錬金術師の帰還I
その日、その夢を見た。
それはいつか自分が夢に見た光景だった。火が木材という木材を舐め、絶望という絶望を被せるようなそんな光景。その光景を忘れない。たとえ、それは一時にしか起こりえない幻の類であったとしても、それこそが自らの悔恨と過ちの発露なのだから…
そうして夢を見たら立ち上がる。何も語らず、ただ、空を見上げ、そして、静かに願うように目を閉じ、その場を離れていくのだった。
ーーーーーー
まだ日が昇り切らない時、学生服を着込んだ褐色肌と白髪の少年シェロ・アーチャーは何もない海岸の果てを見ていた。
「ふぅ…。」
周りに一般人がいないことを確認する。すると、静かに息を漏らしたシェロは手に持つ弓を前に突き出し、それに矢を番える。ギリギリと弓の弦を引き、何もない海岸の果ての果てへとその視線を向ける。そして、その矢を手放すことで一気に解き放つ。放たれた矢は魔力を帯び、そのままどことも知れない世界の果てへと一直線に向かっていく。
それを確認したシェロは僅かに目を顰めるようにして細める。
「やはり…か。」
シェロは確認したいことを確認し終えると、スタスタとその場を後にする。
「何がだ?シェロ・アーチャー。」
すると、何もない虚空から一人の少女がいきなりシェロの前に姿を現わす。シェロはそのことに対して驚きは見せない。なぜなら、彼は一般人がいるかどうかを判断しただけであり、誰もいないことを確認したわけではなかったからだ。彼は僅かに案じるように目を見開いた。
「このような時間に起きてくるとは、まだ、日が昇りきっていないだろうに……いや、失言だった。君にはそもそも睡眠は必要なかったのだったな。浅慮な発言をしてしまったことを謝罪する。」
現在の目の前にいる南宮那月は本体が見ている夢が形取ったものに過ぎない。本体が眠り続けている以上、彼女は朝眠らないといけないといったような当たり前の行動をしなくても済むようになるという寸法だ。だが、それはつまり、人間からかけ離れていることを意味する。立場は違えどその人間離れすると言うのはいったいどのような物なのか理解できるシェロは己の発言を恥じ、心からの謝罪をしたのだ。
「別に気にはせん。それよりも、今貴様が言っていたことの説明の方を先にして欲しいのだが……」
「そうだな。君は俺の生前の時代のことを知っているか?」
突然問われた那月は訝しむように眉尻を上げ、僅かに考え込んだ後、答える。
「たしか、今からそう離れていない200年ほど前だったか。その様子だと、その時代は今の我々の時代とは大きく異なっている部分が存在していたとでもいうつもりか?」
半信半疑の口調であった那月の受け答え。それは目の前の男信用していないわけではない。ただ、純粋にこの男が質問したその意図が不明だったのだ。
「ふむ。どうやら、俺の時代の状況までは君も知らないと見えるな。」
「状況…だと?」
聞き返す那月に対して、ああ、と答えるとシェロは人差し指を立て説明を始める。
「例えば、君たちは魔術を使うときマナとオド……いや、体外の魔力と体内の魔力一体どちらを重要視する?」
「…?…そうだな。小さな事象の改変という意味合いで言うのならば、体内の魔力を使った方がやりやすいが、強大な事象改変を行うためにはやはり体外の魔力を重要視するな。」
「そうだろうな。それはつまり、強大な力を使うためにはそれだけ世界に魔力が溢れてなければならないと言うことだ。これは暁古城の眷獣とて同じであり、召喚自体は自らの強大すぎる魔力を使っているからと言って、その眷獣が力を行使するときはやはり確実に周囲の魔力を食い破るように利用しなければならない。」
魔女である南宮那月にとってそれは常識だ。だから、今更そのような説明をされたところで苛立ちはすれ、感心などはしない。それ故に、彼女は急かすように次の言葉を聞き出そうと、言葉を吐こうとするが、それをシェロは片手を突き出すことで制する。
「焦るな。問題はこれからだ。では、一つ、質問をしよう。南宮那月。もしも、世界に漂う魔力が枯渇してしまった場合、魔術はどのように変化すると思う?」
「…?そうだな。まず、そうなって仕舞えば、強大な魔術を行使しようとも、魔力そのものが枯渇しているわけだから、意味をなさない。となると、自分の中の魔力だけが頼りになり……そうか。まさか…」
ようやく質問の意図が理解できた那月は口を軽く手で覆う。それに対して、シェロは静かに頷く。
「そうだ。君の想像している通り、俺たちが生きている時代が正にその魔力が枯渇した状態だった。それ故に俺のような例外などのよほど強大な魔力を持つものでなければ、まずもって世界の魔力に干渉することなど不可能だった。…まあ、俺の場合は少しばかりイカサマを使って強大な魔力を手にしたわけだが……そこはいい。つまり、何が言いたいかと言うと……」
「貴様らの時代の魔術師は総じてそこまで強くはなかった、と言うことか?」
言葉を遮るようにして答えた那月の返答に満足そうに頷いたアーチャーは言葉を続ける。
「だが、此度は違う。俺の時代とは違い、世界に魔力が溢れ、魔術師の能力は総じて飛躍的に上がっている。恐らく、神代レベルまでな。」
「そうなると、具体的にはどうなる?」
「そうだな。まず、神秘のレベルが上がるということ、魔術一つ一つを小さな火薬とするならば、それが俺たちの時代と比べると爆弾と言えるほどまでに強大なものとなる。」
「…なに?」
心中穏やかではないといった様子で那月が眉を吊り上げる様子を見たシェロはふぅ、と息を吐き、諭すように言葉を重ねる。
「落ち着け。あくまで指標として言っただけだ。実際はどの程度のものなのかはあのセイバーを使役している魔術師たちを見てからでしか分からない。」
「そうか。では別の質問だ。…なぜ、今になってそのようなことを気づいたのだ?貴様ならばもっと早くの段階で気づいてしかるべきことだろう?」
このサーヴァントが他の者たちとは違い、五年前から召喚されていることを那月は知っている。であるからこそ、先ほどの確認するような一矢は逆に違和感を感じざるを得なかった。
「…そうだな。たしかに気づいていたかどうかはともかく、違和感には魔力を多大に使うようになった時、その最初から気づいていた。以前から妙に調子がいいのでな。」
この男は以前、黒死皇派のテロリズムを止めるためにその秘密兵器ナラクヴェーラに対して、牽制の意味も込めた一矢を放った。その際、この男はあくまで叩き落とすだけが目的であったのに対し、彼の一矢は予想以上の破壊力でもって、人工の地盤すら叩き壊し、落としてしまったのだ。この時はもしかしたら、自分の師のうっかりでも移ったのかと思ったのだが、後々になって自分の妙な調子の良さを考慮するに、どうやらそれは浅薄な見立てと言わざるを得なかったようだ。
例えば、この五年間、アーチャーとしてではなく、あくまでシェロとして、この男は活動していた。この男の魔術特性は真実は投影にはなくとも、投影そのものを意識することで魔力を粘土のように扱うことができる。それを差し引いても自らの肉体を戻しもしない不安定な状態で現界を維持するなどということが可能なのだろうか、現在、シェロは今までと同じような高校生ほどの肉体へと立ち戻っている。この状態に戻って始めて感じたことだが、これは穴あきのの浴槽にお湯を垂れ流し続けているような状態に近い。つまり、いつ穴が広がって現界が厳しくなったとしてもおかしくない状態にあったのだ。そんな状態で現界が可能であり続けた理由、それはおそらく先ほどの一矢同様に世界に魔力が満たされ続けているからなのではないのだろうかと考えている。
先日の戦いにおいてもランサー、セイバーとの超規模戦闘もよくよく考えてみれば魔力の調子が良く感じられ、投影などの負担はかなり軽くなったと言える。なんせ、生前にほど近いとはいえ、所詮はサーヴァント。千本やら二千本やらの刀剣を固有結界なしで投影した場合、その負担は結構なものになるはずだと踏んでいたのだが、そこまでの疲労は感じられず、戦闘を続けられたのだ。
「それでは、なぜ…」
「簡単な話だ。この聖杯戦争では俺にとってはそこまで何が変わるわけでもなく、また、君たちにとってもそれは同様だと感じたからだ。」
「なに?」
訝しむ那月の様子を傍目で確認した後、シェロは口を開く。
「先も言った通り、俺の生前の状況と現代は大きく異なっている。本来、このようなことが未来で
「そうだな。貴様からはそのように聞いている。」
「では、聞くが、君たちはそれを聞いたところで何か変わるのか?」
「…?なんだ?いきなり…」
「現代の魔術師は俺の時代と比べて遥かに強い。ということは、恐らくではあるが、南宮那月や古城たちが戦ってきた敵のレベルとそう大差がない進化しか俺の知る魔術師はしないのではないかと考えている。俺が見る限り、君たちが戦っている敵の最弱のレベルは俺の時代の時の最弱と大幅に異なる。ならば、変に不安を誘うよりも黙っていた方が効果的だと思った。実践慣れしている君はともかく、古城の方はそれで過剰に警戒してしまう恐れがあるだろうしな。それで本来の実力を出せずに倒されるなどと言う事態はなるべくならば避けたい。」
「ふむ、なるほどな。だが、魔術師の戦闘能力が貴様の時代より総じて高くなったということは、貴様の戦闘力は生前の状況と比べると生前に届かないまでも、ある程度上がったということだろう?
それは喜ばしいこと…ではないな。」
開きかけた口を閉じるようにして苦悶の声を漏らすように那月が呟くのを見て、わずかに頷くシェロはそのまま言葉を続ける。
「…ああ、その通りだ。どころか、こればっかりは喜ばしいどころか最悪だ。」
「ふむ…」
「サーヴァントである俺が調子がいいということは、他のサーヴァントたちとてその恩恵を確実に受けていることの証左でもある。たとえば、俺が生前の時代に召喚されていた場合よりも2倍強くなったとして、他のサーヴァントまで2倍強くなられては結局のところプラマイゼロ。そこまで変わりはないということだ。」
「……」
「むしろ、より生前に近い状態へとなったということは、一つ一つの能力が大幅に底上げされているということ。今の俺の状態ではサーヴァント体であったとしても本土ならばともかく、この脆い島を沈ませることなど容易に可能だろう。となると、今まで以上に、自らの能力に制限をかけねば、危険なことこの上ない。要するに、メリットに対してデメリットがあまりに多すぎるということだ。」
「…なるほどな。確かにそれは最悪だ。」
那月は沈痛な面持ちで顔を沈める。重い空気が流れる中、そのことを良くないと思ったシェロは不意に口を開く。
「そういえば、君は一体何をしにここに来たんだ?」
「ん?」
「君のことだ。何の用もなく、俺のいる場所に来るなどということはないはずだ。何か、俺に用でもあるのかと思っていたのだが?」
「…ふむ。そうだな。そろそろ、貴様にも話すべきだろうと思って来た。」
その後、那月から綴られていく言葉を聞き、シェロはわずかに眉潜め、苦悶するように目にしわを寄せる。そして、話を聞き終えたシェロはわずかにその身のうちにある魔力を高め、静かに優しい波音を立てる海の彼方を見つめながら、彼は静かに呟いた。
「そうか。ようやく来たか…」
と…
ーーーーーー
隔離された一室。ここは監獄ではない。だが、この場には絃神島にて重大な犯罪を犯したものがその能力を買われ、今も働き続けている。叶瀬賢生。かつて自らの娘の幸福を考えるあまり、空回りし、
部屋の扉が爆発でもしたかのように勢いよく飛ばされる。賢生は驚きもせずに淡々とした調子で、ゆっくりと今まで作業をしていた椅子から腰を上げる。
「やれやれ、ノックもせずに入って来るとは行儀がなっていないようだな。」
「やあ、叶瀬賢生。僕の名前は天塚汞と言うんだ。よろしくね。」
ふざけた調子で頭に被ったシルクハットを取りながら、気持ち悪いほど丁寧なお辞儀をするスーツ姿の男を見て、賢生はその男から警戒を解かずに、ゆっくりと今、男が入ってきたドアの後方部分に目を向ける。
見た瞬間、賢生は嫌悪感を露わにして目を細める。
そこには金属作りの見事な彫像があった。その姿は今まで自分の部屋の周りを監視していた特殊部隊を見事に形どったような…否、アレはそんな生易しいものではない。賢生はそれを見た瞬間に理解した。彫像には今はもうわずかだが、生命の波動が流す魔力を微量ながらに感じた。つまり、その彫像はわずかだが、
その金属の活け造りとも言えるような悪趣味な彫像を見て、賢生は相手が一体どのような力を使うのか理解した。
「錬金術か…なるほど、確か大錬金術師ニーナ・アデラードの元には天塚汞と言う弟子がいたと言う話だったな。」
「さすが、叶瀬賢生だね。そこまで知っていると言うことは僕が何のために来たのかも分かっているだろう?さっさと
「…何のことだ?」
「惚けなくていいよ。だって…」
惚けた調子はなく、ただ、淡々と自らの不明を告げる賢生を前に、男は心底愉しげに笑いながら言葉を返す。そして、笑いながら、腕をみるみるうちに銀色の特大のかぎ針のような形に変えていく。その様子を確認した賢生もわずかに半歩下がる。
「
男が襲いかかり、賢生もそれに対して魔術を発動する。時間にしてわずか10秒ほどそのわずかな衝突を経て、ひとりの勝者が血を流しながらもゆっくりと立ち上がる。その勝者とは、天塚汞だった。天塚はノロノロと歩きながら、目的のものを見つけたと同時に高笑いする。
「はは…はーはっは!ようやく手に入れたぞ。これで…これでようやく僕は…」
賢生が聞いた言葉はそこまで血に塗れた口や床を拭うこともできず、その視界にはゆっくりと闇が訪れる。
闇を見始めた賢生が最後に思い浮かべたこと。それは…
(夏音…。)
自らが何よりも愛する愛娘の顔だった。
ーーーーーー
時刻は5時。彩海学園も放課後に差し掛かり、暁古城は友人であるシェロ・アーチャーと共に妹とその友達の買い物に付き合っていた。ショッピングモールを買い物袋を両手に歩き、嬉しそうに駆ける妹の姿を視界に納めながら、ところどころ見かける電気用品店の展示用のテレビに映し出されているニュースを目で追っていた。どのテレビでも必ずと言っていいほど
あの戦いとは以前、仙都木阿夜が行ったテロの直後に起こった二人の超人たちによる決闘のことを指している。アレから1ヶ月以上経っても未だに収まることを知らずに、むしろ、最初報道されていた時よりヒートアップさえしているような気がする。通常の決闘ならば、ここまでの盛り上がりは見せなかっただろうが、問題は彼ら二人が言った名前だ。セイバーと名乗った男はヘラクレスと、アーチャーと自らを呼称していた男は衛宮士郎と名乗った。両者とも世界において知らないと言われる方が珍しいほどの知名度を誇る。ただ、それ故にもしも、こんな発言を聞いたら、妄言の類だと切って捨てられるに決まっている。実際に現在でもその発言が強力であり、約3割はこの発言で埋め尽くされているのだという。だが、残りの約7割はこれを妄言だと判断するのは早計だと判断した。
あるところでは新手の降霊技術の産物、あるところでは未だ知られていない実力者にその英雄の魂が転生した者なのではないかなどなど、色々な可能性が示唆され、検討されている。
そんな風に検討に検討を重ねられている話題の人物のうちの一人、アーチャー。それは今、古城の隣にいる白髪、褐色肌と赤縁のメガネをかけた学生服の少年シェロ・アーチャーのことを指していたりする。
古城はジッとその後ろ姿を観察する。シェロは気づいた様子もなくただ凪沙が今日一緒に友人として連れている叶瀬夏音のことを目で追いながら、静かに歩いていた。
(正直な話、やっぱ、詳しい話聞いた今でも完全には信じられねえよな。こいつがあの『衛宮士郎』だなんて…)
古城はそこまで魔術に詳しいわけではないが、少なくとも、死者の蘇生というものがとんでもない外法だということは分かっている。目の前の男は厳密には蘇生というわけではなく、英雄のその影法師が一時的に仮初めの肉体を持っているだけのものだと言うが、それでも外法に限りなく近いということは確かだろう。別に外法だからいけないというわけではない。そういう意味合いで言うのならば3人しかいないはずの真祖に紛れ込んだ自分とてある意味で十分に外法な存在だ。だからそこまで気にはしない。ただ、やはり、一時的とはいえ、その外法に限りなく近いものだとはいえ、過去の人間が今この場の現在にいると言うことはとても信じがたいことだ。
それがもしも、自分の国の著名人の一人だと言うのならば尚更だ。
衛宮士郎。アレから少し気になって携帯などでわずかに調べたが、そのわずかだけでも彼の人生は壮絶そのものと言えるものだった。具体的に言おうとすると自分の口は本能的にソレを拒否するほどに…
それ故に、古城にはある一つの疑問があった。この男は世界に対して何の恨みも持っていないのだろうか?と…
「……。」
タブーであることは理解しているが、人間とは一度気になり始めると、どうしてもそのことが頭から切り離せなくなる。古城はジッとシェロの背中を見つめていた。
「…ハァ…。なんだ?何か聞きたいことでもあるのかね?」
「えっ?」
「さっきから視線がずっと突き刺さっているのだ。いい加減に見て見ぬ振りも限界だ。」
気づかない、というのはどうやら勘違いだったようだ。シェロは気づいていたが、それを気づいていない振りをしたというだけだったようだ。
慌てた調子で何か別の質問をしようと頭を回転させる古城。流石に今のこの状況で『恨みはないのか?』などと聞けるはずもない。外だし、何より夏音が近くにいるのだ。露骨に嫌がるのは目に見えている。
そのため、懸命に頭を回転させる。すると、先ほどのものとは違う新たな疑問が頭によぎった。
「なぁ、シェロ。」
「なんだ?」
「なんで、お前、
その言葉を聞いた瞬間、シェロはピタリと歩みを止める。突然のことに驚き、つられて古城の方もその後方で足を止める。
「あの時…とは?」
「え!?そ、その…セイバーってヤツが俺たちに襲いかかってきた後、すぐに助太刀しにきてくれて、お前とセイバーが戦うことになった直後のこと…なんだけど…」
自信なさげに語尾を弱めてしまったのは、先ほどとはまるで違う雰囲気を漏らしているシェロに内心圧倒されてしまっていたためだ。
怖いとは行かずとも、その空気はこれ以上何も聞くな、と言外に物語っていた。だが、なまじ、下手に戦い慣れしたせいか、古城はその空気に対して言葉を濁しながらも、話した。
その様子にわずかに目を苦々しく細めた後、やがて静かに嘆息した。
「…まったく、君はもう少し場の空気を読むということに集中した方がいいな。だが、まあいい。その鈍感とも言える『図太さ』に免じて、話してやろう。」
「…褒められてんのか?それは…」
「さて、どうだろうな。で、だ。俺が怒っていたことについて…だったな。それについては単純だ。俺はセイバーのある言葉に怒り覚えたから、だ。」
「ある言葉?」
古城としては正直な話、意外だと考えた。侮辱するわけではないが、この男が言葉程度のことで怒るというのが想像つかなかったのである。常に冷静沈着で、自分たちにアドバイスをくれる立場にある言わば教師のような立場、古城のシェロに対する現在の立ち位置はそのようなものだった。
「そこまで意外そうにいうことはあるまい?俺とて怒ることくらいは自然にある。」
「あ、ああ、まあ、そうだな。」
「あの時、俺はある一つの名前を聞かされたんだ。」
「名前?」
「アインツベルン…それが俺の聞いた名前だ。」
「アインツベルン……」
話しながら二人はどちらともなく、再び歩き始め、雪菜たちを追いかける。
「何だよ?その、アインツベルンって…」
「アインツベルン。この名前はな、この聖杯戦争という稀に見る儀式を作り上げた家の名前だ。」
「え?」
驚愕とともに再び足を止める古城。そのことを確認したシェロは足を止めて古城の方へと向き直る。
「作ったって、このトンデモねえ儀式をか!?」
「ああ、もっとも、そのあたりの話をすると長くなるから、要点だけまとめて言うとだな。アインツベルンによって作られたこの儀式だが、俺の時代、あの儀式は確かに消滅したはずだったんだ。我が師とそのまた師によってな。だが、今回、どう言うわけだか、聖杯戦争はまた起き始めている。決定するのは
シェロは傍目で夏音たちが曲がり角を曲がろうとしているのを確認すると、それを追うようにして再び先ほどと同じように歩き始める。古城は、それを遅ればせながら、早歩きで追いかけていく。
「俺は、そのことが許せなかった。我が師を侮辱されているようでな。だから、怒った。それだけのことだ。」
「なぁ、そのアインツベルンっていうのは名字でいいんだよな?」
「ああ、そうだが」
「だったら、
そこで、シェロはまたも反応したが、今度は立ち止まったりせず、そのまま歩き続けた。だが…
(なかなか、鋭い質問をする。決して侮っていたわけではないが、論理的な思考能力は人以上にあるようだな。だが、これ以上、話を続けられても面倒だな。)
「ローリエスフィール・フォン・アインツベルン。と名乗っていた。」
「ローリエスフィール……。」
「随分と皮肉なほどピッタリな名前だと思うよ。まったく」
「え?何でだ?」
訝しむように質問してくるシェロは占めたと思いながら、言葉を続ける。
「ローリエというのは珍しい花でな。」
「珍しい花?」
ローリエというのは古城も知っている花の名前だ。よく台所に立つ古城はその花がスパイスとして使われることをよく知っているのだ。だから、別段、珍しいとは思わなかった。
「ああ、別段、ローリエという種はそこまで特殊ではない。だが、アレの花言葉だけは他とは違い、随分と特殊なんだ。」
「え、どう特殊なんだ?」
「全般的にいうのならば、花言葉は『勝利、栄光、栄誉』だ。だが、これを花と葉に分けると、まったく別の花言葉になる。」
「どんな花言葉になるんだ?」
興味深そうに古城は質問を続けら。それに対し、わずかに間を置いたシェロはゆっくりと呟くように答える。
「花は『裏切り』、葉は『私は死ぬまで変わりません。』だ。どうだ?おおよそ、勝利、栄光などという言葉からは離れた代物になるだろう?もっとも、葉についてはこれは愛の常套句らしいから、そういう意味でいうのならば、離れているとは言えないが…」
(もっとも、俺からしてみれば、その三つとも見事に合致しているとしか思えないが…)
「……へぇ。」
古城は感嘆とともにそれを聞いていた。
「人間というのは面白いものだ。たった一つの花にさまざまな『意味』を込める。それ自体に意味があるわけでもないのにな。例えば…」
その後、古城はシェロの話を聞き続けていた。いつのまにか、自分の話が
ーーーーーー
「♪〜」
所変わって、絃神島の市街地にて鼻唄混じりに街中を歩いている少年がいた。透き通るような白髪をたなびかせ、年齢には似合わないほど立派なスーツを紳士さながらに着こなし、買い物袋を持って街中を歩いているその姿はお遣いにはしゃぐ子供そのものだった。
「ん?」
少年はそこでそこであるものを見た。それは身持ちの女性が若い少年の肩にぶつかり、倒れていた。見ると、その少年のガラは相当に悪い。耳や鼻にピアスをつけ、頭は稲妻のような形に剃り込みが入れられている。ぶつかってきたのは少年の方だというのに、女性に対してひどく怒鳴り散らしていた。
「……。」
それを冷ややかに見た少年は、人差し指をデコピンのような仕草で親指に置く。そしてピンと、人差し指を弾く。
「ぺげっ!?」
次の瞬間、ガラの悪い少年ははるか彼方に10m先まで吹き飛ばされる。女性や先ほどのイザコザを観察していた人々は何が起こったのかわからずその場で固まっていた。その様子を確認した少年はそそくさとその場を後にする。すると、少年の頭の中で一つの声が響き渡る。
『キャスター!あなた一体、どこにいるの!?』
その声は彼の主人のものだった。キャスターと呼ばれた少年は、いきなり響き渡った声に驚いたりもせずに淡々と話しかける。
「あ、マスターかい?いや、ちょっとね。僕としてもあの事件から随分経って、流石に暇になってきてさ。スーパーまで買い物をと思ってね。」
『買い物って、何買ってきたの?あなた?』
「ん?りんご。」
『りんご!?』
マスターと頭の中で喋りながら、彼は買ってきたりんごを皮ごとシャリっとかじる。
「いや、やっぱり糖分がないと、頭が働かないんだよね。僕としては…」
『あなたたちサーヴァントには食べ物なんて必要ないでしょう。なんで、そんなこと…』
「んー、確かにそれは合理的だ。全くもって非の打ち所がないほどにね。でもね、マスター。僕を扱う気でいるなら、覚えとくといいよ。僕はそういう合理的な思考っていうのが
『はぁ?』
言っている意味が分からなかった。嫌いだというのに敬意を払う。最初召喚されてきたときに言われたこともそうだが、このサーヴァントは矛盾にすぎる。平等的な思考を持っていると言いながらも、気まぐれすぎる行動がそのことを実に表していると言えるだろう。
以前、そのことをキャスターに伝えると…
『あはは、まあ、そうだろうね。でも、マスター。人間なんていうのは何かしら矛盾を抱えてるものだよ。人間ならば矛盾を抱えてる、というのならば、矛盾を抱えてこその人間とも言えるだろう?たとえ、それがどんなに大きな矛盾だろうと…ね。』
と、最早開き直りに近いことを言われてしまった。よって、マスターはこのキャスターに一つの判定をつけた。『このキャスターの言うことは信用してはならない。』と…
『はぁ、とにかく、キャスター。早く帰って来て!情報ではそろそろ場面が大きく変わってくる。私たちがやるべきことの期限についても近づいて来ているわ。』
「はーい。」
子供のような間延びした口調で答えた後、キャスターはまたリンゴをかじり始め、鼻唄を唄い始めるのだった。
キャスタープロフィール①
嫌いなもの
合理的な思考
合理的な思考そのものを否定はしない。だが、彼は過去のある出来事が起因で合理的な思考というものを嫌っている。
キャスターにしては非常に珍しいタイプ。