拳の一夏と剣の千冬   作:zeke

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第60話

 翌日、一夏はクーと共に束の実家の道場に脚を運んでいた。

 束の実家の篠ノ之神社は束と箒のおば 雪子が神社を管理しており一応現時点で管理人であるため道場を使わして貰う前にクー共々挨拶に向かったのだが「あらあら、一夏君も彼女が出来たの?隅に置けないわね~」と束が婚約者である事を知らない雪子おばさんに冷やかしを食らったのは記憶に新しい。

 

 道場の中央には道着を身に纏った一夏とクー。

 

「クー、お前に今日新しい技を教える」

 

「はい」

 

「その技の名は――」

 

 一夏はそう言って事前に道場の倉庫から取り出した束お手製の人間そっくりの人形木偶の左手の手首を握り、頸の気道を右手で塞ぎ持ち上げながら人形の足を足払いして体勢を崩し背負い投げの要領で人形を首から床に叩きつける。

 

「―織斑流拳術頸落とし。見ての通り頸から相手を地面に叩きつける事によって相手を脊髄骨折にさせる事が出来る非常に有効な活人拳だ。どんな強力な相手でも人間であるならば首を鍛える事は出来ない。それ故に人間において絶対的な強さを誇る技だ」

 

 頸とはいわば人間の急所である。首を斬られても大してダメージにならないアンデットならいざ知らず、頸を切り落とされたりしてしまえば人間は確実に死ぬ。歴史上英雄と呼ばれるお伽噺では内臓を貫かれても戦ったクー・フーリンと言う英雄がいたが彼もダメージを負ったのは内臓だ。臓腑を抉られても人間は生きる事がある。流石に心臓を抉られれば死んでしまうだろうが小腸や大腸、肝臓を損傷しても少しの間なら戦闘続行が出来るのだ。もとより人間の体の中に二つある臓器は片方がダメになった場合でも生きれるように作られていると言う説がある。

 故にクー・フーリンの逸話はお伽噺ではなく現実味を帯びた話であるため、一夏はクー・フーリンが実在したのではないだろうかと考える。無論、クー・フーリンが使ったとされるゲイボルグやクー・フーリンの半神半人やその他の設定は胡散臭いがその様な戦争で名を挙げた偉人は実在したと考えている。惜しむべき事はそんな偉人と戦えぬという事だが出来ぬ事を嘆いても仕方の無い事だ。英雄達に目劣りせぬように名を残すまでの事だ。

 

「クーお前は女であり、女であるが故にお前に俺が考えた織斑流拳術を全て習得する事は出来ない。それだけははっきり言っておこう。しかし、出来る技を磨きに磨けば俺に勝るとも劣らない力を身に着けるだろう。出来ぬ事を悲嘆するのではない。出来る事に磨きをかけろ」

 

「はい」

 

 床に叩きつけた木偶を軽々と引き起こすと立たせ、クーに場所を譲る。

 

「織斑流拳術頸落とし」

 

 一夏が行った通りに技を再現し、木偶を首から床に叩きつける。

だが、

 

「甘い!相手の気道を塞ぐ力が甘い!絞め殺す気で行け!!」

 

 一夏からの厳しいダメ出しを食らう。

 

「で、ですが…」

 

 正直これが木偶であるから地面に叩きつけれているが生身の相手だと躊躇ってしまう気がする。

 

「生身の相手だと躊躇う…か?」

 

「はい」

 

「そうか」

 

 一夏はそう呟くと素早くクーとの距離を詰め、クーの頭にめがけて突きを仕掛ける。

 

「!?――織斑流拳術頸落とし!!」

 

 クーは一夏から繰り出された突きをかわし、突きを行った腕を掴み一夏の気道を絞め、足払いをして体勢を崩し、さっき習った頸落としを行う。ふわりと宙に浮く一夏の体。しかし、一夏は自分の気道を絞めるクーの腕を突きをしていない手で握りしめ、首を絞めるクーの腕に足を絡める。

 

「だから甘いと言っている!こうやって反撃されれば今のお前の未完成な技では相手の反撃を許し、己に不利な状況を作ることになる!!」

 

 既にクーの腕は一夏の体重を支えきれずに垂れ下がっている。

 

「と、まあこの様な感じに反撃される恐れがある。武術の心得の無い初心者ならばお前の技でも大丈夫だろうが達人クラスに成るとそうもいかない。解ったか?」

 

 既にクーの腕から離れ床に降り立った一夏はそう言って解説を行う。

 

「それに、さっきはお前の攻撃を振りほどくだけだったが、本来ならば相手が殺意を持ってお前を襲った場合お前の腕をへし折っていたかもしれん。良いか、クー。お前が自ら相手に絡み攻撃すればお前が咎められるやもしれんが、相手から絡まれ攻撃を防ぎ反撃に転じた場合その限りではない。ついうっかり、力の下限を間違えて相手を頸から地面に叩きつけてしまい、相手が脊髄骨折および損傷で一生寝たきりになろうともそれは相手の自己責任と言うやつだ。せいぜい過剰防衛になろうが、そんな事にはならないようにするから安心しろ」

 

「はい!」

 

 少々一夏の愛が重いがこれがごくごく普通の家族観なのだろうとクーは思い、考えないようにした。

 

 数時間に及ぶ厳しい指導によってクーは見事織斑流拳術頸落としを習得した。無論、技を習得しただけなので相手との戦闘における戦いの運び方や技を繰り出すタイミングなど、これから削り磨けをかけていかなければいけない部分も多々あるがそれでもクーが自衛の手段を持つのは良い事だ。一夏と束がいる間は二人がクーを守っていられるがクーが一人になった時や結婚し束と一夏の下を離れて行ってしまう時に自分の身を少しでも守れるようにしておく必要がある。親の愛情と言うのを知らぬ一夏にとってクーを育てるというのは大変なことだ。光を通さぬ暗い海の底を手探りで歩くようなものである。

 千冬によって一夏は育てられたが、一夏と千冬の場合はお互いの欠点をお互いに補いながら生活していた。そのため千冬を育ての親と言うよりは互いに共依存しながら互いの役割をこなしていたに過ぎない。

故にクーの親として機能しているか解らないが、一夏は自分の出来る事をやるだけだ。そして、その為ならば――

 

「――精々道化にでもなるとしよう」

 

 今後のプランはもう決まった。

 あらかじめいくつかの(ルート)は立てていた。が、今回の(ルート)は本来ならば通りたくない選択肢であった。借りを作りたくない相手に借りを作ってしまうからである。それがどんな事かと言うならば赤い悪魔とワカメの二人同時に借りを作ってしまう位のハイリスク。十一で膨らむ借金の方がまだ可愛げがありそうなぐらいの一夏にとってハイリスク。

 

「父様?」

 

 こてんと首を傾げ、一夏の顔を見るクー。

 思考の海から現実に戻され、「ああ」と頷きながらクーに顔を向ける。

 

「すまない。それじゃあ、着替えるとしよう。着替え終わったら道場の玄関に集合な」

 

「はい」

 

 そこからクーと別れて男子更衣室へと向かう。

 更衣室のロッカー。着替えと共にそこにブツは置いてある。 

 ブツを手に取るとブツを起動させ、とある人物に電話をする。

 

『ハ~イ、一夏!貴方から電話をくれるなんて嬉しいわね。今日はどう言ったご用件?婚約届?それとも本格的にこちらに来てくれるOKサイン?』

 

『後者の方だ』

 

 一夏の一言で水を打ったように通話が止まる。

 

『……本気で言ってるの?』

 

『ああ、無論だ』

 

『どういう風の吹き回しなの?貴方が今までこちらに来ることを拒んでいたのに』

 

『気が変わった……と言ったらどうする?』

 

『本当ならば喜ばしい事この上ない事だけれども……嘘ね』

 

『ハッハッハ!流石MIT所長様だなされど本当だ。とある条件を飲んでくれたら俺はそちらに身を置いても良いと思っている』

 

『本気?』

 

『無論本気も本気だ。その条件とは――』

 

 

 

 

 

 

 

 

『――あまりにもハイリスクな提案をしてくるわね、貴方。それを呑めば』

 

『ああ、俺がMITに所属してやんよ。そうなれば文字通りアメリカで絶対的な存在の学校になるだろうよ。いや、アメリカどころか世界の頂点に立つだろうよ』

 

『貴方の技術はこちらとしては文字通り咽から手が出るほど欲しい人材だけれども、貴方を手に入れるために追うリスクはあまりにもハイリスクすぎるわ』

 

『だろうな。単なる学校では追うリスクが高すぎるだろうよ。だが、俺を手に入れれば恐らくMITのライバル校ハーバード大学ですら足元にも及ばなくなるだろう。他の追随を許さないほど天と地の差を付けれるとしたら……どうする?』

 

『……私の一存では決めれないわ。私は所長でも、MITでも派閥があるの。私は貴方を良く知っているから私の一存で決めれるならばそうしたいのだけれども今の私では無理よ。少し皆を説得する時間を頂戴』

 

『そうか。では、君の交渉力に期待して待つとしよう』

 

『あまり期待しないでね。正直、リスクがあまりにも大きすぎて説得できる可能性はかなり少ないから』

 

『さてな。では、万が一には俺が直々に交渉しよう。俺の宝であり夢である宝物の拝謁を一回限りだがさせてやる』

 

『宝物?それは?』

 

『詳しくは教えられんが未だ人類が到達できていない英知の謁見だ。無論それには世界中の宝を集める必要があるが、その第一歩がアメリカと言う国なだけだ。何れ世界の宝を集めるのだ。俺の宝物――人類の英知。人に作られし神――の謁見とその作られる様をVIP席で見れる観賞券だ。全財産をなげうってでも見る価値のあるものだと思うがね?』

 

『……人類の英知。人類が到達できてない英知の謁見。ああ、まさに聞く限り甘く美しい毒。毒と知りながらも手を伸ばしてしまう』

 

『そうだろうよ。真理の探究者たる研究者の端くれならば、全てを投げ打ってでも真理を知りたいと思うのは自然の理だ。それは人の性ならぬ研究者の性であるからだ』

 

『まあ、良いわ。その口車に乗ってあげる』

 

『そうか。ならば君には超VIPな席で世界の行く末を見せてあげよう』

 

 一夏はそう言ってMITコンピュータ科学・人工知能研究所所長のエリス・アリンとの通話を切り終える。ヴェーダは今プロトタイプであるプロトヴェーダ。人間で言えば赤ん坊であり、これからのヴェーダと比較するならば大した能力は未だ無い。故にここで更なる進化を遂げるべく次の一手をうつ。

 そして、何れは宝を頭を使って更にヴェーダを飛躍的進化を遂げさせる。

 そうなればヴェーダは自己進化する神へと変貌する。内包した世界で人類が持つあらゆる可能性を検証し研鑽し、模索する自己進化型の神。

 現代に神を創ろうとする行いは、人の領域を超えているだろう。だが、一夏はすぐそばで人が持つ可能性を目の当たりにした。織斑千冬という実の姉をすぐ傍で見ていた一夏は人が持つ可能性にいち早く気付いた。人間と言う個々の生物は確かに欠陥品である。だが、人類と言うひとつの種で見るならばその種はまさに神と呼ぶにふさわしい個々の欠点を補う種である。その事実にいち早く気付き、ヴェーダという内包した世界でもう一つの現実そっくりの世界を創り、あらゆる可能性を持った人類を支配・掌握することで無限の可能性をヴェーダで実験し、それを現実世界で行う事で未来予知、最初から描かれていたシナリオ通りの様に自分に都合の良い世界を創る事が出来る。それこそがヴェーダの驚異的な能力。現実世界と同じ様に作られた内包した世界ヴェーダを掌握するという事は全人類を支配するという事。ヴェーダはISや核等よりも最も世界の脅威となりえるのだ。国が世界を巻き込んで敵国と戦う世界大戦、それによって生まれる新兵器や優秀な兵士や軍人は脅威である。だが、ヴェーダを相手に戦うという事は国と国との戦いの領域を超えている。文字通り国と世界が戦う事になるのだ。望めば内包した世界であるヴェーダは現状よりも進化した科学へと発展した高度な世界に変える事も出来る。故にヴェーダを利用すれば歴史を再現するが如く常に最先端の科学を駆使する事など容易い。何故ならあらかじめ結果が解っているが故に失敗などありえない。ありえないが故に無駄がなく、無駄がないからこそ低いコストで最新の科学技術を使う事が出来る。ヴェーダを使用すれば弱小国と呼ばれる国ですら世界最強の国家へと変貌させる事が出来る。

 だが、それはプロトヴェーダからヴェーダへと進化した場合だ。未だプロトの段階ではその能力は無いに等しい。核弾頭ミサイルも原材料の段階では脅威にはならないのと同じでヴェーダも現段階では脅威にならない。プロトの段階では核を未だ入れていない建設中の核弾頭ミサイルと同じなのだ。

 

「しかし、この計画が成功すれば世界は――」

 

――一夏の前に跪き頭を垂れる結果となるだろう。

 服従か死か。それが一夏が敵対した相手に求める結果である。振り返れば当然の結果であろう。世界は一夏にこうであれと望んだ。束と別れ別れになってしまったのもそうしなければ娘のクーが危機にさらされるからである。娘と娘の未来を人質に取られた状態の一夏に世界に抗う()を持ち合わせていなかった。だが、ヴェーダを手に入れれば世界を一夏の望む通りの世界へと変貌させる事が出来る。

 

ふと気づいて携帯端末の時刻を見ればクーと別れて、はや30分が経過していた。

 

「やばい!もうこんなに時間が経過していた!?」

 

 幾らシャワーを浴びていたという本当のような嘘をついても長すぎる。どう言い訳をしようか考える時間すら無い。最悪姉との生活で培った交渉術を行わねばならない。それは、父としての威厳を損ねる行為だが最悪の場合切り札としてきらねばならぬ。

 

 急いで着替えてクーとの集合場所である道場の玄関に向かう。

 待ち合わせの玄関に行くと既にクーが待っており少し怒った表情で腕を組んで待っていた。

 

「遅れてすまん」

 

「……遅いです」

 

「すまんな。少し電話をしていたので時間が経過していた」

 

「今日は私が父様を独占できる日ですのに…」

 

 むすーと口を尖らせて拗ねるように呟くクーを見て一夏は口端を僅かにあげてクーに知られないようにクスリと笑う。愛らしい愛娘が自分のために拗ねてくれる事は正直嬉しい。父親冥利に尽きるに限る。クーの絹のようなきれいな銀髪を撫で、柔らかな頬を優しくゆっくりと撫でる。クーに向ける一夏の視線は慈愛に満ち、その視線はかつて千冬が臨海学校の際に一夏に向けた時の視線と同じだった。

 

「すまんな。だが、許せ。これからお前を楽しませるのに尽力しよう」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ、本当だとも」

 

「原質は取りましたよ!?」

 

 ニコリと笑顔で録音機を片手に言う娘の姿がそこにはあり、ちゃっかり録音した声を再生して一夏に聞かせる。

 

「全く、誰に似たのやら」

 

 その用意周到さと狡猾さは誰に似たのやらと嘆きながら娘の一連の行動に苦笑を隠せない一夏。

 

『うふふ、やったね♪クーちゃん』

 

「はい、やりました!母様」

 

 突如第三者の声がし、一夏は顔をしかめる。昨日から生えている猫耳と尻尾を立てて警戒心MAXでその声の発生源へと視線を向ける。その音声の発生源をクーは嬉しそうに一夏に向かって見せびらかす。

 

「束」

 

 一夏に見せびらかされたのは小型携帯端末で画面越しにリアルタイムで両チョキで嬉しそうにⅤ(=^・^=)Vの様子を浮かべている束の表情だった。

 

『いや~いっくんが中々出て来ないからどうしたら良いかってクーちゃんに言われてさ~。んじゃあ、いっくんにご奉仕して貰えば良いんじゃない?って私が提案したんだけどね~。キッパリ母様の二番煎じになるのは嫌ですって断られちゃったんだよね~。んだから、どうしたいのって言ったら弟が欲しいですって言われてさ~んじゃあ、いっくんと出来るまでヤルっきゃね~って事で暫く弟が出来るまで我慢してねって言った訳なんだけど今日は私が父様を独占する日ですって頬を膨らませながらプリプリ怒るもんだからさ、つい可愛くてクーちゃんの願いを手っ取り早く叶える事にしたよ』

 

(いや~我が娘ながら独占欲強いよね本当に)と、あははと笑う束の声など耳に入らず一夏は背中からひんやりとした嫌な汗が流れるのを感じ取った。

 

「あ!俺急用を思い出した!!すまんなクー」とそそくさとクーの前からいなくなろうとする一夏。現状の不利にすぐさま気づき戦略的撤退を試みる。瞬時に意識を両脚へと注ぎ込み呼吸を変え体を180度回転させクーを背に逃走を謀る。

 だが、それも天才はあざ笑う。所詮かつての神童がその場しのぎで考えた策など毎日頭を使っている発明家の前では大した脅威になりえない。一夏の本当の強さは純粋な戦闘能力だ。騙しあいも得意と言えば得意だが、それは冷静な判断が出来た時にこそ、その真価を発揮する。冷静な判断が出来ない自分に不利なこの状況での撤退は正しいと言えば正しかった。しかし、天才は一夏の事を知っている。一夏の事を誰よりも愛し、一夏の事を千冬と同じように理解しており、一夏の手足を引きちぎって部屋に閉じ込め一生一夏を誰にも触れさせたく無いし、言葉を交わすことも同じ環境にいる事さえも本来ならば許したくない狂おしい程の愛を心の内に秘めた乙女に冷静さを欠いた一夏の考えを読む事など容易い。

 

 バンとクーに背を向けた一夏の前方、玄関の隅に置かれていた掃除用具置きロッカーの扉が開き中から猫耳尻尾が生えメイド服を身に纏った一夏の婚約者の束が現れる。その手に持っていた蛇のような太さのロープを一夏に向かって投げると

 

「そ~れ、絞め縄君1号!」

 

 その縄は一夏の足に絡みつきまるで蛇のように一夏の体を螺旋状に上りながら一夏を拘束していく。フフ~ンと鼻歌を歌いながら近づいて来る束はその手に何やら蓋をした試験管手に持つとポンと音を出しながら試験管の中に入った液体を口に入れながら一夏に近づく。そして――

 

「!?」

 

――一夏の唇にキスをした。

一夏の口の中に侵入する束の舌。大人のキス。ディープキスと言うやつだ。

 

クラリと頭がしそうになる。まるで鉄パイプや金属バットで殴られたような衝撃が一夏の頭の中を駆け巡る。一夏の口の中に束の舌が侵入すると同時に束の口の中に入っていた液体が一夏の口内に注がれる。

 

「うげ、飲んじゃったぜ」

 

 ゴクリと口の中に注がれた液体は恐らく、と言うか十中八九唾液が含まれている事間違いなし。ご褒美です!

 じゃなくて、ドロリとしたの液体はまるで喉を焼くように緩やかに食堂を通り胃へと到達する。束に飲まされた液体を飲んですぐに異変が起こった。

 

「っ――何だこれ!?」

 

 一夏は戦闘ではアドレナリンが分泌されるため、痛みと言う痛みを感じる事がない。それに、一夏は男である。本当かどうかは知らないが男は体の外側から受ける痛みや外傷に強く、女性は体の内側から沸き起こる痛みに強いと言う説がある。これは人間の種として女性は妊娠のために体の内側から沸き起こる痛みに強く、男性はその間無防備になる女性を守るために体の外側から受ける痛みや外傷に強いと言われている。

 だが、それは裏を返せば男性は体内の沸き起こる痛みには弱い。

 

 体の皮膚の細かい穴から水蒸気が沸き起こり、体中が痛い。骨が軋みをあげ筋肉が悲鳴を上げる。まるで子供の頃に型取った型に押し込まれ圧縮されていくような感覚。今まで味わったことのない痛みと体の水分が蒸発していくのが手に取るようにわかる。初めての痛み。初めての感触。

 それ故にただ耐える事しか出来ない。これが戦闘ならばアドレナリンがすぐに分泌されて痛みを感じる事などありはしなかっただろう。ただただ、嵐が過ぎ去るのを待つみたいに痛みを引く事を耐えるしかなかった。

 

「がぁっ!」

 

 ついに痛みは頂点に達し頭、脳にまで痛みが達した。千冬にアイアンクローをされた時よりも10倍以上痛い痛みに意識が朦朧とする。

 

うつ伏せで倒れる一夏の体からは煙がいまだに発生しており一夏の額には汗がびっしりと付いていた。

 

「フフーン、この私にかかればいっくんを幼児化する薬品APTX4869を作ることなんてたやすい事なのさ」

 

 ドヤ顔で言う束はちゃっかりうつ伏せ状態の一夏を抱きかかえようと一夏に接近する。その様子を見ていたクーの脳裏にとある情報が思い浮かんだ。それは雛鳥が目にした最初のモノが親であるという認識を持つという情報。今の状態はまさしくそれではないか!?というか、母様は昨日父様とイチャラブしてたんだから今日は私に譲れ!という思いが募り、音もなく駆け束の背後からその無防備な背中に撫子を放とうとする。

 

「!?」

 

 束はその攻撃を避け、振り返る。が、それが失敗だった。振り返りざまに見たクーの瞳が光り束はクーの術に嵌ってしまった。現実世界において大気成分を変質させる事で相手に幻影を見せる能力。それがクーのISの能力。

束の体の周囲には濃霧がかかり、視界を封じられる。360度振り向いても濃霧が束の体に纏わりつき視界が封じられた状態では気配や音に頼るしかない。

 目を閉じて視覚を封じ耳と気配に意識を集中させる。

 すると、この場から瞬時加速と共に離脱する音と二つの気配が遠ざかっていく。

 

「…逃げられちゃったか」

 

 束のその呟きを証明するかのように束の体を纏わりついていた濃霧は消えさった。消えた濃霧の後に視界に映るのは一人取り残されたという事実だけだった。今から追えば追いつく事も出来る。クーの体は生体同期型のISでGPS機能を兼ね備えている。それを利用して追跡する事は可能だ。だが、それをやるのは――

 

「――無粋ってやつだよね」

 

 今日はいっくんの味を堪能できたから良しとしよう。そう内心決めて、ふと一夏と濃厚な口づけを交わした自分の唇に手を当て先ほどの濃密なやり取りを思い出して顔を真っ赤にさせる。

 自分のやらかしたことに今更気づいて一人羞恥に悶える姿を一夏が見ればご褒美もの間違いなし。どこぞの外道神父と共に愉悦に浸っていただろう。

 

「くっ!」

 

 一夏を抱えて瞬時加速とそれの反動によるスラスターの冷却期間中ずっと走って束との距離を作っていたクーは遂に走る脚を止め一夏を近くのベンチに寝かせた。寝かせる時に気付いたのだが、一夏が小さくなっている。まるで幼児化したみたいに小さくなっていた。

 普通ならばその重さの違いで解ったかもしれないだろうが焦っていたクーにはそれが解らなかった。

 来ている服はサイズにあっていないため、ぶかぶかでTシャツの首の部分から肩がはだけている。

 今まで行くての視界に移る人達に能力を使って濃霧を起こし視界を遮ることで人々の視線を逸らし、瞬時加速を上空で行っても気づかれないようにしてきた。能力の酷使と体力の酷使にっよるダブルパンチがクーの体を貪り心臓がこれ以上は限界だと言わんばかりに張り裂けそうになるのを感じる。

 

「不味いですね。このままでは不審に思われてしまいます」

 

 トントンと胸を叩き、ゆっくりと呼吸を行い鼓動を調節する。

 意識の無い幼い父親を一人残して服を買いに行くのに不安が残る。かといって、起こして一緒に服屋に入れば不審がられるのは目に見えている。故に――

 

「起きて下さい」

 

――一夏を起こしどこか安全な場所で一夏を待機させ買ってきた服に着替えさせる。

 

 寝ている一夏の体を揺さぶり一夏を起こす。

「うん?」と瞼を開きむ栗と起き上がる姿はさながらまるでグリム童話の眠れる森の美女の逆バージョンだ。

 

「うにゅ?眠い。ここ何処?僕は誰?あにゃたは?」

 

 薬の副作用の所為か記憶を失い、舌足らずな一夏の姿はクーをときめかせる。

 ここで真実を告げる事も出来るがここでクーのちょっとした悪戯心と独占欲が働いてしまう。

 

「貴方は織斑一夏。そして、私はクー。クロエ・クロニクル。それが私の名前であり、貴方の姉です」

 

「……お姉ちゃん?」

 

 コテンと首を傾げる一夏にハートを射抜かれるクー。天使のような純真無垢100%な表情で首を傾げお姉ちゃんという呟く年下の弟がいれば確かに世界最強も狙えるかもしれない。この子の為ならば世界最強を目指すことも、世界最強になるための時間を惜しむこともない。

 

「そうです!」

 

 そう、可愛い弟の為ならば何にでも頑張れるのだ。そのご褒美に弟とチューしたりベロチューしたりprprしたりしても悪くない。そう、いうなればこれは純粋な愛なのだ。可愛いは正義。可愛いはジャスティス!!

 可愛いは世界のあらゆる尊い存在を凌駕する。可愛いこそがこの世の絶対者であり神に勝る存在である。この世の真理の一部を知ったような気がしたクーの暴走は止まらない。

 

「それでは、いっくn……いいえ、かぁくんはあそこのトイレの中に入って私が帰ってくるまで中で鍵を閉めて待っていてくれませんか?私が服を購入して貴方の携帯に電話をかけますのでそしたら施錠を開いて下さい。そして、私が買ってきた服を渡しますのでそれに着替えて出て来て下さい」

 

「ケータイ?」とコテンと首を傾げる一夏にクーは失礼しますと言ってから一夏のポケットから携帯電話を取り出して一夏に見せながら携帯端末の使い方を教える。乾いた砂が水を吸い取るようにすぐに一夏は携帯端末の使い方を覚える。一度教えてそれを覚える。無論、今まで使っていたという要因もあるだろうがそれでも一度教えられたことをすぐに呑み込み自分のモノにする学習能力には長けている。しかも、神童呼ばれし頃の幼少期なのだ。更に詳しくいうなれば神童と呼ばれる初期の初期。神童の卵と言っても過言ではない。そんな一夏はクーの命令に従い、多目的トイレでクーの帰りを待つのだった。


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