ナーベがんばる!   作:こりぶりん

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 蛇足かなとも思うのだけど、色々投げっぱなしと言うのもまあもっともなんで、
 補填としてその後の話を少しばかり。



Extra
after:城塞都市エ・ランテル


 王都リ・エスティーゼで起こった異変の噂が、城塞都市エ・ランテルまで届くのにはそれほどの時間を必要としなかった。

 大きな街となれば当然商売絡みでの人の流れは毎日発生する。その日外から王都に訪れて、門が無人であることを不審に思った商隊の面々がおっかなびっくり中を覗き込めば、街をうろつく動死体(ゾンビ)の群れと遭遇することになる。驚き立ちすくんだ先頭集団の数名は哀れ犠牲となったものの、何故か門の外に出ようとしないゾンビ共から生き残りが這々の体で逃げ出すこと自体は簡単であった。

 リ・エスティーゼにゾンビが溢れる――その噂は人の口に乗ってあっという間に王国全土へ伝播した。根も葉もない噂と断じるにも、実際に王国の首脳陣からの連絡は途絶えている。各地を治める統治者階級の面々は困惑と焦燥に駆られて次にどうするべきかも考え倦ねる有様で、そこに暮らす一般の民草も、これからどうなるのだろうと不安な顔を見合わせて埒もない噂話を披露し合う様子であった。

 

 そして、エ・ランテルではその名を知られたバレアレ治癒薬店でも、住人達が不安な顔をつきあわせているのであった。

 

「ンフィー……これから、どうなっちゃうのかな……」

 

 不安で仕事が手につかない様子のエンリがそう呟くと、向かいに座っていたンフィーレアが顔を上げた。彼も作業が捗らない様子なのは同じである。

 

「……わからないよ。いきなり王都が滅びたとか言われても、どうすればいいのか……」

 

 ンフィーレアは奥で作業を行っている祖母の方を窺う。街が滅ぼうと国が滅ぼうと、自分に出来るのは治癒薬(ポーション)を作ることだけだ、できることをするだけさねと言ってのけた祖母は、宣告通り作業に集中している。その態度は流石だと羨ましく思うが、それが正しい態度だと思うことも出来ない。あれは老い先短い老人が今更逃げ出してもどうにもならんと達観しているだけである。本当に王都が滅びたのであれば、王国は滅茶苦茶になるだろう。このエ・ランテルとて、流民が大挙して来て治安が悪化するとか、加工品(ポーション)の原料を入手できなくなって飯の食い上げになるとか、悲観的な予想は幾らでも出来る。それに対して出来ることはあまりにも少ないのだが……ンフィーレアは覚束ない先の見通しに、重い息をついた。

 一方、エンリの方は長椅子に座り込んでいる妹の様子を窺っていた。王都にゾンビが溢れ、生きている人間が誰も残っていないらしいという噂を聞き、真っ青になって塞ぎ込んでしまったネムは、俯いて物思いに耽っている。王都にいたはずの恩人がどうなってしまったのか心配なのだろう。エンリだって、ガンマ様はもうこの世にいないのではないかと思うと胸の張り裂ける思いである。ちっとも捗らない作業を投げ出して、エンリは机を離れてネムの側に腰掛けると、そっと妹の肩を抱き寄せた。ネムの方もそれに逆らわず姉の体にしがみつくと、ぽつりと呟いた。

 

「……ガンマ様……」

 

 

 一方で、不安に頭を抱えるなどという贅沢が許されない人々も存在する。

 

「……うわぁ……」

 

 エ・ランテル冒険者組合の受付兼事務員であるイシュペン・ロンブルは、ふと目線を挙げると、目の前に積み上がった未処理案件が先程より明らかに増えているのを見て頬を歪めた。自分が仕事を片付けるより、仕事が増えるペースの方が早かった。

 原因は無論、王都での異変の報せであった。冗談と笑い飛ばすには多すぎる証言がもたらされた結果、組合長のアインザックは今後の対応について都市長らと相談に行ったきり出ずっぱり。冒険者組合としても、まず独自に裏付けをとるべきか、他都市の支部との連絡をどうするか、王都との連絡が途絶えた結果止まった案件をどうすべきか……王都の異変に関連した事項に対応を取るための人員が必要となった。

 イシュペンはその中には入っていなかったが、人員をそちらに取られた状態で普段の仕事を回さねばならない。その上で王都行きのクエストの扱い、王都から逃げ戻ってきた冒険者への対応、王都方面から来た人々がもたらすクエスト依頼……仕事の方は通常より激増したため、組合事務は戦場さながらの様相を呈し、イシュペンも目の回るような忙しさに悲鳴を上げていた。

 このままだと今日は、下手すると明日も、家に帰れない。適当なところで途中で切り上げて絶対休んでやる……忙しさにきりきりまいしながらイシュペンが胸中呪いの言葉を吐いていると、ふと声が聞こえた気がした。

 

 ――その節は世話になった、礼を言う。

 

「ん?」

 

 イシュペンが顔を上げて周囲を見回しても、自分に声をかけたと思しき人物の姿は見あたらない。疑問符を浮かべてきょろきょろするイシュペンを、サボってんじゃないわよとばかりに同僚が殺気だった視線で突き刺してくるにつけ、彼女はぶるっと身震いした。

 

「……気のせい?とうとう幻聴まで聞こえ出すなんて、これはいよいよ休憩が必要ね……」

 

 同僚が睨み付けるのも何のその、イシュペンは一息つくためにお茶を入れに立ち上がった。

 その後ろ姿を眺めて、アインズは思う。姿を見せもせずに礼を言っても所詮自己満足に過ぎないが……それでも、彼女に受けた恩はきっと返そう。

 

 

 その晩。草木も眠る丑三つ時に、寝付けぬままに枕を抱きしめて一人鬱々としていたネムは、彼女独りの筈の室内に気配を感じた気がしてぱちりと目を開けた。

 

「だあれ……?」

 

 上体を起こして周囲の様子を月明かりに透かし見れば、部屋の隅に大柄な人影が立っているように見えた。あからさまな不審者であったが、不思議と恐怖は感じなかった。予感があったのかもしれない。

 

「……今晩は、お嬢さん。怪しい者ではない……とは言えないが、まあ落ち着いてほしい」

 

 黒いローブに身を包んだ仮面の男は、口元に指を当てて静かにしてくれるようネムに示してみせると、彼の背後に隠れて居た女性の肩を掴んで前に押し出した。ネムの心臓が大きく脈打つ。暗くてよく見えなくとも、その女性には見覚えがあったのだ。

 

「ガンマ様……!!」

 

 これは夢ではないだろうか、そのように考えながらも跳ね起きて、そろそろと彼女の下に歩み寄る。その胸元に顔を埋めると、相手の体温が伝わってきた。

 ナーベラルはきゅっとしがみついてきたネムの様子を、困惑の眼差しで撫でた。半ば無意識に彼女の頭に伸ばそうとしたその手が途中で止まり、驚いたように眉根を寄せて己の手を見つめる。アインズが彼女の肩をポンと叩いて頷いてみせると、ナーベラルは躊躇いながらもネムの頭をそっと撫でた。

 

「無事だったんだね、ガンマ様……良かったぁ……」

 

 ナーベラルは黙して答えない。何を喋っていいのかわからないのだ。その様子を見てとったアインズが代わりに口を開く。

 

「……私は初めましてだな、ネム・エモット」

 

「あなたは……?」

 

 ナーベラルの胸元から顔を起こしたネムが問いかけると、アインズはガントレットに包まれた手を差し出した。

 

「私はアインズ。アインズ・ウール・ゴウンと言う。よろしく」

 

「ゴウン様……はい、よろしくお願いします」

 

 ネムは両手でアインズのガントレットを握ると、にぱっと笑った。物怖じしない子だなあなどと思いつつ、アインズは言葉を選ぶ。

 

「今宵は……挨拶に来たんだ。ナーベラルが世話になった、その礼を言いにな」

 

「……ナーベラル?」

 

 小首を傾げたネムの様子に、アインズはああ、と手を打つ。

 

「そういえば、名乗ったことはないとか言ってたんだったな。君がガンマと呼ぶ、彼女の名前。正確には、ナーベラル・ガンマというのがフルネームなんだ」

 

「ナーベラル・ガンマ……」

 

 ネムはその名前を復唱しながら、ナーベラルの顔を仰ぎ見た。ナーベラルは居心地悪そうに視線をふいと逸らす。

 

「素敵なお名前だね、ガンマ様。いえ、ナーベラル様って呼んでもいいかな?」

 

「……好きにすれば」

 

 ナーベラルが仏頂面で応じると、えへへと笑ったネムは再びナーベラルにしがみつく。

 その様子を心地よさげにアインズが眺める。彼は、弐式炎雷(なかま)がつけた名前を素敵だと褒められただけのことですら、なんとなく嬉しくなるほどにはチョロかった。

 

「ありがとう、ネム。だが今晩は、お別れを言いに来たのでもある」

 

「お別れ……?」

 

 その言葉を聞いて、ネムはアインズとナーベラルの顔を交互に見る。仮面じみたポーカーフェイスと、本物の仮面のどちらからも何かを読み取ることは出来なかった。

 

「我々はこれから遠くに旅に出る。当分は会うこともないだろう」

 

 それを聞いたネムの顔がくしゃりと歪む。だが潤んだ瞳をぱちぱちと瞬いて、必死に頭を働かせると彼女はこう言った。

 

「当分……?つまり、またいつか会えるのナーベラル様?」

 

 ナーベラルの顔を見てそう言ったが、彼女は困惑するばかりであった。それを決めるのは彼女ではない。

 

「……アインズ様?」

 

 主に助けを求めると、アインズは頷いた。

 

「ああ、そうだなネム。……いつか、また会うときが有るかも知れない。それまでは……今夜のことは泡沫の夢、だ」

 

「ゆめ?」

 

 不思議そうにアインズを見上げるネムの顔の前に、アインズは手の平をそっとかざした。

 

<記憶操作>(コントロール・アムネジア)

 

 

「――大丈夫でございますか、アインズ様?ご気分が優れないご様子ですが……」

 

「ああ、うん、大事ない、ナーベラル。思ったよりMPを消耗しただけだ」

 

 そう言いながらふらついたアインズの体を、慌てて寄り添ったナーベラルが支える。

 数分間の記憶の消去。ネムの記憶から、今晩二人に会った記憶を取り除く、ただそれだけのことで、魔法詠唱者(マジック・キャスター)としてはユグドラシルでも上位に属するアインズのMPが枯渇しかける程の消耗を強いられたのは、アインズにとっても予想外の出来事であった。そして、それは有用な情報でもある。何事も試してみるものだ、そう思っているところに、不思議そうなナーベラルが疑問の声を上げた。

 

「それにしてもわかりません。差し支えなければ、愚かな我が身にも教えて頂きたいのですが……どうせ記憶を消してしまわれるのなら、何故ネムにわざわざ会いに行こうと思われたのです?」

 

「それは……」

 

 アインズは口籠もった。ナーベラルから彼女がこの世界でどのような行動をしてきたかを聞き取った結果、本人は自覚していないようだが、エ・ランテルに多少の心残りがあるのではないかと見てとったアインズは、彼女の為に気を回して、わざわざ様子を見に来たのである。

 

 ……お前のためだよナーベラル。果たしてお前は自覚しているか?記憶を消すなら会っても意味がない、その言葉自体が、どうしようもなくあの少女の側に立った台詞であることを。お前が人間全てを大嫌いになったわけではない、そのことが確認できれば少なくとも私にとっては意味があったと言えるだろうな。

 

 だが、アインズはそのような返答を自己満足と断じて己の胸の奥にしまい込み、代わりの言葉を口にした。

 

「……まあ、ちょっとした実験だ。<記憶操作>(コントロール・アムネジア)がこの世界でどのように働くかを確認しておくことには、この先おおいに意味がある。そして、予想外に消費コストが激しいことをこの場で知れたこともまた大きい」

 

「なるほど……アインズ様のご深慮に、私如きが口を挟んだことをお許しください」

 

 それで納得した様子のナーベラルを、アインズは観察する。あの少女で実験すると言ったことに多少は反発するかとも思ったが、そのような印象は全く受けない。あくまでもアインズへの忠義が絶対で、それ以外への感情はそれに反しない範囲でのことになるという理屈だろうか。NPCがアインズに持っている忠義は、これまでの彼女の様子を見る限り、絶対的と言っても良さそうに思える。過信は禁物だが、あまり試すような真似をするのも憚られるところではある。

 

「そもそも何故記憶を消すのかも不思議でしたが……魔法の実験が目的で、たまたまネムを利用しただけでしたか」

 

「ん?……いや、記憶を消したのは一応あの少女に我々の事をぺらぺらと喋られたくないからという理由もあるのだが。王都にいた筈のお前が無事であると知れれば、何処でどう繋がって、私が王都を滅ぼしたことを推測されんとも限らんからな」

 

 ナーベラルの台詞を聞きとがめたアインズが口を挟むと、彼女は沈黙した。

 

「……あの、アインズ様」

 

「どうした?」

 

「その情報を伏せておきたいのであれば、王都で蒼の薔薇の連中を見逃して頂いたことはもしかしてまずかったのでは……」

 

「……あっ」

 

 焦った様子で口走ったナーベラルの台詞に、思わず口を開けるアインズ。二人の間に沈黙が落ちる。

 

「……申し訳ございません、この失態は我が命で……!」

 

 言うなり抜き放った剣を己の首筋に押し当てるナーベラルを、アインズは慌てて制止した。

 

「おい、馬鹿、止めろ。誰がそんなことをしろと言った。ええい、まずは剣を収めよ」

 

「ですが……」

 

 不承不承納刀したナーベラルに、アインズは語りかける。

 

「まあ、確かに考えが甘かった点はあるが……結局あの日王都から脱出した人間は居なかった、彼女たちも大人しく逃げ出しはしなかったということだろう。だから問題はない。……そもそも、出来れば今のところはまだ隠しておきたいかな、という程度の話で、ばれたらその時はその時だ。だからくだらぬ事は考えるな、いいな?」

 

「……はっ、アインズ様が仰るのであれば」

 

 それで納得した様子のナーベラルを見て、アインズは息をつく。あの時出入り口を監視させていたアインズの情報網に引っかかった脱出者は確かにいなかった。事前に逃げ出していた者でも居れば話は別だが、事前に逃げ出したのなら当然アインズの犯行を目撃することはできない。だから問題はない。筈だ。そもそも隠しておきたいのだって、今後の人類に対するスタンスをいまいち定めかねているからというだけで、ばれた結果として人類の敵になるというのであれば、その時は開き直るしかないだろう。

 そこまで考えてアインズは自嘲する。あれだけのことをしておいて、しかもそのことに蟻の巣に水を注いだ程度の罪悪感も覚えていない癖に、それでも問答無用で人類の敵になるのは嫌であるらしい、自分は。我が身に微かに残る人間性の残滓が、消滅するのを嫌がっているということだろうか。

 

「まあ……実験すると言った以上は、経過を観察することも必要だな。もう一手、打っておくとしようか。だが、今は思った以上に疲れた。今宵のところは休むとしよう……と言っても、眠れるわけではないのだがな」

 

「はっ、かしこまりましたアインズ様。お体、ご自愛くださいませ」

 

 そのように言うと、アインズはナーベラルを促して、図体がでかくてかさばるので置いてきたハムスケと合流するために彼女の潜伏場所へと立ち去った。幾ら不可視にしても体積がでかいのはどうしようもないのでやむを得ざる選択であったが、さぞかし不安に思っているだろう。

 

 

 翌朝。昨日の落ち込みようとは打って変わって元気良く姉夫婦に挨拶したネムの様子を見て、エンリとンフィーレアは思わず顔を見合わせた。

 

「ネム……?その、大丈夫?ガンマ様のことを心配してたんじゃなかったの」

 

 あるいは自分たちに心配をかけないための空元気であるだろうか、そのように思いながらエンリが問うと、ネムは屈託のない笑みを返した。

 

「うん、ガンマ様はきっと無事だよ。そんな気がするんだ。でも、なんでかな……?」

 

 我ながら不思議であったが、昨夜までネムの胸を苛んでいた不安は跡形もなく消え去っていた。何かとても大切な夢を見たような気もするが、よくは思い出せない。

 己の胸に手を当てて目を閉じた妹の姿を見て、エンリの頭には疑問符が浮かんだのだが。それに対する答えがもたらされることはなかった。まあ、ネムが自力で不安から立ち直ったのなら、それは結構なことだ。自分もガンマ様の無事を祈ろう。

 どうか、明るい明日が訪れますように。

 

 

 




 アインズ様が指揮棒を振れば容易く悪魔になるんだけど、ほんの僅かに残ったものもありますよ、みたいな話のつもり。
 あと独自設定と言えばそうなるのですが、この手の記憶操作が完全には効かないというのはまあ、定番のお約束ということで( ´∀`)


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