IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完 作:鈴木_
2月に成績がガタガタになり、3月からまた2組の最下位からスタートしたヒカルも、佐為の指摘と助言のお陰で持ち直し4月から1組に上がることが出来た。
自分の名前が書かれた1組の表を、ヒカルは興奮気味に和谷に見せびらかす。
「和谷!1組だ!今日から俺1組!」
「ハイハイ、1組のドンケツな」
ぺいっとヒカルは和谷につれなくデコピンされてしまい、それを見ていた周囲の院生も、漫才のようなやりとりにクスクス笑う。
「ようこそ1組へ」
伊角が1組を代表するように新しい仲間であり好敵手のヒカルを歓迎した。
1組に上がった初日の対局を、ヒカルは2回とも勝つことが出来た。
調子に乗っている部分はあるとヒカルでも自覚していたが、良いリズムと気持ちで打てていると思った。
闇雲に打つだけでなく、切り込まれる一手を見極め、ギリギリまで踏み込む勇気を知ったからだろうと思う。
だからと言って、盤上に切り込む佐為の一手は穏やかになるどころか、さらに厳しくヒカルを攻め立てるのだけれど。
その次の対局日、初戦のヒカルの対戦相手は和谷だった。
院生試験を受けに来た日からすで和谷とは顔見知りだったが、打つのはお互い初めてなので、どんな碁を打つのか、ヒカルはいつもより興味があった。
院生の研修部屋に入り、ヒカルは和谷の姿を探すと、すでに来ていたらしい和谷は別の院生と雑談しており、近づいてみると
「簡単だって!ネット碁なんて」
「ネット碁?」
和谷からでたネット碁の単語を、ヒカルは無意識に口にしていた。
くるりと、和谷が振り返り
「お、進藤おまえネット碁やってんの?ていうか、パソコンいじれるのか?見えねー!」
矢継ぎ早に言われ、ヒカルはムッとしながらも、近くの座布団を引き寄せ空いている位置に座って、雑談の輪に加わる。
「出来るよ!ネット碁だってしてるし!」
胸を張って自信満々にヒカルは言い返す。
ただしマウスはいじれても、キーボードを打つのはまだまだ苦手ということは、ヒカルの心の中だけに押し留める。
「へー、意外過。後でHN教えろよ!」
「うん、和谷のも教えてくれよ!」
いつもネット碁は見知らぬ誰かとしか打ったことがなかったヒカルは、和谷という同じネット碁をする仲間を見つけ素直に喜ぶ。
知り合いのHNさえ分かれば、家にいてもその人物と打てるのは便利でいいかもしれない。
先に雑談していた1人が、何気なく問いかける。
「なぁ、ネット碁って強い人いる?」
「そこそこいるよ、たまにプロがおふざけで時々打ったりもしてるしな。それにプロだけじゃない。アイツは、プロより強い」
最後の方で急に和谷の顔は真剣味を帯びる。
「有名なのは去年の年末に韓国の安太善と打った対局かな。持ち時間3時間の互戦でもアイツは危なげなく勝ちやがった」
「あ、それ聞いたことあるな。棋院の事務所にも問い合わせ来ているヤツだろ。おっと、時間だ、またな。俺もネット碁はじめたら教えてくれよ」
午前の対局開始時間が迫っていることに気付いたようで、雑談していたメンバーが自分の席へ戻り、和谷の対局相手のヒカルだけが残る形になる。
韓国の安太善。
その名前をヒカルと佐為は行洋から聞かされていた。
年末に佐為が打った対局相手と同じ名前に、もしかしたらと思い
「和谷、そのプロより強い人って名前は?」
「名前?sai、アルファベットでエスエーアイ。ってお前ネット碁するんだろ?saiのこと知らねぇのかよ?」
「あ、いや、そのもし違ったらなぁと思って。saiだろ、知ってるよ」
アハハとヒカルは苦笑しながら言い繕う。
ネット碁で佐為が全勝を続け強いことはヒカルも十分分かっていたが、チャットがほとんどできないことで他のプレーヤーと会話できないため、佐為がどんな風に噂されているのか詳しい内容までは知らなかった。
――だって私は隣りにいますからね
――そういや、塔矢もネットでお前が騒がれてるとか言ってたような……めんどうなことにならなきゃいいけど
三谷の姉がアルバイトしていたネットカフェに入り浸り、ネット碁をしていたときに、突然背後からアキラに肩を掴まれたことをヒカルは思い出す。
そのときは、たまたまヒカルがネット碁に疲れ休憩していて、対局画面ではなく別のHP画面を開いていたから、アキラにsaiの正体がバレることはなかったが、かなり肝が冷えた。
そこで一度は佐為にネット碁を打たせることを諦めたヒカルだったが、しばらくして家にパソコンが届き、再びネット碁が打てるようになったのだから、何が起こるか分からない。
「去年のちょうど夏休みくらいから現れて今も無敗の土なし全勝街道まっしぐら。俺も対局したのは一回だけど観戦はよくするぜ。塔矢アキラまでプロ試験サボってsaiと打つし。マジ誰なんだよ?ってお前だって思うだろ?」
和谷がsaiを思いながら語る傍で、佐為も
――へー。私って和谷といつの間にか打ってたんですね。それに塔矢も試験サボってまで私と打っていたなんて
打っていた本人すら知らないことを聞かされ、興味深げに和谷の話に聞き入る。
「saiと対局した人はたくさんいたけど、saiは対局者とチャットしないし……でも、そんなsaiが何故か俺に話しかけてきたことがあってさ……」
saiが話しかけてきた、という和谷にヒカルは目を見開く。
キーボードを打って文字の会話をするチャットをしたのは、ヒカルでも数えるほどしかない。
その中のチャットをした数人の誰かが和谷だったのだろうかと、ヒカルは内心考えていると
「俺を負かしたあと、『ツヨイダロ オレ』って言ってきたんだ。子供みたいだろ?」
「zelda!オレは院生だぞって言ってた!zeldaって和谷だったんだ!!」
――ヒカル!!
「あ」
口を滑らせたヒカルに、佐為が慌てて止めるも、すでに時遅かった。
ハッとしてヒカルが冷や汗を垂らしながら口を抑えるなか、固まってしまった和谷は、じっとヒカルを見ながら少しして、
「……なんでお前がオレとsaiの会話を知ってるんだ?」
当然過ぎる疑問を投げかける。
チャット画面は会話している者同士にしか見えない。
よって観戦者が知ることは出来ないのだ。
和谷は去年の国際交流囲碁大会でsaiと会話したことは話したが、自分のHNについては誰にも話していない。
saiとチャットした相手が会話内容からzeldaであると見分けることは、sai側から見たチャット画面でしか分かりえない内容だった。
「時間ですので始めてください」
対局時間になり院生師範の篠田が、対局開始を述べると、院生達はいっせいに礼をして対局を始める。
これにより雑談を続けることは出来なくなってしまったが、和谷は驚きと疑いの眼差しのままヒカルをじっと見ていた。