「一夏、はい」
食事から帰って来たデュノアが部屋で一夏に渡したカード。
それは、ハートのクイーンだった。
ハートのクイーン……ハートの女王。
つまり、心臓を、致命的な弱みを握る女王。
デュノアが出した結論。それは、運命に抗うと言う事に他ならない。
自らの運命に向きあい対抗する。
今まで父親を名乗る男に言われるがままだったけれども、始めて抗い反抗する。今までは反抗の『は』の字も知らなかったけれども、抗う術が目の前の男は持っている。
「随分と速い決断だな。良いのか?ここから先は戻る事のねえ一本道。この決断が手前を今後後悔するかも知んねえんだぜ?」
食事から帰った一夏は熱いお茶を啜りながら、ソファーに座った状態でデュノアからトランプのカードを受け取ると試す様に尋ねた。
「ねえ、一夏」
「何でえ」
「一夏は運命って信じる?」
「……運命ねえ。まあ、神様が居るってんなら生かしたまま人類が生み出したあらゆる拷問方法で拷問した後、人類が生み出した処刑方法で神の体がどこまで耐えれるか調べてたろうけど、運命なら信じるよ」
神が居たら、束を泣かす運命にした罪であらゆる拷問と処刑方法で処断していただろうけれども、一夏は神が居るとは思わない。居るのは、現実に白騎士事件で束を泣かした犯人のみ。
運命は信じる。何故ならば、一夏が唯一自分が戦い以外で自分を人間だと感じられる存在がいるからだ。
一夏は、自分が人間であると言う認識が出来ない。束の前以外では。
何故ならば、戦闘は楽しいと思うし、笑いもするが心の底から何かを欲する事は一度も無かったからだ。どんなに学校の美少女を見てもどんなに美味しい物が目の前にあったとしても、心の底から欲しいと思った事が無かった。
それ故に一夏は思った。
――自分は本当に人間なのか?と
人間ならば誰しも欲を持つはず。なのに、人にあるべきはずの欲が心の底から欲しいと言う欲望が湧いてこなかった。
だが、束と出会い、彼女と触れ合い、話し、同じ時を過ごすと彼女が欲しいと思った。心の底から思った。
初恋なのか何なのか知らなかったし、今でも理解は出来ないが触れ合う時が積み重なると共にその欲望は強くなっていった。
――篠ノ之束と言う存在は、織斑一夏と言う自分を人間だと感じさせてくれる唯一無二の掛け替えのない存在――
それ故に許せない。そんな彼女を泣かした犯人を許す事は出来なかった。
「僕も運命は信じるよ。一夏に出会わなければ、僕は今も父のデュノアの
でも、でもとデュノアは続ける。
「でも、君と会って僕は抗う術を教えられた。僕は初めて
フンと鼻で笑いながら一夏は答える。
「そうか。んで、後悔がねえんだな、シャルル・デュノア君?」
「うん。後悔は……するかもしれない。……でも!何もやらないで後悔するよりやって後悔をしたい!!」
カカカと笑いながら一夏は飲み終わった湯のみをテーブルに置くとデュノアから受け取ったトランプをグシャッと握り潰し、ソファーに座った状態で部屋に設置されているゴミ箱に投げ込む。トランプは見事にゴミ箱に入ると一夏はデュノアに向けて言う。
「そんじゃあ、宜しくな。復讐者」
「うん、宜しくね。共犯者さん」
そう言うデュノアは何処か楽しそうに笑っていた。
それから一夏は今後の事を話した。「朝に成れば今までの生活とは一変する」とだけ言ってデュノアに「何も聞かない」「何も言わない」「先生が巡回に来たら俺が居ない事を適当に誤魔化しとけ」との三つをデュノアに命じた。
「え!?これじゃあ、全部一夏に押しつけちゃうじゃない!」とデュノアは反発したが一夏が「うるせえ!餅は餅屋に、恐喝はチンピラに、優等生は優等生にしときゃあ良いんだよ!誰も優等生の手前が嘘をつくなんざぁ思ってねえだろうから下手な奴よりも信用できるし、ド素人が下手に手ぇ出した方が失敗すんだよ!」と一喝した。
そんな一夏に申し訳なく思ったデュノアが一夏に尋ねた。
「ねえ、何でなの?」
「あ゛?何が?」
「どうしてそんなに僕に手を貸すの?」
織斑一夏は基本的に他人の為に動かない。一部を除いて動こうとはしない。
そんな彼の性質を知らないデュノアだが、何故こんなにも自分の為に一夏が動こうとするのか解らなかった。彼からして見れば、自分を騙して専用機のデータを盗もうとした犯人である。そこに、犯人の立場は理解できないが、データを盗もうとした犯人であると言う事実には変わりない。
なのに何故―――
そんなデュノアをキョトンとした表情で一夏は見ると、ニヤリと笑った。蛇の様な肉食獣の様な獰猛な鋭い眼と成って答える。
「俺は、誰かの為に動くなんて事は基本しない」
だったら!と思う。
「だったら何で!」
デュノアは目の前の男の考えが理解できない。
「だが、そこに俺に利があるとするならば動く」
利がある?自分が居る事で彼に利がある?
解らない。解からない。自分が居る事で彼にどんな利があるのか解らない。
だが―――初めて自分を必要として動いてくれた。
自分をデュノアの製品の様に存在だけを求められるのではなく、自分の意思を尊重してくれる目の前の男性に――魅かれた。
「卑怯だね、一夏は」
気が付けばいつの間にか目から涙が溢れ、一夏の胸に縋り付く様に泣いていた。
一夏は『もしこれが本当に男だったら、男に泣き付かれる俺って誰得よ』と思いながら答える。
「ああ、俺は……弱くて卑怯で汚ない人間だからよぉ。そんな生き方しか出来ねえんだわ。ちーた……織斑先生みたいな高潔な生き方は出来ねえんだわ。だから、餅は餅屋つっただろ?俺は、こっちの生き方の人間なんだから。卑怯上等だぜ!卑怯、汚いは敗者の戯言!ってね。俺がお前に望む事はただ一つ」
それが織斑一夏がシャルル・デュノアに求める
「俺と戦え」
自分をより強い最強への道の
フランス代表候補生であるデュノアも代表候補生に成る実力を持っている。
一夏はその失われそうな力が惜しいと思っただけ。
そこに両者の思惑が一致した。ただそれだけ。
「俺がお前が失われるのが惜しいと思い行動し、お前が選んだ道だ。俺とお前の思惑が一致しただけだ。お前が俺に恩を感じる必要はねえ。ギブ&テイク。それだけだ」
そう言う一夏を見て、デュノアはクスリと笑う。先程まで泣いていた眼に溜まった涙を拭いながらそんな彼に向かって言う。
「何、それ」
俺と戦え。その為だけに普通ここまでするのだろうか?
どの様な方法を使うのか解らないが、デュノア社を傀儡にすると言うのは多かれ少なかれ違法行為だ。犯罪に手を染める方法だろう。
――下手な言い訳だと思う。だが、それでも手を差し伸べてくれる彼の手を取ろう。抗う術を教えてくれた彼の手を。
「お願いするね。共犯者さん」
「おう!任しとけ。復讐者」
一夏はそう言ってソファーから立ち上がると部屋からベランダへと移動した。
『何でベランダなんかに?』と不思議そうにその様子をデュノアは見ていたが、ベランダの手すりに立ち上がると、跳んだ。
跳んで闇夜の中に消えて行った。
こうして、織斑一夏は暗躍する。