拳の一夏と剣の千冬   作:zeke

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第78話

「………」

 

 暴走後、一夏は千冬とアーリィ、束とクロエ・クロニクル、織斑マドカと更識姉妹という先の戦闘で負傷しなかった者達と共に亡国機業掃討作戦の作戦司令室であるホテルの会議室に来ていた。先の戦闘で負傷した専用機持ち達は皆病院で検査と手当てを受けている。

 ただ、その会議室に鏡形而が居ないことを除いては全員が会議室にいると言っても良い。

 

 会議室に入ると開口一番に千冬が尋ねる。

 

「何があった?」

 

 やはり、そうだよなと思いながら一夏は「何も」と呟いた。

 

「その件に関して俺は話すつもりは無い。例えあんたが家族として俺に尋ねてきても、だ」

 

 白騎士へと変貌した時の件を話すつもりは無かった。 

 あの人との再会は一夏の中ではトップシークレット。どうしても知りたいのであれば

 

「知りたいのであれば、俺を負かせ。先の続きをしてみるか?」

 

 それ以上は頑なに口を閉ざす一夏。負ければ話すが、やるからには全力を出す。 

 その言葉にはそういう意味合いが含まれていた。

 

 一夏のその言葉に言及する事をやめる千冬。これ以上言及すればやぶ蛇どころか龍が出てくる。パンドラの箱を開けてどれだけの被害が出るか想像がつかない。

 それに、もし一夏と戦う事になった際にアーリィがこちらにつくかどうか危うい。ちらりとアーリィに視線を向けるがアーリィは何処吹く風で、その心中が読めない。

 

 口を閉ざした千冬をみて一夏は視線を千冬から束とクロエ、それにマドカへと向ける。暫らくぶりに見る娘と婚約者の姿。対して複雑そうな表情を浮かべるマドカ。

 

「束は先程ぶりだが元気そうだなクー。それとマドカお前の先程の動きは素晴らしかったぞ。武器と一つとなる、俺に出来なかった事を一度のアドバイスでやってのけたその才能高く評価する」

 

 先程の白騎士のへと変貌した一夏の圧倒的な力を見せつけられたマドカだが、その偉大な存在に褒められた事に顔を赤く染めて視線を一夏から逸らす。

 そんなマドカに嫉妬の視線を浴びせる娘のクロエ・クロニクル。そんなクロエに近づくとその頭を撫で始める。

 

 

「そんな顔をするな、クー。さて、これからの件だがどうする?既に亡国機業の連中はアジトを捨てて京都を去ったが、俺が奴らならば既に拠点をこの京都から別の場所へと移しているだろうよ」

 

 ゆっくりと優しい手つきでクロエの髪を撫でる一夏。

 クスリと笑いながら会議室にいるIS学園の全員を見渡す。

 

 IS学園側で残ったのは更識姉妹、アーリィ、千冬の4人。アーリィはIS学園の教師でもなければ生徒でもない。故にIS学園側と言う括りには少しばかり無理があるので実質的にIS学園の先の戦闘での生き残りは3人のみ。これからのIS学園防衛の戦力低下に直結する。が、さして問題は無かった。気だるく癪に障る事だが一夏が本気になればIS学園程度幾らでも守り切れる。

 ただ、一夏が本気を出せばの話だが。

 

 

 目標は居なくなったのだ。作戦成功とは言い難いが作戦は概ね成功だろう。

 一夏は、今現在の棚から牡丹餅状態に機嫌がすこぶる良い。

 

「では、最後に何かこの場にいる連中の中で何か喋る事はあるか?」と言う一夏の質問にアーリィが手をあげ、視線がアーリィに集まるとアーリィは口を開いた。

 

 

「んじゃあ、私から一つ。イタリア代表アリーシャ・ジョセスターフは亡国機業に降るさね」

 

 その宣言で千冬は険しい顔つきとなり、更識楯無は驚きの表情を浮かべる。

 一方、一夏はそうかと呟くとさして興味無さげな態度をとり視線を娘のクロエに向け撫でる娘の顔を眺める。

 一夏は亡国機業にも密かに所属している。アーリィが亡国機業に渡ろうと渡るまいと戦力として大した問題ではない。

 

 

「そうか。ご苦労様、もう行っていいぞ」

 

 あっさりとした返事を述べる一夏に一同は驚きの表情を浮かべて一夏を見るが一夏はどこ吹く風。それよりも娘との戯れが大切であり、一分一秒無駄にしたくないという思いが謙虚に態度にでる。

 

 突如失礼しますという声の後、会議室の扉が開かれ会議室には一人の男が入って来る。その男は一夏の部下、一夏に忠誠を誓う一夏の影5人の神の手(ゴッド・ハンド)の一人。鏡形而に数歩劣るが特A級達人の達人。

 突然の特A級達人の出現に警戒する千冬と視線だけを向けるアーリィ。

 男は一夏の前に跪き、各国の代表が連絡を取りたいとの事ですが如何しましょうか?と連絡をする。

 

フン、こそこそ盗み見をする連中だ。先程起こったばかりの出来事にすぐ食いついて来るとは、と呆れながら不機嫌な表情を浮かべる。

 

「失せろと伝えろ。今俺は家族との団欒で忙しいのだ。警告し、それでも無理を通そうとするならお前が始末しろ」

 

 男は一夏の返事に御意にとだけ返事をすると会議室を後にする。

 

 男は歓喜に唇を歪める。男は5人の神の手(ゴッド・ハンド)として選ばれた。全ての修羅の頂点に位置する一夏の影に選ばれたのだ。

 だが、それだけでは男は満足できなかった。一夏に今まで男に命じられる仕事は数えるほどしかない。

 

 が、先程命じられた。その事に歓喜の声をあげそうになる。

 

「では王の、我が主の意向に従い申し上げます。皆様、お引き取りを」

 

 そうホテルのロビーに集まった各国の代表に伝える。

 その言葉にはいそうですかと納得する人達ではない。

 

 口々に不満をそれぞれの母国語で述べるが、男はクスリと不敵に笑う。

 

「我が主の意向は伝えましたが、これ以上ごねるのでしたら無理を通そうとしていると判断し始末させてもらいますが?」

 

 突如男の体から滲み出る気。やがて気は巨大な男の像を作り上げる。これこそ静の気の運用によってできる気当たりの一種で気の炸裂。巨大な像に触れた代表達は次々と地面に片膝をついていく。

 これで向こうが引けば男は争うつもりはないがそうでなければ王への忠誠としてここに集まった各国の代表を殺さねばならない。

 

 むやみに人を殺すつもりは毛頭ないが王への忠義の為ならば人を殺す事に何らためらいもない。

 

「それでは、もう一度だけ申し上げます。今日の所は、お引き取りを。日を改めれば我が主への謁見も叶うやもしれません。では」

 

 そう言って男はぺこりと各国の代表に頭を下げると出口を指さし、お帰りをと退出を促す。各国の代表が震えながら立ち上がるとぞろぞろSPを引き連れて不満を口にしながらホテルのロビーから出て行くのを見届けるとフーと息を吐いた。

 

 王への忠誠を示すとは言え殺すのに気が引けなかったかと言えば嘘になる。

 だが、結果的に彼らは退いてくれたのだ。殺処分する事も無く穏便に済ませた事に安堵の息を吐く。

 

 男がもう一度会議室に戻ると会議室には一夏と篠ノ之束、それに娘のクロエとマドカがいて他の面子は会議室にはいなかった。すみませんと男は断わりを入れながらソファーに座り家族と戯れる一夏の前に跪く。

 

「ご命令通り、各国の代表にはお帰り願えました」

 

「そうか、ご苦労。引き続き警備に当たれ」

 

「はっ!」

 

 そう言って男は立ち上がると共に一瞬だけ視線を一夏の方へ向ける。そこには神妙な顔つきの一夏が居た。まるで何かを考えているかのような一夏の顔。摩天楼が機能していた頃に玉座に座り武を開発、指導してきた頃の一夏の顔にそっくりなのだ。

 

(となると、次なる後継者をお決めになられているという事か)

 

 新たな己の後継者を娘のどちらか、あるいは両方を後継者として選ぶ事に迷っているのだろうと推測できる。

 男は5人の神の手(ゴッド・ハンド)に選ばれた。それは、ボクシング ムエタイ 古武術 中国拳法、プンチャック・シラット、少林寺拳法 空手 八極拳 柔術等を3つ以上極めたトライアルクラスに成らないと成れないものだが、摩天楼が機能していた時代に誰一人教わる事のなかった武術がある。それが織斑流拳術である。一夏が自ら開発したその技術は拳を使うが脚も使う、言ってみれば体術なのだが誰一人教わる事も無く、そして誰にも教える事のなかった。それが今、継承されようとしているとしたら前代未聞であろう。

 男も武術家としてどちらを教えるのか純粋に興味があるが、引き続き警備に当たれと一夏の指示があるのだ。ならば警備にあたる他は無い。

 

 失礼しますとお辞儀をして会議室から出て行く男を見届けた一夏はクロエとマドカに告げる。

 

「さて、邪魔者は居なくなった事だしマドカとクロエ。我が愛娘たちよ!」

 

「はい」

 

「何だ?」

 

「お前達に今一度問う。武人となるか、それとも平穏に生きるかだ。一度武人となれば生涯その命尽きるまで他者に狙われるかもしれん。武人とは戦の、戦場の中で散る。それこそが武人の生き方。だが、それを選んでしまえばばこの先過酷な生き方となるだろう。故に俺の織斑流拳術を本格的に教える際に武人として生きるか、平凡に生きるかの選択を問う。クーには織斑流拳術の一部を教えているが、それは数ある中でごく一部に過ぎん。武人として生きる者のみに我が織斑流拳術を教えよう」

 

 その一夏の言葉を聞いて束はいっくん!と声を荒げるが一夏は束の腕を引っ張りソファーに座らせる。

 だが、それで納得する束では無かった。娘が戦場に立とうとするのに止めない親などいないだろう。ましてやそれを父親である一夏が迫る様に問うのだ。

 

 ジッと一夏を睨みつける様に鋭い視線を浴びせる束。そんな束の視線に気づくと苦笑する一夏。

 

「そんな顔をするな。二人に無理強いをするつもりはない。我が弟子に相応しき人間が現れなかったら名残惜しいが俺はこの織斑流拳術を俺の代で終わらせるつもりだ」

 

 弟子を取り、継承していくことが武術家としての喜び。弟子の成長や新たなる技の追求等武術家によって感じるものは違うだろうが、武術の継承とは武術家にとって自分が心血を注ぎ学んだ所謂もう一人の己自身を次代に引き継ぐことに他ならない。ましてや、それが開祖であるならばなお感じる生きがいは一層大きい物だろう。

 

 一夏の配下にはたくさんの弟子が居る。だが、誰一人として織斑流拳術を教わる事は無かった。

 その理由には一夏は既に後継者を概ね決めていたからだ。静の武術タイプのクロエ・クロニクルが最有力候補だったが、今年に入りマドカと出会った。そして、もう一人の後継者候補としてマドカを選んだのだ。マドカは武術タイプとしては動のタイプ。感情を鎮め冷静に分析しながら対処する静のタイプのクロエとは反対に感情を爆発させそれをエネルギーとして戦う動のタイプのマドカ。

 武術には心技体が必要とされ、どれも大切なものだが特に心は一層重要だと一夏は考える。学ぶ気が無い者に武術を教えた所でそれを完璧に技となれるか疑問であるし、仮に武術家となっても戦で生き残るにはなお困難を極めるだろう。

 まあ、戦が無ければ武術家等不要な存在だが生物の性で人類は常に争いの中で進化してきた。人類に争いは必要悪ですらあるのだ。争いのない永久的平和な世界というのも一夏としては欲しいものだがそんなものは絵に描いた餅。

 欲が出る人間など何時争いを起こすか解らないものだ。欲が出る人間に争うなと言っても無駄な事でしかない。今は平和でも何処かで争いは起きるもの。その中で生き残る一つの手段として一夏は武の継承を考える。が、それは争いに身を置くことに他ならない。

 武術家とは争いの中に生き、そして死ぬ定め。だが、争いが起きた際に生き残る確率は常人よりも遥かに高い。

 

 つまるところ、一夏の織斑流拳術の後継者とは一夏自身が守りたいと思える身内のみにしか継承できない。

 その最たる後継者候補としてマドカとクロエの二人なのだ。無論、篠ノ之束も織斑流拳術を教わりたいとなると後継者候補に名を連ねるだろうが束はそんな事を望まないだろう。

 

「ですが、お父様一つお聞かせください。何時ぞやお父様は私が織斑流拳術を全て習得するのは無理だとおっしゃられましたが、全てを習得できない私を後継者にしてもさほど意味をなさないのでは?」

 

 クロエの質問は的確な質問だった。武術家としてもう一人の己とも呼べる武術を全て継承できなければ意味をなさないと思われる。

 だが、そんなクロエの質問に一夏はクスリと笑う。

 

「だからどうした?全てを習得できなければ無意味だと?他の武術家はそう申すかもしれんが、俺にとってはどうでも良い。良いか我が愛娘たちよ。武術は守破離が大切なのだ。俺を頑固にして凡庸なそこらの武術家と一緒にするなど片腹痛く、ナンセンスにも程がある。教えは確かに大事だがそれに囚われているようでは狭い世界しか知らん井の中の蛙に過ぎん。お前達が出来なくとも、お前達の後継者ならばどうだ?その先の更に後継者ならば?それに世界は時代と共に変化する。故に武術もそれに合わせて臨機応変に変化していかなければ意味をなさん」

 

 その言葉を聞き、クロエとマドカの腹は決まった。

 

「「弟子にして下さい!」」

 

 

 その言葉を聞き一夏は満足そうに頷く一方で束は悲しそうな表情を浮かべる。

 そんな束の肩を抱き寄せるとその手を握りしめる。

 

「そんな顔をするな。俺の悲願が成就されれば娘達が戦場に立つ必要性も無くなる」

 

「いっくん」

 

「お前と同じで俺も娘が傷つく姿を見たくない。いや、娘達だけじゃない。お前の傷つく姿を見たくない!」

 

「いっくん!」

 

 抱きあう二人に娘のクロエとマドカは、いやいや時と場所を考えろよ喉元まできた言葉をぐっと飲み干す。

 

「では、久しぶりの家族の再会と我が織斑流拳術の後継者の決定を祝そう!」

 

 そう言って一夏は家族と共に会議室を出て行く。

 

                □                    ■

 

 

「やはり、ここで彼の暴走は起こってしまったか」

 

 男はそう呟いて夜空を見上げる。

 男の名前は鏡形而。一夏の左腕とされた男は故郷を失った。それも他ならぬ一夏が原因でだ。

 

 だが、鏡は一夏を憎めなかった。彼が知っている織斑一夏はもうどうしようもなく心が傷つき、やがてあらゆるものに絶望した。

 失った過去は取り戻す事は出来ないが無かった事になら出来る。本来なるであろう結末を辿らない様にするために鏡は動いている。だから、正義(ジャスティス)を設立していた時から一夏の傍にいた。一夏を監視すると共に一夏を支えるために。絶望によって故郷が失われたのだとしたら、絶望を回避する事で同じようにはならないと思い行動する。

 

 それにはとてつもない労力を要するが嬉しい事もある。それは、会えなくなった婚約者との再会。

 だが、不用意な接触は今後の展開に支障をきたす。全ては未来を変える為、ここは我慢しなくてはならない。

 

 そう、未来から来た鏡はその結末を変える為に動いているのだ。もっとましな結末を得るために。

 

「彼の力は強大だ。史上最強と言っても過言ではない。今回は奥義を出さなかったが、それでもああも軽く対処されるとは」 

 

 全く彼の能力はそこが知れないし、それにもしあれが彼の手に渡ればと恐怖する。

 あれとは、始まりにして鏡の故郷を失う原因となった一番の要因。

 

 恐れていた事が起こったと鏡は嘆く。

 最初の一夏とあれとの接触は避けるべきものだったと。

 

 だが、今回の一件で未来が確定したわけではない。ならば、分岐点はまだ残っているという事だ。

 

「ならば、まだ救いはある!」 

 

 ぐっと拳を握り、鏡は握り拳を開いた。そして、手の中から眩い煌きが巻き起こり、鏡は姿を消した。

 何れ来る決戦に備えて力をつけるために。

 

 相手は世界最強。幼児化した状態でブリュンヒルデを2人相手取ってなおその絶大な力は健在。相手にするには本来の一夏と同じ超人の域にまで達せなければあっけなくその命を散らしてしまうだろう。

 故に鏡は超人という遥か高みを目指すのだった。

 

 

            ○                     ○

「疲れて眠ったか」

 

「うん、二人とも今はベッドで寝ているよ」

 

 深夜10時過ぎ。予約していたホテルの一室で一夏はソファーに座りながら束の手当てを受けていた。先の戦闘でマドカを庇った結果全身に火傷を負っていたのだが、白騎士へと変貌すると重度の火傷が変化し軽度の火傷へと変化した。束の見立てでは白騎士に組み込まれていた操縦者保護プログラムの一部が、ISに本来組み込まれている進化プログラムによって操縦者の傷を癒す機能へと変化したのではないかと言う見立てだ。

 軽度の火傷なので唾でもつけとけば治るだろうと一夏は言ったのだが、束が頑なにそれを拒否し束の手当てを受けている状況なのだ。

 束の報告にそうかと呟くと溜息を吐く。

 

「こら、動かない」

 

「ああ、すまない」

 

 消毒液を染みこませた綿を背中に塗りたくる束。背中の火傷がそれに反応して痛みが生じるが表情に出さない一夏に束は傷の手当をしながら質問する。

 

 

「ねえ、一つ訊いて良い?」

 

「何だ?」

 

「いっくんが何で白騎士へと変化したのか教えて欲しいの。あの時のいっくんの感覚は、ちーちゃんが暮桜を使って止めた時と同じだった。生身で暮桜を身に纏ったちーちゃんを相打ちまで追い込んだいっくんが誰一人死者を出してないのは単なる奇跡かあるいは……」

 

「意図的に黙らせたかしかないからな。まあ、あの時の俺は死者を出さないように願ったからな。束、お前ならばわかるだろう?意識のある俺が全力を出し渋る相手がどんな奴か」

 

「身内かあるいはそれに近い人物」

 

「そうだ。んで、俺があの時に接触した人物があの人だ。白騎士事件以降姿を消したあの人」

 

「あの人が!?」

 

「ああ、故に束。お前に問わねば成らない事がある。ISの誕生の秘密。いや、それだけじゃない。俺の知らない事全てだ。白騎士事件の背景をお前は知っているんじゃないのか?」

 

 一夏の質問に治療をしていた束の手が止まる。消毒液を染みこませた綿が小刻みに背中で震えており背中越しで束が動揺しているのが解る。やはりなと確信しながら一夏は考える。

 

 では、やはり白騎士事件にあの人はかかわっているのか?俺の知らない事とは一体……

 

 グルグルと頭の中でいくつもの可能性が浮かび上がるが真実は束が知っている。束が話してくれれば真実に近づけれるが、そうでなければ地道に可能性を潰していく他はあるまい。

 

 無言で一夏の体に包帯を巻く束に一夏は嫌われるかもしれないある不安を抱えていたが、それを吐露する。

 

「あの人と再び会えたなら俺は……あの人と戦う。そして、あの人の手足をへし折ってでもお前のもとにあの人を連れて帰ってくる」

 

 束の包帯を巻く手が止まり一夏は唾を飲み込んだ。言ってしまった。

 これで最早後戻りできなくなってしまった。だが、言わねばならなかったのだ。言わねば何も変わらない。

 

 ドクドクと心臓が脈打つ鼓動の音が高くなっていくのが解る。

 恐れているのだ。篠ノ之束(この女)を失ってしまうのではないかと。

 

 何時間の時が流れたのだろうか。何分間かもしれないし、はたまた何秒間しか経過していないのかもしれない。

 暫しの沈黙が二人の間を漂う。

 

 胸が締め付けられるような張り裂けられそうな幻痛に晒されながら一夏は束の言葉を目を閉じて待つ。

 我ながら愚かな選択をしたと自覚するが、それでも一夏は束に伝えねば気がすまなかった。

 

「………いっくん」

 

 暫しの沈黙の後に束が口を開き一夏は覚悟を決める。

 全てを失う覚悟を。篠ノ之束(この女)を失ってしまう覚悟を。

 

 唾を飲み眼を開く一夏の背中に確かな重量と柔らかな感触が。

 予想外の行動で驚きのあまり篠ノ之束が抱きついていたと言う事実を認識するのに一夏は暫し時間を要した。

 

「……束?」

 

 動揺しながら一夏は束の顔を見るが束は一夏の肩に顔を埋めたまま。

 

「貴方の思いが私に流れ込んでくる。でも、それは不安、悲しみ、怒りそれらの感情が濁流の様な激しい感情」

 

 やはり篠ノ之束(この女)には隠し事は出来ない。心が丸裸にされてしまう。

 束の優れた共感能力の前には最早言葉すら不要とも思えてくる。

 

―ああ、俺は恐れている。お前を失う事に

 

―ああ、俺は悲しんでいる。お前を悲しませることに

 

―ああ、俺は怒りを隠せない。俺自身の弱さを

 

 誰が悪い?

 

―決まっている。弱かった俺自身だ。

 

 ならばどうする?

 

―強くなり、力を示す。奴に、世界に己が最強だと証明すればいい!その為に己がどんな犠牲を払おうともだ!

 

 

 黒く染まった思考は共感能力の優れた束にまで伝わった。氷のように冷たく、深海の如く真っ暗で深い印象がショックイメージとなって束を襲う。

 

「いっくん!」

 

 思わず束は叫ぶが、束の前にいたのは五反田弾が布仏虚に言った弱い一夏では無く、最早自己暗示によって自らを殺し尽くし理想の自分を掲げた一夏の顔だった。薄ら笑いを見せ凍てつくような視線を束に浴びせる一夏。

 

「束、大丈夫だ。お前の前に絶対にあの人を連れてくる。またみんなで暮らせるようにするから何も心配するな」

 

 そう、先の戦闘であの人を取り逃がしたのならば今度の結果で上書きすればいい。結果が全てであり、その為の犠牲など厭う必要が無い。例え、二度と束と共に歩め無くなろうとも。その果てが己の死と言うものであったとしても、最早それを気にする必要はない。

 

 優しく束にかける声とは裏腹にどす黒く邪念に染まった一夏。

 かつて正義(ジャスティス)時代に編み出したとある技。あまりにもリスクが高すぎて全員の記憶から抹消するほどの徹底的に封印した禁術をもって再びあの人に挑むことを決意する。

 

 感情によって先の戦闘では不覚を取った。ならば、感情を殺してしまえばいい。

 感情など不要。目的の為には手段など選ぶ必要などない。

 

 邪悪に染まった思考は高い共感能力の束にまで伝わり束は固まってしまう。あまりにも冷たく息苦しい程の邪念。

 

「ああ、先の戦闘では不覚を取ったが今度は大丈夫だ。人で勝てないのならば意思を持たない神に成れば良いのだから」

 

 邪悪な笑みを束に向ける一夏。今までの一夏であれば絶対にしなかったであろうが邪悪に染まった一夏には体面を気にする事すらも無くなった。

 

「今一度、俺は誓う。君の前にあの人を連れてくると。君の脅威となるものが現れない世界にして見せると」

  

 そう言って束の手を取ると手の甲にキスをした。

 顔を真っ赤にする束を見て優しい微笑みを向けると一夏は束をお姫様抱っこする。

 

「では、もう夜も遅いし寝るとしましょう」

 

 束を抱いたまま一夏は立ち上がると寝室へと向かった。

 最早その正体が人間か否か解らないまま束はされるがまま身を流れに任せる。

 

 ベッドに着いた一夏は束をベッドの上に乗せると自分もまたベッドの中に潜り込む。

 すぐ隣にいる束のせいで束の匂いが一夏の鼻孔を刺激する。

 

 束が一夏の手を求める様に一夏の手を繋ぐ。白い指の柔らかな感触。

 

 一夏の中でこの女を失いたく無いという思いが一層強くなる。そんな一夏を知ってか知らずか束は微笑を浮かべた。

 

「大丈夫。私は貴方を愛し続ける」

 

 その言葉と共に一夏の唇を束の唇が覆い、一夏は眼を細める。

 どれだけ時間がたったであろうか。数分だったかもしれないし数秒だったかもしれない。されど、唇の感触がこれは確かな現実だと言っている。

 

「……俺もお前を愛している」

 

 唇を離してそう述べると束は一夏の胸に顔を埋めた。

 

「その言葉が聞けて今日は嬉しい。おやすみ、いっくん」

 

「ああ、おやすみ束」

 

 束の温もりを感じながら一夏は瞳を閉じた。今日はよく眠れそうだと思いながら目を閉じいつの間にか眠ってしまう。最後に見た束の赤く染めた表情を脳裏に焼き付けた状態で。


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