカルは、行洋の研究会への誘いを断り、アキラと仲良く勉強するのではなく戦いたいと言い切った。

断り方も『ヤダ』の一言。

他の者達は礼儀がなってないと口を尖らせるが、大人顔負けの対応を見せるアキラを見慣れているせいか、緒方にはヒカルのこうした子供らしい態度が新鮮に映る。

 

サラブレッドのアキラと、アウトローなヒカル。

 

全く正反対な2人が、互いを意識し刺激し合っている。

恐らく、こういう関係をライバルと言うのだろうな、と緒方は頭の隅で思う。

 

「若獅子戦の進藤を見に行こうかと思ってるよ」

 

本来なら緒方が見に行くほどでもないのだが、今回はアキラが初出場することと、ヒカルも院生側で出場するのだという。

 

「君は彼の評価を下げたようだが、俺はまだ忘れられん。前に話しただろう?子供大会で難解な石の死活をチラッと見ただけで、彼が即答したこと。saiはネットに潜ったままだが、進藤は出てきた。名人の言葉通りだ」

 

「お父さんの言葉?」

 

「ああ、子供大会の時、進藤が去ったあと、『彼がそれほどの打ち手なら、遅かれ早かれいずれは我々プロの前に現れる』とね」

 

対局中に横から口を挟んでしまったことは悪いが、もしあのときすぐに帰してしまわず、自分や名人と対局してヒカルの力量を測れていたらと思うことが、今でも時々ある。

 

「……お父さんが……、期待ハズレですよ!」

 

行洋の言葉に、アキラは眼差しを少々険しくしながらも、期待ハズレと語尾を強くして言い捨てる。

しかし、普段物静かなアキラがムキになって言い捨てるからこそ、アキラがヒカルを意識しているのだと如実に語っているようだった。

 

「2回戦で君と進藤はあたるんだろう?是非、彼には1回戦勝ってほしいところだな」

 

「緒方先生、指導碁お願いします」

 

会話する緒方とアキラに遠慮するように、少し後ろで市原が緒方に指導碁を頼む。

その市原に緒方は軽く手をあげ了解すると、タバコを銜えたままアキラを残し席を立った。

 

胸のポケットからアキラは棋院から送られてきた若獅子戦の対戦表を取り出し開く。

お互い勝ち抜けば2回戦で対戦することになるが、偶然にもアキラとヒカルの名前は隣りあっていた。

 

一度は挫折を覚え、そしてそれ以上に落胆した。

 

中学囲碁大会の時のような碁なら、アキラに負けるつもりはない。

 

しかし、目にしている対戦表は、ヒカルが静かに音を立てず、けれど確かにアキラの後ろを追ってきている証のようだった。

 


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