今回は杏子と双樹姉妹との戦いです。その関係上聖闘士の出番あまりないですけど…、まあ勘弁してください。
見滝原の商店街にあるとある喫茶店。
洒落た雰囲気の店内とコーヒーの味でそこそこ有名なその店の窓際の席で、シジフォスとアルバフィカの二人が向かい合って座っていた。
無論のんびりお茶を飲む為でも、世間話をしに来たわけでもない。彼等が来てからのこの世界の変化、それについて話し合うためである。
「さてアルバフィカ、俺達がこの世界に来てから早一ヶ月、もうこの世界の流れも中盤戦と言ったところ、だな。取りあえず第一の目的、巴マミの生存は達成した。次は…」
「美樹さやかについて、か…。正直デジェルに一任してはいるものの、やはり我々も介入したほうが良いか…?」
「ああ、例のソウルジェムの件と魔女化の件についても切り出さなくてはならないからな」
シジフォスは難しい表情でコーヒーを口に含む。
ソウルジェムの秘密と魔法少女の魔女化…。魔法少女達を救うためには絶対に避けては通れない壁だ。ソウルジェムが魔法少女の魂であると言う事については美樹さやか以外ならば何とか乗り越えられるであろうが、魔法少女が最終的に魔女になる、魔女が魔法少女のなれの果て、という事実についてはいつ明かすべきか決めかねているのが現状だ。
下手にそのような事実を漏らしてしまえば、マミ辺りが暴走して他の魔法少女を殺してしまう可能性もある、というよりも、他の時間軸での出来事を照らし合わせるとそうなることはほぼ確実であろう。
「…そしてソウルジェムが魔法少女の魂と言う事は…、確かさやかと杏子の諍いで判明するんだったな?アルバフィカ」
「そうだ、争いを止めようとしたまどかがさやかのソウルジェムを放り投げ、それでさやかの肉体は生命反応を停止、そしてキュゥべえの種明かし、といったところだ。が…、幸か不幸かこの時間軸でそれは起こりそうにない。つい昨日マニゴルドの奴が佐倉杏子の魂を肉体に戻したと聞いた。家族との事も吹っ切れたようだしもうさやかに喧嘩を売ることも無いだろう」
「なるほど…。となるとどうやって打ち明けたものか…。まさか我々が彼女達のソウルジェムを奪うと言う暴挙に出るわけにもいかぬし…」
実際に目の前で実証したあとキュゥべえに吐かせてしまえばどうにでもなるのだろうが、問題はどうやって実証するかである。
本来の歴史通り杏子とさやかの諍いがあるのなら話は別なのだが、聖闘士達の介入によってさやかと杏子の意識の変化がある以上、互いの軋轢はほぼ払しょくされているとみて間違いは無い。
本来なら魔法少女同士が争う事が無いと言うので喜ばしい話なのであろうが、お陰で魔法少女の秘密の一つが明かされる機会を逸してしまった。
幸いワルプルギスの夜襲来までまだ時間はある。それまでに何か方策を考えれば…。
コーヒーを啜りながら考えにふけるシジフォスを、アルバフィカは黙って眺めている。
「所で話しは変わるがシジフォス、君は鹿目まどかをどう思っている?」
と、アルバフィカは突然シジフォスに向かって、何気なくそんな問いを投げかけた。
あまりに唐突な質問に、シジフォスは思考を中断すると、眉を顰めてアルバフィカを見る。
「はあ?何だ藪から棒に。どうと言ってもなんとも思わないが?」
「何とも思わない、か…。恋愛感情その他は抱いていないのか?」
「無い。何度も言うように俺はまどかにそんな物を抱いた事は一度も無い」
一切の淀みなく言い放つシジフォスに、アルバフィカは呆れた表情で頭を押さえる。
「随分と酷い事を言うものだなシジフォス。まあ確かに子供に恋愛感情を抱くなどと言う事があったらもはやロリコン確定だろうがな」
「どこぞの山羊座ではないのだから俺は幼女に欲情などせんわ!!大体お前とてマミの事はどうするつもりだ、と言うかどう思っている!!」
「マミはただのお隣さん、ついでに紅茶の淹れ方やら生け花やらを習いに来る生徒と言ったところだ。恋愛感情など湧かんしよしんば湧いたとしても体質の問題で恋愛等不可能だ」
アルバフィカは平然と言いながら肩を竦める。
アルバフィカの体内の血液はデモンローズへの耐毒性質を身につける過程で同質の毒性を帯びてしまっている。さらに新しい生を得てからは修行の過程でさらなる毒素を取り込む事となったため、聖戦時よりも危険度が上がっている。
そんな危険極まりない体質であるため、アルバフィカはやたらに人に近付く事も出来ない。ましてや女性との恋愛関係等夢のまた夢だろう。
「…あのだな、お前達は何か勘違いしているが、俺は女性ともう付き合える身分じゃないんだ。いろんな意味でな」
「何だ?聖闘士が女性とお付き合いしてはならないと言う法は無いぞ?まあ私は御存じのとおり体質の問題で付き合ううんぬん以前の問題だが…」
「いや、そうじゃなくてだな…。ああ全く!!もうこの際だから言っておくがな、俺には……、ん?」
シジフォスが何かを言おうとした瞬間、携帯電話の着信音が響き渡る。
反射的に口を閉じたシジフォスは、自分の胸ポケットの中から携帯を取り出すが、着信音はなっておらず、着信もメールも来ている様子は無い。
となると音源は…。シジフォスは目の前の同僚に視線を向けると、既にアルバフィカは自身の携帯を取り出していた。
「ああすまん私のだ。…もしもし、ああなんだマニゴルドか、一体どうし…、なんだと!?それは本当か!!」
アルバフィカは知り合いからの電話に最初どうでもよさそうな顔で話をしていた、が、突然ギョッとした顔で大声を上げる。
そのせいで店でお茶を飲んでいた客や店内を回っていた店員が驚いた表情で一斉にこちらに視線を向けてくる。シジフォスは以前にもあった光景に嫌そうな顔をするといつぞやと同じように店員や客に謝り始める。
アルバフィカも大声を出した事に気がついたのか一度口をつぐむと、今度は蚊のような声でボソボソと話を再開する。
「…ああ、ああ分かった、直ぐに向かう。では電話をきるぞ」
「はあ…、はあ…、全く、少し声が大きすぎるぞアルバフィカ。他のお客様に迷惑がかかるだろうが」
アルバフィカが電話を切ると、店の中の客と店員全員に謝り通してきたらしいシジフォスが、色々と疲れ切った表情で自分の席に座りこんだ。アルバフィカも気まずそうな表情で軽く頭を下げた。
「…で、一体どうしたというんだ。何か予想外の事態でも?」
「…予想外などというレベルではない、美樹さやかのソウルジェムが強奪された」
「な、何だと!?……あ、すいません、こちらの事です」
アルバフィカのあまりにも予想外なセリフにシジフォスは反射的に席を立ちあがる。
が、それでまた他の客の視線が自信に集まってしまい、再び謝る羽目になってしまう。
再び店内の客への謝罪を終えたシジフォスは、倒れ込むようにテーブルに突っ伏すと、近くにいる店員にコーヒーを注文する。
店員は不審そうな目つきでシジフォスを眺めていたが、何も言わずに空のカップを受け取りカウンターに下がっていく。そんな店員の後姿を、シジフォスは苦笑いを浮かべながら見送った。
改めてアルバフィカに視線を向けると、こちらはこちらで何とも言えない表情でシジフォスを眺めている。
「…話が途切れたな。一体どこの誰だ?そんな事をした輩は…」
「…下手人の名前は双樹あやせ、これだけ言えば分かるだろう?」
「…!なるほど、双樹姉妹か。全く厄介なモノが出てきたな…」
アルバフィカの言葉にシジフォスは合点が言ったのか眉を顰める。
双樹姉妹。アスプロスとデフテロスの後輩である双子座の黄金聖闘士、サガと同じ二つの人格を持つ魔法少女。ただし、善と悪の人格が対立していたサガとは違い、双樹姉妹の人格、あやせとルカは互いの趣味嗜好が一致しているためか人格同士争い合う事は無い。
しかし人格云々については問題ではない。一番の問題は彼女の趣味趣向であった。
彼女は魔法少女の魂であるソウルジェムを宝石と称して魔法少女から次々と強奪してコレクションするという趣味がある。無論魔法少女からすれば死活問題であるため抵抗はするのだろうが、双樹姉妹自身の魔法少女としての力量もかなりのものであり、さらに人格の入れ替えによって魔法少女として異なる力を使用する等の通常の魔法少女とは異なる戦い方をすることから、結果的に魔法少女の多くがソウルジェムを奪われる羽目になってしまうのだ。
「だが彼女達は今あすなろ市で活動しているはずだ。それがなぜ見滝原に…」
「大方目当てのソウルジェムが無かったからソウルジェムの多い見滝原に出てきたのだろう。餌を求めて野生動物が人里に下りてくるように、な」
アルバフィカは紅茶を口に含みながら気の無い返事を返す。
アルバフィカの言うとおり、あすなろ市にはもう魔法少女は殆どいない。
セージとハクレイ、そしてプレイアデス聖団の活躍により、あすなろ市にいる全ての魔法少女のソウルジェムは元の肉体に戻され、魔女も殆どが狩りつくされている。
故に魔法少女からしてみればあすなろ市にいることにメリットはない。生命線であるグリーフシードを稼げないのならば、わざわざ留まる理由もない。そのため今のあすなろ市にいる魔法少女は、プレイアデス聖団を含む、ソウルジェムを持たない魔法少女のみである。
双樹姉妹からすれば、今のあすなろ市はソウルジェムも無ければグリーフシードも手に入らない、さらに下手にうろつけばプレイアデス聖団に攻撃されて自分達の魂を肉体に戻される羽目になりかねない、居てもメリットどころかデメリットしかない場所、ならばそんな所に留まらず、魔法少女が大量にいるであろう別の街、すなわちここ見滝原に移動するのは必然であろう。
「…なら、我らが動くべきか?」
シジフォスは鋭い視線をアルバフィカに向け、問いかける。
双樹姉妹は魔法少女でも屈指の実力者、たとえマミでも勝てるかどうか保証はない。
故に自分たちが動いて彼女達を叩き、さやかのソウルジェムを取り戻す。それが一番確実な一手だろう。
が、アルバフィカは落ち着いた様子で首を振った。
「マニゴルドの奴が様子を見ろ、と言っていた。既に佐倉杏子が双樹姉妹を追跡している。最悪自分が出るから安心しろ、とな」
「杏子が、そうか…」
シジフォスはただ一言そう呟くと、そのまま黙りこむ。店員がお替わりのコーヒーをテーブルにおいて行ったが、それにすら気が付いていないかのようであった。
「…不安そうだな」
「ああ、何しろ相手は何人もの魔法少女のソウルジェムを奪っている、即ちそれだけ多くの魔法少女と戦い、退けてきた強敵だ。果たして杏子一人で勝てるかどうか…」
アルバフィカの言葉にシジフォスは何とも言えない表情を浮かべる。
確かに佐倉杏子は己の本来の魔法である幻覚魔法を取り戻した。だが、相手は何人もの魔法少女を倒してきた強者、魔法少女との戦いも相当知り尽くしている。いかにベテランな杏子でも苦戦は免れないだろう。
少々心配性気味なシジフォスに、アルバフィカは呆れたように肩をすくめる。
「残念だが彼女が本当の危機に陥らない限り我々は静観だ。この世界での主役は彼女達魔法少女であり、我ら聖闘士ではない。精々裏方役に徹して彼女達を引き立てるべし、それが教皇と一刀の指令のはずだろう?」
「む…、確かにそうだ、な…」
シジフォスは渋い顔でコーヒーカップに手を伸ばす。
確かに此処で自分達が手を出してしまえば簡単に片はつくだろう。
だが、自分達が出ていいのは魔法少女達が本当にどうしようもない危機に陥った時のみ、それ以外の場合は出来うる限り彼女達自身の力で解決してもらう。
あくまで自分達は脇役、この世界で紡がれる『物語』の主役は彼女達だから…。というのが依頼主の主張である。言いたい事は分かるのだが、やはり分かっているのに手助けをしてやれない、というのは流石に気分が悪い。
シジフォスは苦虫を噛み潰した表情でコーヒーを啜る。ふと見るといつの間にか向かい側に座っていたアルバフィカの姿が消えている。代わりに彼の座っていた側のテーブルの上に自身の飲んだ紅茶の代金が置かれている。先にマミの所へ行くから自分の代わりに代金を払っておいてくれ、という事だろう。
「全く、この程度奢ってやると言うのに、律儀な奴だな」
まあそれが奴のいいところなのだが、とシジフォスは微笑を浮かべるとカップのコーヒーを一気に飲み干した。
杏子SIDE
その頃、美樹さやかのソウルジェムを強奪した双樹あやせは、とあるビルの屋上で青い輝きを放つソウルジェムを掲げてうっとりと陶酔した表情を浮かべている。
「ん~…、この海のような深い青、ディープなブルー…。いい物が手に入ったなー。最初にしては出だしも上々~♪」
満足げな笑顔を浮かべながらソウルジェムを眺めるあやせ。が、ふと笑顔のまま視線を屋上の入り口のドアに向ける。
「そう思うよねえ、そこに隠れている魔法少女さん?」
あやせが閉じられたドアに声をかけると、それに答えるようにドアが開く。そして、開いたドアから屋上に出てきたのは、赤いポニーテールとつり上がった目が特徴的な少女、佐倉杏子。さやかのソウルジェムを奪い取ったと思われる魔法少女を尾行し、此処まで辿りついたのだ。
杏子は目の前の下手人を油断なく眺めながらポッキーを口にくわえ、噛み砕く。
「…やっぱりテメエか、あいつからソウルジェムパクってやがったのは」
「パクる、ねえ…。まあそうだね。うん、私が犯人で間違いないよ」
あやせは表情を変えることなく自身がソウルジェムを奪った事をあっさりと認める。自分の存在に全く動じていないあやせの姿に杏子は軽く眉を上げる。
そんな杏子の態度に構わず、あやせは興味深そうに杏子をジロジロと眺める。
「そーいう君は魔法少女、でいいのかな?うーん、君のソウルジェムも綺麗そうだなァ、ほっしいなァ」
まるで舐めるように眺めてくるあやせの視線に杏子は気味悪げに顔を顰めて舌打ちをする。
「一つ質問に答えやがれ、なんでさやかのソウルジェムを奪った?そんなもの奪っても何の価値もねえだろうが。グリーフシードと違って穢れ吸い取らねえし、別の魔法少女に変身できるわけでもねえ。集めてもあたしらにゃ何の得もねえ代物なんだぜ?」
これ以上付き合っていられないと言わんばかりに杏子は本題を切りだす。
奪った理由が碌でもない理由ならばこいつをぶちのめしてソウルジェムを奪い返してとっととおさらばしよう、そう心に決めて杏子はあやせを睨みつける。
杏子の問い掛けに対し、あやせは『またか』と言いたげなうんざりしたような表情を浮かべる。
「あー、またその質問かー。何だか魔法少女に会うたびにそんな事聞かれるんだよねー。『何でソウルジェム集めてる?』とか『そんなの集めて得でもあるのか?』とかね。
そんな事言われても、特にこれといった理由なんてないよ。でも、まあそうだねー、強いて言うなら…」
あやせはしばらく考え込んでいたが、やがてニッと無邪気な、それでいて何処か不気味な笑みを浮かべる。
「綺麗だから集めたくなった、それだけかな~?」
「……なんだと?」
あやせの返答を聞いた杏子は、その意味が分からず呆気にとられた表情を浮かべた。
あやせはそんな杏子の反応が予想通りだったのかクスクスと笑いながら話を続ける。
「私って昔から宝石とか大好きでさ~、子供のころからそういうのコレクションしていたんだよね~。でね、ある時キュゥべえと契約して私の魂がソウルジェムになったんだけど、それがすっごく綺麗でさ~、今までたっくさんの宝石を見てきたけどこれ以上に綺麗なものなんて無かったよ~。
それでね、ふと思ったんだ。私以外にも魔法少女が居るんなら、他にも一杯ソウルジェムがあるんじゃないかって!もしあるなら全部集めて眺めていたいって!だーからソウルジェムを集めているってわけ」
自慢そうに話すあやせの姿を、杏子は黙って眺めていた。否、呆気にとられて何も言う事が出来なかった。
なんなんだコイツは。一体何を言ってるんだ?杏子の頭を巡るのはそれだけだった。
魔法少女の魂であるソウルジェム、それをただ『綺麗だから』という理由で奪い取る…?
杏子からすれば全く持って理解できない、否、理解する気にもなれない思考回路であった。
「…テメエ、ソウルジェムが何だか知ってるのか?それはただの変身道具じゃねえんだよ。魔法少女の本体、魔法少女の魂そのものなんだぞ?それが無くなったら魔法少女は…」
「うん、知ってるよ」
杏子の問い掛けを最後まで聞かず、あやせはあっさりと肯定を返す。
ソウルジェムは魔法少女の魂で、コレを失った魔法少女の肉体はただの死体となる事を知っていると…。
「でもいいじゃん!これが本体だって言うならさ、空っぽの身体がどうなったってコレが無事なら魔法少女は『生きてる』ってことでしょ?だったらソウルジェムを私が貰っても魔法少女を『殺した』ことにならないよねェ?だって魔法少女達は~…」
あやせは懐から木箱を取り出し、蓋を開く。
そこには、色とりどりのソウルジェムが箱にびっしりと詰められており、あやせはそれを杏子に見せびらかしながら自慢げに笑う
「ここでちゃーんと生きているんだからさァ」
無邪気な笑顔で魔法少女の『魂』を見せてくるあやせの姿を見て、杏子は今度こそはっきり嫌悪感を抱いた。
異常だ、コイツは壊れている。
ただ自分の趣味嗜好の為に魔法少女のソウルジェムを、魔法少女の命と知りながら奪い取り、コレクションする…。杏子からすれば、否、たとえ他の魔法少女であったとしても嫌悪感を抱くであろう思考だ。
「…下らねえ」
「ん?今何て言ったの?」
杏子がボソリと何かを呟き、それを聞いたあやせはキョトンとした表情で聞き返す。
杏子は伏せていた顔を上げると、怒気の籠った視線であやせを睨みつける。
「下らねえ。よしんばソウルジェムが本体であろうとなかろうと、肉体無くなっている時点でそいつはもう『死んでいる』も同然じゃねえか。テメエにソウルジェム盗られた魔法少女の身体はどうなる?そのまま放置されて腐るか、霊安室におかれるか、それとも火葬場で燃やされるか…、どっちにしろ碌な事にならねえ。分かるか?
テメエのやってることはなあ、人をぶっ殺している事と大差ねえんだよ!!この無差別強盗殺人女が!!」
杏子の怒号が屋上に響き渡る。
確かに自分も生きるためとはいえ万引き、無銭飲食、空き巣と何でもやってきた。
親がいなくなり、食う物にも困り果てた果てに、自身の手にした魔法を利用してアルデバランに出会うまで生き続けてきた。
そして、グリーフシードを得るために、多くの使い魔を見逃してきた。その結果、どれ程多くの人々が犠牲になってきたのだろうか…。
たとえ自分が生きるために仕方なくやってきたと言っても、確かに自分がやってきた事は悪事だろう、世間一般で見れば警察に御用されても文句は言えないだろう。
だが、こいつは単なる自分の趣味のため、快楽のために文字通り魔法少女の命を奪い、収集している。もはや悪などという生温い言葉では済まされない、本物の鬼畜だ。
こんな奴をこの街でうろつかせるわけにはいかない。さやかだけではない、自分が師事したマミにまで被害が及ぶだろう。
一方杏子に好き放題言われたあやせは、いかにも不機嫌そうに顔を顰める。
「強盗殺人女か~…そう言う言われ方、マジ好きくない。それに~…何だか君のソウルジェムも、欲しくなってきちゃったよ~?」
怒気と殺気を滲ませながら、あやせはソウルジェムの入った箱を懐にしまい込む。瞬間、あやせの全身が眩い光で覆われ、光が晴れた瞬間、あやせの服装は白いゴスロリ衣装、すなわち魔法少女の姿へと変化していた。
魔法少女に変身したあやせの姿を見て、杏子はまるで馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「あたしのソウルジェムが欲しい?そいつは無理な相談だな。何故なら…」
杏子は目の前の敵に向かって、まるで獲物を見つけた猛獣の如き獰猛な笑みを浮かべた。
「テメエは此処で、立ち上がれねえくらいぶちのめされるからだ!!」
杏子が叫んだ瞬間、杏子の身体から深紅の光が放たれる。やがて、光が消えるとあやせの目の前には、魔法少女の姿に変身した杏子の姿があった。
その姿は一見すると普段変身した姿と変わらない様に見える。だが、ただ一部、かつての杏子の魔法少女の姿とは違う部分がある。それは…。
「ん?あれ?何、貴女ソウルジェム無いの?」
「ああ、だったらどうした?」
あやせは訝しげな顔で杏子をジロジロと観察するように眺める。一方の杏子からすれば、その反応は予想通りだったのか顔色一つ変えることなく、あやせの視線を受け流していた。
あやせの言うとおり、杏子の胸元にはかつて存在していた赤い宝石、ソウルジェムが無い。ソウルジェム、すなわち魂は杏子自身の身体の中に存在している。
先日教会でマニゴルドが召喚した魔女を倒し、家族と和解した後、マニゴルドはプレゼントと称して杏子にある術を施した。
その一つがソウルジェム、魂を元々あった体内に戻すこと。ただし魔法少女の力そのものは失われず、魂そのものに残留しているため、ご覧のように変身する事は可能だ。
魂が元の肉体に戻っているため、ソウルジェムを奪われて身体が死体になる、という事はないものの、逆を言えば魂がソウルジェムだった頃の利点、ソウルジェムを破壊されなければ死ぬ事は無いと言う半不死性は失われている。その為ソウルジェムがあった頃は大した事のない攻撃であっても、下手をすれば致命傷と化す危険性も出てきてしまっている。
とはいえ杏子からすれば魂のないゾンビのような体などまっぴらごめんであるため、今の状態に特に不満は無い、むしろグリーフシードで穢れを取り除く手間が省けているため、逆に感謝している程である。
一方の双樹あやせは杏子がソウルジェムを持っていないと分かると、急にやる気をなくしたかのように盛大な溜息を吐き、変身を解除して元の姿に戻る。
突然変身を解除したあやせに今度は杏子が不審そうな顔になる。
「…おい、変身解除して一体なんのつもりだテメエ」
「やーめた、ソウルジェム持ってない魔法少女もどきの相手なんて時間の無駄じゃん。帰る」
訝しげにこちらを眺める杏子に対し、あやせは興醒めした様子でそのまま杏子の横を通り過ぎていく。杏子はそんなあやせの態度に再び激昂する
「なっ…!時間の無駄だと!?テメエふざけてんのか!!」
「だってー、貴女ソウルジェム持ってないでしょ?だったら戦うだけ魔力の無駄遣いじゃん。そ・れ・に、私人殺しは嫌いなんだー。もし戦ったら貴女死んじゃうよー?死ぬのやだでしょ?私は人を殺すのやだ。だから、帰る」
「なっ!?ふざけてんのかテメエ!!今まで散々魔法少女ぶっ殺しておいて人殺ししたくねェだ?寝言ほざくのもいい加減にしろ!!」
あやせのあまりにふざけたもの言いに、杏子は怒りで顔を赤くしてあやせの肩を鷲掴みにする。
強い力で肩を握りしめられ、あやせは痛そうに顔を顰めながら、軽く溜息を吐いた。
「全く、しょうがないなァ」
その瞬間、あやせの肩を掴んでいる杏子の腕が突然発火した。何の前触れも無く燃え上がった腕に、杏子は咄嗟に反応できずに呆然としている。そんな杏子の姿にあやせは可笑しそうにクスクスと笑い声を上げる。
「その炎は大体500℃前後、紙や木なら軽く燃える温度だよ?腕、燃やされたくなかったら離しなよ」
ソウルジェムを魂を戻される、それはすなわち半不死の肉体を失うと言う事はあやせも知っている。痛覚遮断や回復は出来るかもしれないが、あまりに重度の傷を負えば回復などしている間も無く死ぬ、魔法少女よりもはるかに脆い肉体へと戻っている。
ならば炎に耐えられない、無理に耐えても腕一本が消し炭になる、放っておけば手を離すだろう、あやせはそう考えていた。
だが、そんなあやせの予想に反し、杏子は一向に腕を離そうとせず、肩をつかむ力も欠片も弱まっていない。流石にあやせも不審そうに眉を顰める。
「ちょっとちょっと、痛覚遮断してるの?それでも腕一本燃やされちゃうよ?早く離した方が…」
身のため、と続けようとしたあやせの言葉が途切れる。
あやせはてっきり杏子の顔は腕を焼かれる苦痛で歪んでいると思っていた。
痛覚遮断でも限度はある。いくら痛みを消せると言っても燃やされる腕を見て平静でいられるはずがない。
だが、目の前の杏子の顔は苦痛に歪んでいなかった、それでいて平静を保った無表情でも無かった。
杏子は笑っていたのだ。それも狂気でも快楽でも無い、まるで勝利を確信したかのような笑みを浮かべていた。
「燃やされるだ?腕を?お前…」
呆気にとられてこちらを眺めるあやせに、杏子はゆっくりと口を開いた。
「一体いつからあたしがお前を掴んでいると錯覚していた!!」
「は?」
キョトンとしたあやせが何気なく自分の肩に触れると、そこにあったのは…。
「な、や、槍!?」
「気付くの遅えんだよアホが!!」
杏子の槍の柄があやせの顔を思い切り殴り飛ばす。一方あやせは掴んでいたはずの手が槍に変わっていたことへの驚きのせいで、咄嗟の回避行動がとれず、そのまま棒の一撃を顔で受け止める事となってしまう。
「ガッ…!!」
顔面を殴り飛ばされ、あやせはそのまま屋上の柵に激突する。そんなあやせを眺めながら、杏子は手に持った槍をぐるりと一回転させる。
穂先とは逆の槍の柄は、短時間とはいえ炎であぶられたせいか黒く炭化して脆くなっている。そして相手も魔法少女、多少の肉体のダメージは回復されるであろうし、痛覚も遮断できるだろう
案の定あやせはゆらりと立ち上がると、殴られた頬を優しくなでる。
「…ったいなあ…、もう…。やっぱりアンタ、スキくない…!!」
あやせは余裕そうな顔から一転、まるで親の仇を見るような憤怒の形相で杏子を睨みつける。ようやく戦う気になったあやせに杏子は反対にニヤリと笑みを浮かべる。
唇に付いた血を舐め取ると、あやせは再び魔法少女へと姿を変え、手に持ったサーベルを杏子に突き付ける。
「決めた、もうソウルジェムとかどうでもいい。君は、徹底的に潰してやる」
「上等だ、こっちも同じ意見だ。痛めつけて泣かせてやるよ!!」
杏子はそう叫ぶや否や先手必勝とばかりに槍を構え突撃する。
元々身軽な装備、そして魔力による脚力の強化によりまるで杏子自身が一本の槍と化したかのようにあやせ目がけて疾走する。
このままいけば槍はそのままあやせを貫通、魔法少女ゆえに死ぬ事は無くても到底戦闘できる状態ではなくなる。
「ヌルいっての!!」
が、その突撃を遮るように、あやせの前から巨大な壁のように燃え盛る炎が出現する。
突如発生した業火、このまま突っ込めばまず間違いなく炎につっこむ事となる。ソウルジェムが無くなって不死身の肉体で無くなった今、こんなもので焼かれたらまず間違いなく全身大やけどを負い、死ぬ。杏子は地面に槍を突き立てて突進の勢いを殺す。
全速力で突撃していた勢いをそのまま受け止め、槍は軋み圧し折れる。
それでもなんとか炎の壁の一歩手前で静止することが出来、杏子は息を荒げながらバックステップで後ろに下がる。それと同時に炎の壁が消え、その影からあやせが残酷な笑みを浮かべながら現れた。
「炎…、それがアンタの固有魔法ってわけかい!!」
「さーて、ね!これから黒焦げになるあんたにゃ言う必要もないでしょうが!!」
あやせは不気味に笑いながらブレードを振りあげる。瞬間、ブレードに赤く燃え盛る炎が纏わりつき、さながら炎そのものが剣となったかのような様相となる。
「アヴィーソ・デルスティオーネ!!」
あやせが剣を振り下ろした瞬間、炎は杏子目がけて襲いかかる。が、ただ一直線に向かってくるだけの炎ならば、速さに勝る杏子にとって避けるのはたやすい。
杏子は迫ってくる炎をギリギリまで引き付けると、真横に飛び込み、回避する。自身の炎が回避されたのを見て、あやせは感心したように軽く口笛を吹く。
「…なるほど、速いね。流石にもどきになってもベテランか。なら…」
あやせが軽く指を弾いた瞬間、あやせの背後に10を超える火の球が出現する。
一つ一つが人間一人軽く消し炭に出来るであろう灼熱の砲弾、それが10、杏子の顔も思わず引き攣った。そんな杏子の様子に気付いているのかあやせは笑みを深めてブレードを振りあげる。
「これならどうかな!!セコンダ・スタジオーネ!!」
まるで指揮者の如くブレードを振り下ろすと同時に、背後の炎が杏子目がけて襲いかかる。
一斉に向かってくる炎の弾丸を、杏子は身体を捻り、地面を転がり回避する。が、炎はまるでそれ自体が意思を持っているかのように杏子を執拗に追いかける。
一撃でも当ればまず確実に戦闘不能、悪ければ即死であるため杏子は必死に炎を振り払い、避け、逃げ続ける。
「くっそ!!あたしは焼き肉は好物だが自分がなるのは御免だぜ!!」
軽く悪態を吐く杏子の顔に、段々と疲労の色が浮かんでくる。
いかに杏子がベテランの魔法少女であろうと、身体能力が通常の人間より優れていようとも、その体力は無限ではない。このように休みなく動き回っていれば体力は消耗し、魔力も徐々に消耗してジリ貪になるのは確実だ。杏子は軽く舌打ちをする。
あの魔法少女、相当に戦いなれている。よくよく考えれば魔法少女のソウルジェムを幾つも強奪しているのだ、多かれ少なかれ修羅場を潜っていて当然だろう。下手をすれば魔法少女との戦闘に関しては自分やマミより上かも知れない。
「そらそらそらァ!!逃げてるだけじゃ私を倒せないよォ!!」
あやせはブレードを指揮棒のように振りながら、逃げ回る杏子を楽しげに眺めている。
目の前の獲物は炎を避けて回るのに必死、ならば無理に自分が出ていくこともない。
このまま逃げ回らせて消耗させ、最後に自分が止めをさす、これで終わりだ。あやせは自分の勝利パターンを思い描きながら薄らと笑みを浮かべる。
余裕で高みの見物といった風体のあやせの姿に、杏子はギリリと歯軋りをする。
「…なろっ!!これでもくらいやがれ!!」
杏子はあやせめがけて手に持った槍を投げつける。が、頭に血が上っていたせいか槍はあやせに命中するどころかわずかに横にそれてあやせの背後に突き刺さってしまう。
「なーにそれ、武器投げつけて空振りなんて、すっごいカッコ悪。もう笑えないな~」
あやせは呆れた口調で肩をすくめる。起死回生の一撃を与えようと槍を投げつけたのだろうが、外れてしまっては意味がない。確かに魔力さえあればあの程度の槍はいくらでも精製できるが、炎の弾丸に追いかけられているこの状況ではそんな暇もないだろう。
「さーて、それじゃあこんがり焼いてあげようか。女の子の顔殴り飛ばしたんだから、君の顔も、見る影もない程に焼いてあげるよォ!!」
あやせは残酷な笑みを浮かべながらブレードを振るう。瞬間、周囲を飛び回っていた炎の玉が集まり、巨大な炎の塊へと変化する。
それはさながら太陽がもう一つ出現したかの如く、もしこんなものが直撃すれば、骨一つ残さず蒸発するだろう。
あやせは杏子を眺めながらクスクスと笑う。
「本当はこの技、あんまり見せたくなかったんだけどねー、すっごい目立つし人目に付くし。まあでもまたコソコソ動き回られるのも厄介だから、これならもう逃げ切れないでしょ?」
「………」
あやせの言葉に杏子は何も言わずに沈黙している。自身の技に怖気づいているのだろうとあやせは心の中でほくそ笑む。
「最後に一つ、命乞いしない?そうすれば君の命助けてあげるよ?人殺したくないってのは本当だし、もしもう貴方に近づきませんごめんなさいって言ってくれれば見逃してあげるけど?」
あやせは見下すような表情で杏子に問いかける。降参するなら見逃してやる、命を助けてやると語りかける。
それを聞いた杏子は、ゆっくりと視線をあやせに向け、ニッと笑みを浮かべた。
「魅力的な提案だけどよ……、悪いがそれは今度にしておくぜ?」
「ふーん、馬鹿だね、みすみす命捨てるなんてさ!!」
あやせはつまらなそうに吐き捨てると止めを刺そうとブレードを振りおろそうとした。
…だが、ブレードを握りしめた左腕は動かない。否、左腕どころか体全体が動かせなかった。
「…え?な、なあ!?」
「ハッ、勝手に勝ったと決めつけるなよ。むしろヤバいのはお前のほうなんだぜ?」
あやせは自分の体を見て驚愕した。なんと、全身に金属製の鎖が巻きついて拘束していたのだ。全身を拘束する鎖は相当頑丈で、あやせは身じろぎひとつできない。
そして、あやせの集中が乱れた結果、杏子の上に落されそうになっていた巨大な炎の塊は霧散する。杏子はそのまま何でもなさそうにあやせに近づいていく。
「くッ…こ、こんな鎖、い、一体どこから…」
「どこからって簡単だ。さっき投げた槍を良く見てみな」
「や、槍…!?」
あやせは弾かれたように振り向いた。
そこにはさっきまであったはずの槍が無くなっていた。代わりに自身の体に巻きついている鎖が、コンクリート製の床から生えている。
「あの槍はあたしの魔力で作った代物。あたしが少々細工を施して鎖に変化するよう仕掛けをしておいたんだよ。テメエに空振りするように投げたのもわざと、本命はテメエをぶっ刺すことじゃなくて雁字搦めにお縄にしちまうことなんだからよ!」
杏子はそう種明かしをする。
たとえあやせに向けて投げても、あの炎の壁によって防がれる。どれほどの温度まで操れるかはともかく、仕留めるのはまず無理だろう。
ならばわざと外したように見せて油断させ、相手の意識がこちらに向いているところを鎖で拘束し動きを拘束する、相手の意識の隙を突く戦法が確実だと判断したのだ。
「ぐっ、くそ、こ、こんな鎖……、ガアッ!!」
「悪いな、ちょっと寝てろ。暴れられちゃ面倒だ」
あやせが魔力を利用して鎖を無理やり引きちぎろうとした瞬間、杏子は新たに精製した槍の柄で彼女の頭部を殴りつける。頭部を殴られ、脳を揺らされたあやせは意識を飛ばして地面に倒れこむ。
あやせが気絶したのを確認した杏子は魔力の鎖を解除し、あやせの隣に膝をつく。
「ハッ、さてと、んじゃああいつのソウルジェム、返してもらうぜ?おっとついでだ、他の分捕ったソウルジェムもついでに頂戴しておくか。まあ奪われた連中に返せるかどうかは分かんねえけど…」
杏子はあやせの懐から、さやか達のソウルジェムが入った箱を取り出そうとする。
「残念だが、そうはさせぬ」
「へ?…なあ!!」
が、次の瞬間、意識を失ったはずのあやせの腕に握られたブレードが杏子めがけてふるわれた。全く意識していなかった攻撃に、杏子は咄嗟の回避ができずに左腕を切り裂かれる。
杏子は飛びずさるようにバックジャンプであやせから離れる。と、地面に倒れていたあやせが、ブレードを杖代わりにしてゆっくりと起き上がる。
起き上がったあやせは、首を左右にひねり、ブレードの持ち心地を試すかのように二三度片手で振ると、目の前の敵に視線を向ける。
「この程度で『私達』を倒したと勘ぐるとは、実に片腹痛い。この程度で、私達は倒せない」
あやせは先ほどとは全く異なる、どこか格式ばった古風なしゃべり方で杏子に言い放つ。どこか子供っぽい印象を覚えるあやせの話し方とは対照的だ。
そして表情は無表情、表情豊かであったあやせとはこれまた対照的、もはや別人としか言いようがない変化である。
「…てめえ、何者だ。さっきまでの奴、じゃねえな。答えろ、誰だてめえは」
杏子は軽いヒーリングで腕の裂傷を治癒させると、槍を構えて睨みつける。
杏子の詰問に、あやせの姿をした『何者か』は薄らと笑みを浮かべる。瞬間、あやせの身につけているソウルジェムから、赤い閃光が放たれた。
「我が名はルカ、『双樹ルカ』。双樹あやせの姉妹にしてもう一人のあやせである。以後、よろしゅう」
その言葉が放たれると同時に、赤い光が消える。
そして、その場には先ほどの白い衣装とは対照的な、深紅の衣をまとったあやせが立っていた。