前回のあらすじ:
\ / 帝国では常識に囚われては
● ● いけないのですね!
" ▽ "
ナーベラルの反応は激烈だった。
言われた内容を咀嚼するのに一瞬を要したが、理解した瞬間がばと立ち上がり、手荷物をひっつかんで宿屋の外に突進する。別れを告げる手間すら惜しんだ早業に、伸ばしかけたラキュースの手の平が虚しく空を切った。
宿屋の外に飛び出るや、駆け寄ってきたハムスケに飛び乗って、通行人の迷惑も何のその、王宮に向かって疾駆させた。初めて訪れる王宮の、正門前に駆けつけて、巨大な魔獣の突進に身構える門番の目の前でハムスケから飛び降りると、端的に用件を告げた。門番は彼女の首から下がったアダマンタイトのプレートにちらりと目をやって頷くと、しばらくお待ちくださいとだけ告げる。
ナーベラルにとって永遠にも思われた待ち時間は実際には五分弱。可及的速やかに門番が連れてきた案内人に従って、ハムスケには大人しくしてなさいとだけ告げて門番にその世話を任せ、案内されたのは彼女一人を迎えるには大仰な大広間である。
そこに一人の男が立っていた。その後ろには使用人らしき複数の人影があるが、この場で一番偉いのがその男であることは疑いようがない。
完璧な身嗜みを整えた、まさに大貴族と言うに相応しい出で立ちの男だった。香油を塗った金髪を丁寧に撫でつけて、その怜悧な眼光はさながら獲物を睨む蛇のそれである。ほっそりとした顔立ちは全体的に整っているが、どことなく薄気味悪い印象を見る者に与えていた。服装は見るからに豪奢であり、金糸で見事な刺繍が襟元、袖口、裾周りに施されており、ボタンには小粒の宝石があしらわれている。公式の謁見にも耐える最高級の服を見事に着こなしたその男は、案内されてきたナーベラルに向けて一礼した。
「……これはガンマ殿。お初にお目にかかる。私はエリアス・ブラント・デイル・レエブンと言う。王国では侯爵の爵位を授かっている。以後お見知りおきを」
レエブン候の丁寧な挨拶に素っ気なく頷くと、ナーベラルは周囲をきょろきょろと見回しながら問いかけた。
「……ストロガノフはどこ?」
ぞんざいな応答に、本人よりもむしろ周囲の使用人達が気色ばんだが、レエブン候はそれを手で抑えると言った。
「まあ、特に時間を決めて約束したわけではないので申し訳ない。我々としても、君がこれほど早く来るとは思っていなかったのでね……戦士長は先程、他人任せにはできぬ火急の用件で出払ったところだ……おっと、そのように心配する必要はないですぞ」
ガゼフが不在と聞いて焦れたように身じろぎしたナーベラルに、レエブン候はにこりと笑いかけた。朗らかと言うには程遠い不気味な笑みだったが、特に他意はないらしい、それどころかこの男にはよく似合っている笑みだった。
「戦士長が言付けたメッセージの内容は、私も把握している。そもそも戦士長にその内容を伝えたのも私の方からなのだ。……君は、別に戦士長に会いに来たわけではないのだろう?良ければ私の方から伝言の内容について説明させて頂くが、構わないかね?」
その言葉を聞いて、ナーベラルは一も二もなく頷いた。話すのが誰であろうと、情報さえ聞ければ彼女にとってはどうでもいい。
その様子を見て頷き返すと、レエブン候は説明を始めた。
「まず、これだけは把握しておいて頂きたいのだが。私たちはなにも、『ナザリック地下大墳墓を発見した』などと言った覚えはない。あくまでも、その手がかりとなるかも知れない異常事態を検知したので、君に知らせて自分で判断して貰いたいと思ったに過ぎない。ここまではいいね?」
「ええ、わかってるわ。違っても怒ったりしないから、勿体ぶってないで早くその内容を教えてちょうだい」
焦らされて苛々する様子のナーベラルを宥めるように両手を下に向けて押さえると、レエブン候は続ける。
「……先日上がってきた報告によれば、王国某所にて、近隣住民が所在を認識していない謎の遺跡が突然に出現したということだ。近隣住民への聞き取り調査によれば、最低でも
どくん。
ナーベラルは心臓の鼓動が高まるのを感じた。固唾を呑んで続きを待つ。
「露骨に怪しい遺跡なので、未だ調査の手も入れてはおらず、その前に私の方まで判断を仰ぐ報告が上がって来たわけだが……その報告を受けて、私の頭に閃くものがあったのだよ。その遺跡がある日突然現れた、というのであれば、その建造物は
……そういうわけで、内部に関する情報は勿論、外観すら私の方ではろくに説明ができない状況なのだが。どうかね、興味が湧いたかな?」
ナーベラルは高まる鼓動を宥めながら緊張に喘いだ。とうとう十分なレベルで期待に値する情報が現れたのだ。むしろ、これまで幾ら調べても影も形も見えなかったナザリック地下大墳墓が実はどこそこにありました、と言われるよりも余程信憑性があるように思われた。
深呼吸して必死に気を落ち着かせる彼女を、レエブン候は黙って見守る。
「……ええ、とても、興味があるわ。それはいったい何処なの?」
やっとの思いで吐き出したナーベラルの返答に、レエブン候はうむと頷いた。
「お役に立てそうで重畳だ。……おい、地図を」
レエブン候は使用人の一人から地図を受け取ると、テーブルの上に広げた。ナーベラルがよろめくようにそろそろと近寄ってくるのを待つ。
ナーベラルが頭の中で自分がまだ行っていない所は何処だったか考えながらレエブン候の手元を覗き込むと、レエブン候は左手で地図の一点を指さした。
「……謎の遺跡の出現が報告された地点は、ここだ」
「ちょっと、手が邪魔でよく見えないわ。場所はわかったから指をのけて……」
覗き込んだ角度が悪かったのか、レエブン候の手が邪魔で地図の何処を指しているのかいまいちわからない。ナーベラルは焦れた様子で頭を動かし、なんとかレエブン候の手元を覗き込もうとする。
その時、広間の扉が勢いよく開け放たれた。
「ガンマ殿!!」
飛び込んできたのは王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフであった。
◆
遡ること三日前。
「馬鹿なッ!!」
リ・エスティーゼ王国最強の男が吠えた。激高のあまり放たれた怒号が空気を震わす。それほどまでに理不尽な、承服しがたい命令であった。
「ガンマ殿をどのような手段を使ってでも王国に迎え入れろ、それはいい。が、どうしてもそれが叶わぬ時は……」
復唱することすら躊躇われるその非情な台詞を、目の前にいた男が引き取った。
「……ガンマなる
エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵。王国の大貴族で最も頭の切れる男である。たまらずガゼフは己が剣を捧げた主君を仰ぐ。
「陛下も……同じ考えなのですかッ!?」
リ・エスティーゼ王国の現国王、ランポッサⅢ世は沈痛な面持ちで、だがはっきりと肯定の意思を込めて頷いた。
「うむ、その通りだ戦士長。レエブン候の論旨は単純にして明快、余に反駁の余地を許さぬ」
「わかりやすく順を追って話そうか戦士長?まず、我々リ・エスティーゼ王国が提供できるもので、その者の興味を引くものは無い。ここまでは合っているな?」
ガゼフは同意した。ナーベラルは金銭、名誉、権威と言った人の世のしがらみにまるで興味を示さなかった。彼女が唯一欲したのは、故郷に関する手がかりのみであった。
「その者が唯一欲しがった、グレンベラ沼沢地に存在するナザリック地下大墳墓なる遺跡の情報であるが……手を尽くして調べさせたが、王国の領土内にそのような建造物がないのは勿論、どのような文献にもその場所に関する手がかりは見つけられなかった」
「であれば、放置なさいませレエブン候!ガンマ殿は人の世のしがらみに興味がありませぬ、帝国への対抗手段とできぬのは無念ながら、我々に害を及ぼすようなことはないでしょう!」
「はたしてそうかな?」
ガゼフの言葉を浅はかと断じ、レエブン候は口元を歪めた。
「我々は彼女を懐柔することができぬ。では帝国も同じようにできぬと、なぜそのようなことが断言できるのだ?我々が情報をつかみにくい、帝国の反対側の辺境に存在したら?帝国の図書館に手がかりとなるような文献が存在したら?それとも、かのフールーダ・パラダインが魔法で探ることを可能としたら?」
「それは……」
言葉に詰まるガゼフを、レエブン候が冷たく見据えた。
「仮に帝国がなにがしかの手がかりを提供できる、そう仮定してみようか。できぬと断言する根拠がないのなら楽観は禁物だ、違うかね?それで鮮血帝がこう言うとしよう、『やあガンマ殿、貴殿のお探しの手がかりはここにありますぞ、引き替えに次の戦で我々に協力してくれないだろうか』と。それでどうなると思う?」
「……」
ガゼフの額を汗が伝う。
「君の報告を私なりに解釈すると、ガンマなにがしは王国に敬意はなく、遠慮もしがらみもない。人殺しを躊躇する理由もない。我が国の誰かに縁も恩義もない。ないないづくしだ。それに、先の審問会だったか、アダマンタイト級冒険者という地位もいつでも捨ててやると言ってのけたそうだな?つまり冒険者組合は人間同士の戦争に関与しない、そういった予防措置もその者を掣肘する鎖にはならぬということだ。おまけに、先日起こった謎の『王都の怪人』騒ぎでは、街中で攻撃魔法を無遠慮に放って周囲を破壊したとか?
……今年の秋にカッツェ平野に出てくる様子が目に見えるようではないかね?」
それは飛躍しすぎだろう、そう言いたかったがガゼフは反論できなかった。最初の仮定、すなわち帝国が彼女の故郷の手がかりを見つけること。そこさえクリアされれば、いかにもありそうな事態だということはガゼフにすら疑いを挟む余地はなかった。
「では次に、その女が戦場に出てきたとしよう。何が起こると思うかね?」
レエブン候はガゼフの顔を覗き込んだ。ガゼフの内心で最悪の想像が羽ばたくのを確かめるかのように。
「……我が国の貴族共は、
レエブン候は芝居がかった身振りで手を広げ、ガゼフに言い聞かせるように言葉を重ねる。
「フールーダ・パラダインが戦場に出てこないのは、役に立たないからか?それとも換えの利かない重鎮が戦場で万一のことがあれば困るからか?
後者であれば、帝国側にフールーダ、そしてガンマという駒が揃えばどうなるか?……戦士長殿の報告では、スレイン法国の陽光聖典、戦闘訓練を積んだ精鋭揃いだそうだな、彼らを瞬く間に壊滅してのけたとか。そのガンマがその気になれば、王国の兵士を何人殺せるのだろうな?」
レエブン候は沈黙するガゼフを見つめる。
「これは戦場のことだからな、そなたの見識を正式に問うているのだ。いったいガンマは、戦場で何人の首級を上げられると思う?」
「……王国が例年通りの運用であれば、どんなに少なく見積もっても千は下らないかと」
ガゼフは今も脳裏に焼き付いている、
「……随分と可愛らしい見積もりだな、戦士長?本当によく検討した結果かね?お主が見たことがあるのは確かに第五位階の魔法までかもしれんが、先日の騒ぎではそれ以上の魔法を使ったのではないかという話すらあるのだぞ?」
レエブン候はガゼフを睨め付けると、自身の台詞におののいて身震いする。一方ガゼフは沈黙を守ったが、それに構わずレエブン候はひとつ咳払いをして先を続けた。
「ふん、まあ良かろう。……開戦直後にそれだけ一方的に被害を受ければ、元々徴兵されただけの一般市民だ、一瞬で瓦解するな。帝国騎兵の追撃に蹂躙されて、死者は数万に上るかもしれんな。わかるか戦士長?要するに、ガンマの扱いこそは王国の命運を左右する重大事項なのだ」
「……無論です」
ナーベラルの扱いを間違えると王国が滅ぶ、そこに異論はない。だが結論が。
「我が国に所属するのなら厚く用いてくれよう、そこに至る懸案の処置は私に任せて貰って問題はない。だが、どうしてもそれが叶わぬのなら、王国の為政者としてそれを放置することは決して許されないのだ。人倫だの貸し借りだの、個人的な主義主張で
ガゼフは重い表情で沈黙する。ここであっさりはいそうですかと言えるような人物であれば、そもそもスレイン法国があのような罠を張ることはなかったであろう。譲れぬ信念と王国戦士長としての責任がせめぎ合い、ガゼフの苦悩は深まった。
「……陛下?」
それまで発言をレエブン候に任せ、沈黙を守っていたランポッサⅢ世がゆっくりと立ち上がると、ガゼフの前に歩み寄る。怪訝そうなガゼフに向けて、両の手を床につき、土下座した。
「陛下!?」
「……戦士長の苦しみ、余には察して余りある。が、そこを曲げて頼む。王国数百万の民のため、己の節を曲げてはくれぬか」
剣を捧げた主の無様な姿に、さしものガゼフが狼狽した。
「陛下、とにかく頭をお上げください!そのようなことをされては困ります!」
「上げぬ。そちが頷くまでは上げられぬ。余にできることはこのようなことしかないからだ。愚かと笑うてくれ」
「……陛下……!!」
「責任は全て余が引き受ける。お主の罪は全て余のものだ。この国を滅ぼさぬ為に、そなたの協力が必要なのだ」
動揺するガゼフを、レエブン候の声が打ち据える。
「戦士長!そなたはいつまで陛下にこのような格好を強いるつもりだ!?」
まあ控えめに言っても脅迫であるが、効果は覿面であった。顔色を青くするガゼフに、レエブン候は猫なで声で語りかけた。
「そう難しく考えるな、戦士長。それが嫌ならなんとしてでもガンマを籠絡すればよいのだ。それさえ叶えば万事めでたし、我が国は帝国に対抗するための切り札を手に入れ、泥沼に沈みゆく窮地から脱する展望が開ける。そなたは命を救われた恩義を十全にして返すことができる。ガンマはこの異国の地で確かな足がかりを得る」
詭弁だ、ガゼフは思う。彼女はそんなものを望んでなどいないだろう。手段を選ばずなど、本人を直接見ていないものの戯れ言でしかない。だがそれでも。
険しい顔で黙り込むガゼフに、レエブン候は今度は強い調子で怒声を浴びせる。
「……無論、どうしても嫌ならばそなたに無理矢理剣を振らせることはできまい。その場合はそなたの王国戦士長の任を解く」
ガゼフがはっとレエブン候を見ると、レエブン候は怒気を込めてガゼフを睨み付けた。
「王国より貸し与えられた秘蔵の装備を返すがよい。この件にカタがつくまでは、そなたの身は拘束させて貰う。血迷ってこちらの計画を漏らさんとも限らんからな。後は我々がなんとかしよう。そなたの協力抜きでは成功率が大きく下がるであろうが、そなたがそんなに王国を危険にさらしたいというのであれば仕方あるまいて」
その台詞に込められた覚悟に、ガゼフは息を呑んだ。目の前の男は止まらない。自分では止めることができない。自分が協力しなかったときは、宣言通り自分抜きで実行し、返り討ちに遭って王国を滅ぼしかねない。
……だがそれでも。
「……できませぬ。陛下、どうかお考え直しを」
それでも決して、譲れないものがある。ガゼフ・ストロノーフとはそのような男であった。沈痛な表情でガゼフがその言葉を喉から押し出すと、レエブン候は同じく沈痛な面持ちでため息をついた。
「ここまで言っても駄目か。それでは仕方ないな。……おい、戦士長を拘束せよ」
その言葉に従い、レエブン候子飼いの兵士達が恐る恐るガゼフを押さえつけ、その武装を解除する。部下の手で差し出された”
「安心せよ、ガゼフ・ストロノーフ。……お主は王派閥の大事な切り札だ、このような意見の食い違いでその身分を剥奪するようなことはできぬ。しばらく身体を休めているがいい、なにもかも決着がついた後でならばそなたも諦めがつくだろう。その時には再び陛下のためにその腕を振るって貰いたいものだ」
「馬鹿なことを。……陛下、お考え直しください、陛下!」
ガゼフは四人がかりでその場に身体を拘束されながら叫んだ。だが、ようやく頭を上げたランポッサⅢ世は、立ち上がってレエブン候と共に退室するまで、彼と目を合わせようとはしなかったのである。
◆
「ガンマ殿!!罠だ、逃げてくれ!!」
「……ストロガノフ?どうしたのその格好は……」
広間入り口に詰めていた兵士に二人がかりで制止されながら、強引に身体を広間にねじ込んできたガゼフの叫びを耳にし、ナーベラルが首を捻って入り口の様子を不審そうに窺った。見慣れた戦装束ではない、その辺の農民と見紛う平服には剣すら佩いておらぬ。
(……予定通り、完璧なタイミングだ戦士長。でかした!)
だが結局、自力で拘束を抜け出し囲みを破って駆けつけたつもりの、王国戦士長の乱入も、レエブン候の手の平の上で予定されたイベントに過ぎなかったのである。ガゼフに予定外の行動をされて事態を引っかき回されることを嫌ったレエブン候が、彼の行動をコントロールし、わざと情報を流し隙を作り。ナーベラルの到着から脱出して駆けつけるまでを、いかにも戦士長が自身の力で成し遂げたように演出したのであった。
そしてレエブン候は、ナーベラルが余所見をした隙に悠々と、背後に回した右手で背中に隠したそれを握りしめ。
「!?」
身体に感じた灼熱の衝撃に驚いたナーベラルが視線を戻すと、自身の胸元、乳房の下に水平に刺し込まれた”
三十三話でガゼフが並べたてた推測は、大体この人の受け売り。
さてここから実際ストレス展開なわけだが……
正直前回の引きの時点で疑り深い人にはバレるんじゃないかなーと思ってたんだけど。
実際疑ってる人も居たんだけど、全体に占める純真な感想の割合にオラすっげードキドキして来たぞ( ´∀`)!
願わくば後二話でいいから極端な行動に出るのを待ってくれると嬉しいなー……
1/31 カッツェ平野の名称ミス修正。
2/24 固有名詞修正。