今回だいぶ早めの更新となりました。思ったよりも構想が早く練れたもので…。
今回からさやか編に入ります。無論そのままじゃなくて多くの変更点もあると思いますが…。
んでもってここから蟹座の大活躍が始まります、今はまだ目立たないけど…。
「…あ~、なるほどな。なんともヒデエ有様だなコリャ」
その日、マニゴルドとほむらはとある町外れにある教会だった廃墟の前に立っていた。
その場所では以前神父であった人物一人を含む親子三人が一家心中をした場所であり、現在ではちょっとした心霊スポットにもなっている場所であった。
心中の動機は今でも分かってはいない。ただ、この教会の主である神父はある時期から酒浸りの毎日を過ごすようになり、かつては毎日のように行っていた説法も行わなくなったという事が、周囲の住民からの情報で分かっていた。
そして、その神父のもう一人の娘が行方不明であるという情報もたびたび聞かれた。
神父が一家心中した後、教会には神父とその妻、そしてその幼い娘の三人の遺体しかなかった。
もう一人の娘、自殺した幼い娘の姉の遺体が何処にも見当たらなかったのだ。
結局、一家は全員自殺という事で決着がつき、行方不明の娘についても話題に上らなくなった。
その娘の名前は佐倉杏子。キュゥべえとの契約によって、過酷な運命を背負う事になった魔法少女である。
ここは彼女の生家、彼女が家族と共に過ごした場所である。
マニゴルドは教会の周りを見回すと、苦虫を噛み潰したように顔を顰める。
「ったく、こいつァ臭せェな。怨念やら何やらの負の思念の匂いがプンプンするぜ。いやマジで。これがホントの心霊スポットって奴かよ?」
「さあね。ただ、ここでは佐倉杏子の家族が一家心中しているから、あながち間違いじゃないわね。案外幽霊でもさまよってるんじゃないの?」
ほむらは冗談のつもりで返答したが、マニゴルドの表情は歪んだままであった。その表情に、ほむらは不審そうな表情になる。
「マニゴルド?」
「ああ、ほむらよ、ドンピシャだ。居やがるぜこの中に。全部で三匹」
「なっ!?」
マニゴルドの言葉にほむらはギョッとした表情でマニゴルドを見る。冗談だろうとマニゴルドに視線で問うが、マニゴルドの表情は変わる様子は無い。
マニゴルドは鋭い視線で廃墟の入り口を睨む。まるで、その中に何かが居るかのように。
「…中か。おうほむら、入るぞ」
「ちょ、ちょっとマニゴルド!?」
さっさと廃墟の扉を開けて中に入っていくマニゴルドを、ほむらは困惑の表情を浮かべながら追いかけた。
廃墟の中はがらんとしており、全体的に暗い。
破れたステンドグラスから入ってくる光以外には光源はどこにもない。
床には埃が溜まっており、人が住んでいる形跡は全くと言っていいほどない。
この廃墟には時折佐倉杏子が出入りしているはずであったが、彼女の気配は何処にもない。どうやら今回は不在のようである。
もし居ればワルプルギスの夜打倒の為の同盟を組むための交渉をしようとほむらは考えていたものの、空振りした事はあまり残念とは思っていない。機会があればまた会えるだろうし、今の時間軸には魔法少女を凌ぐ力を持つ黄金聖闘士がいる。佐倉杏子と美樹さやか、鹿目まどか抜きであったとしてもワルプルギスの夜打倒は可能だろう。
どっちみち佐倉杏子がいないのならこの廃墟に用はない。ほむらとしてはこんな不気味な所からさっさとお暇したいところなのだが、マニゴルドが何か気になるのか廃墟の中をキョロキョロ見回して帰るような素振りを見せないため、帰りたくても帰れないないのだ。
痺れを切らしてほむらは、マニゴルドに声をかける為に彼の背後に近付いた。
「マニゴルド…」
「おお!!いたいた!んだよそこにいたのかよ。会いたかったぜー?幽霊一家の皆様?」
「…え?」
突然何もない場所に向かって話し始めたマニゴルドに、思わずほむらの手が止まった。
マニゴルドは背後のほむらに気が付いていないかのように目の前の祭壇に向かってフレンドリーに話しかけている。ほむらは「訳が分からないよ」と言いたげな表情でマニゴルドを眺めている。
「おいおいそんなこええ顔すんなって。俺達は別にお前らの居場所荒らしに来たわけじゃねぇのよ。ただお前さんの娘に会いたくて来ただけだっての」
マニゴルドはニコニコ笑いながら何もいない所に話しかけ続ける。話しながら表情やしぐさを次々変えていく彼の姿に、ほむらはまるでパントマイムでも見ているような気分であった。そんな彼女に構わず、マニゴルドはペラペラと何も無い場所に向かって会話を続ける。
「…んだからさあ、お前テメエの娘そこまで言うか?普通。もうちょっと言い方ってもんが…」
「ね、ねえ、マニゴルド、何で何もない所に話しかけてるの?まさか何か悪いものでも食べたとか…」
何も無い場所に話しかけるのをやめないマニゴルドに、さすがにほむらは心配になったのか、はたまた君が悪くなったのか声を掛ける。マニゴルドはほむらに振り向くとキョトンとした表情を浮かべている。
「は?何言ってんだお前?俺は今佐倉杏子の親父とお袋、ついでに妹と話してるだけだっての」
「貴方こそ何言ってるのよ?佐倉杏子の親に妹なんて何処にもいないわよ?少なくとも私には何も見えないわ」
実際ほむらの目には、マニゴルドが話しかけている祭壇の周囲には何も映っていない。佐倉杏子の親と妹どころか、人影や人の気配すらも感じ取れなかった。マニゴルドの姿は、どう見ても何もいない所に話しかけているとしか思えない。
そんなほむらの様子に、マニゴルドは今気が付いたと言わんばかりに手をポン、と叩いた。
「あー…そうかそうかそうだったな。そりゃしゃーないわな…」
「…どういうことなの?マニゴルド」
「お前にゃ霊感があまりねェからな。そりゃ見えるはずねえわ。俺の目の前にはな、死んだこの教会の牧師親子の幽霊が立ってるんだよ」
マニゴルドの言葉にほむらは反射的に祭壇を凝視する。が、やはり見えない。
そんなほむらを見て、やれやれと言わんばかりにマニゴルドは肩を竦める。
「そんな目ェ皿にしても見えねえよ。幽霊見れるのは大体そういう事が出来る能力を持ってる奴だけだ。魔法少女でもまあ無理だろうぜ?」
「能力って…、あのテレビとかで霊能力とか気とか言っているあの…?」
そうそうそれそれ、とマニゴルドは頷いた。
「まあ例えば、だ。生前スゲェ恨みやら怨念やらを抱いて死んだ魂、はたまた生前トンでもねェ超能力やら小宇宙やらを持っていた奴らとかは他の霊とは格が違いやがるから霊能力もクソもねぇ一般人でも見れるような霊体で活動することが出来る、が、こういうのは大体例外だ。
大概の幽霊って奴はそれこそ本物の霊能力者やらそーゆーのを視る力が特別優れている奴…俗に言う霊感がつええ奴位しか肉眼で視るのは無理だ。せいぜい偶にカメラやらの写真とかで映るのを見る位しかねェよ」
そこまで話したマニゴルドは、近くにあった椅子に腰かけ、背もたれに寄りかかる。
「…まあお前が魔法少女になる前は霊感が強くて幽霊見るのは日常茶飯事だった、ってんならまあ話は別だが、お前今まで一度も幽霊なんざ見たことねえんだろ?」
「無いわ。むしろ見えたとしても気にも留めなかったでしょうね」
ほむらの素っ気ない返事にマニゴルドは気を悪くした様子も無く、「そりゃそうか」と頷いた。
「んでまあ俺はここの親御さん達に娘が何処行ったか聞いたんだけどよ、ここ数カ月ここにゃあ来てねえらしいぜ?」
「そう…」
マニゴルドの言葉に、ほむらは頷いて、もう一度マニゴルドが幽霊が居ると言った祭壇に視線を向けた。
ほむら自身はホラーやオカルトマニアと言うほどではないが、幽霊とかお化けについてはそこそこ興味はある。無論まどかやワルプルギスの夜撃退に比べれば遥かに些細であり、実際別の時間軸では興味の欠片も抱かなかったが、なんとかまどかの救済、ワルプルギスの夜の撃退の目処が立っていることから、多少なりとも心に余裕が生まれていた。
そして彼女は少しだけ思った。
自分も幽霊を見れるようになれるのか、と。
不遇の死を遂げた人間の前で不謹慎だとは分かっているものの、それでも好奇心は抑えられなかった。
「…ねえ、マニゴルド」
「あん?」
「私も、幽霊を見れるようになれるかしら、と、言うより、貴方の力で幽霊を見せる事できる?」
ほむらが興味深々と言った様子で聞いた時、マニゴルドの表情が変化した。先程の面倒そうな表情から、まるでどうしたらよいか悩んでるような表情を浮かべ、髪の毛を掻いている。
「あー…、まあ…、見せられねェ、事も、ねェんだけどよ…」
と、マニゴルドは何とも歯切れが悪い返事をする。その表情はほむらの要求にこたえるべきかどうか迷っているようであった。
ほむらはそんなマニゴルドを不審そうな表情を浮かべる。
「何?何か問題でもあるの?」
「まあ、問題っつうかなんつうか…。お前、幽霊ってどんな姿してっか知ってるか?」
「額に布が付いていて、死に装束纏っていて足が無い…?」
ほむらの返答を聞いて、マニゴルドがやっぱりと言わんばかりに溜息を吐いて顔を俯かせる。
やがてマニゴルドはどこか憐れそうな目つきでほむらを見ながら、絞り出すように言葉を出す。
「…外れだ。幽霊の姿はな、基本的に死んだ直後の姿だ」
「…え?」
マニゴルドの答えに、ほむらは一瞬呆然とした。そんなほむらを無視してマニゴルドは話を続ける。
「まあ無論例外はあるっちゃある。生前の怨念やらでこの世に残ってる霊にゃ怨念強すぎて姿そのものが生前とは変化しきっちまってる…ようするに人間やめてる状態の奴がたまーに居る。
他にも生前小宇宙やらを持ってる奴にゃ霊体の姿を生前の生きていた頃の姿に変える事が出来る奴らも居る。…だがな、大抵の連中の霊体の姿は死んだ時のままだ。
分かりやすい例上げんならゾンビかはたまた…、ほら、どこぞの魔法使い小説に出てきた殆ど首なし何とかって奴を思いだしゃいい」
「ほとんど首なしニック、ね…。ていうか貴方ハリー・ポッター読んでたのね」
「デジェルの奴に勧められて七巻全部読んだ。…まあンな事はどうでもいい。ようするにだ、死んだ当時の死体がそのまま目の前に立ってると言やあ分かりやすいか?俺は慣れてっけどお前は…まあやめたほうがいいかもしれねェと思ってな」
マニゴルドの思わせぶりな言葉に、ほむらは彼が見ていた幽霊の姿が、一体どういうものなのか少し気になり始めた。
「…ちなみに、どんな姿なの?」
ほむらはマニゴルドに問いかける。マニゴルドは胡乱毛な表情で一度ほむらを見ると、一度祭壇の方に視線を向けて、再びほむらに視線を戻し、ジトッとした目つきで答える。
「…母親と娘は胸やら首やらの刺し傷から血がだらだら流れて血塗れ、ギリギリ内臓はとびでちゃいねェな。親父の方は口から血ぃ流して首の骨が圧し折れてヤバい方に曲がってらあね」
「……」
一瞬想像したほむらは、思いっきり顔を顰める。
なるほど、それは相当ショッキングなものだろう、マニゴルドが見せるのを渋るのも分かる。
もっともショックだったのはそんな両親と妹の姿をじかに見た佐倉杏子であろうが…。その苦しみと悲しみは彼女以外分からないだろう。
ばつが悪そうな表情を浮かべるほむらを、マニゴルドは横目でジッと見ていた。
「…そんなに見たいのか?生の幽霊」
「…まあ、多少の興味、は…、あったけど。やっぱり不謹慎ね、死んだ人間、それも相当悲惨な死に方をした人間の魂を見たいだなんて…」
「ふーん、そうかい…。ま、そう考えられンなら見せてもいいかもな…。ちょいと目を閉じな」
と、ほむらの視界がマニゴルドの掌で覆われる。ほむらは驚いて後ろを向こうとするが、「いいからちっとばかし目を閉じてろ」と押しとどめられ、仕方無く目を閉じる。
すると、何やら体中に暖かい何かが入ってくるような感覚を覚えた。不思議と全身に何かが満ちていくような感じがして、不快な感じは無い。
「おら、もう良いぜ」
と、マニゴルドの声が聞こえたためほむらは目を開いた。
「…!?」
瞬間、ほむらは目を疑った。
先程まで誰も居なかった祭壇に、人が三人立っていたのだ。男性、女性、そしてまだ幼いであろう少女が一人…。
だが、よくよくみると彼等の身体は透けており、顔色もあり得ないほど青白い。
そして女性と少女の胸や首は真っ赤な血で染まっており、男の口からは血が流れている。
ほむらは背後にいたマニゴルドに恐る恐る振り向く。
「ま、マニゴルド、この三人って…」
「おうよ、お前が見たがっていた佐倉杏子の御家族三名様、だ」
マニゴルドはニッと笑顔を見せる。ほむらは戸惑った表情でマニゴルドと杏子の家族の幽霊を見比べる。
「え、で、でも私は幽霊を見れないって…」
「だーかーら、見れるようにしてやったんだろうが。俺の小宇宙をお前に流してな」
マニゴルドの話によれば、先程ほむらの身体に自分の小宇宙を流し、一時的に霊の姿を見れるようにしているらしい。何でもマニゴルドの小宇宙は霊などに対して相性がいいとの事らしいが…。
「ついでに話も出来るようにしてやったぜ?幽霊と話せる機会なんて滅多にねえ。一つ二つ話でもしてみたらどうだ?」
「……」
ほむらはマニゴルドの言葉に答えず、視線を杏子の家族の幽霊に向ける。
「はじめまして、というべきかしら。私の名前は暁美ほむら。貴方達の娘と同じ、魔法少女の一人よ」
『魔法…少女…』
ほむらの言葉に反応したのか、杏子の父親が口を開く。出てきた言葉はか細く、今にも消えてしまいそうだ。
ほむらは杏子の父親の言葉に頷いた。
「そう、貴方達の娘と同じ、奇跡を求めてキュゥべえと契約した存在。…貴方にとっては、魔女って言うべきかしら?」
『………!!』
ほむらの皮肉げな言葉に杏子の父親は肩を震わせ、顔を俯かせる。母親は両手で顔を押さえ、妹は母親の服の裾を握りしめている。
ほむらはそんな幽霊三人を無表情で見つめながら、言葉を続ける。
「貴方達が何故心中なんてしたか、それは杏子から聞いているわ。正直言って、無責任としか言いようがないわね。娘の思いやりを踏みにじって、挙句自分一人だけじゃなく無関係な二人を巻き込んで死ぬなんて…、呆れてものが言えないわ」
『…黙れ、私の、私の気持ちが、お前に分かるか…』
ほむらの情け容赦ない言葉に、杏子の父親は血走った眼で彼女を睨みつける。
『私は、この世の苦しむ人々を救いたかった…!その為に新しい教えを作り、それを広めようとした…!!長い間、私の言葉は誰にも聞き届けられず、挙句本部から破門された…。
その後私の教えが認められ、教会には多くの人々が詰めかけるようになった時は、ようやく私の、私達の苦難も報われた、主は私を認められたと歓喜した、感謝した…!だが…!!』
杏子の父親は歯をギリッと噛みしめる。口からは大量の血があふれ出す。
『それは全て、全て魔女となった杏子のまやかしだった…!!私のやってきた事は全て何もなしていなかった…!!それを知って私は絶望した…!何も為す気が起きなくなった…!!私は、この残酷な現実から逃れるために酒に逃げ、そして妻と娘を、この手で…!!』
杏子の父親が無念そうな表情で、血を吐くように話していると、突然拍手の音が聞こえてきた。その音を聞いて、ほむらは音の聞こえる方向に視線を向ける。
そこにはマニゴルドが、ニヤけた表情で杏子の父親を眺めながら拍手をしていた。
「へえへえ随分な御高説で、アンタも苦労してんだね~、いや同情するわ~、泣けてくるね~、うんうん」
マニゴルドは芝居がかった口調で、まるで馬鹿にするかのように杏子の父親に話しかける。そんな彼の様子に、杏子の父親の表情が一瞬怒りで歪むが、直ぐにその表情は青ざめる。
表面上はふざけているように見えるが、マニゴルドの杏子の父親を見る視線は、その態度と口調とは違い、見られれば死んでしまうかのような殺気と怒りで満ちていたのだ。
杏子の父が言葉を止めたのを見て、マニゴルドも拍手を止めると、椅子の背もたれに寄りかかり、杏子の父親に向かって侮蔑するかのような視線を向ける。
「さんざん聞いてみたがオイ、テメエ人救うだの何だの言ってるけど結局テメエの主張を世の中に認められてえだけじゃねえのか?んでもって娘がわざわざ魂捧げて願い叶えて聴衆集めた事知ったら絶望って…。バカじゃねえのお前?挙句娘と嫁巻き込んで死ぬんだからどうしようもねェわ。
ハーッ…、こりゃ杏子ちゃんも憐れだね~。こんな糞親父の為にわざわざ命懸けてんだからよ…、全く完全な死に損って奴だなオイ」
『なっ…、何、だと…』
杏子の父親はマニゴルドの言葉に怒りよりも先に動揺した。
杏子が、自分の娘が命を懸けている…?魂を捧げた…?
一体どういう事だ、あの子は魔女になったんじゃ…、愚かな自分を憐れんで人々を惑わして自分の事を嘲っていたんじゃないのか…?
そんなあの子が自分の為に命を懸けるとは、死ぬとは、一体…。
『どういう、ことだ…?あの子が、何を…』
「そう言えば、貴方達は知らなかったわね、魔法少女の宿命を、魔法少女の運命を」
ほむらは長い黒髪を掻き上がると、真剣な表情で佐倉杏子の家族達を見つめる。
「教えてあげるわ、魔法少女の真実を。私達が、佐倉杏子が背負った一の希望と万の絶望というものを、ね」
薄暗い教会の中で、ほむらの言葉が響き渡った。
アルバフィカSIDE
その頃アルバフィカは、この世界での拠点としているマンションの部屋のベランダで、プランターに咲いている薔薇に水やりをしていた。
マンションのベランダはそこまで広さが無く、花壇を作って多くの花を育てる、等と言う事は出来ないが、プランターに植えられた薔薇は、日ごろアルバフィカが丹念に育てているからか、それにこたえるかのように鮮やかな赤や黄、ピンク色といった色とりどりの花を咲かせていた。
アルバフィカは自分の育てた薔薇の育ち具合に、満足そうに頷いていた。生き返ってから、彼は薔薇に限らず花や草木のガーデニング、ついでに生け花や盆栽を趣味としており、任務や修行も無く暇な時には、草花の世話をしてその成長を観察したりするのが楽しみであった。
そんな彼を見てマニゴルドやカルディアは「爺臭い」だの何だの言っていたことは別の話。
ついでにそれを知ったアルバフィカが二人にピラニアンローズやらブラッディーローズやらの弾幕を喰らわせたのもまた別の話。
水やりも終わった事だし、折角だから花でも眺めながらティータイムにでも、と考えていた時、突然玄関でチャイムが鳴り響いた。
そこまで頻度の多くないチャイムが鳴った瞬間、アルバフィカは先程までのご機嫌そうな表情から一転し、何処か嫌そうな、もとい面倒くさそうな表情を浮かべる。が、結局仕方が無いと言わんばかりに玄関まで歩いていき、チェーンをしたまま鍵を開ける。
「…はい、どちらさまでしょうか。新聞は間に合っていますしセールスはお断りしております」
もはや誰が来ているか分かってはいるものの、一応聞いてみる。
「あ、私ですアルバフィカさん。マミです」
扉の向こうから聞こえてきた予想通りの返答に、アルバフィカは盛大な溜息を吐いた。が、結局仕方が無いと言わんばかりにチェーンを外してドアを開ける。
ドアを開けたアルバフィカの目の前に居たのは先日助けて以降、毎日のように食事を作りにきている魔法少女にしてアルバフィカと同じくこのマンションの住人、巴マミであった。
アルバフィカはもはや二桁になる彼女の訪問に少し頭痛を覚えながら、ジトッとした目つきで彼女に視線を向ける。
「…もう来なくていいと、言ったはずだが?」
「でもお菓子作りすぎちゃって、その、このマンションで知り合いってアルバフィカさんしか居ませんから…」
マミは手に持った箱を持ち上げながら、顔を少し赤くする。そんな彼女にアルバフィカはやれやれと心の中で溜息を吐いた。
「…仕方がない、上がりなさい。せめて紅茶くらいはご馳走しよう」
「…あ、ありがとうございます!」
入るよう促すアルバフィカに、マミの表情はパッと明るくなる。
ドアを開けながらアルバフィカはさっさと玄関に上がり、お茶の準備の為にキッチンに入ってしまう。無論、そこにはマミを毒の危険に晒したくないという思いやりもあるのだが、それでも彼に好意を抱いているマミは、少しばかり淋しさを覚えてしまう。
マミは一度溜息を吐くと、いつの間にか玄関に用意されているスリッパをはいて、リビングへと向かう。
リビングに入ると、ベランダに咲き誇る色鮮やかな薔薇の花々が、マミの目に飛び込んでくる。
相変わらず部屋には飾り気は無いものの、ベランダに咲く美しい花々の歓待に、マミは思わず呆けてしまっていた。
「凄い…、素敵…」
「私の趣味で育てた薔薇だが、気に入ってくれたようだね」
マミが薔薇に見とれていると、キッチンからアルバフィカの笑いを含んだ声が聞こえてくる。それを聞いてマミは顔を真っ赤に染める。
「適当にくつろいでくれ。お茶を淹れるのに少し時間がかかるからね」
「あ、はい…、ありがとうございます…」
マミはベランダの近くにある白い椅子に座り、目の前の白い丸テーブルにクッキーの入った箱を置くと、ベランダの方を眺める。
まるで輝いているかのように美しく生き生きとした薔薇…。丹精込めて育てた事が分かる。
マミは美しい花々に見とれていたが、ふとある事が頭に浮かんできた。
確かアルバフィカはデモンローズなどの薔薇を武器として使用していた。
まさかこの薔薇は…。そう考えた瞬間、マミの背筋を冷たいものが滑り落ちる。
「あの…、アルバフィカさん…?」
「ん?何かな?」
マミの質問に、アルバフィカはキッチンから顔を出す。マミはアルバフィカに向かって、おずおずと言った感じで質問をする。
「失礼ですけど、あの薔薇って、毒とか、ありませんか…?」
マミの恐る恐ると言った質問に、アルバフィカは怪訝な表情を浮かべる。
「…花屋で買った種から育てた普通の薔薇だが…?こんな所でデモンローズなど育てられるわけ無いだろう?」
「そ、そうですよねっ!?すいません…」
マミは謝罪すると溜息を吐きながら椅子の背もたれに寄りかかる。
考えてみればこんな人が沢山住んでいるマンションで、毒薔薇など育てられるはずが無い。最悪毒薔薇のせいで大量の死者が出てしまう可能性もあるのだ。聖闘士であるアルバフィカもその事は良く分かっているはずだから、わざわざこんな所で育てているはずが無い。
馬鹿な質問したなー、と内心反省していると、突如懐に入れてある携帯電話から着信音が鳴り出した。
携帯を開くと画面には『鹿目まどか』の文字が。あの病院での魔女との戦いの後、彼女はまどか、さやかの二人とアドレスを交換しており、今では互いにメールのやり取りもするようになっている。
「もしもし、まどかさん。どうしたの?」
『た、大変なんですマミさん!仁美ちゃんに、私の親友なんですけど、魔女の口付けが付いてて…。仁美ちゃん以外にも沢山の人達に魔女の口付けが…』
「…なんですって!?」
まどかの焦りきった声を聞いてマミの表情は険しくなる。
魔女の口付け。魔女が獲物と決めた対象につける印。この印を刻印された対象は絶望感に苛まれ、自殺、はたまた魔女の結界に引き込まれて魔女の餌となってしまう。
急がなければ多くの人々が犠牲になる。マミは焦る自身を落ち着かせ、電話越しにまどかに問いかける。
「…何処に向かっているの?」
『町外れに向かっているみたいです。どうしよう、このままじゃ…』
「分かった、直ぐ行くわ。何かあったらまた連絡をお願いね」
『は、はい…!』
電話を切ったマミは、椅子から立ち上がるとすぐさま玄関に向かう。
町外れでは何処か分からないため、また電話をかけて正確な場所を判断しなくては、と考えながら指輪状態のソウルジェムを宝石型にして手の中に出現させる。
「どうしたマミ?折角良い茶葉を御馳走しようと思ったんだが…」
と、キッチンからティーカップ二つとティーポットの乗せられたお盆を持って現れたアルバフィカが、不思議そうな表情でマミを見ていた。
「あ、ご、ごめんなさい!まどかさんから魔女の口付けを受けた人達が集まっているって言ってきて…。このままじゃたくさんの人が犠牲になってしまいます!直に行かないと!」
電話を聞いて焦っているマミに対して、アルバフィカは落ち着いた様子であり、窓際に置かれた丸いテーブルの上にティーセットを置くと、椅子にのんびりと腰掛ける。
「落ち着きたまえマミ。それくらいは分かっている。だが問題は無い。既にそこにシジフォスが向かっている」
「えっ!?そ、そうなんですか!?」
「まあね。彼一人居れば大抵の魔女は倒せる。問題は無いよ」
アルバフィカの言葉に驚いていたマミだが、直ぐに表情を引き締める。
「でも…、もしもってこともあります。まどかさんを以前の私のような危険に晒したくない…!ごめんなさいっ!アルバフィカさん!!」
「まあ待ちたまえ、そんな焦っても…、…行ってしまったか。やれやれ、こういう時にこの体質は厄介なものだな」
制止も聞かずに飛び出していってしまったマミの後姿を見ながら、アルバフィカはやれやれと肩を竦める。彼は毒の体液で無関係の人間を殺さないために、出来る限り人には触れないようにしている。修行によって体内の毒の強さや成分の調整は出来るようにはなっているものの、それでも何らかの拍子で致死量レベルの毒を他人に浴びせかねる可能性があるからだ。
マニゴルド達は考えすぎだ、心配性だのと言ってはいるものの、それでも彼は用心のために、出来る限り人に触れないように過ごしている。
まあそのせいでマミを引き止める事も出来なかったのだが…。
「全く、仕方がない娘だ。まあまどかにはシジフォスが居るから心配は要らないだろうが…、念の為に救援でも送っておくか」
マミの飛び出していった玄関を眺めながら、アルバフィカは右手に一輪の薔薇を作り出すと、床に向かって放り投げる。
薔薇が床に落ちた瞬間、その薔薇から無数の茎と葉、花が次々と生え、さらに本来薔薇には無いはずの皮膚、血管、毛が出現し、段々とその姿を変えていく。
そして数秒の間に、床に落ちていた薔薇は姿を消し、薔薇の落ちていた場所にはアルバフィカそのものの姿をした人間が立っていた。
その美しい顔立ち、髪の毛、筋肉から身長、そして着ている服に至るまで、目の前で座っているアルバフィカそのものであり、まるで鏡に写っているかのごとくである。
もう一人の自分を見て、アルバフィカは何の感慨も無く頷いた。
「マミにもしもの事があったら助けろ、鹿目まどかも、同様だ」
「了解した」
アルバフィカと全く同じ姿をしたそれは、アルバフィカの命に頷くと、そのまま部屋から出ていった。
「さて、これでワルプルギスやら冥界三巨頭とでも戦わない限り、彼女は大丈夫だろう。…いや、三巨頭でも最悪あの分身で大丈夫か?まあいい、私はここでのんびりティータイムでも楽しむとするか」
アルバフィカはティーポットから紅茶を注ぎ、一度香りを楽しむとベランダに咲き誇る薔薇の花々を眺めながらティーカップに口をつけた。
まどかSIDE
マミが電話を受ける数十分前、まどかは一人で学校から家へと帰る道を急いでいた。
いつもならばさやかと一緒に帰るのだが、さやかは今日は用事があるといってまどかとは別に帰ってしまった。
「…なんだか一人で帰るのって、何気に久しぶり、かな…」
まどかはポツリと呟きながらとぼとぼ歩く。もうすっかり暗くなっている。早く帰らないと両親も弟も心配することだろう。
そんなことを考えながら家路を急いでいると、見たことのある人影が自分の横を通り過ぎた。
「え…?仁美ちゃん…?」
その人影はまどかとさやかの親友、志筑仁美であった。
資産家の娘である彼女は、いつも放課後は日舞や華道等の習い事でまどか達と一緒に帰る事はあまりない。
今日も習い事があると言っていたのに、何故ここに居るのだろうか?
不思議に感じたまどかは、背後から仁美に近寄った。
「あ、あの…仁美ちゃん?」
「…あら、まどかさん、ごきげんよう」
まどかに振り向いた彼女は間違いなく志筑仁美だった。だが、何処か様子がおかしい。
目は虚ろであり、口元の笑みも作ったようにしか見えない。
いつもと違う仁美の様子に少し驚きながら、まどかは彼女に話しかける。
「ど、どうしたの仁美ちゃん、今日はピアノのレッスンがあるって言ってなかったっけ?」
「レッスン…、ああ、それはいいんですの。それよりもずっと良い場所に行くところですのよ」
夢心地にそう語る仁美の首筋には、よくよく見ると何かの模様が描かれていた。
(あの模様って…!確か魔女の口付け…!!)
魔女の口付け。魔女が獲物と定めた人間につける紋章…。
以前シジフォス、マミと一緒に魔法少女研修を行っていた際に、口付けをされた人に遭遇した事があった。それが仁美の首筋についている。と、言う事は仁美は魔女に…。
まどかは動揺を隠しながらおずおずと仁美に問いかける。
「ず、ずっと良い場所って、何処…?」
「ここよりもずっと素晴らしい所ですわ。…そうだ、まどかさんもぜひご一緒にいかがですか?」
仁美はにっこりと虚ろな笑顔をまどかに向けると、再び歩き始めた。
(ど、どうしよう…。このままじゃ仁美ちゃんが…。…そうだ!マミさんに連絡を!!)
まどかは仁美の後ろから歩きながら携帯を取り出す。
聖闘士達とほむらのアドレスは知らないものの、幸いマミとはアドレスを交換しているため、電話すれば助けに来てくれるはずだ。ただ、今いる場所に来るまでどれだけ時間がかかるか…。
そんな事を考えながら歩いていると、いつのまにやら自分と仁美の周りに、大勢の人達が集まっていた。どの人達も目が虚ろで、首筋には仁美と同じ印が付いている。
(…この人達、まさか全員…!!)
間違いなく魔女の口付けを受けている。このままでは此処に居る人全員が魔女に殺されてしまう…!!
まどかは急いで携帯を開くと、マミのアドレスから電話を掛ける。
『もしもし、まどかさん?一体どうしたのかしら?』
しばらくのコール音の後、マミの声がまどかの耳に飛び込んでくる。ホッとしたまどかは早口で、でも仁美に聞かれない様に小さな声で話しだす。
「た、大変なんですマミさん!仁美ちゃんに、私の親友なんですけど、魔女の口付けが付いてて。仁美ちゃん以外にも沢山の人達に魔女の口付けが…」
『何ですって!?…何処に向かっているの?』
「町外れに向かっているみたいです。どうしよう、このままじゃ…」
『分かった、直ぐ行くわ。何かあったらまた連絡をお願いね』
「は、はい…!」
まどかは電話を切ると、急いでポケットに携帯をしまう。
「まどかさん…?どうしたんですの…?」
「え、あ、さ、さやかちゃんもよぼうかなーって思って。でもさやかちゃん来れないって言ってて。残念だな~」
「クスクス、そうでしたの、残念ですわね」
まどかの嘘に仁美は納得したのかそのまま前を向いて歩き続ける。ひとまず誤魔化せた事にまどかはホッと息を吐いた。
まどか達が辿りついたのは、街外れにあるさびれた工場跡。
その中に集まった口付けを受けた人々は、椅子に座りこむ一人の男性を囲むような形で固まった。
「俺はもう駄目だ…。こんな小さな町工場一つ切盛り出来なかった…。今の時代に俺の居場所なんてねぇんだ…」
椅子に座り俯く男性の足元には、ブリキ製のバケツが置かれ、その中には並々と洗剤が満ちている。と、群衆の中にいたOLらしき女性が男性に、正確には男性の足元のバケツに近付いていく。その手には液体洗剤が握られていた。
『いいかまどか、この塩素系って洗剤に絶対他の洗剤を混ぜるんじゃねえぞ?』
と、まどかの脳裏に昔母が言っていた言葉が蘇ってくる。
『もし混ぜたら毒ガスが発生してあたし達全員お陀仏だ。絶対に間違えんなよ?』
まどかは衝動的に飛び出そうとした。
もしもバケツの中の洗剤にあの洗剤を入れたら…。
シャッターも閉じられた工場の中に居る私達は全員毒ガスで死んじゃう…!!
だが、そんなまどかの前に仁美が立ちふさがった。
「…!仁美ちゃん!!」
「邪魔してはいけませんわ。これは神聖な儀式なのですよ?」
仁美は正気を失った笑みを浮かべ、まどかを抑えつける。まどかは彼女を振りほどこうと暴れるが、思った以上に力が強く、中々振りほどけそうにない。
「駄目だよ!!あれを混ぜたら此処に居る人全員死んじゃうよ!!」
「そうですわ、私達はこれから素晴らしい世界に旅立つんですのよ?それがどんなに素敵な事か分かりませんか?もう私達に、生きている身体は必要ないんですのよ?」
仁美の言葉に周囲の群衆は歓声を上げる。その異様な雰囲気に、まどかの背筋を冷たいものが走る。
そうこうしている内にOLは洗剤のキャップを緩めてバケツの中に洗剤を入れようとしている。
「…っ離して!!」
「っあ…!!」
まどかは仁美を突き飛ばすと、普段ではあり得ないような速さで男性に向かって走り、洗剤の入ったバケツを奪い取る。
そしてそのバケツを工場の窓目がけて投げつけた。
バケツがぶつかった衝撃で、窓ガラスが割れ、バケツの中身も地面にぶちまけられる。これで毒ガスが発生する事は無いだろう。
「はあ…はあ…よかったー…」
火事場の馬鹿力で全力疾走したまどかは、肩で息を吐きながら何とか自分達が死なずに済んだ事を安心した。
…が、
「まどかさん…貴女は、何て事を…」
仁美達魔女の口付けを受けた群衆は、まどかに怒りの籠った視線を向けていた。その視線に、おさまっていた冷や汗が再び背筋を伝い始めた。仁美達はジリジリとまどかに向かって近付いてくる。まどかは泣きそうな表情で後ずさりしていた。が、やがて…、
「ご、ごめんなさいっ!!」
反転して勢いよく走りだす。それと同時にまどかの背後から何人もの人間が走ってくる音が響いてくる。
逃げろ、逃げろ、はやく逃げないとつかまっちゃう…!!まどかは全力で腕をふるい、足を動かす。
そして工場の一角にある開きっぱなしのドアを見たまどかは、衝動的にその中に入り込み、ドアを閉めて鍵を掛けた。
少し経つとドアを破ろうとする音が響き渡るが、ドアが頑丈なのか、今のところは破られる気配は無い。
まどかは安堵と疲労に息を切らしながら、部屋の内部を見る。
「う、うそっ!?ここって…」
その瞬間、まどかは愕然とした表情になる。
その部屋にはなにやら物が幾つか置いてあるだけで、窓一つ無い部屋だった。
恐らく倉庫であろうその一室の出入り口は、まどかの間後ろの扉のみ、その扉の向こう側には、怒り狂う仁美達がドアを破って中に侵入しようとしている。
「ど、どうしよう!?…そ、そうだ!マミさんに連絡をっ!」
一瞬パニックになりかけたが、魔法少女の先輩の顔を思い出したまどかは、急いでポケットから携帯を取り出す。と、突然目の前の空間が歪み始め、部屋の内部が変化し始めた。
「え…?あ…」
まどかの目の前には、二つの人形に抱えられたテレビのような姿の化け物、魔女と、魔女の周囲を飛び回る無数のヒトガタ、使い魔が出現していた。
気が付いた時には、まどかのいた部屋は魔女の結界へと様変わりしていた。急いで背後を向くと、既に部屋のドアは影も形も無くなっている。
「や、やだ…!!助けて、助けてー!!」
まどかはそのまま逃げだした。彼女に気が付いた使い魔は、まどかを捕らえる為に背後から襲いかかってくるが、まどかは必死に足を動かして走り続ける。
と、まどかの携帯が突然なり始める。気が付いたまどかは逃げながら電話に出ようとする、が…。
「あうっ!?」
足がつんのめって地面に転び、携帯はあらぬ方向に転がっていってしまった。まどかは必死に立ち上がろうとするが、膝の痛みと足に溜まった疲れから、中々立ち上がれない。そんなまどかに向かって、使い魔達が襲いかかってくる。
(シジフォスさん…!!)
迫りくる死の恐怖で目を閉じたまどかは心の中で、誰よりも強く、優しいあの黄金の翼を思いだす。
自分とさやかが初めて魔女と遭遇した時、盾となって護ってくれたあの黄金の勇者の名前を…。
瞬間、結界に亀裂が入り、そこから放たれた一筋の閃光が使い魔達を一掃する。
何時まで経っても襲ってくる気配のないことに、まどかは恐る恐る目を開ける。
そこには、初めて魔女と遭遇した時と同じ光景…、まどかを護るように魔女に立ちふさがる黄金の翼が翻っていた。
それを見た瞬間、まどかの目から、涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「シジ…フォス…さん…」
「やれやれまさか君一人か?全く困ったものだ」
黄金の鎧、黄金聖衣を纏ったシジフォスは困った表情でまどかを見る。まどかはそんなシジフォスの視線に思わず俯いてしまう。シジフォスはやれやれと肩を竦める。
「説教は後だ、まどか。此処は俺に任せてくれ」
「あ…はい…!」
まどかはシジフォスに向かって頷いて、何とか立ち上がると彼の後ろに急いで隠れる。
まどかが自分の背後に隠れると、シジフォスは先程までの苦笑いから一転して厳しい戦士の表情を浮かべ、魔女をキッと見据える。臨戦態勢となったシジフォスに、魔女は恐れを抱いたのか震えだした。
「悪いが、これ以上罪の無い人々を殺させるわけにはいかない。ここで君を、倒させてもらう」
そう言った瞬間、シジフォスの両手から黄金の閃光が放たれる。
シジフォスの小宇宙が彼の両手に集約され、それが太陽のように黄金に輝いているのだ。
シジフォスは輝く両手を掲げ、己が両手に集った小宇宙を燃焼させる。彼の小宇宙に呼応し、黄金の光はさらに輝きを増す。そして…、
「インフィニティ・ブレイク!!」
シジフォスの裂帛の気合と共に、両手の光が無数の黄金の矢となり、放たれた。
無限とも言うべき数の黄金の矢は、一つ一つが流星にすら匹敵する破壊力を秘め、光の速さで魔女に、そして使い魔に向けて疾走する。
無限の閃光は一瞬で、魔女を、使い魔を、そして結界そのものを抉り、打ちぬき、粉砕していく。
魔女は無限の流星の矢をその身に受け、悲鳴を上げる事すらなく、否、自身が死んだという事にすら気付かぬまま、消滅した。
その瞬間は一秒にも満たない。まどかが瞬きをした瞬間に、全ては終わっていた。
結界は既に崩れ初め、魔女はあとかたも無く消滅していた。唯一魔女が居たという痕跡は、地面に落ちているグリーフシード以外に存在しない。
まどかは再び見せられた射手座の黄金聖闘士の力に、ただただ驚きと感動を覚えていた。そんなまどかに構わず、シジフォスは目の前のグリーフシードを拾い上げると、掌のグリーフシードをジッと見つめる。その表情は、どこかやりきれない表情がありありと浮かんでいた。
「許してくれとは言わない。だが…せめて来世では、奇跡などと言う甘言に惑わされずに幸せを掴んでくれ」
シジフォスはそう呟いて、彼が倒した魔女に向かって黙祷を捧げる。
黙祷を終えたシジフォスは、グリーフシードを懐にしまうと自分をジッと見ているまどかに振り向いた。その表情はまるで、危ない場所に行った子供を叱るときの父親のような表情であり、まどかの表情は先程の感動から一転して引き攣った。
「あ、あの、シジフォスさん…」
「全く、君と言う奴はどこまでも無茶だな…。もし俺がたまたま通りがかっていなかったら君は下手をしたら死んでいたぞ?」
「ご、ごめんなさい、あの、仁美ちゃんに魔女の口付けがあって…、それでどうしても放っておけなくて…。マミさんに連絡はしたんですけど…」
まどかの言葉を聞いてシジフォスは参ったと言わんばかりに後頭部を引っ掻いた。危険な目に会っている友達を助けたいから、というのはなんとも彼女らしい理由だ。友達の為に何かをしたい、その考えこそが彼女の良い所であり、また、厄介な所でもあるのだが。
まあこの時間軸ではマミが生きているため、マミに連絡をしている所は及第点と言うべきだろうが…。
「はあ…、成程な。まあ君らしいと言えば君らしいが…。…ん?そういえばさやかは何処に行ったんだ?君達はいつも一緒に下校していただろう?」
と、シジフォスは今頃気が付いたのかいつもまどかと一緒に居る親友の名前を口にした。シジフォスの問い掛けにまどかは今頃気が付いたのかハッとした表情を浮かべる。そんな彼女の表情を見て、シジフォスの脳裏に嫌な予感が走る。
そう、たしか本来の歴史の流れでも彼女は一人で下校中の時に魔女の口付けを受けた仁美達を止め、そのせいでこの倉庫の中の魔女と対峙する羽目になった。そんな彼女を助けたのは…。
「あっ!さやかちゃんなら今日用事があるからって…」
「ありゃ?もう魔女倒されちゃってる。あーあ折角の魔法少女デビューだってのになー」
「………!!」
と、まどかの言葉に割って入るかのように倉庫内に誰かの声が響き渡った。その声を聞いて、シジフォスは弾かれるように声の聞こえた方角を振り向いた。
シジフォスが振り向いた先に居たのは、露出が多い青を基調とした服を纏い、白いマントを羽織った一人の少女であった。よくよく見ると彼女の手にはサーベルのような剣が握られている。
その浮世離れした格好は明らかに魔法少女…。だが、シジフォスにとって重要なのはそこでは無かった。
その魔法少女は、まどかとシジフォスが良く知っている人間であり、
「さ、さやかちゃん!?その格好…」
「やっほー!まどか、シジフォスさん!魔法少女さやかちゃん、只今到着~、ってか!まあ一足遅かったみたいだけど」
魔法少女、美樹さやかはあっけらかんとした笑みを浮かべながらまどか達に近付いてくる。いつの間にか魔法少女として契約していた彼女にまどかは驚いていたが、シジフォスは内心で歯軋りをしていた。
(…くそっ!デジェルの奴が居るから大丈夫だと思っていたんだが、インキュベーターめ…。最悪だ…、これで彼女は…)
シジフォスの知りうる限り、魔法少女となったさやかを待っている運命は、魔女となるか、あるいは死ぬかのどちらかでしかない。無論、全ての外史がそうであるとは限らないものの、この世界の本来の流れでは、魔法少女となった彼女は絶望して魔女になり、最後は杏子と一緒に消滅してしまう。
そうならない為に彼女とその幼馴染の上条恭介を、水瓶座の黄金聖闘士デジェルが監視してくれているはずなのだが…。どうやらインキュベーターの方が一枚上手だったようだ。
そんなシジフォスの心の内も知らず、さやかはまどかと楽しげに話をしている。
「さやかちゃん、何時の間に魔法少女になったの?」
「あはは、まあちょっと心境の変化って奴があってね。でもまっ、これからはマミさんと聖闘士の皆さんと一緒に街の平和を守る為にがんばっちゃいますよーってか♪…あれ?シジフォスさん、どうしたんっスか?」
自分を凝視しているシジフォスに気が付いたのか、さやかはキョトンとした表情でシジフォスを見る。それに釣られてまどかもシジフォスに視線を向けた。
(え……?)
瞬間、まどかは思い切り戸惑った。
シジフォスは魔法少女となったまどかとさやかを、正確にはさやかをジッと見ていたのだが、その表情がいつもとは違っていた。
自分達に浮かべる穏やかな表情とも、魔女と戦う時の勇ましい表情とも違う、例えるのなら恐れていた事が起こったとでも言いたげな表情を浮かべていた。
「あ、あの、シジフォスさん?い、一体どうしたんですか?そんな怖い顔して…」
流石に戸惑ったのかさやかはシジフォスにゆっくりと近付く。シジフォスはただ近付いてくる彼女をジッと見ていた。だが、その視線には明らかに悲しみが混ざっていた。
「いや…、何でもない。…これは君の物だ」
シジフォスは懐からグリーフシードを取り出すと、さやかに向かって投げ渡した。さやかは「わわっ!」と渡されたグリーフシードを何とかキャッチする。そんな彼女に構わず、シジフォスはさやかとまどかの隣をすれ違うように通って倉庫の出口に歩いていく。
「え?ちょ、シジフォスさん!?」
「あ、あの、もう帰っちゃうんですか?」
「ああ…もう此処に魔女はいない。自殺しようとした人達も恐らく正気に戻るだろう。君達もはやく帰るといい」
シジフォスは二人に素っ気なく告げると、そのまま倉庫から立ち去ろうとする。が、倉庫の入り口の前で一度立ち止まると、こちらをジッと見ているさやかとまどかに振り向いた。
その表情は悲しげで、どこか悔しそうな雰囲気も感じられた。
「…さやか」
「え?は、はいっ!?」
突然声を掛けられ、さやかは上ずった声を上げて驚く。シジフォスはそんな彼女に、全く表情も変えようとしない。
「…君がどう思っているかは知らないが、魔法少女になったのは、大いなる間違いだ。
君は、魔法少女になるべきじゃなかった」
「…え…」
「シジフォス、さん…?」
シジフォスは暗い声に、さやかとまどかは呆然となった。そんな彼女達を無視して、シジフォスは倉庫の入り口から外に出ていった。
そして立ち去る寸前、物陰に隠れてまどか達を見ているキュゥべえを睨みつける。
その視線は、見られただけで死ぬのではないかと感じるほど鋭い殺気が籠っていた。
「…下種がっ」
シジフォスは吐き捨てるように呟くと、そのままその場から姿を消した。
杏子SIDE
「久々に来てみたら何だか面倒な事になってやがるな、ったく…」
「マミの他に魔法少女がいるし、それにこの街にも黄金聖闘士がいるからね」
「ふーん…、ったく、良い狩り場だからちとばかし狩っていこうと思ったんだがな…。こりゃ諦めた方が吉かね…」
その頃鉄塔の上で、グリーフシードの回収の為に杏子は見滝原を訪れていた。
ある理由でこの街には近付かなかったのだが、最近魔女を狩っておらず、グリーフシードのストックを増やす為にもたまにはいいだろうという気紛れでこの街の魔女を狩りに来たのだ。
そんな彼女が魔女の気配を感じて倉庫に向かうと、もうすでに魔女は討伐された後であり、しかも倒したのは自分の下宿主と同じ黄金聖闘士であった。
黄金聖闘士の強大さを嫌というほど知っている杏子は、好き好んで彼等と事を構える気は無い。
良い狩り場を取られるのは癪ではあったが、戦っても勝ち目が無いのならば潔く引いた方が得であるため、適当に一、二匹狩ってからさっさとこの街から出ていこうとも考えていた。
「それに最近新しい魔法少女が契約したんだ。君が居なくても魔女退治はなんとかなるんじゃないかなあ」
キュゥべえがポツリと呟いた一言に、杏子は興味を持ったのか視線を向ける。
「新しい魔法少女?なんだそりゃ?」
「素質があった子が居たからね。その子と契約したんだ。これで街を魔女の脅威から救えるって喜んでたよ?」
「…ふーん」
杏子はキュゥべえの話を聞くと、手に持っていたリンゴを齧る。その表情はまるで苦虫を噛み潰したかのように歪んでいた。
「正義の味方気どり、かよ…、下らねえ…」
杏子はどこか忌々しげに先程まで魔女が居た倉庫を見降ろした。
…。
あとがき
今回は少し早めに書き終えました。
若干オリジナル要素が入りましたが、ようやく本編始まります!
マミさん死亡後ここからさらに鬱度が増していくんですよね、いやマジで。
まあポータブルじゃさらに悲惨だったけどね、さやかちゃん。
ついでに杏子の両親と妹も幽霊と言う形ですが登場しました。この人(?)達にも物語に関わって貰いますので…。魂使いのマニゴルドの本領発揮というわけです。
次回はデジェルと恭介の話、ついでに杏子の家族とマニゴルド、ほむら組の続きでも書こうと思います。ひょっとしたら今回より遅くなるかもしれませんが、どうかご容赦のほどを