血
ぶしゅ、と血が噴き出す音が至近距離で聴こえる。
「......」
それは他ならぬ彼女がその原因___血を吸っているからだ。
吸血は吸血鬼の生存本能。人間にとっての食事と同義だ。つまり、たとえそれが嫌だったとしても、人間の血を吸いたくなかったとしても、避けられないのである。
吸血を避け続ければ、待っているのは灰と化す運命のみ。
「......ふう」
少女は真っ暗闇の中、一人ため息を吐く。
この生活にも慣れた。
言ってしまえば、やっていることはあの町で暮らしていた頃となんら変わっていない。
変わったのは吸血した対象が死んでしまう、ということだけだ。
「まったく、やになっちゃう」
足下に転がっている死体は全部で六人分。今日はやけに多い気がする。
ともかく、これで今日の食事は済んだ。これであと一週間はもつだろう。
「ま、どっちにせよ、向こうから襲いかかって来るから仕方ないんだけど」
彼女は今、とあるスラム街のような超が付くほど治安の悪い街で暮らしている。彼女はまだ少女に分類される身の上なので、こうして顔も隠さず街を出歩いていれは一分足らずで襲われる。少女は金になる。たとえ顔をフードか何かで隠していたとしても気付かれるのは時間の問題なのだ。
だが当然、襲われれば返り討ちで八つ裂きにするのですぐに、自分が異常な何かなのだと、ある程度勘づかれて噂が広まってしまう。勿論、彼女が吸血鬼だなんて、そんな馬鹿な妄想みたいな話を信じる人間はそう多くないので、それが抑止力になることはない。逆に、なら俺が吸血鬼とやらをぶっ殺してやろうじゃねぇか、などと言って謎に闘争心燃やして突っ込んで来やがる馬鹿野郎が増えるだけだったりする。
まぁどちらにせよ、彼女の敵ではない。
なんの特別な力も持たない野郎共など、吸血鬼の足元に近づくことすら不可能だ。
「そろそろ移動しようかしら......」
移動。
つまりはこの街を去るということだ。
この街に来てからもう三カ月が経過している。
「人の噂を侮るな、ね......」
『彼』はそう言っていた。
「ま、どうだって良いんだけど。結局はどこ行っても変わんないし」
足元の死体を爪先で突っつきながらぼんやりと考える。
雨がプレハブの屋根を叩く耳障りな音が頭に響く。ガラスの無い窓から見える空は真っ黒な雲に覆われ、時より稲妻を走らせていた。
そうだ。
確か『彼』と初めて会った時もこんな天気だったか。
初めて会った時だけではなく、いつも『彼』はこんな雨の日にだけ現れていたような気がする。
あの日は確か___
血血
それは彼女がその街に来た初日の出来事だった。
彼女が初めて居場所を変え、やってきた街でのことだ。
彼女は前に居座っていた街で長居し過ぎた結果、『吸血鬼討伐隊』なんて言うアホみたいな連中に襲撃されていた。
襲撃に合った時には少々身構えたものだが、『吸血鬼討伐隊』なんて名前を掲げている割りにはどうってことはなかった。結局は、何やら私の首には大金が掛けられていたらしく、金欲しさにやってきただけだったらしい。
さすがに賞金首はまずいだろうと思い、とりあえず街を出、放浪の末、その街に辿り着いたのである。
「前いたトコよりはいくらかマシね」
彼女は辺りを見回し、とりあえず売人が隠しもせず麻薬を売っている光景が無いことに安堵する。
いや、実際にこの街は治安が良い場所だ。
行き交う人々の顔には笑顔が溢れ、子供たちが無邪気に駆けていく光景。
なんでもっと早く移動しなかったのだろう、と心から思える程にこの街はまともで、向こうの街は廃れていた。
「まずは当面の寝場所と、食べ物と......血、ね......」
お腹が空いていた。もう何日も何も食べていなかった。それに荷物も着替えも何もない。
吸血鬼は栄養摂取を目的に食事をしない、という場合もあるが、彼女はその限りではないのだ。
食事もいるし、血もいる。
ある意味キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードよりも人間味があると言えよう。
つまりは、吸血鬼は吸血鬼でも、キスショットとはまた異なるのである。
「ふん......」
彼女の所持金は前の街でふんだくってきたのがいくらかあるが、雀の涙くらいしかない。普通の人なら三日もたないだろう。
しかし彼女は吸血鬼だ。三日分の食糧で三週間はもつ。
「けどそれにも限界があるのよね......」
綺麗な石畳の道を歩きながらため息を吐く。
これ程綺麗な所じゃ逆に寝場所が見つからないかもしれない。廃ビルだって一つも見つけられていない。治安の悪い廃れた所なら、そこら辺の野郎にちょっとご協力を頂いて、生活資金くらいは調達できるし、廃ビルなんざいくらでもあったのだが。
「綺麗すぎてとてもじゃないけどそんな事できなわよ......」
自分には合わない街だ、とそうそうに諦めてしまう。そして___
「......雨」
サー、と小ぶりな雨が降って来た。
最悪だ。
とりあえず屋根の下で雨宿り。
「ったく、どうしようかな」
雨は止みそうにない。
石畳の街から人が消え、
そんな景色を見ていると、
「うっ......ったぁ......」
頭痛。
フラッシュバックするいくつかの光景。
部屋に散らばる灰。
誰もいない街。
そして___
お前は僕のために5Dみeを超えるんだ___
「また......一体何なのよ」
彼女は石畳に座りこみながら、空を見上げる。
曇天。
雨はどんどんひどくなってきていた。
まるで、それは今の彼女を表しているようで。
本当に、これからどうすれば良いのだろうか。このままで大丈夫なのだろうか。この身体は、一体いつまでもつのだろうか。
それに、お腹が空いた。もう、肉なんてずっと食べていない。
「もう、疲れた......」
体育座りで、自分の膝を見つめる。
自分のこの境遇を、体質をうじうじ恨み続けるのはもう止めたつもりだったのだけど。
それもまた限界か。
少しでも気を抜けば、自分がなぜこんな目に合わなくちゃならないのか、なぜ故郷を去らなければならなかったのか、考え出して自分が嫌になる。
死にたくなる。
___死ねないが。
「うう......」
そんな時だった。
カツカツ、と雨の石畳から足音が聴こえて来た。
また自分を襲おうとする馬鹿が出たか。
......いや、それはないか。
この街にはそんな人間はいないだろう。
そうこう考えているうちに、その誰かは彼女の下までやって来た。
誰かは言った。
「あの......大丈夫......?」
視線を上に。
そこに立っていたのは、彼女と同じくらいの年に見える一人の少年だった。
傘をさしながら、不思議そうに首をかしげている。
「......誰?」
彼女は視線を膝に戻し、素っ気なく訊いた。
「誰って......、僕は、コウ=センドリアだよ。ちなみに十五歳。君は?」
「私は......」
そこまで言って、返答に困った。
はて......、自分は一体誰だったか。
名前が思い出せない。
「......どうしたの?」
「いえ、なんでもないわ」
決めた。
彼女の記憶には二つの名前しか残っていない。
ユーリともう一人。
彼らはもうこの世にいない。だから、名前を貰おうと思う。
かつての友の名を。
「私はセミリア。アンタと同じ十五歳よ」
「へぇ、君みたいな人もこの街にいたんだね」
「いえ、私はさっきこの街に来たばっかよ」
セミリアは下を向いたまま答える。
「そうなんだ。いやぁ、不思議な目をしてるな、って思ってさ」
「目......? ああ、これね」
セミリアの両目は赤い。吸血鬼の目だ。
当然、目立つ色である。
「まぁ、体質よ、体質」
「そうなんだ? 珍しい人もいるんだなぁ」
「で、何なのよ、あんた」
「うん、別にいいんだけど、顔上げたら?」
セミリアはちらりとコウの方を見る。
ついでにお尻が痛いので立ち上がった。
「で、何?」
「何って、大丈夫なの? 服とか汚れまくってるけど」
自分の身体を見回してみる。
あちこち黒く汚れていて、破れている個所もいくつかあった。
「ああ、ホントね。で、何?」
「何って......」
彼女にとって、別にそんなことはどうでもいいのだ。
「まぁいいや。......ほら」
「?」
彼は手を伸ばしてきた。
セミリアにはその意図が分からない。
「何?」
「何って、君はそればっかりだね。まぁいいよ、着いて来て」
「う、うん」
セミリアは言われるがままコウに着いて、雨の石畳を駆けて行った。
血血血
行きついた先は木造の小屋だった。
外観はボロく見えるが、
「いいよ、入って」
「お、お邪魔します......」
内装は結構綺麗だ。
彼女が今まで寝床にしていたどの場所よりも明るくて、清潔だった。
ここが彼の家なのだろうか?
「狭くて汚いけど、ゆっくりしてて。今タオル持ってくるから」
「ど、どうも......」
何が何だか分からない。
コウの目的は何だ?
さっき会ったばかりの私を連れ込んでどうする気だ?
自分の顔が描かれた、賞金首の貼り紙が脳裏を過る。
しかし、見た限りそんな物はこの街には無かったはずだ。そもそもこの街に犯罪を犯す者がいるとは思えない。
玄関に突っ立ってしばらく考えているうちに、コウは戻ってきた。その腕には大きなバスタオルが。
「あー、そんな所に立ってないで、中においでよ」
そう言って手招きしてくる。
「そ、そうね。ごめん。こんなことって初めてだったから」
「初めて?」
「そう、私、今まで他人の家に入ったことなんて無いのよ」
襲ったことならいくらでもあるが。
もちろんそんなことは言わない。
「そうなんだ。ま、遠慮しなくていいから入って入って」
まだ少しだけ警戒しながら、ギシ、と一歩踏み込む。
「はい、タオル。あと着替えもそこに置いといたから。サイズが合うか分からないけど」
そう言って指さした先に置いてあったのはレディース一式。サイズはおそらく大丈夫だろう。彼女は背の低い方だ。
そんな事より。
「何でアンタが女物の服なんか持ってんのよ。妹でもいるの?」
謎である。
「う、うん。実はそれ、僕の妹のなんだ。今はちょっとここから遠い学校に通ってて家にいないんだけどね」
「......ふーん」
ちょっと怪しいけれど、彼がそう言うのなら、そういう事なのだろう。
セミリアはそう捉えておくことにした。
あまり他人の事情に深入りしたくないし、例えコウに女装趣味があったところで自分には何の影響も無いのだから。
「......で、なんだけど」
ボロいソファーに腰掛け、コウは訊いてきた。
「君はどこから、何をしにこの街に来たの? その赤い眼は何なの?」
「あのね、コウ、質問する時は一つに絞ってからにして。あと私はアンタの質問に答えるつもりはないわ」
「ああ、そっか、ごめんね、やっぱり皆いろいろあるんだよね。抱え込んでる事とか、悲しいこととか......」
その時のコウはとても暗い表情をしていた。
ただただ暗かった。
彼にもきっと何かしら抱え込んでいる事があるのだろうと、セミリアは思った。
「まぁ、暗い話はこれくらいにして、ご飯食べよう!」
「え、あ、ご飯?」
「セミリアも食べるでしょ? あんまり良い食材は無いけど、料理の腕にはそこそこ自身があるんだよね」
そう言うとコウは、キッチンがあるのだろう部屋の奥へと鼻歌を歌いながら入っていった。
コウは笑顔に戻っていた。
けれど、それは自らの悲しみを覆い隠すための物だということを、セミリアは見抜いていた。
あのスラム街で見慣れた悲劇の顔だった。