IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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家を出る前、行洋は明子と約束した通り、夜までに帰れたことに安堵しつつ、もっと打ちたかったという気持ちが奥底で燻り続けるのを、気持ちを振り切るかのように頭を振って、玄関をくぐった。

 

時間を忘れ、碁を打ったのは本当に久しぶりだった。

プロ棋士同士の対局でも碁盤に集中し過ぎるということはあるが、やはり持ち時間が設定されており、心のどこかに残り時間を行洋は気にしてしまう。

だが、今日の対局は時間を気にすることなく、じっくりと碁を打つことができ、そして対局後の検討も心躍るものだったので、時間のことなど女将が時刻を告げに来るまですっかり忘れてしまっていた。

 

真剣勝負だったが、お金とかタイトルなどのしがらみが一切ない、ひたすら最善の一手のみを追求する純粋な対局だったと思う。

ヒカルと別れるときにも行洋は言ったが、本当に楽しい一時だった。

 

玄関に入るとすぐに台所から明子が現れ、帰ってきた行洋を出迎える。

 

「おかえりなさいませ」

 

「ああ」

 

「今朝ですけど、お出かけになった後、緒方さんがいらっしゃいましたよ?」

 

行洋が脱いだ草履を整えながら明子が言うと、部屋に向かおうとして行洋は立ち止まった。

弟子の緒方が行洋の家に来ることは何らおかしいことではないが、今日は研究会の日でもなく、来るという連絡も受けていない。

 

「緒方君が?」

 

「ええ、前もって約束していたわけではないから構わないとおっしゃってすぐ帰られましたけど」

 

振り向いた行洋に、明子はありのままを伝える。

 

「……そうか」

 

「すぐ夕御飯の用意も出来ますが、先にお風呂に入ります?」

 

「そうだな、風呂に先に入るか」

 

それだけ言うと、行洋はとにかく自室に戻ろうとするが、明子の一言で今日の出来事がとたんに罪深く思えた。

腕に覚えのある碁打ちならば、誰もが佐為と対局したいと願うだろう。

他の誰でもない、行洋自身のように。

 

そして現に、saiとネットで対局し、また打ちたいと願っているものが多数いる。

しかし同時に、佐為が表に出れば、アキラと対等に打ちたいというヒカルの気持ちや才能は、見向きされることなく潰されることも目に見えている。

 

ヒカルが佐為の存在を打ち明けてくれたお陰で、ヒカルと行洋の時間と都合が許せば、誰にも内緒ということを条件に、行洋は佐為と打つことが出来る。

己だけがヒカルの傍らに在る佐為の存在を知り、対局するということは、佐為と打ちたいと願う者達へ背を向ける行為なのだろうと、行洋は小さく頷いたまま目を閉ざした。

 

 

□■□■

 

 

「ただいまー!!」

 

玄関の扉を元気よく開け、バタバタとヒカルが家に帰ってくる。

 

「お帰り、ヒカル」

 

「お腹空いた!母さん今日の晩飯何!?」

 

「ハイハイ。今日はオムライスよ」

 

「やった!俺のは大盛りね!」

 

育ち盛りのヒカルに、美津子も苦笑しながらも、息子の子供らしい元気な姿にクスクス微笑む。

そのまま走るように二階に上がり部屋着に着替えたかと思うと、同じ速さで一階に戻り、出されたオムライスをガツガツ胃袋に収めていく。

あまりの急いだ食べ方に、美津子は冷たいお茶を出しながら、

 

「ヒカル、そんなに急いで食べたら喉に詰まるわよ。もう少しゆっくり食べたら?」

 

「へぃき!」

 

美津子が注意しても気にすることなくヒカルはオムライスを口いっぱいに詰め込み完食すると、出されたお茶を持って

 

「ごぉおうざま……」

 

吐き戻さないよう反対の手で口を押さえたまま二階へと戻っていく。

何をそんなに急いで食べる必要があるのかしら、と美津子は軽く頭痛を覚えつつ、米粒一つ残さず綺麗に食べられた皿を下げた。

 

――ヒカル、大丈夫ですか?

 

――ん!だいじょ……ぶ!

 

お茶で流し込むようにして口の中の食べ物を飲み込むと、ヒカルは急いで碁を打つ準備をする。

 

――打とうぜ、佐為!!

 

――今日はヒカルも楽しかったみたいですね

 

――ああ、なんか上手く表現できないけど、すごいのだけは分かるんだ。石の流れとか、ちょっと前までなら分からなかったことも、塔矢先生や佐為が言っていることも分かるんだよ

 

佐為と行洋によって、無機質な黒と白の石が確たる意思を持ったように複雑な模様を創っていく様は、佐為の言うままに石を置くだけのヒカルにとっても、片時も目を離せないほど興味深く刺激的だった。

アキラと佐為が以前碁会所で打った対局のように、1人取り残されるわけでなく、2人の真ん中で石の流れを見つめることができた。

そして対局後の検討も、2人が打つのを眺めていた所為か、置かれた石の意味が簡単に理解でき、ヒカルの中に入っていく。

 

――それだけヒカルが成長したということですよ

 

碁盤を前にして、興奮した様子で今日の出来事を語るヒカルに、佐為も嬉しそうに答える。

 

――はじめた頃に比べてだいぶ分かっていたつもりだったんだけどな。まだまだ全然ダメだ。もっとたくさん打って、もっともっと強くなって、俺もあんな碁が打ちたい

 

――ヒカルならきっと打てます

 

――そしてお前から負けましたって言わせてやる!

 

キラリと目を光らせて、ヒカルが不敵に笑めば、佐為も負けじと言い返す。

 

――言いましたね!出来るものならやってごらんなさい!

 

――プロにだってすぐになって塔矢を見返してやるぜ!!

 

――その意気です!!

 

ヒカルと佐為の2人が部屋で意気込みを熱く叫んだとき

 

「ヒカル!!1人でうるさいわよ!!」

 

一階から美津子の注意が飛んできて、ヒカルは自分が声に出して叫んでいたことにようやく気付く。

ヒカルは慌てて両手で口を押さえる。

だが、佐為と視線が合うと、どうしても堪えきれずヒカルは大声を出して笑った。

今度は美津子もどうしようもないと無視することにしたらしく何も聞こえてこない。

 

――打ちましょう、ヒカル!

 

――おう!

 

大きな素振りでヒカルは黒石を碁盤に打った。

 

 

 


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