黒雪のコモリオム  --What a beautiful Fakes --   作:ジンネマン

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 ここは深淵。

 星の深淵。

 生命の深淵。

 

 ここはすべての起源。

 ここはすべての始まり。

 ここはすべての終わり。

 

 中央には蒸気をあげる軟泥の佇む灰色。浮遊する石板を見守るように佇む灰色。その灰色は手もない、足もない、首も、目も、なにもかもない。生物(いきもの)に必要なものが何一つもだ。ただ、そこに佇むは灰色。

 誰もいない。誰も来ない。そこにいる灰色には知恵なく、知性はなく、ただ何かを吐き出し続けるだけの灰色。

 

 

 しかし、

 

 

「お久しぶり。初めまして、《無形なる白痴》」

 

 話す声は、仮面の男だ、薔薇の華の。異形の男だ、黒い僧衣の。周囲を満たす黒よりも尚、色濃い《霧》だ、《闇》だ。否、既にそれは《混沌》だ。

 

 途端に灰色が蠢く、捕食対象として、否、敵対者として灰色が蠢く。

 知恵なき灰色が、知性のない灰色が、ただ佇むだけだった灰色が、その身から触手を吐き出し鞭のようにしならせ仮面の男を攻撃する。仮面の男のいたところには大きな窪地(くぼち)がある。しかし、そこに仮面の男はいない。

 

「アハハハハ! 痛い、痛い、開口一番に痛烈な挨拶だね。《無形なる白痴》! でも、君みたいなバカに殺す(愛され)ても嬉しくないんだけどね」

 

 仮面の男はわざとらしく、大袈裟に、両手を広げて、嘆いて見せる。しかし、顔は笑顔のままだ。

 そんな仮面の男に、灰色は間髪入れず打ち続ける。毎秒十や二十を軽く越える殴打は全て当たらない。

 

「アハハハハハハハハハハ! そんなに私を殺意(思い)をくれるのは嬉しいけど、やはり、やはり()してくれるなら人間が一番いいね」

 

 仮面の男は笑う。嗤う。過去にあった出来事を思い出し光悦に、歓喜に、その身を奮わせながら。

 

「それはそうと、ねぇ《無知なる白痴》その回りに浮いている星の銘板なんて書いてあるか教えて? もしくは貰えない?」

 

 灰色に顔や感情かあったなら赫怒に染まり、空間を破壊する咆哮を上げていただろう。それほどまでに灰色の殴打が苛烈になる。一本が二本に、二本が四本に、加速度的に増える。

 仮面の男はその光景を嗤いながら眺めている。

 

「そんなに怒らなくってもいいのではないか? たかだか何か書かれている石ころの一つや二つで。

 まあ、私にはそれを読むことも、持ち帰ることもできないのですがね。まったく無知なのは私も同じか。

 

 ん」

 

 仮面の男が天井を仰ぎ見る。

 

「あれは――」

 

「そうか、─────ふっ、フハハハハハハハ! フフフフハハハハハハハハハハハハ!! フッハハハハハハハハハハハハハハ!!! 」

 

「滑稽かな。滑稽かな。ついに動き出したか、憐れなる赤錆どもよ。

 そして、おめでとう《黄衣の王》よ」

 

「そういうわけだ。私はこれで失礼するよ《無知なの白痴》よ。今度来るときは手土産の一つでも持ってくるとするよ。

 ではな、良き青空を。《無知なる白痴》」

 

 仮面の男は灰色に背中を向ける。その間にも殴打続く、しかし、仮面の男はもう灰色に興味がなく、消え失せていた。

 

 そして、そこに残るは、灰色だけ。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「オウゴんDオオォォォおぉぉおお」

 

 怪物がその鈍色に光る右腕を振り下ろす。すべてを粉砕する一撃を振り下ろす。

 

               ――だが、その一撃は届かなかった――

 

 私はいつまでも来ない痛みに不安を感じて後ろを振り向く。

 

                 ――そこには少年がいた――

 

           ――着古した黄色とも緑ともとれる外套をした少年が――

 

 

「久しぶり雪ちゃん(スニェーク)

 

「あ、あなたは――」

 

 私は震える声で、少年に問いかけようとする。どうしてここに、どうやってここに、色々と聞きたいことが頭の中に溢れるが、上手く言葉にできない。

 それを察した少年が、私に振り向いて、広げた右手で制止する。よく見ると少年はもう片方の手で怪物の一撃を受け止めているわけではなく、着古した黄色とも緑ともとれる外套が、触手のようにうねりながら受け止めていた。

 

「ああ、聞きたいことがあるんだろうけど少し待ってもらえるかな? すぐに済ませるからね」

 

 少年は笑顔でそう言うと、怪物に向き直る。

 

 

「しかし、なんだろうねこの数式領域(クラッキング・フィールド)は、壁のいたるところにある時計、これの原型はド・マリニーの時計とも時計人間(チクタクマン)の大時計とも違う。そもそも、どれ一つ時刻を記録していない。何とも中途半端な出来だ。これを《大数式》や時計人間が見たら発狂すだろうね。

 何よりも君だよ《ヴァラファール》。

 

 旧き聖書に記されし王に使役された72の魔神が一柱。10の軍団を率いる序列6番、盗賊の公爵。格闘技、謀り、失意、悲しみ、物品の欠乏を司り。医学知識や魔法薬に精通、人間を動物の姿に変える力がある君が、まったくあべこべじゃないか。

 

 そんな知性を感じない。

 原因と結果が逆転。

 

 しかもその継接(つぎは)ぎ具合は本当に醜い。その胴体に巻き付いた鉄の輪と杭で無理やり繋ぎ止めているのが醜穢だ。まったく、中途半端な情報でこうなったのか、中途半端な技術でこうなったのか、ある種の興味はあるが、でもね」

 

「ジャあアああマぁだぁぁあああぁぁぁぁ!!」

 

 いつまでも潰れない障害(少年)に業を煮やした怪物が自分の腕ごと少年を噛み砕こうと、その鈍色の牙を、その(あぎと)を少年に向ける。

 

「なによりも君は臭い。煩い。邪魔だ」

 

 少年は空いていた左手で迫りくる怪物の顔を殴り飛ばした。怪物は10ヤードほど飛ばされて地面を打ち付けられながらも態勢を直し、こちらを凝視する。

 

「ふう。見た目より硬いな、やっぱりペルクナスみたいに徒手空拳では無理か」

 

 少年は殴った左手をプラプラしている。地面に赤い水が滴る。その甲は赤く染まっており、骨が一部むき身出ていた。その光景を唖然と見ている私に少年が笑顔で振り向く。

 

 

「それで今のうちに聞いておきたいことがあるんだ雪ちゃん(スニェーク)、君には二つ選択肢がある。

 

 ――一つ目、今は仮契約の状態なんだけどね。僕と本契約をしてあいつを薙ぎ払う」

 

「――あなたと、――契約――」

 

「そう。契約。そしてもう一つの選択肢。

 

 ――それは、あの怪物に友人もろとも喰われること」

 

「――――――――――!!」

 

 ――喰われる。なに、それ、私たちに死ねというの?

 

「冷静に聞いてくれMs(ガスパジャー)。なにも好き好んでこんなこと言うじゃないんだ。君は覚えていないかもしれないが、僕は依然君にこう忠告したんだ『印を手にするか否かは慎重にね』ってね」

 

「――印……」

 

 

 右手に握るそれを見る。古風な金の象眼細工が施された黒い縞瑪瑙のメダル、それにはなにか(・・・)得体のしれない物を感じる。

 

「そう。君が持っているそれが印。本来はもっと違ったかたちで人の手に渡るんだけどね。兎に角それを首にかけ僕の名を呼べば契約完了だよ。

 でもね。僕と契約するということはね。死ぬよりも(おぞ)ましい未来が確定すると言うことなんだよ」

 

「悍ましい未来……」

 

 ――死ぬよりも悍ましい未来、それは想像のつかない、荒唐無稽な話。でも、少年が嘘やはったりを言っているようには見えない。

 

「悍ましいって言ってもね、どんな未来が来るかは僕もわからない。他人にとってはどうでもいいことかもしれないし、他人から見ても悍ましいことかもしれない。

 ただね。それはなんの例外なく、確実に訪れる破滅。その人の経験や人生を無意味する。

 それでも君は僕と契約するかい?」

 

 

 その人の経験や人生を無意味にする。それは、想像できない恐怖だ。それは人の破滅に他ならない。それが、今、私の手の中にあると思うと冷汗が止まらない。

 でも、

 

「――私は」

 

 ――そう。私は。

 

「――あなたと、契約する」

 

 ――決して、諦めない。

 私はメダルを強く握りしめる。

 

 ――夢があるんだ。

 首にメダルをかける。

 

 ――みんなに《きれいなもの》を《うつくしいもの》を、あの感動を。

 前にいる少年を見据えて。

 

 ――あの気持ちをみんなに

「教えて下さい! あなたの名前を!」

 

 ――そこには、タマーラも一緒でいなきゃダメなんだ。

 

 

「…………ふははは。アーハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! 素敵だよアンナ・パヴロワ! 嗚呼。その意志に溢れた瞳、言わなっくても伝わってくる友への思い!

 そうでなくっちゃいけないよ人間は、人は、君たちは! ペルクナスが愛してやまない輝きたちよ!

 嗚呼、それじゃ僕も君の意志に、思いに、輝きに応えなければね」

 

 少年は歓喜していた。両腕を大きく広げ、声高らかに謳う。会いたくって、遭いたっくて、逢いたっくてたまらない相手にやっと会えた悦びに打ち震えている。

 

「さあ。アンナ・パヴロワ! 今の君なら僕の名前を思い出せるはずだ!」

 

 ――思い出す。そう。このメダルを首にかけた瞬間思い出す。私は以前にも彼に会ったことがある。名前も聞いたことがある。それを今、

 

                「――――ユーリー・ハリトン!」

 

 私は叫ぶ、彼の名前を。

 

                「我が名はユーリー・ハリトン!」

 

 そして、もう一つ、思い浮かんだ名を叫ぶ。

 

         「黄衣(おうい)の王よ! 私は、今ここにあなたと契約する!」

 

        「君の声は聞き届けた! 今、この日、この場所で、契約は結ばれた! これより我は永久に君の傍にいよう! 永遠に君を害するすべてを薙ぎ払う!」

 

 刹那、胸にあるメダルが生きているかのように鳴動する。胸にあるメダルが熱くなる。持ち主を焼き尽くさんばかり熱くなる。

 

 

「さあ、哀れで醜い化け物よ。終焉の時刻だ」

 

 《黄衣の王》が左手を前に突き出す。

 

「灼えいる暁に想わしめよ

 我等なにをなすべきか

 この蒼き星が滅びて

 全てを見遥かしうる時に」

 

 その声はあの小さな体から発せられたとは思えないほど、重く、暗い声だ。

 

 ――外套の一部が切り離れた。

 ――それは初め生物のようだったそれが、

 ――今は鉱物のような質感をしている。

 

 《黄衣の王》が左手を上にあげる。

 

 ――外套の欠片が高く、高く、高く上がる。

 ――上がったそれは熱を灯す。

 ――それは周りの風景を、空間を捻じ曲げるほど熱を発している。

 

 

 それは、かつて人々が覆い隠したもの。

 それは、かつて人々が仰ぎ見たもの。

 それは、人々が遠く、忘れ去ったもの。

 

「機関の御業より生み出された幻想なるモノよ。

 見えるか、これは機関の御業とは違う、

 機関とは異なる科学の闇より生まれ出る太陽()

 

 黄金の目が訴える。あれは、決して太陽ではない。

 黄金の目が訴える。あれは、もっと禍々しいもの。

 黄金の目が訴える。あれは、すべて無に帰す《炎》だ。

 

「これぞ新たな科学の黎明。

 これぞ新たな力の夜明け。

 これぞすべてを凌駕する《炎》」

 

 欠片がどんどん小さくなっていくのに反比例してどんどん熱量は上がっていく。

 臨界の時は近い。夜明けの時は刻一刻と迫る。

 

 そして、ついに、

 

「さあ、我が、破壊の風で消えろ(灼かれろ)

 

 王が左手を握りしめた。

 その直前に王の外套が私たちを包み込む。

 

 ――――瞬間――――

 

 ――――すべての音が――――

 

 ――――すべての風景が――――

 

 ――――白く、染まった――――

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 再び私が音と視界を取り戻した時、私たちがいたのは元いた大通りではなく、あの赫い女性に会ったところだった。

 私は腕の中にタマーラがいるのを確認して一安心する。

 そして、私は周りを確認する。ユーリーさんはすぐに見つかり近くには、

 

 

 怪物のいたであろう場所に()があるのみだった。

 

 

「大丈夫だったかい。かわいい雪ちゃん《スニェーク》」

 

「ユーリーさん」

 

 ユーリーさんが私の頭を優しく撫でてくれる。それは、まるで愛玩動物を愛でるように。

 

「もう大丈夫だからね」

 

「……大丈夫」

 

「そうだよ。安心していいんだよ」

 

 ――そう言われた瞬間、こわばっていたのか体の力が抜けていくのと同時に意識が急に遠のいていく。

 

 

「おっと」

 

 私はユーリーさんに抱き留められる。いつもなら慌てて離れるところだけど、そんな力が出ない。

 

「いいよ――はゆっ――休み。大丈夫、君とその友――責任を持って――」

 

 もう私には彼がなんと言っているか聞こえず、そのまま意識を手放した。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「くっそ! くっそ! なんでだ! なんであの瞬間に! あの場所に! あの男がいるんだ!」

 

 

 誰かが憤っている。

 

 赫いドレス身に纏ったきれいな女性だ。

 大きな赫い傘と深めの帽子で顔隠した女性だ。

 

 しかし、その女性は壁を殴りつけ、罵倒し、自身の手が真っ赤に染まっても気に止めさえいない。ついには骨さえむき出しなっても気に止めない。

 

「はぁはぁはぁはぁ。私は完璧だった。日時も、場所も何もかもだ。それなのに……」

 

 肩で息をしているのに、あれだけ罵倒し、荒れ狂ったの気が収まらない。

 

「なぜ……このことを知っているの一部の者だけだ。奴らが裏切るはずはない。だとしたら……だとしたら……」

 

 女性は思案する。親指の爪を噛み砕き、さらに手が血で汚れるの気にかげず。そして、思い至る。

 

「そうか、そうかそうかそうかそうかそうかそうかそうかそうかそうかそうかそうか! 貴様の仕業か! 黒い道化師(ラスプーチン)!!!!!!!」

 

 赫き女性は吠える! それを見ている道化師を嗤わせているとも知らず。それを見ている道化師を愉しませているのも知らず。

 

 




初テンプレ戦闘。うん。テンプレ戦闘になっていましたよね? 実際、連載前か考えて、書いている最中も考えながら書いたから、出来がどうか自分では判断つかないんですよね。うん。まあ、頑張ったと思います。



そして、あと一話で第一章終了の予定。長かった。この時点で時間かけすぎて自分に絶望。


兎に角、これで少し、一息つきたいと思います。
では、親愛なるハーメルン読者の皆様方良き青空を。

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