黒雪のコモリオム  --What a beautiful Fakes --   作:ジンネマン

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 彼はまるで、道端で偶然顔見知りにあったかのように声をかけてくる。

 それが、このような凄惨な場所であろうとも。

 たとえそれが、すべてを覆い隠す、()の日であろうとも。

 

「さて、一生言いたくはなかったが、はじめまして、こんにちは鋼鉄の男。自己紹介は……不要かな、まあ《黄衣の王》とでも呼んでくれればいいよ。呼ばれたくはないけどね」

 

 ニコライ・エジェフが主と崇める男に、ユーリーさんは慇懃無礼な態度で応対した。

 しかし、そんなユーリーさんを看過しない者がいた。

 

「き、貴様ーー! 我が主に対して! その無礼な物言い、万死すら温いと知れ! いや、そもそも私の執行を止めたということはつまり、主に対する反意と見なし、一族皆すべて、友人、恋人、教師、先輩後輩に至るまで刑の対象とする!」

 

 先に蹴られ顔の中心がへこみ、鼻血だけではなく口からも血を垂らしているのに、それらに一切の関心はなく、止血しようとすらしない。

 いま彼にあるのは怒り、憤怒、赫怒のみ。それが痛みを超越している。

 

「……煩いぞ駄犬。鋼鉄の男、飼い犬の躾くらいちゃんとしておけよ。僕はね、好嫌は別にしてお前のことを少なからず評価していたのに、これじゃあ買いかぶりだったのかな?」

 

 わざとらしく、仰々しく、嘲るような仕草をする。

 

「貴様! 言うに事――」

 

「下がれニコライ・エジェフ」

 

 制止の声、それは今まで沈黙をしていた鋼鉄の男から発せられた。

 

「しかし、わ」

 

「下がれ」

 

 再度告げられる制止の声、先程よりも密度を増した、鋼鉄の声。

 告げられた命令にニコライ・エジェフは苦悶と苦渋、歓喜と光悦の相反する表情をしながら、声どころか歯ぎしり一つ無く鋼鉄の男の後ろに下がる。

 

「……さて、黄衣の王が、このような所に何の用だ?」

 

「何の用だとは、なんとも。ただこの街の用があったまでのことだが。それよりも先程のことを訂正しよう鋼鉄の男。ちゃんと飼い犬の躾は出来ているようでなにより」

 

 手をパンパンと叩いて鋼鉄の男を嘲笑するユーリーさん。鋼鉄の男の背後で制帽を深々と被るニコライ・エジェフの表情は見えないが、握られた拳から血が滲み出ている。

 まるでニコライ・エジェフを相手しないユーリーさんは、ただ鋼鉄の男のみを見ている。挙動一つ見逃さぬよう注視している。

 

「戯れ言はよせ、私はその女二人に用がある。邪魔はしないでもらおうか」

 

 鋼鉄の男が一歩踏み出す。同時に周囲の空間が重くなる。鋼鉄の男が私たちを明確に認識しただけなのに、それだけで心が(すく)み、悲鳴という生存本能でさえ喉から出てこない。

 

「なおのこと退けないな、彼女たちは僕の知り合いでね。その彼女たちに危害を加える気なら、僕も黙ってはいられない。

 君たちと事を構えるのは本意ではないが、仕方ないね」

 

 ユーリーさんが左手を突き出す。それだけで周囲の空間が熱くなる。ユーリーさんが鋼鉄の男を明確に敵と認識しただけなのに、それだけなのに肌がチリチリとして、熱いはずなのに冷や汗が止まらない。

 二人の間の空間が、重圧で、灼熱で、まるで異界に迷い混んだみたいだ。

 

 そのまま、戦争(闘い)が始まるかに思えた。

 しかし、

 

「退くぞニコライ・エジェフ」

 

 鋼鉄の男が踵を返した。

 

「な! なぜです我が主! あのような不敬の輩に生きる価値など――」

 

「黙れ、お前もあの者たちに関わるな」

 

「しかし」

 

「黙れニコライ・エジェフ。今奴と事を構えても益はない。奴が本気になったら私とてただではすまない。

 それに、いや、もう遅い」

 

 突如、鋼鉄の男とユーリーさんの周囲にけたたましい銃声と共に煙が立ち込める。

 私たちはその音に

 

『我々は帝国陸軍だ。全員武器を捨てて、膝を地面に着け両手を頭の後ろに回し投降しろ。これは警告ではない、最後通告だ。繰り返すこれ――』

 

 周囲一体に大きな声が響く。拡声器から響く声は意図的に加工されていた、それこそ男か女か子供か大人かさえもわからない程に。

 私たちはどうするべきか、そう思考を走らせようとした時。鋼鉄の男とニコライ・エジェフの辺りに立ち込めていた煙から、何か(・・)が突き抜け、拡声器からの声が途絶えた。代わりに重いものと液体が高いところから落ちる音が聞こえた。

 

 そこには、丸いものが転がっていた。独特の光沢からヘルメットなのがわかり、ただヘルメットが落ちただけかと思った。

 けれども違った。そのヘルメットから赤い液体(・・・・)が止めどなく流れ続けていた。

 瞬間、私は、私の目の前に落ちているのが、なにかわかった。

 わかり、激しい吐き気が込み上げた。

 

「帝国の狡兎どもが! 貴様らは今、神に弓を、いや、それより尊き方に弓引いたのだぞ! わかっているかーーーーーーー!!!!!!」

 

 建物から上から雄叫びが響く。そこには両手を紅く染めたニコライ・エジェフが赫怒に猛り狂っていた。自分の主に弓引いた逆賊に、先ほどユーリーさんに向けていたものとは比べ物にならないほど。あまりにも興奮で、背後から陽炎らしきものが幻視するほどの憤怒。

 即座、ニコライ・エジェフに向かって四方八方から銃弾が殺到する。だが、着弾の音が瞬間にはニコライ・エジェフの姿はなく、また一つ、赤い液体(・・・・)を垂れ流すヘルメットが落ちてきた。

 

「学習能力のない愚劣かつ迂愚(うぐ)、愚盲で愚蒙な衆愚ども! 死してなお後悔するがいい! 死ぬ瞬間まで後悔するがいい! 生を受けたことを後悔するがいい! あの方に弓引いたことをあの世で後悔して死んで行け!」

 

 空を縦横無尽に駆け回り、目にも止まらぬ(なぜか見えている)速度で飛び回りながら叫び続けるニコライ・エジェフの声が残響して、空そのものがニコライ・エジェフとなって声を出しているように錯覚してしまうほど。

 

「アンナ呆けているな! 今のうちに逃げるぞ!

 お前たちも早く!」

 

 コンスタンチン先輩が、みんなに逃げるように激を飛ばす。

 しかし、あの狂犬(ニコライ・エジェフ)がそれを逃すはずもない。

 

「小娘ども! 誰がにげることを許可した!」

 

 ニコライ・エジェフが、私たちに飛びかかる。

 

「お前こそ、誰が彼女たちに触れることを許した?」

 

 ユーリーさんがニコライ・エジェフを蹴り飛ばし、大地に叩き付けられたニコライ・エジェフは叫喚する。

 

「また邪魔をするか、黄色の小僧!」

 

「ちょっと待て! 俺は一人で走れる」

 

「そんな足で走れるものなら走ってみてください。できませんよね。できないなら『足手纏い』らしく、大人しくしてください。コンスタンチン先輩」

 

「そうよ。強がりするなら後にして。

 シューホフ、アンナを頼んだわよ!」

 

「行くぞアンナ!」

 

 私の手を取り走り出すシューホフ先輩、コンスタンチン先輩は強がりをするも、先ほどの覇気はどうしたのかたいして抵抗をすることなくタマーラとウラジミール先輩が肩を貸して走り出していた。

 私たちは駆ける。ユーリーさんたちから背を向けて、鋼鉄の男たちから逃げる。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 ああ、何故だ。

 ああ、なぜだ。

 ああ、ナゼダ。

 

 何故、ここにいる者たちは、蒙昧たちはあの方の威光に跪くことをしない。銃が向けなれる。

 なぜ、こんな奴らが生きていられる。生を受けることが出来んだ。

 ナゼ、こいつは《王》を僭称し、(あまつさ)え私の執行を、主の意向に反するのだ!

 

 ナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ

 

「なぜ邪魔をする黄色の小僧! 我が主の道を妨げる!」

 

「さてね。僕自身は鋼鉄の男に興味が欠片もない。それに、初めに言った通り関わりたくないくらいだけどね。

 それにさ、主の命令に背いていてもいいの? 駄犬」

 

 私に二度も土を付け、不遜にも我が主に敬語を使わず、不敬にも膝を屈さない愚か者。

 なにより、我が主に、我が主を、まるで市井のごとく扱うことに、愚かという言葉では表せない程の愚か物。

 我が主と共を僭称するモロトフの醜業婦(しゅうぎょうふ)と同類。この世にはいてはならない存在。

 

「主の意向を察し、遂行し、完遂するのは臣」

 

「ニコライ・エジェフ」

 

「は!」

 

 主が呼ぶ、脊髄反射よりも早く駆けつける。

 

「警戒を厳」

 

 刹那、黒い雪が降り始めた。それを見た黄衣は後ろを振り向き、駆け出した。

 私は奴を仕留めるために体制をとる。

 

「ニコライ・エジェフ」

 

「しかし――」

 

 視線が向けられる。それで制止はする。制止はするが、今すぐ飛び出したい衝動に駆られる。だが、我が主の命は絶対だ。だから、耐える。

 

「……はい。いいえ。これはジェルジンスキーの仕業でしょうか? それともベリヤの」

 

「――それはない。ジェルジンスキーならば一言あるだろう。それにベリヤ如きにそんな権限はない。ジェルジンスキーが許すはずもない。なによりも、チェーカーが今もわれらを監視している。

 そのチェーカーどもから来ないということは、ジェルジンスキーの関与はない。ならば――――」

 

黒い道化師(ラスプーチン)――」

 

 瞬間、空間が重くなる。

 重圧が、空間を軋ませる。

 私は無言となる主に侍り、厳戒態勢を維持する。

 

 次に、仕留める目標を、定めて――――

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 手に伝わる温かな体温。鼻腔をわずかにくすぐる甘酸っぱい匂い。耳に届く息遣い。

 今俺は、アンナの手を引いてる。そうた。今俺とアンナは一蓮托生、いや互いを思いあって、互いに互いを必要とする相思相愛だ。そうだ。これが、これこそがあの人の言っていた《その時だ》。

 だから、彼女をあそこに、彼女とあそこに行こう。そこで、そこで彼女からもらうんだ。あの人も言っていた、アンナなら喜んで協力してくれるって、献身的とも言える思いで応えてくれる。そう言っていた。

 だから、

 だから、

 だから、

 だから、

 アンナ――一緒に行こう。

 

 途中で三人とははぐれたが問題ない。あるはずかがない。だって、これが正解だから。これがあの人の導きに違いない。

俺は何て幸福者なんだ。これこそが神の導きなんだ。俺は今始めて神を感じた。

 

 そうだ。これから、俺たちは一歩を踏み出すんだ。

 これから、二人の世界が、時間が始まるんだ。

 

 ああ、嗚呼、アア、アンナ――――

 愛しい、愛しい、アンナ――――

 

 俺が、見せてあげるよ。俺の、夢を。俺の、傑作を。




来月にはヴァルーシアを買う予定のジンネマンです。
今回はちょっと早めに書けて少し安堵してます。

さて、本来なら今ごろ二章を終わっている予定だったのですが、まあいつものことだ。
一応は全体としてあと四章で終わる予定。来年には完結させたいね!

では、短いですが、親愛なる皆様、よき青空を。

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