黒雪のコモリオム  --What a beautiful Fakes --   作:ジンネマン

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 ああ、暖かい。

 アア、癒される。

 嗚呼、おいしい。

 

 この止まり木(人間)は良い。

 (わたくし)の憩いなる止まり木。

 私のための止まり木。

 

 暗く、昏い、灰色雲の天空。

 冷たく、固く、灰色雪の大地。

 赫き鉄と黄色の破壊が交差する街。

 黒い道化師を擁する奇っ怪な数式の国。

 

 そこにおいて、私が留まれるのは止まり木(貴女)だけ。

 だから、消えないでほしい。そのために、私が少しだけ、治からを貸そう。

 ああ、アア、嗚呼、だから、

 

 

燃え尽きてくれないで

 

 

消えてしまわないで

 

 

私は止まり木(あなた)を必要としているのだから――

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 ここは深淵。

 星の深淵。

 生命の深淵。

 

 ここはすべての起源。

 ここはすべての始まり。

 ここはすべての終わり。

 

 中央には蒸気をあげる軟泥の佇む灰色。浮遊する石板を見守るように佇む灰色。その灰色は手もない、足もない、首も、目も、なにもかもない。生物(いきもの)に必要なものが何一つもだ。ただ、そこに佇むは灰色。

 誰もいない。誰も来ない。そこにいる灰色には知恵なく、知性はなく、ただ何かを吐き出し続けるだけの灰色。

 

 しかし、

 

「初めまして。お久しぶり、《無形なる白痴》」

 

 話す声は、仮面の男だ、薔薇の華の。異形の男だ、黒い僧衣の。周囲を満たす黒よりも尚、色濃い《霧》だ、《闇》だ。否、既にそれは《混沌》だ。

 

 途端に灰色が蠢く、捕食対象として、否、敵対者として灰色が蠢く。

 知恵なき灰色が、知性のない灰色が、ただ佇むだけだった灰色が、その身から触手を吐き出し鞭のようにしならせ仮面の男を攻撃する。――するはずであった。しかし、灰色は不動、沈黙、自若。揺るぎもせず、蠢きも収まった。

 

「……おや? どうしたんだい《無形なる白痴》。

 今日はやけに静かだね。なにか悪いものでもたべたのかい? ん? あ~もしかして以前言っていた手土産でも期待していたのかな? ん?

 ――ははは、はははははははあーーーははははははははははははそんなわけないよね。君にはそんな知性も、知能もない。正真正銘の――

 

 

――白痴な化物なんだから――

 

 笑う(蔑む)仮面の男。

 嗤う(嘲る)仮面の男。

 称える(侮蔑する)仮面の男。

 

 その目には、なにかを求めるように、なにかを諦めるように、なにかに焦がれるのうに、灰色を見つめる。

 しかし、そうしていたのは刹那、次には――

 

「そうだ。手土産はないが土産話ならあげるよ。

 実はね、あと幾分かすればその石っころを読めそうなんだよ」

 

 瞬間、それまで沈黙していた灰色が動く。その動きは獰猛かつ苛烈。仮に、灰色に顔や感情かあったなら赫怒に染まり、空間を破壊する咆哮を上げていただろう。

 灰色が動いた理由、それは原生生物である真性粘菌が迷路を最短でクリアするように、仮面の男に対して攻撃は無意味と察したからだ。だか、灰色は攻撃をした。

 それは灰色にとって触れてはならないモノに触れたから。越えてはならない一線を越えたから。

 

 先ほどまでの沈黙が嘘のように、触手を打ち続ける灰色。今度は怪しげな粘液を滲ませながら、打ち続ける。

 しかし、仮面の男はその光景を嗤いながら眺めている。

 

「なんだ。起きているなら返事くらいしてくれないか《無形なる白痴》。てっきり、死んでいるのかと思ったよ。

 まあ、君がそう簡単に死ぬとは思っていないから、君が死んだ姿が見えなかったのは、残念ではあるがね。

 

 ん」

 

 仮面の男が天井を仰ぎ見る。

 

「あれは――」

 

「そうか、─────ふっ、フハハハハハハハ! フフフフハハハハハハハハハハハハ!! フッハハハハハハハハハハハハハハ!!! 」

 

「滑稽かな。滑稽かな。懲りずに動き出したか、憐れなる赤錆どもよ。

 そして、おめでとう黄衣の王よ」

 

「そういうわけだ。私はこれで失礼するよ《無知なる白痴》よ。今度来るときはもっと私を楽しませてくれよ。

 ではな、良き青空を。《無知なる白痴》」

 

 仮面の男は灰色に背中を向ける。その間にも殴打続く、しかし、仮面の男はもう灰色に興味がなく、消え失せていた。

 

 そして、そこに残るは、灰色だけ。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 《ハボリム》が、その右腕から、圧縮蒸気を、致死の炎を、放つ。

 出力の大きい一撃は、迫り来る熱と共に、まばゆい光で私の瞳を貫く。

 

 

――だが、その一撃は届かなかった――

 

 私はいつまでも来ない致死の焔に、まばゆさに閉じた瞳を開く。

 

 

――そこには少年がいた――

 

 

 

――着古した黄色とも緑ともとれる外套をした少年が――

 

 その背中には見覚えがある。

 

 かつて、不可思議の街で、悪魔の名を冠するキメラに襲われたとき。

 いや、それ以前に、街中で擦れ違った時のように、変わらず彼は、優しい声色でいう。

 

「ごめんねアンナ、待たせちゃって―」

 

「ユーリーさん……」

 

「………………誰だお前は…………誰だ貴様は!

 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ! 誰だ貴様は!

 知らない! 知らない! 知らない! 知らない! 知らない! 知らない! 知らない! 知らない! 知らない! 知らない!お前なんか知らない聞いてない!

 あの人からなんにも聞いてないぞ貴様!」

 

 シューホフが怒声を上げる。極東のオークのように顔を真っ赤に染め上げて、頭皮が剥けるほど激しくかきむしり、視線だけで人を殺さんばかりに、ユーリーさんを睨み、自身に問いかけ続ける。

 

 私は震える声で、少年の名を呼ぶ。沸き上がる疑問の数々、この街は何なのか? なぜシューホフ先輩がこんな風になってしまったのか? 色々と聞きたいことが頭の中に溢れるが、上手く言葉にできない。

 それを察した少年が、私に振り向いて、広げた右手で制止する。よく見ると少年の外套が、着古した黄色とも緑ともとれる外套が私たちを覆うように拡がり、断続的に放たれる致死の光線を防いでいた。外套は薄く、そよ風に靡きそうなほどなのに、燃えたり焦げたりするどころか、熱による膨張や変色さえない。

 

「ああ、聞きたいことがあるんだろうけど少し待ってもらえるかな? すぐに済ませるからね」

 

 少年は笑顔でそう言うと、怪物に向き直る。

 

「しかし、相変わらず不細工な数式領域(クラッキング・フィールド)だね。壁のいたるところにある時計、これの原型はド・マリニーの時計とも時計人間(チクタクマン)の大時計とも違う。そもそも、どれ一つ時刻を記録していない。何とも中途半端な出来だ。これを《大数式》や時計人間が見たら発狂すだろうね。

 何よりも君だよ《ハボリム》。

 

 旧き聖書に記されし王に使役された72の魔神が一柱。26の軍団を指揮する序列23番の地獄の大公爵。毒蛇にまたがり、手に火のついた松明をもち、人・猫・蛇の三つ首の人間の姿で現れる。

 火事を司り、その手に持つ松明(たいまつ)で様々な物に放火する。それこそ要塞や都市至るまで形あるものすべてに。方法問わず人を賢明にし、隠された物事に対して真実を教えてくれるはずが、まったくあべこべじゃないか。

 

 そんな知性は感じない。

 何一つ真実を口にしてないじゃないか。

 

 しかもその右腕がひどく醜い。松明というにはあまりにも硬質的で、そもそも人の腕に無理やり入れるものだから本当に醜穢で意味がわからない。まったく、中途半端な情報でこうなったのか、中途半端な技術でこうなったのか、ある種の興味はあるが、でもね」

 

「…………わかった――わかったぞ。貴様は、あの人が言っていたアンナを(かどわ)かす悪漢は、アンナを惑わす悪漢は貴様だ!

 殺せーーーー《ハボリム》! そいつを殺してアンナを救い出すんだ!」

 

「ーーーーーーー」

 

 シューホフ先輩の声に呼応して、《ハボリム》が声なき声を張り上げる。いつまでも焼失しない障害(少年)に業を煮やし《ハボリム》が接近する。熱がもっとも高熱である至近で、少年を焼き殺すために。その激しく明暗する右腕を少年に向ける。

 

「なにより君はぬるい。そんなマッチ棒じゃあ火焔地獄どころか藁一つ燃やせない」

 

 少年は空いていた左手で迫りくる《ハボリム》の顔を殴り飛ばした。《ハボリム》は10ヤードほど飛ばされて地面を打ち付けられて、鈍いながらも態勢を直し、こちらを凝視する。

 

「ふう。見た目より硬いな、やっぱりペルクナスみたいに徒手空拳では無理か」

 

 少年は殴った左手をプラプラしている。地面に赤い水が滴る。その甲は赤く染まっており、骨が一部むき身出ていた。その光景を唖然と見ている私に少年が笑顔で振り向く。

 

「それで今のうちに聞いておきたいことがあるんだ雪ちゃん(スニェーク)、君には二つ選択肢がある。

 

 ――一つ目は、僕の力をもってあいつを薙ぎ払う。

 しかし、その場合一つ問題ができる」

 

「――問題? ――」

 

「そう。問題。それはね、彼の精神に(キズ)ついてしまうという問題。いま君の友人は(たち)の悪いメスメルをかけられていてね。その制御をしているのが、いや、断続的にかけているのがあの《ハボリム》なんだよ。

 だから、もしもいま《ハボリム》を消すと彼の精神は異常をきたして最悪植物状態になる」

 

「そんな――」

 

「彼の場合それを回避し、正常に戻すにはメスメルにかけられたキーワードをこなすことだと思うけど、多分それは君の死だね。

 でもね、それは君との契約に反するから、ここでもう一つの選択肢。それは彼を殺すこと――」

 

「――――――――――!!」

 

 ――殺す……シューホフ先輩を…………

 理解が追い付かない。突然の、提案。ユーリさんの提案する選択肢は、どちらも――

 

「冷静に聞いてくれMs(ガスパジャー)。なにも好き好んでこんなこと言うじゃないんだ。しかしね、彼がこの状態では精神が圧迫されて長く持たないし、植物状態にしてしまうのはしのびない。

 なら、いっそ一思いに死なせてやった方が、彼のためではないかと思ったんだよ」

 

「―シューホフ先輩のため…………」

 

 右手にある《印》を強く握る。古風な金の象眼細工が施された黒い縞瑪瑙のメダル、それにはなにか(・・・)得体のしれない物を感じる。

 

「そう。この先に待っているのは彼の人としての死か、アンナの死しかない。

 ならば、いっそのこと彼を殺すのは救いだよ。たとえ植物状態は免れても脳に後遺症が残るのは確実、それは彼の夢が潰えることを指し、彼にとっては死んだ方がマシと言えるほどの事態と思える……いや、思う。

 だからこその選択――これは、僕にとっての慈悲なんだよ。アンナ――」

 

「シューホフ先輩にとって慈悲……」

 

 ――夢、シューホフ先輩の夢が潰える……あれほどの情熱と、あれほどの熱量をもったシューホフ先輩の夢が潰える。

 そんな、の見たくない。

 

「そう、これは慈悲だよ。彼がどういった夢を持っているか具体的には知らないけど、碩学を目指す者にとって、いや、碩学だけではない。その身を焦がすほどの大望を持つ者にとって、その望みが叶わなかった時の絶望は計り知れない。

 ただの例外もなく、その絶望は逃れられない。むしろそれだけにとどまらず自分だけではく周りすべてを巻き込む暴威となる。なりえる。

 故に、僕は、死こそが彼に贈れるただ一つの慈悲だ」

 

 目指す夢が潰える絶望。それは、想像もできない恐怖だ。それは、その人の破滅に他ならない。それが、今、私の手の中にあると思うと冷汗が止まらない。

 でも、

 

「――私は」

 

 ――そう。私は。

 

「――どちらも、選ばない」

 

 ――決して、諦めない。

 私はメダルを強く握りしめる。

 

 ――だって、あの人は優しいから。

 いつの間にか、首にかかっていたメダルを、強く握る。

 

 ――あの優しいシューホフ先輩が、自分の手で作り出した物が直接人を傷つけたと知ったら、その道を諦めてしまうかもしれない。それにシューホフ先輩の夢を、将来必ず実現する《きれいなもの》を《うつくしいもの》を、その光景をみんなに見てもらいたいから。

 前にいる少年を見据えて。

 

 ――あなたなら知っていると思うから、

教えて下さい! シューホフ先輩を助ける方法を!」

 

 ――なによりも、わたしは、シューホフ先輩の夢見る春が見たいんだから。

 

「…………ふははは。アーハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! 素敵だよアンナ・パヴロワ! 嗚呼。その意志に溢れた瞳、言わなっくても伝わってくる友への思い!

 そうでなくっちゃいけないよ人間は、人は、君たちは! ペルクナスが愛してやまない輝きたちよ!

 嗚呼、それじゃ僕も君の意志に、思いに、輝きに応えなければね」

 

 少年は歓喜していた。両腕を大き広げ、声高らかに謳う。会いたくって、遭いたっくて、逢いたっくてたまらない相手にやっと会えた悦びに打ち震えている。

 

「では。アンナ・パヴロワ! 答えよう、教えよう。あの男に、ウラジミール・シューホフに呼びかけろ!

 あのメスメルは、黒い道化師(ラスプーチン)ほど悪辣ではない。まだ、救う余地がある。僕には無理でも、君になら出来る筈だ。彼を呼び戻せるのは君だけだ。

 だが、一つ言うことがある。君は他人ばかり気にしているが、君自身もひどい火傷でこのまま適切な治療をしなければ臓器不全で命の危険がある。だから、僕もそう長くは待っていられない…………」

 

 ユーリーさんが私を心配そうに見る。その瞳には信頼と不安と幾つかの感情が織り交ざって、うまく判断はできないけれど、ユーリーさんは待ってくれると言った。呼びかけることで救えると教えてくれた。

 ――呼びかける。呼び戻す。私がユーリーさんの言う悪辣なメスメルからシューホフ先輩を助け出すことができる。本当にできるかどうかわからない、でも、ユーリーさんができると言うなら、私はやる。

 

「シューホフ先輩! 私の話を聞いて!」

 

「大丈夫だアンナ! その悪漢から、すぐに助け出してやる!」

 

 《ハボリム》に攻撃命令を出し続けるシューホフ先輩、

 文字通りの血眼になって叫び続けるシューホフ先輩、

 喉が枯れるほど叫び続けるシューホフ先輩、

 必死に、私のためを謳いながら人を傷つけようとするシューホフ先輩――

 

 ――ダメだ、届かない。

 《ハボリム》の攻撃を、戦闘用のガーニーの装甲さえ融解させるであろう熱線を、涼しげに受け続けるユーリーさん。けれども、その涼しげな顔の下は焦りが見えた。なにに焦っているかは、私にはわからないけど、それでも時間がないことはわかった。わかってしまった。

 いえ、まだ諦めてはいけない。ユーリーさんも言っていた、呼び戻せると、だから――

 

「ごめんなさいユーリーさん」

 

「!!」

 

 私は、ユーリーさんの黄色い外套から抜け出し、熱線降り注ぐ死地へと、その身を晒す。

 一瞬、ユーリーさんの反応が鈍り、その隙に《ハボリム》が私に熱線を向ける。慌てて私を護ろうとするユーリーさん、けれどもその熱線は、私を襲った。

 大部分はユーリーさんが防いでくれたけど、ほんの少し、当たってしまった。

 

 そして、私は、シューホフ先輩を掴まえた。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 今、アンナが、俺の胸の中にいる。

 今、アンナが、俺を抱擁している。

 俺は、アンナを、強く抱き…………

 

 瞬間、鼻孔に異臭がさす。同時に手にはねっとりとした感触と背中から覗く、醜く焼き爛れた肌と少し焦げた白い髪が脳を揺らす。

 誰だ? 誰だ? こいつはアンナか? いや、僅かに香るこの甘酸っぱい匂いアンナ――アンナ?

 いや、嫌々いいやいや、これがアンナか? いや、背中から僅かに覗く白い肌、触れている箇所は違えどこのなめかな肌、一世紀も前に消えた純白の雪を彷彿させる肌はアンナだ。

 

 なによりも、少し焦げてはいるが、それでも、その純白の肌に勝るとも劣らぬ綺麗な髪。雪のような白い髪はアンナ・パヴロワのものだ。

 

 ならば、なぜ、彼女はこんなことになってる。

 なぜ彼女はこんなひどい火傷を全身に負っている。

 

 火傷、炎症、焔………………

 まさか、まさか、まさか、まさか、まさか――

 

「アアアア、アン、ナ。お、俺は――あああああ、あああああああああああああああああアアアアアアア!」

 

 手が震える。全身が震える。心が泣き叫ぶ。

 抱き締めた腕が知らす知らずアンナから離れる。そのまま離した手が顔を覆おうとして、

 アンナが、俺を、強く抱き締めた。先程よりも強く、幼い子供が母親に懸命に抱き付くように、強く。

 

「――――シューホフ先輩、私、大丈夫ですから」

 

「え?」

 

 何をいっているイルンダこの子は。

 

「……アンナ、冗談はやめろ。君は、俺を糾弾するべきなんだぞ。むしろ殺しても」

 

「大丈夫です! 気にしませんから!」

 

 更に強く抱きついてくるアンナ、俺は、そんなアンナが怖くなってきて、突き放そうとした。

 

「バカを言うな! 俺は、君の夢を奪ったんだぞ!」

 

「待ってください! 大丈夫ですから!」

 

 俺は更にアンナを引き剥がそうと、腕に力を込める。

 俺から離れようとしないアンナを、アンナから離れたくって、突き飛ばそうとする。

 それでも、離そうとしないアンナ、そんなアンナから驚愕の言葉な、俺を襲う。

 

「大丈夫ですよシューホフ先輩! …………だって! 実験には失敗が付き物じゃないですか!

 

「何を……何を言っているんだアンナ……俺は…………俺は、君の…………」

 

 力が抜ける。この子が、この女の子が、アンナの言っていることに、 理解が追い付かない。

 

「シューホフ先輩が飛空挺研究会に来る前、私がアカデミーに来たばかりの頃、タマーラと知り合って間もない頃、部活の勧誘祭を二人で回ったんですよ。その時の飛空挺研究会のデモンストレーションで、初めて私とタマーラはコンスタンチン先輩と知り合ったんですよ。

 でも、その初めてがとんでもなかったですよ。題目は小型機関のお披露目で、始めは上手くいっていたのに、コンスタンチン先輩が調子にのって出力をあげた結果、機関が大きく火を吹いてしまって、尚且つそれが運悪く私たちの所に転がってきて大騒ぎだったんですよ。

 その際、タマーラの髪と服が少し焦げて、コンスタンチン先輩はタマーラに平謝り、極東で言うところのドゲザをしてました。

 それで、コンスタンチン先輩は知ってのとおりあまりお金を持っていないからタマーラの服の弁償は難しくって。タマーラは許す条件を、こう言ったんですよ。

 

『あんたがこの服を弁償する甲斐性がないのはわかったから、条件付きで特別に許してあげる。

 いいこと、あんたは絶対に夢を諦めないこと! 絶対に夢を叶えること! その瞬間を私に見せること! それができるなら許してあげる! いい!』

 

 ですよ――だから、私もタマーラに倣ってシューホフのこと怒ってません。それに今は医療技術もすごく発達しているから大丈夫てす。

 もしも、それでも気になるなら私ともう一度、約束してください。いつか絶対に、私に、この国に、

 

 

――春を見せてください――

 

 それまで俺の胸に、顔を埋めていたアンナが、顔をあげた。

 

 そこには、笑顔があった。

 頬の一部に、酷い火傷のある笑顔――

 

 綺麗な笑顔。気丈な笑顔。儚い笑顔。

 涙をこらえた笑顔。嗚咽をこらえた笑顔。痛みをこらえた笑顔。

 

 何をこらえた笑顔なのか、何が痛いのか、何が苦しいのか、それさえわからないほどの笑顔。

 

 俺は――こんな笑顔を、こんな辛い笑顔をさせたかったんじゃない。こんな笑顔を見たかったんじゃない。

 俺は――君に、失われた春のように、朗らかに笑ってほしかったんだ。花のような笑顔が見たかったんだ。

 

 咄嗟、アンナを強く抱き締める。皮膚の焦げた悪臭も、体液と血液の感触も気にならない。

 

 

ピシッ――――

 自分の内側から、何かにヒビが入る音がした――――

 

 ただ、ただ、涙が止まらない。アンナをこんなにした自分が憎くくって、アンナにあんな笑顔をさせた自分が嫌で、そんな自分をまだ応援してくれるアンナに嬉しくって、涙が止まらない。

 

 

パリパリ――――

 自分の内側にあった、分厚いレンズのようなものに大きな亀裂が走る――――

 

 怖がることなんてなかった。アンナはただ単に、俺を信じてくれているだけだ。たった一度しか語らなかった夢を、熱意を、情熱を、信じてくれていた、覚えていてくれただけなんだ。

 

 

パリーン――――

 自分の内側から覆っていたモノが、砕け散った――――

 

 あんな他愛ないことを、子供の戯れ言と謗られても文句の言えない夢を、信じてくれただけなんだから。

 

 

カランカラン――――

 散ったその先あったのさ、笑顔のアンナと、俺の罪。アンナ――俺は――

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 シューホフ先輩が私を強く抱き締める。強く。強く。

 だけど、それ以上にとても優しく抱き締めてくれた。

 私が痛くないように、私をいたわってくれる。大きな優しさで抱き締めてくれている。

 ――ああ、お兄さんがいたら、こんな風に抱き締めてくれるんだろうな。

 

「――アンナ。俺はここでもう一度約束する。いや、誓う。

 絶対に夢を叶えると。そして、後世に俺の発明が兵器に転用されることがあるだろう。

 けれど、だけど、俺自身は絶対に兵器を作らない。誰かを傷付ける物は造らない。俺の発明はアンナに、この国を、笑顔にするためだけに――

 

 だから、俺は、お前を受け入れるのと同時に、拒絶する」

 

 その声が、その宣言が響くのと同時に、《ハボリム》の攻撃が、止んだ。

 シューホフ先輩が私から顔を合わせないように離れ、《ハボリム》の攻撃から守っていたユーリーさんが移動し、シューホフ先輩は、《ハボリム》に一歩近づく。

 その一歩に、ユーリーさんを押しきろうとしていた《ハボリム》が、(おのの)ぎ震え一歩引く。

 

「そうだ。お前は、俺が作った。お前は俺が産み出した。技術提供はあったと言えど、お前を完成させたのは俺だ。

 だからこそ、お前を否定する。同時に、お前を記憶に刻む。戒めとして、二度と兵器を創らないというアンナの誓いのために」

 

 また一歩踏み出し、一歩引く。

 その度に、シューホフ先輩は力強く、《ハボリム》は慄く。

 

「《ハボリム》――お前は、この世界から、

 消えて無くなれーーー!!

 

「◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼!!!!」

 

 それまで、声一つも発しなかった《ハボリム》が、明確な。悲鳴をあげた。

 悲痛な声を、まるで内臓を引き裂かれたような末期の悲鳴。

 形振り構わず右腕を降ります《ハボリム》が、断末魔の声をあげている。

 

「やったぜ。アン――――」

 

「シューホフ先輩!」

 

 宣誓した反動か、メスメルを打ち破った反動か、そのどちらにせよシューホフ先輩は力尽きるように倒れる。私はシューホフ先輩を抱き留め――れるわけでもなく、倒れ込んでしまった。

 そして、その瞳と右腕が、シューホフ先輩を捉えようした時――

 

「見事だウラジミール・シューホフ。君こそ、君たちこそペルクナスが愛してやまない者たちだ」

 

 《ハボリム》を横合いから殴り飛ばしたユーリーさん、再度私たちを《ハボリム》から遮るように立つ。

 

「見ものだったぞ三流、なかなかに見事な引き立て役、もう満足しただろう?

 さあ、哀れで醜い化け物よ。終焉の時刻だ」

 

 《黄衣の王》が左手を前に突き出す。

 

「灼えいる暁に想わしめよ

 我等なにをなすべきか

 この蒼き星が滅びて

 全てを見遥かしうる時に」

 

 その声はあの小さな体から発せられたとは思えないほど、重く、暗い声だ。

 二度目だというのに、なおも重く感じる声だ。

 

 ――外套の一部が切り離れた。

 ――それは初め生物のようだったそれが、

 ――今は鉱物のような質感をしている。

 

 黄衣の王が左手を上にあげる。

 

 ――外套の欠片が高く、高く、高く上がる。

 ――上がったそれは熱を灯す。

 ――それは周りの風景を、空間を捻じ曲げるほど熱を発している。

 

 それは、かつて人々が覆い隠したもの。

 それは、かつて人々が仰ぎ見たもの。

 それは、人々が遠く、忘れ去ったもの。

 

「機関の御業より生み出された幻想なるモノよ。

 見えるか、これは機関の御業とは違う、

 機関とは異なる科学の闇より生まれ出る太陽()

 

 黄金の目が訴える。あれは、決して私たちが隠した物ではない。

 黄金の目が訴える。あれは、生命すべての毒だ。

 黄金の目が訴える。あれは、世界を脅かす《炎》だ。

 

「これぞ新たな科学の黎明。

 これぞ新たな力の夜明け。

 これぞすべてを凌駕する《炎》」

 

 欠片がどんどん小さくなっていくのに反比例してどんどん熱量は上がっていく。

 臨界の時は近い。夜明けの時は刻一刻と迫る。

 

 そして、ついに、

 

「さあ、我が、破壊の風で消えろ(灼かれろ)

 

 二度目だから気付いた。一度目では気付かなかったこと。

 彼は、王が左手を握りしめるのと同時に、その右手は顔に添えてあった。それは、仮面を外しているようにも、着けているようにも見えた。

 王の外套が私たちを包み込む。

 

 ――――瞬間――――

 

 ――――すべての音が――――

 

 ――――すべての風景が――――

 

 ――――白く、染まった――――

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 再び私が音と視界を取り戻した時、私たちがいたのはあの陰湿な地下室ではなく、その地下室があった建物の前だった。

 私の上には気を失ったシューホフ先輩がいて、そこから呼吸と体温、重みを感じながらも一安心した。

 そして、私は上半身だけ起き上がり回りを確認する。ユーリーさんがすぐに見つかり近くには、

 

 《ハボリム》がいたであろう場所に()があるのみだった。

 

「大丈夫だった……とは言えないね。遅れてすまなかった雪ちゃん(ス二ェーク)

 

「ユーリーさん」

 

 ユーリーさんが、私の頬を、火傷おった頬を撫でようとして、しかし触れずに離れた。

 その顔には、苦痛と悲痛、悔恨の念でひどく歪み、泣きそうなものだ。

 

「でも、もう大丈夫だからね」

 

「――大丈夫?」

 

「そうだよ。君の友人はたいした傷はない、君の火傷も僕がすぐに治療するから」

 

 ――そう言われた瞬間、こわばっていたのか体の力が抜けていくのと同時に意識が急に遠のいていく。

 

「おっと」

 

 私はユーリーさんに支えられる。いつもよりも優しく、労るように、いつものなら慌てて離れるところだけど、そんな力が出ない。

 

「いいよ――はゆっ――休み。大丈夫、君とその友――責任を持って――」

 

 もう私には彼がなんと言っているか聞こえず、そのまま意識を手放した。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「くっそ! くっそ! なんでだ! なんでまたあの瞬間に! あの場所に! あの男がいるんだ!」

 

 

 誰かが憤っている。

 

 赫いドレス身に纏ったきれいな女性だ。

 大きな赫い傘と深めの帽子で顔隠した女性だ。

 

 しかし、その女性は壁を殴りつけ、罵倒し、自身の手が真っ赤に染まっても気に止めさえいない。ついには骨さえむき出しなっても気に止めない。

 

「はぁはぁはぁはぁ。今度こそ完璧だったはすだ。前回のように逃げ場の余地がある路上ではく密室に、ジェルジンスキーの目を盗みチェルノブイリを無理に動かし、時間も完璧だった。

 なのに、なぜだ…………なぜ、またあの瞬間に現象数式領域(クラッキング・フィールド)が発生するのだ!」

 

 肩で息をしているのに、あれだけ罵倒し、荒れ狂ったのに、気が収まらない。

 ――否、今回に限って言えば相応に危険性(リスク)を背負ったというのにこの体たらく、もしもこの事がジェルジンスキーに感付かれでもすれば……………

 女性は思案する。親指の爪を噛み砕き、さらに手が血で汚れるの気にかげず。そして、思い至る。

 

「やはり、やはりやはりやはりやはりやはりやはりやはりやはりやはり! 貴様の仕業か! 黒い道化師(ラスプーチン)!!!!!!!」

 

 赫き女性は吠える! それを見ている道化師を嗤わせているとも知らず。それを見ている道化師を愉しませているのも知らず。




という訳で、テンプレ戦闘回。思ったよりも時間がかかった。と言うか年末には投稿したかったのに…………
毎度毎度テンプレ戦闘回は異様に疲れる。進まない。不安になる。
この調子がまだまだ続くと思うと…………やる気があふれでる(逃げたい)

まあ、そんな話は置いといて、さっきカバネリ後編観てきました!いやー新作カット良かったです!

おお、喝采せよ! 喝采!
おお、おお、素晴らしきかな!
少年は、自身の誇れる自分へとなった。
ああ、アア、嗚呼、そうだとも! 誰もが成れない、誰もが成りたい者へとなったのだ!
世界よ、震えるがいい!黄金螺旋階段の果てに、スチパンブームの、幕が開く!

っと、短めに締めまして、では、親愛なる皆様。良き青空を。

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